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2015年10月

被災写真、最後の返却会 「ボロボロでも手元に」

東日本大震災の被災地で、

津波で流され、

回収された写真の返却を

打ち切る自治体が相次いでいる。

ボランティアが中心となり、

泥まみれの写真を一枚一枚丁寧に洗い、

持ち主を捜し出してきたが、

震災4年を区切りにする。

残された写真を処分してよいかどうかの悩みもある

宮城県女川町は11日、写真返却を終える。

これまで9万枚余りを回収し、

半数強の約5万枚を持ち主のもとに戻した。

残った写真は町が焼却処分する。

写真を捜す人が減り、

保管場所も不足しているからだ。

町の総合体育館では、

最後となる返却展示会が連日開かれている。

山川勝善さん(70)夫妻は8日、

ずらりと並んだアルバムの中から、

黄色くなった一枚の写真を手にとった。

「礼子の結婚式のときのだ」

次女の礼子さんは嫁ぎ先の町で津波にのまれ、亡くなった。

山川さんも家を流され、娘と写った写真は一枚もない。

「商売の立て直しに忙しく、写真なんて捜す余裕はなかった。

時間がたつと過去を思い出せるものがほしくなる。

ボロボロでも手元にあれば」

返却にあたる町写真センターのスタッフ、

阿部貞(ただし)さん(64)は

「できるなら続けたい」という。

自身も町内の被災者。

今より人が多かったお祭り風景、

にぎやかだった運動会……。

「写真を渡すとよく昔の話になる。

人数も集まる機会も減ったが、

写真が人と人をつなぐ。

私が残った写真を預かりたいくらいだ」

震災直後、捜索などにあたった自衛隊員が、

がれきの中から泥まみれの写真やアルバムを拾い、

家の土台の上に置いた。

それらが体育館などに集められ、整理され、

持ち主を捜す地道な作業が始まった。

洗浄を引き受けるグループは、全国に広がった。

朝日新聞社が宮城県内の沿岸15市町に尋ねたところ、

計260万枚以上が回収され、

100万枚近くが持ち主のもとに戻った。

だが昨年3月に石巻市で写真そのものの返却が終わり、

8月には東松島市も終了。

今月は女川のほか名取市、亘理町も打ち切る。

仙台市や南三陸町などは、現在の返却作業を続ける。

多くの自治体では写真整理の過程で、

スキャナーなどで写真をデジタルデータにしてきた。

すでに写真を焼却した石巻市は、

要望があればデータをDVDに焼くなどして提供している。

亘理町は返却を終えた4月以降も、

写真を1年間は保管する予定だ。

亘理町で返却に携わってきた佐藤幸彦さん(58)は、

現物こそ大事と考える。

海水で変色し、表面がはがれたプリント。

「津波の教訓として後世に残す意味もある。

拾い上げた自衛隊員、

洗った人、

持ち主を捜す人、

かかわった多くの人の思いも込められている。

だから心を動かされるのでしょう」



mametorakoomametorakoo  at 23:59コメント(0)トラックバック(0) この記事をクリップ! 

妻の遺体を探すため…潜水資格取得 避難中にメール「帰りたい」

東日本大震災による津波で

いまだ行方不明となっている妻の遺体を探すため、

自ら潜水士の資格を取り、

海中での遺体の捜索を始めようとする遺族がいる

宮城県女川町のバス運転手、高松康雄さん(57)は

今月潜水士の試験に合格し、

月命日の11日、

合格後初めてとなる海での実践練習を行った。

高松さんは

「一刻も早く技術を身につけ、妻を見つけ出したい」

と話す。

連日の大雪で約30センチもの雪が積もり、

気温約1度の石巻市桃浦蛤浜(もものうらはまぐりはま)。

午前11時過ぎ、

高松さんは酸素ボンベなど約25キロもの装備を背負い、

極寒の海へ飛び込んだ。

この日は水中での泳ぎ方や呼吸法を確認する

30分間の練習を2回実施。

練習後、海からあがって装備一式を外すと、

息を切らしながら雪の上にどさりと倒れ込んだ。

「もう体力が限界。海の中で捜索できるようになるには、

あと10回くらいは訓練しないと…」

と苦笑する。

高松さんの妻、祐子さん=当時(47)=は

平成23年3月11日、

女川湾から約100メートルの七十七銀行女川支店で

勤務中に津波にのまれた。

祐子さんは行員らとともに

高さ約10メートルの支店屋上に避難していた

午後3時21分、高松さんあてに一本のメールを送っていたという。

文面は

「大丈夫?帰りたい」。

高松さんは行員らが支店屋上で

津波にのまれたと聞いた震災の翌日以降、

暇を見つけてはがれきの中や海岸を歩いたが、

妻の姿は見つからなかった。

昨年からは海上保安庁に女川町の海中での捜索を依頼。

昨年7月から計3回の捜索が実施された。

高松さんは

「今でも捜索してくれる人たちに本当に感謝している」

と話す一方、

「震災から時間がたつにつれ、

何とか自分でも捜索できないかという気持ちが募っていった」

と打ち明ける。

「“帰りたい”とメールがあったあの日から、

妻はずっと帰りたがっているんです。

一刻も早く捜索に加われるようになって、

妻を見つけ出さなくては」

潜水士としての訓練は厳しく、

初めての経験ばかりだ。

それでも妻を見つけるその日まで、

海へ潜り続けようと決めている。



mametorakoomametorakoo  at 23:59コメント(0)トラックバック(0) この記事をクリップ!