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同性カップルの法的保障のためにできることリスト
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先週から、しんぶん「赤旗」にエッセイを連載することになりました。
毎週金曜日に掲載で、全4回。
掲載許可を得たので、こちらのブログでも内容をご紹介します。

第一回はこちらから読めます。
→ 連載|棒?それとも女性?


以下、転載です。
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フクザツな性別 らしさを巡って

◆.レと「わたし」


小学校にあがった頃、作文の時間が苦手だった。原稿用紙を前にソワソワするばかりで、鉛筆が全く進まない。ぶち当たっていたのは「一人称の壁」だった。
 

男子は「ぼく」、女子は「わたし」と書くよう教わった。自分はどうやら女子に分類されている。だから「わたし」と書くのが正解らしいことは、頭では理解できた。しかし心がどうにも叫ぶのだ。オレは、絶対に、「わたし」なんて書きたくないぞ!!と。


大人であれば男でも女でも「私」という一人称を使うが、小学生にとっての「わたし」は女の記号でしかなかった。今なら、当時の気持ちをこう説明できるだろう。自分は生物学的な性(からだの性)は女だけれど、性自認(こころの性)は男なので、そんな記号はご勘弁願いたいのです、と。でも、そんなボキャブラリは持ち合わせない。私は、単に作文が書けない子どもだった。


コトは作文だけではない。いつも男子の集団にいて、女子トイレには足がすくんだ。「女子みんなでお風呂に入る」という修学旅行の悲劇的イベント(多くの人にとってはそんなことはないのだろうが)を回避するために部屋から脱走し、スカートを強制された日には、世界の終わりみたいな気分だった。


心身の性が一致しないことがあると知ったのは、高校生になってからだ。セーラー服をあてがわれる日々、自分の人生を救うためにインターネットや書籍をあさり、ようやく自分が何者なのかを知った。やっぱり、オレは「わたし」じゃなかったんだな。そう分かったとき、ホッとした。


学校では、多様な性について教わらなかった。もっと早く、自分の人生に言葉がほしかった、と強く思う。テレビのおネェタレントを、幼い子どもでさえ笑うのに、大切な情報はあまりに少ない。子どもには早すぎる、なんてことはないはずだ。