Nathanielの競馬ブログ

中央・地方・海外問わず、競馬を見続けるブログ。
twitterアカウント:
https://twitter.com/mambo_ds96

キーレン・ファロンの栄光と苦悩

キーレン・ファロンの栄光と苦悩(1)

DSC_0003














(キーレン・ファロン騎手と、14年2000ギニーを勝ったナイトオブサンダー
Racing Post Annual 2015 より

現地時間4日、英国リーディングに6回輝いた名手、
キーレン・ファロン騎手が、
51歳で、現役生活にピリオドを打つことが発表された。

90年代後半から00年代初頭にかけ、
欧州競馬で眩いほどの輝きを放ったファロン。

しかし、その栄光の影には、
常に、信じられないような醜聞がつきまとった…。

自分の知りうる範囲であるが、
ファロンがジョッキーとして歩んだ道のりに、焦点を当ててみたい。


【中堅騎手から、瞬く間にスターダムに】
untitled









1965年生のキーレン・ファロンは、19歳の1984年、
母国アイルランドで騎手生活をスタートさせた。

1988年、23歳で拠点を英国に移したものの、
大レース勝ちはなく、20~60勝台と中堅騎手の域を出ない成績で、
20代の終わりまでを過ごした。


ファロン騎手に転機が訪れたのは、31歳を迎えた1996年。
英国クラシック25勝、「英国近代競馬で最も成功した調教師」と称された、
ヘンリー・セシル(2013年没)厩舎の専属騎手となったファロンは、
この年、これまでで最多の136勝を上げると、
さらに勝ち星を上積みし、翌1997年、202勝で初の英国リーディングに輝く。

ファロンは、セシル師の管理馬・オースで、1999年ダービーを優勝。
騎手リーディングとダービージョッキー。
騎手として最高の栄誉を、30代半ばにして、
一気に手にしたファロン。

しかし、直後にセシルはファロンに対し、
一方的な契約解除を言い渡す…。


契約解除の要因は、英国紙ニューズオブザワールドが、
「セシルの妻ナタリーと、ある有名騎手が不適切な関係にあった」
と伝えたこととされる。

しかし、ファロンは、このことは事実無根と訴え、
後に訴訟で、セシルから和解金を得ることになる。


事実かどうかはわからずも、
不幸な出来事で、有力厩舎からの契約を解除されたファロン。

しかし、20代後半から30代前半頃のファロンは、
同僚騎手に暴行を働き、6か月の騎乗停止処分を受け、
イタリアブランドで身を固め、稀代のプレイボーイと謳われた
ヘンリー・セシルの妻と、不適切な関係を噂された。

ファロンは、94年の時点で既に妻子がいたが、
血気盛んな青年時代を送っていたようである…。


【スタウト厩舎と契約、黄金期の到来】
51e93ae9










セシル厩舎との契約が解除された翌2000年、
ファロンはアスコットの落馬で重傷を負い、
後半シーズンを棒に振ることとなる。

しかし、負傷から明けた2001年、
新たに契約を結んだマイケル・スタウト厩舎ゴーラン
英2000ギニーを優勝し、再びリーディングを獲得。

翌2002年にはゴーランでキングジョージを優勝。
さらに2003年クリスキン、2004年ノースライトと、
ファロンはスタウトの管理馬で立て続けにダービーを優勝。

この間、英国リーディングの座を堅守し、
1997年~2003年の7年間で、6度のリーディングを獲得。
90年代末~00年代初頭は、
ファロンにとって、まさに黄金時代の到来となった。


【相次ぐトラブル、クールモアの主戦から、長期の騎乗停止】

2004年、オークス&ダービーを連日制覇したファロンは、
2005年より、新たに母国アイルランドの、
若き名伯楽エイダン・オブライエン師と契約。

同年、早速、同厩舎の管理馬で2000ギニー、1000ギニーを連日制覇。
さらに秋には、仏国ファーブル厩舎のハリケーンランで、初の凱旋門賞優勝。
名声を欲しいままにしていたように見えた。


しかし、これまで暴行やアルコール依存といった、
トラブルを抱えていたファロンに、
新たな疑惑が持ち上がる…。

06年7月、仏国のジャンプラ賞後の薬物検査で陽性反応が出たファロンは、
この件で12月より仏国で6か月間、騎乗停止の処分を受ける。

また、同時期、英国で賭博行為に加担したとして、
ファロンは、英国当局に、逮捕・起訴された。


騎手生活の絶頂時、再びトラブルを起こしたファロンであったが、
07年6月、愛国で騎乗を再開すると、
秋の凱旋門賞を、オブライエンの管理馬ディラントーマスで優勝、
自身2度目の凱旋門賞優勝の栄誉を手にする。


しかし、この年8月の薬物検査で、再度、陽性反応が出たことが発覚。
ファロンは08年1月から、09年9月まで、
長期にわたり、ターフを離れることとなった…。


キーレン・ファロンの栄光と苦悩(2)



キーレン・ファロンの栄光と苦悩(2)

DSCF0158













(2012年キングジョージ、ゴール前。
右端の水色の勝負服が、ファロン騎乗のブラウンパンサー


 
【カムバックから引退まで】


1年以上の長期にわたる騎乗停止の処分が明け、
2009年9月、44歳にして復帰したファロンは、
年内で50勝を上げ、ブランクを感じさせない姿を見せる。

翌2010年には、140勝を上げ、
米国GI・グッドウッドステークスを優勝。
2011年には、さらに勝ち星を上積みする154勝を上げ、
独オークスを優勝と、
全盛期を彷彿とさせる活躍を見せた。


しかし、2012年には勝ち鞍が半減し87勝。
2014年、2000ギニーをナイトオブサンダーで勝ち、
8年ぶりの英国クラシック優勝と、意地を見せるも、
騎乗数は徐々に減少。
2015年は北米を中心に騎乗した。

2016年は母国アイルランドを拠点に騎乗していたが、
6月末のレースで騎乗した直後に、調教で落馬。

うつ病を理由に、51歳での現役引退を発表した。

今後は、30日間の入院生活でオーバーホールを送った後、
調教助手としての道を目指すという。


【トップ騎手であることの苦悩・後藤浩輝騎手の証言】

前述の通り、キーレン・ファロンは
1997年~2003年の7年間で、実に6度の英国リーディングを獲得し、
その間、ダービーを始め、数々の大レースを優勝した。


英国リーディング騎手の凄味を、
02年夏、英国で長期に渡り騎乗した
JRAの後藤浩輝騎手(2015年没)が、当時のインタビューで語っている。


「英国、愛国、仏国。全部で15,6の競馬場を回りましたが、
英国だけで13ぐらい乗りました。

(中略)

英国のリーデイング争いをするような騎手は、
毎日2つ3つの競馬場で乗りつづけないと難しいんです。

でも苦痛なんですよ。

毎日毎日2,3時間、渋滞の中、
自分で運転して競馬場に行ってレースをして、
終わったら泥がついたまま車に乗り込んで、
また次の競馬場に行かなければいけない。

帰ったら夜の12時過ぎてるとかって…。

ジョッキーライフというものを考えたら決して楽しいもんじゃない。
精神的にも体力的にも限界で。

だから、フランキーはそこから離れたというか、
リーディング争いには参加しないんです。

リーディング争いは、命を削るような壮絶な戦いだと思います」


矢野吉彦の世界競馬案内』(2003)オークラ出版 より


後藤騎手が例えた「命を削るような戦い」。
後藤騎手が英国にいたのが2002年で、
ファロンは、まさにこの戦いの中に、
7年以上の長期に渡り、身を投じていたことになる。

「素行不良」と形容されることも多かったファロンであるが、
7年間で6度も英国リーディングを獲得することは、
多大な競馬への情熱と、精神力がなければ不可能なことであり、
その意志の強さは、どれほどのものであったか…。


また、ここでは少し本題からそれるが、
若手時代から欧米で積極的に経験を積み、
重賞のない日の地方競馬まで、積極的に乗りに行っていた後藤騎手が、
どのような考えで、全力で競馬に向き合っていたのかを思うと。

改めて、やりきれない思いがする。



【デザーモ・デットーリ両騎手の栄光と苦悩】

世界のトップ騎手が、
長期間、その座を守るため、精神面のバランスを崩してしまうことは、
ファロンに限ったことではない。
ここでは、日本のファン誰もが知る
二人のトップジョッキーの姿について触れてみたい。


米国のケント・デザーモ騎手は、
ケンタッキーダービー4勝、米国競馬殿堂入りと、輝かしい実績を残し、
日本でもレディパステルでオークスを優勝と、顕著な結果を残したが、
2000年代後半より、
「アルコール依存症」が原因と思われる症状で成績が低迷。

2度に渡り、アルコール検出で騎乗停止を受けただけでなく、
11年には「車に乗って人をはねようとした」罪で起訴されるなど、
日本にいた頃の人格者ぶりが、
(難病の子供の治療に専念するため、長期で日本に滞在した)
信じられないほど程の姿を見せている。

その後デザーモは、今年のプリークネスSを
兄の管理馬エグザジャレイターで勝ち、久々の大レース優勝。
往時の姿を取り戻したかにも見えるが、
今も「アルコール中毒患者」のリハビリを受け、病と闘っているという。


英国を拠点にする、フランキー・デットーリ騎手は、
世界でも、日本においても、説明不要のスター騎手だが、
2012年「コカイン使用で騎乗停止」という、
非常にショッキングなニュースが流れた。

デットーリはその後の取材で
「専属契約を結んでいた、ゴドルフィンの中で優先順位が下がったこと」を、
薬物に手を出してしまった要因として挙げ、
その後は落馬負傷、主戦を務めていたトレヴからの降板など、
相次いで不幸な出来事に見舞われた。

昨年、デットーリは久々にエプソムダービー、凱旋門賞を勝ち、
以前のような大レースでの輝かしい姿を取り戻している。


しかし、ファロンに留まらず、デザーモ、デットーリのキャリアに
暗い影を落とした、トップジョッキーとしての苦悩。

海外は、日本に比べ、賞金水準が低いことも背景として考えられ、
トップジョッキーであり続けることは、
体力、精神力の双方で、並大抵の苦労ではないようだ。

DSC_0260















ケント・デザーモ
(2014年・大井競馬場)


DSC_0640














フランキー・デットーリ
(2015年・英国サンダウン競馬場)



【ファロンの栄光と今後】

日本での騎乗機会が多くなく、
あまり日本のメディアでは素顔が伝わってこなかったファロン騎手。

しかし、彼のツイッターを見る限り、
「子供の誕生日を祝い、子供3人と映った写真をアイコンにする」、
とても子煩悩なパパであり、
先月の落馬後も「復帰を目指す」と、
最後まで、前向きな気持ちを見せていた。


醜聞ばかりが、クローズアップされているが…
英国リーディング6回、ダービー3勝の栄光は何物にも代えがたいものであり、
「確かな騎乗技術」があったからこそ、
不祥事のあとも、スタウト厩舎、オブライエン厩舎と、
名立たる有力厩舎の専属を任され、
大レースを勝ち続けたことは、紛れもない事実。


20代の不遇の時を経て、30代で才能を開花させた騎手だけに、
積み重ねた努力は、人の何倍も上回るものがあっただろうと感じる。


今はとにかく、長年の酷使で疲弊した体力、精神面を休めて欲しい。

今後の彼の人生が、幸せなものであることを、
一競馬ファンとして願うのみ。


記事検索
プロフィール

mambo_ds96

カテゴリ別アーカイブ
タグクラウド
QRコード
QRコード