『Japan Times』に載っていた記事の日本語訳。間違ってる部分がひょっとしたらあるかもしれないし、意訳しているところもあるだろう。その辺はご了承願いたい。

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『レズビアンが見えない』(原題直訳:見えないマイノリティ)
〜日本のレズビアンのコミュニティは、権利と受け入れを求めて二重にもがいている〜
By THOMASINA LARKIN

歪曲して語られ誤解されている、知られざる女たちの集団は二重の意味でもがいている。自分たちの権利を求めて声をあげざるをえない状況で、一方ではその結果として否定的な社会に自らの生活を知られてしまうことに恐怖を感じているのだ。

この集団については、今まであまりにも「レズビアンに対するステレオタイプ」に直結されて語られてきた。とても一般的に知られていることは、「女たちがレズビアンになるのは過去に男との間でトラウマになるような出来事があったからだ」というものだ。

「これはストレートの人に、『あなたは過去に同性の誰かとひどい目にあったからあなたはヘテロセクシャルになったのか?』と尋ねるのと同じくらい、疑わしいことだ」と東京で勤めているセラピストの Kim Oswaltは話す。

「ストレートの人達は、自分がストレートだと若くして知る。おそらくは、性的な体験を持っていないころから。 同じことはレズビアンやゲイにも言えると考えるのが自然だ。彼ら、彼女たちは自分の性指向について、若いころに気がつく。」
「心の中に内面化されたホモフォビア(同性愛嫌悪)は、ゲイたちが、自分がゲイであることがばれないようにストレートのように見えなければいけないし、振舞わなければいけないというように感じる形で現れる。というのは、社会的な抑圧が存在しているからだ」と Oswaltは言う。
「多様性を認めない政治が、様々な主流から外れているひとたちに声を上げにくくさせていると私は思う。」

一方では、誰かがカムアウトしたとしても、その人の性指向を外見から判断することは簡単なことではない。

毎週水曜日の夜、こぎれいで陽気な渋谷のバー「Chestnut and Squirrel(栗とリス)」には客がやってくる。店内は、「ダイクフード」と呼ばれる食べ物のにおいや、「ダイクドリンク」の氷がカランとぶつかる音と国籍の枠を超えた1ダース以上の女たちのしゃべり声がする。

「彼女たちがそこにいるのは、共通の特別な理由が一つあるようだ。」

レズビアンの「コミュニティ」の中にはいくつかの種類があって、そのメンバーによって(政治的活動、バーでのイベント、キャリアウーマンや子どものいるひとたちなどのコミュニティなど)分けられている。

「ときどき2人がレズビアンだって単純なことだけで、2人はうまくいくと考えるひとたちがいるんだよね」とアメリカ人の EVは言う。 「でも実際は、私は『私はレズビアン』とは思えない。私は私。同性愛者であることは、私が何であるかの一部ではあるけれど全てではないの。私たちは確かに共通の何かを持っているけれど、それは私たちが持っているうちの一つのことにしか過ぎないのよ。これは『趣味』なんかじゃない。例えば『私は水曜日の夜には同性愛者で、土曜日にはスキューバをする』といったふうの事柄じゃない。」

レズビアンはどこにでもいる。レズビアンは私たちの看護士、私たちの教師、私たちの土曜日のスキューバダイビング仲間なのだ。レズビアンは私たちの友達や姉妹ですらある。彼女たちは実生活のなかでまぎれているだけで、それは「同性愛者の不可視性」によるものであるのがしばしばだ。

「マイノリティで、マイノリティで、マイノリティ」と1990年代に日本のレズビアンについての論文をケンブリッジ大学で書いたOlivia Mossは言う。

「東京で働いている外国人女性たちにとっては、まず外国人であることがマイノリティ。レズビアンであることもマイノリティで、働く女であることもマイノリティ。このことは、つまり大きなスケールで見た時に私たちが『見えない人達』であっても全然不思議じゃないということ。それに仕事場でカムアウトすることができる人達の数を考えたら、 マイノリティであることが重なるたびに母集団の数が減っていくことを考えたらね。」

日本では、同性同士の権利はまだ認められていないし、差別を禁止する法律も整備されていない。よって、ほとんどの女たちは完全にカムアウトしていない。このような状態は「レズビアンは日本には存在しない」という神話が語られる状態を招いている。

「外国人も日本人も、レズビアンであることがタブーというだけじゃなくて仕事をクビにされたり『ヘテロ社会』からのけものにされるリスクに対する恐怖がある」とMossは言う。
しかし、大阪の政治家である尾辻かな子が去年の8月、東京でのゲイパレードで公にカムアウトをしたことにより、状況は一歩前進した。日本のレズビアンたちは、長い間ずっと、公の「ロールモデル」を欠いたままでいるのだ。


1980年、有名なポップシンガーである佐良直美は元・恋人が彼女がレズビアンであることをもらしたために、人気が落ちる事態に巻き込まれた。「大衆から罰せられる」という形になってしまった。
「私は32歳になるまで、カムアウトはしませんでした」と 『ダイク・ウィークエンズ』(年に3回の埼玉での集まり)を10年にわたって組織し、「Chestnut and Squirrel(栗とリス)」ではママの愛称で親しまれ、4年にわたって料理やドリンクを客に出してきたCHUは言う。
「抑圧されることしか知らなかったの。私は佐良直美のことしか知らなかった。彼女はレズビアンで、そのことはバッドニュースだった。でも KD Langはとてもかっこよかったよ。グラミー賞で彼女が歌っているのを見た時、私は『ああ、私はレズビアンだ!』と思った。 そのときが最後で、私は自分のセクシャルティについて認めるようになった。尾辻さんのことはカムアウトしたいと思っている女たちにとって、目に見える肯定的なイメージになったに違いないと思う。」


Chuによれば、レズビアンの活動は1994年に頂点を極めたという。アメリカのフェミニストの運動を受けて、日本のグループのリーダーたちが一丸となって動いたのだ。
それから熱は冷めてしまい、それは各グループがそれぞれ異なったアイデアで異なった道を行くようになったからだと彼女は言う。

近年、日本のレズビアンたちは公の場に出かけていって他の当事者に会うよりはインターネットを使うようになっていき、それぞれの道をいくようになった。
「ネットはバーで会うのとは違う。私が求めているのは、バーで手に入るものよりもっと多くのこと。ひとにはそれぞれ暮らしや過去があって、パーティーだけやればいいだけではない」と、ネットで知り合った千葉県周辺の友達と昼間に会うために飛び回っている暮らしを9月から続けているAyanoは言う。

あるひとたちにとっては、インターネットはレズビアンコミュニティの連帯を損ねるものだ。

「ネットを使うことで彼女たちは二つの顔で生活をすることができる。そのことが、私たちが見える存在になる機会を奪ってしまう。インターネットですぐにデートの約束を取り付けて誰かと付き合うことは簡単だ。彼女はクローゼットであってもうまくやっていけて、そのことがレズビアンの集団に影響を与えるんだ。なぜかって、それは『見える存在』になる戦いをやめて『消えてしまう』ことだから」とMossは言う。

「私たちは、レズビアンたちが彼女たち自身を表現できるようなコミュニティの場を応援しなければならない。私はインターネットのコミュニティが支援やケアの中心になっている気がしている。」
「もう私たちはネットの中のレズビアンコミュニティに対して、その抱える問題を自覚してもいいころだ。そして私たちと他の人々との間にある様々な障壁を壊すような道について探るべきだ」

一方で、言葉による壁や永住する予定のない外国人が結婚できないことによるビザの問題など、日本人と外国人のレズビアンコミュニティでは異なる問題も生じている。もしかしたら、数ある取り組みの中での一つは「どうやってそれぞれの異なる『今一番求めていかなければならないこと』を互いに尊重しあって、同時に政治的な基盤をつくっていくか」なのかもしれない。

より広い可視性が得られるまで、一般社会ではレズビアンの存在が見えない状態が続き、レズビアンに対する不名誉な言説は繰り返されていくことだろう。

「現在でも、本当は日本の社会にはレズビアンなんていない、と信じている人はとても多いのが現状」と関西Queer Film Festival のスタッフを務めて尾辻のパートナーでもあるMaki Kimuraは言う。
「フェミニンなレズビアンは市場の中で異性愛の男性の性欲対象として消費されてきている。つまり、ポルノグラフィという形で発展してきた。」

「経済的な理由、日本では男性と女性での賃金格差があることが原因であるケースもあるが、そういった理由から非常に多くのレズビアンが結婚という選択を選んでいる。そのことをレズビアンコミュニティの中で話す時ですら、私たちは互いに十分な情報を共有していない。例外はインターネットを使いこなせる人間だけで、このことは日本のレズビアンについて報道するメディアが事実上存在しないという大きな問題なんだ」と Kimuraは言う。

「私は差別や偏見といった、悪意に満ちたサイクルを断ち切りたいと思っている。私たちが見える存在になればなるだけ、状況は変化してもっと好意的なものになるだろう。」