4月29日(祝)、いつもヨガサークルをしている尾張旭市藤池公民館にて、
チャリティクラスを開催させてただきました。
http://blog.livedoor.jp/mamy1204/archives/50613145.html
お越しいただきました皆様、
興味を持ってくださった皆様、
告知に協力してくれた仲間たち、
ココロからの感謝です、ありがとうございます。
「ヨガ的瞑想」というタイトルでクラスを開催しました。
瞑想というと、
何か特別な場所で特別なことをするようなイメージがあるのかもれません。
私が学ぶ沖ヨガでは、
「生活瞑想」をせよ、と教えられます。
歩いている時、ご飯を作っている時、
今自分がどんな状態なのかと、自分を内観することです。
内観→内側を観察すること。
おそらく、無意識で過ごしていれば、
一日の大半が意識を外に向けています。
肉体の外側。
見える景色、周りに居る人、
自分を取り巻く環境ばかりに気をとられ、
自分がどんな呼吸をしているか、
命のリズムに意識を向けることすら忘れてしまう。
日々のヨガのクラスは、
日々の自分の生き様をより美しくするためのものであり、
日々の小さなことを大きいこととし、
日々にある呼吸、日々過ごす姿勢を整えるためのものでありたい。
いつもそう思っています。
「ハタヨガ」。
カラダを動かしポーズをとることを全般にこう呼びます。
そのハタヨガが、自分にとってどんな作用を起こすのか。
今回は、
クラスの初めと終わりに、5分ほど座禅、瞑想をしました。
何かが変化している、その「何か」を、ただ観察しました。
知るために大切なことは、まず「知ろうとする」ことであり、
知ろうとすることを着実に積み重ねれば、いずれ分かります。
そして、分かったと思ったら、またさらに分かり、分からなくなります。
変な言い方だけれど、おそらくこれの繰り返し。
答えはないということです。
悪いものが良くなるということでもなく、
大切なのは、「ありのままをありのままに観たいとすること」、です。
その中でそのうち、「普遍的なもの」に出会います。
これこそが、自分の軸となり、安定感へとつながってゆく。
時に主観的であり、時に客観的であり、
そのすべてに冷静さが伴うこと。
ただ純粋に、自分の命を見つめ続けることこそが、
この人生を豊かにすることへとつながる。
私はヨガを通して、そう感じています。
なぜなら、何をせずとも、もうすでに、
この肉体に尊い命、神が宿っており、
そこにはいつも、「良心」があるからです。
日々にまみれて良心がみえなくなる。
自分はどうすべきか。
自分のためではなく、自他共に生かし合うためには、です。
だからこそ、ヨガと言う道具を用いて、
自分自身の良心を見出すこと、
そうすることで、自分は何を求め、どう動きたいのか、
自ず(おのず)と分かってくると思います。
それを「真我」と言い、
自他共に生かし合う中に存在する命が、
この地球の中でバランスを保つ中で与えられる行為へとつながってゆく。
光を見るためでもなく、音を聴くためでもなく、
そんな断片的な感覚に惑わされず、
ただ何気ない日常の暮らしにある全てが宝であり、
その全てが、すでに光に包まれ、美しい音色に囲まれていることを、
深く認識できたら幸せだと思います。
私にとって一番の師は私自身であり、
アナタにとって一番の師は、アナタ自身です。
私たちは、生かされています。
その感謝の証として、これからもヨガをお伝えし、
皆様と共に、学び合ってゆきたいと思っています。
参加者の方からいただいた受講費の半分を、
日本赤十字社へ寄付させていただきます。
あえて全額とせず、半額とさせていただきました。
それは、息切れせず、長く続けてゆきたいからです。
一時のブームで終わらぬよう、
5年、10年後も続けてゆけたらという想いです。
今後も、この国に生まれた「祈り」や「友愛」の波を絶やさず、
私もひとりの国民として、そして地球に住まわせていただく人間として、
細々とでも、祈りの行為を続けてゆきたいと思います。
今こそ、愛を形にする時。
いかに具体的に動くか。
夢を実現する力、人間力。
今こそ、発露する時だと感じます。
生かしていただくこの命に、ココロから感謝を。
ありがとうございます。