湧き続ける湯に望み

阿蘇五岳の一つ、

烏帽子岳の麓で200年を超す歴史を紡いできた

熊本県南阿蘇村河陽の地獄温泉「清風荘」。

熊本地震の本震で道路が寸断、

宿泊客、従業員計51人が一時孤立し、

自衛隊ヘリで救助された。

道路は至るところで切れ落ち、復旧の見通しも立たない。

崩落箇所には新たな土砂崩れの危険性も残る。

それでも「この地に、このお湯さえあれば必ず復活できる」−。

6年前に父の後を継いだ3兄弟と家族、

スタッフに同行し4日、深い爪痕の残る現地に入った。

山麓の牧場の中を歩き、山側から回り込む。

赤茶の土があらわになった烏帽子岳を指し、

副社長の河津謙二さん(52)が

「いつもなら、ミヤマキリシマに染まる山が…」とつぶやく。

途中の村道は標識を残して崩落、

続いていたはずのアスファルトは割れ、はるか下に。

向かい側の山肌にも無数に亀裂が走る。

脇から山の中を下った。

やがて硫黄の香りとともにあちこちから白煙が上がる。

地獄温泉と呼ばれるゆえんだ。

「この地獄を踏めば、その下はない。

あとは上がるだけ。

いつもお客さんに言ってたんですよ」。

兄で社長の誠さん(53)は、

自らに言い聞かせるように笑顔をつくった。

    *    *

4月16日未明に襲った本震。

客室の窓ガラスがあちこちで落ち、

慌てて宿泊客を外に避難させて車で夜を明かした。

「歩いてでも帰りたい」と訴える中国人客を落ち着かせ、

スタッフは駐車場で炊き出しをした。

「もう一晩は野宿か」。

そう覚悟したという謙二さんは、

救助のヘリを待つ間、清風荘の名物「すずめの湯」の確認に走った。

火山性の温泉では珍しいという、

湧き出る源泉にそのまま入れる「奇跡の湯」。

青白色の硫黄泉は、変わりなくぷくぷくっ…と音を立てて湧き続けていた。

「生きているよ」というように。

「この先、困難だらけでも、ひとつの望みがここにある。

そう思えた」。

謙二さんは振り返る。

    *    *

誠さん、謙二さんと末っ子で専務の進さん(50)が

清風荘を継いだ当時はリーマン・ショック後の不況のさなかだった。

その後、九州北部豪雨や阿蘇山噴火による風評被害にも見舞われた。

「苦しいからこそ団結できる」。

母でおかみの誠子(のぶこ)さん(78)と

3兄弟、力を合わせて乗り越えてきた。

自然の恵みを受けながら生き、脅威にさいなまれながら生きる。

「僕らはこれから200年後のために人生をささげる。

南阿蘇の、旗振り役にならなければと思っています」と誠さん。

「僕らの今の姿を見れば、

次の世代が仮に苦難に見舞われても、

乗り越える力になるだろうと思う」

この日、誠さんや、進さんの息子たちも館内の片付けに汗を流した。

帰る前、すずめの湯に顔を出した

進さんの次男、奏人(かなと)さん(14)は

一言、「入りてえ〜」。

「震災後、初だな」

とうらやむ大人たちを前に服を脱いでドボン。

たまらず

「はあ〜」

と上げる声が、青空に響いた。

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幸せ願って7枚の黄色いハンカチ

熊本県などでの一連の地震で

災害ボランティアの拠点となっている

熊本市中央区の花畑広場に27日朝、

東北から届いた7枚の黄色いハンカチが掲げられた。

送ったのは岩手県陸前高田市の仮設住宅に住む

菅野(かんの)啓佑さん(74)。

2011年の東日本大震災の津波で姉を亡くし、自宅を失った。

自宅跡地に、捜索隊の目印になるようにと、

山田洋次監督の映画「幸福の黄色いハンカチ」を

ヒントに黄色いハンカチを掲げた。

13年、仮設住宅の設営の手伝いに

熊本からボランティアが訪れた。

菅野さんは高さ約15メートルの津波が襲ったことや、

どう逃げるべきかを伝えた。

息をのんで聞いていたボランティアの一人が帰り際、

黄色いハンカチに

「くまモン」の絵と「熊本から来ました。

くまモンも応援しています」と書いた。

ユーモアたっぷりのキャラクター。

菅野さんの気持ちも和らいだ。

熊本地震が起き「今度は俺たちが支える番」と思った。

「熊本を忘れない」というメッセージを伝えるため、

黄色いハンカチを送ることに決めた。

「ちょっとでも元気になってもらいてえからな」。

くまモン、生きるんだ。

必ず幸せが君に来る――。

黄色の布地にそんな思いを書き記した。

届いたハンカチに、ボランティアが思いを書き込んだ。

市内の高校3年、水谷笑菜(えみな)さん(17)は

「熊本のみんなで復興に向けて頑張っています!!」。

自身も3、4回、車中泊をした。

「黄色いハンカチが『大丈夫』

って言ってくれているみたいです


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僕に届いた声《熊本の声》

ブログ;やまとゆう / http://ameblo.jp/yamato--you/

より

僕に届いた声《熊本の声》10
http://ameblo.jp/yamato--you/entry-12161827809.html

僕に届いた声《熊本の声》9
http://ameblo.jp/yamato--you/entry-12161748142.html

僕に届いた声《熊本の声》8
http://ameblo.jp/yamato--you/entry-12161598123.html

僕に届いた声《熊本の声》7
http://ameblo.jp/yamato--you/entry-12161582831.html

僕に届いた声《熊本の声》6
http://ameblo.jp/yamato--you/entry-12161493495.html

僕に届いた声《熊本の声》5
http://ameblo.jp/yamato--you/entry-12161269908.html

僕に届いた声《熊本の声》4
http://ameblo.jp/yamato--you/entry-12161218263.html

僕に届いた声《熊本の声》3
http://ameblo.jp/yamato--you/entry-12161084863.html

僕に届いた声《熊本の声》2
http://ameblo.jp/yamato--you/entry-12160848214.html

僕に届いた声《熊本の声》
http://ameblo.jp/yamato--you/entry-12160810818.html



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東北から「笑顔バス」が恩返し、熊本の子ども励ます

東日本大震災の被災地を巡り、

童謡や手品を披露している仙台市の「笑顔バス」が18日から、

熊本地震で被災した熊本県内の保育園などを訪れ、

子どもと一緒に歌って踊る

コンサートをボランティアで開く。

バスはもともと福岡県遠賀町の遠賀中央幼稚園の送迎車。

「東北が大変なときに支えてくれた恩返しを」と、

初めて九州に“里帰り”する。

被災の子どもどう接したらいいの? 

「津波ごっこ」「地震ごっこ」をする子も

バスは同幼稚園で10年ほど使われていたが、

買い替えを検討中の2011年に東日本大震災が発生。

震災復興に役立ててもらおうと、

かつて園でコンサートを開いた縁で交流があった

子ども向けイベント企画会社

「プランニング開」(仙台市、新田新一郎代表)に同年6月、

洋服や絵本などの支援物資を積み込んで贈呈した。

12年6月、バスは仮設住宅で暮らす

東北の子どもたちが真っ赤な車体に彩色し、

「笑顔バス」と名付けられ活動を開始。

これまでに宮城、福島、岩手3県の

幼稚園、保育園や仮設住宅など約550カ所を訪れ、

延べ8万人と触れ合ったという。

同社の山縣哲さん(52)は

「今では町中を走るだけで手を振ってもらえる」と話す。

笑顔バスは、山縣さんの運転で16日に仙台市を出発。

20日まで熊本、宇土両市内の保育園や公民館など7カ所を回り、

同社スタッフで2人組の歌手

「あきらちゃん&コロッケくん」が

オリジナルの手遊び歌と振り付けを披露。

子どもたちと一緒に歌って、踊る。

21日に遠賀中央幼稚園に立ち寄り、東北に戻る予定という。

信行甲子(こうこ)園長(56)は

「東北の被災者に寄り添ってきた笑顔バスは、

熊本の人たちの心を癒やしてくれるはず」

と語った。

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18日 熊本市南区「仁愛幼育園」


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避難の中生まれた「未来」

「未来[みらい]」と名付けた息子は、

被災後に生まれた8人目の子ども−。

益城町宮園の尾崎善隆さん(35)清美さん(31)夫婦は

熊本地震で被災し、

避難中に三男未来ちゃんの産声を聞いた。

困難な生活は続くが、10人の大家族が未来を見つめる。

4月14日。

2階建てアパートの1階に暮らす

尾崎さん一家はそろってリビングにいた。

木山中2年の長女綾音[あやね]さん(13)や

益城中央小6年の次女沙彩[さあや]さん(11)は勉強中。

ほかのきょうだいは6歳から1歳までにぎやか。

そんなだんらんを震度7の激震が襲った。

「みんなで手を握りあって…。

私は転ばないようにと懸命に逃げました」

と清美さん。

アパートは倒壊を免れたものの、

近所の民家はつぶれ、火の手も上がる。

徒歩でたどり着いた近くの駐車場で一夜を明かした。

出産予定は27日。

「無事に生まれてきてほしいとずっと祈りました」。

熊本市東区のスーパー駐車場で親戚の車に分乗し、

体を横たえていた16日未明の本震。

泣き叫ぶ子どもたちを落ち着かせながらも、

清美さん自身が恐怖に体を硬くした。

おなかの子どもも硬直していると心配したが、

「しっかり動いていて驚いた」。

17日に熊本市東区の県民総合運動公園に移り、

車中泊を続けた。

避難所になったと聞いた益城幼稚園に入った22日の昼すぎ、陣痛が始まった。

通院中の益城町内の病院は断水で出産できず、

主治医が手配してくれた

東区の熊本赤十字病院へ善隆さんの車で急行。

午後10時21分、2900グラムの赤ちゃんが生まれた。

避難生活に疲れた清美さんの負担を

できるだけ和らげるような安産だった。

未来と名付けたのは善隆さんの母である祖母の川野康代さん(55)。

「震災が起こったけれど、一歩ずつ明るい未来を切り開く」。

そんな思いに夫婦も納得したという。

5月6日、仮住まいに選んだ東区のアパートに入った。

会社勤めの善隆さんは7日、

益城町の自宅から荷物を運び出しながら

「家族を守るため、生活を立て直さないと。

これからも支え合って、普通の生活を取り戻す」

と汗を拭った。

8日は母の日。

「頼もしくて、優しいお母さん」。

被災しながら新しい命を産み落とした清美さんに、

子どもたちはプレゼントを用意した。

「みんなで感謝のメッセージを書きました。

中身は秘密です」。

綾音さんが笑った。


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離れた友と文通

阿蘇大橋が崩落した南阿蘇村の立野地区では、

一部の児童生徒が転校などを余儀なくされた。

大津町立大津小に区域外通学した

南阿蘇西小5年の古閑大地さん(10)も

同級生の親友3人と離ればなれになった。

それでも変わらぬ友情を保つため、

取材で知り合った記者に

親友との再会の願いを込めた手紙を託し、

連絡を取り合うことにした。

「本当は親友がいる学校に通いたい」−−。

9日朝、ランドセルを背負った古閑さんは

緊張した表情で転校先の大津小に登校した。

地震前に通っていた南阿蘇西小は

阿蘇大橋の東側に位置しており、

橋の崩落によって西側にある自宅から通うことは難しくなった。

親友3人は橋の東側に住んでいるため、

別々の学校に通うことになった。

4月16日未明の本震で自宅に亀裂が入り、

古閑さんは家族8人で大津町の祖母宅などで避難生活を始めた。

ただ、祖母宅は皆が寝泊まりするには狭く、

駐車場で車中泊する日も続いた。

ストレスもたまったが、

16日を境に一度も会っていない親友3人を案じ続けた。

今月5日、立野地区を取材していた記者と知り合うと、

A4サイズの白紙に3通の手紙を書いて3人に渡すように頼んだ。

「オレと会えなくてさみしいだろ。またいっぱいあそぼう。がんばれ!」。

小1から一緒にカニを捕まえたり、

鬼ごっこをしたりして遊んだ

渡辺遼さん(10)には励ましの言葉を贈った。

受け取った渡辺さんも返事を書いて記者に託した。

「ありがとう。大津小にいっても友だちふやせよ。

しゅくだいあったら早めにやっとけよ」

古閑さんは渡辺さんの手紙を

寝泊まりしている車の中で読んだ。

「遼は消しゴムを使わないで手紙を書いたな」。

つぶやきながら読み終えると、

うれしそうに記者に言った。

「『早くじしんがおさまってまたみんなであそべるといいな』

って書いてあったよ」

倒壊した家に一時閉じ込められた高橋祐紀さん(10)には

「たいへんだったな。おれもまだ家がみつからないよ」

と書いた。

上村光太郎さん(10)からは

「けがはしてないよ。おまえこそだいじょうぶか」

と返信があった。

古閑さんの自宅は大きな損傷を免れたが、

周囲は土砂崩れが多発し、

地区一帯に避難勧告が出されている。

水道も復旧せず、自宅に戻るめどは立たない。

それでも、南阿蘇西小のある村中心部と

立野地区を結ぶ国道57号が

土砂崩れによる通行止めから復旧すれば同小に通学できるはずだ。

ランドセルには親友たちの手紙を入れてきた。

長い避難生活や区域外通学の不安も手紙を読み返せば乗り越えられる。

「絶対に戻ってくるからな」。

早速、9日の登校後に3人に宛てた手紙に

そうしたためて記者に託した。

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「笑」を入れて…LINEでつながる子どもたち

「家ぶっ壊れました笑」

「しぬなよ笑」−−。

熊本地震の被災地では、

子どもたちが学校の再開を待ちながら、

無料通信アプリ「LINE(ライン)」を通じて

友人たちとのつながりを保っている。

互いを案じるメッセージや、

被害をちゃかしたようにみえる表現には、

被災後の生活に不安を抱える親には

打ち明けられない子どもたちの本心が垣間見える。

「俺ねー多分部活せんかもしれんもん笑笑」。

熊本県西原村の自宅が全壊し、

中学校の避難所で寝泊まりする

県立熊本商業高1年、田上孝太郎さん(15)は

ラインにそう書き込んだ。

4月16日未明のマグニチュード(M)7.3の地震直後、

ラインでつながる友人たちから安否確認が相次いだ。

「みんなだいじょーぶ?」

「エグい角度で傾いとる。笑」。

「笑」を入れるのは、相手が深刻にならないよう気遣ってのことだ。

田上さんは高校で入ったばかりの

サッカー部をやめてアルバイトをしようと考えている。

自宅再建のためユニホーム代など

部活の費用は親の負担になると思うからだ。

「部活せんかも」

と書き込んだ1分後、

女子から返事が届いた。

「部活したらたいへんだもんね泣」。

苦境を知る親友ならではの言葉だと感じた。

友人とのラインに「救われた」と話すのは

益城(ましき)町で被災した

私立高校1年、藤本暉人(あきと)さん(15)だ。

16日午前3時40分ごろ、

いつもは冷たい態度だった同級生からメッセージが何通も届いた。

「おいあきと」

「マジ返信して」

「たのむけん」。

藤本さんが気付いたのは同日夕だった。

「いつもは威張っているヤツ。

でも本気で心配してくれてめちゃくちゃうれしかった」

別の友人には「死ぬかておもった」との一言を添え、

物が散乱した自室の写真を送った。

自宅駐車場で車中泊していて、

小さな余震でも「また来るのかな」と怖い。

「俺、あんまり弱音とか吐かないんです。

怖いとか嫌だとか。

でもラインなら素直に言える」

と言う。

避難所の益城町立飯野小学校で4月24日、

肩を並べて壁に寄りかかる

中学3年の奥村朋佳さん(15)と秋月美柚さん(14)が

スマホをのぞき込んでいた。

「いまなんしよる」。

メッセージが画面に浮かんだ。

別の避難所にいるバレー部の仲間からだ。

14日の地震以来、

2人はほとんど同年代の子に会えていなかった。

奥村さんには小さいきょうだいもいるため、

避難所では愚痴も吐けない。

でも

「友だちとのラインなら、

絵文字も使って素直に言いやすい」

という。

「なんも、そっちは」

とメッセージを返した。

その後もたわいない言葉が飛び交う。

「これがあるから友だちとつながっていられる」。

教室の片隅で、奥村さんは小さくほほ笑んだ。

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感謝の思いは揺れない

熊本地震で全壊した

熊本県益城(ましき)町の園芸店「倉本園芸」が7日、

「母の日」(8日)を前に、2日間限定で営業を再開した。

柱が折れて斜めに傾く店舗には、

応急危険度判定で「危険」を示す赤い紙が張られたまま。

倉本憲幸さん(39)と裕子さん(34)夫妻が、

店舗前の駐車場にテントを張り、

市場でカーネーションを仕入れて間に合わせた。

片付けの合間に訪れた常連客は

「震災後なので無理かと思ったけれど購入できて良かった」。

憲幸さんは

「つらい時だからこそ生活に潤いを与えられたら、

と思って店を開けた。

花を見て少しでも和んでほしい」

と話した。

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役割

避難しているみんな、役割があると思います

赤ちゃんは泣くのが仕事、

おじいちゃん、おばあちゃんは『ありがとう』と一言、

にこっとしてくれたら、周りがうれしい気持ちになります

〜河原小学校避難所語録集〜

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ランドセル

嘉島町の会社役員穴井智子さん(50)が

熊本地震で被災した子どもたちのために

ランドセルを集めた。

「必要な人は連絡してほしい」と呼び掛けている。

熊本地震の前から、海外の子どもに送るためにランドセルを集めていた。

地震で近所の家が倒壊。

小学生の兄弟3人がランドセルを失ったことを知り、

3個を譲ったという。

「ほかにも困っている子がいるはず」と、

4月27日からフェイスブックで寄贈を募ったところ、

1日までに全国から800個以上が集まった。

中には新品もあり、「がんばろう」のメッセージが添えられていた。

「善意で集まったランドセル。被災者に届けたい」と穴井さん。

余ったものは東京のNGOを通じて海外に送る。

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