2017年05月

2017年05月26日

政権の番犬に堕落した読売新聞と前川氏の使命感

アメリカではトランプ大統領とマスメディアが真っ向勝負で激しく戦っている。マスメディアのジャーナリストの役割は、国民の側に立って政権を監視し、真実を追究することにあるので、アメリカは正常な姿である。一方、日本は、安倍首相が「読売新聞を読め」と発言するなど、政権の政策の宣伝機関とみなされている。読売新聞のジャーナリストは忸怩たる思いであると推察していた。ジャーナリズムではなく政権の機関紙とみなされてしまっては、自らの存在価値を否定されるからだ。
昨日、前川喜平前事務次官が記者会見で、加計学園の獣医学部新設問題に関し、「総理の意向」文書は存在し、調べれば所在は簡単にわかる旨の発言をした。安倍政権はこの文書は存在しないとしていたので、「総理の意向」があったことの証拠を隠蔽するために文書を提出しなかったことになる。
ところが、読売新聞は前川氏の素行を取り上げて人格攻撃をしかけた。前川氏の素行と「総理の意向」文書との関連は無関係だが、人格が疑われる人物の発言は信用に足らないという印象をあたえる記事である。読売は、「総理の意向」文書の存在と獣医学部新設の真実を究明するというマスメディアの役割を放棄している。読売は存在価値を否定されていることを歓迎しているかのようだ。

戦後の日本のマスメディアは、戦勝に高揚した国民感情に迎合して部数拡大を図り、次第に軍部と戦争の宣伝機関に貶められたことの反省から出発している。戦前のマスメディアが、いわゆる「大正デモクラシー」から軍部独裁政治に転換する満州事変と満州国建国に際し、どのように国民を煽動したか教科書掲載(『現代の日本史』A改訂版・山川出版社)の史料の一部を引用する。

満州事変の軍事行動を支持・賛美・・「中村大尉事件は積薪(せきしん)に油を注いだもの、満鉄線路の破壊は積薪に火を放ったもの、日本の堪忍袋の緒は見事に切れた。真に憤るものは強い。わが正義の一撃は早くも奉天城の占領を伝ふ。日本軍の強くて正しいことを徹底的に知らしめよ。そして一日も早く現状を収拾して事件を解決せよ。」(『東京朝日新聞』1931(昭和六).9.20夕刊)
犬養毅首相とリットン報告書の満州国否定への反発と斎藤実首相の日満議定書による満州国承認を支持・・「苟(いやし)くも満州国の厳然たる存立を危うするが如き解決案は、たとひ如何なる事情、如何なる背景に於いて提起さるゝを問はず、断じて受諾すべきものに非ざることを、日本言論機関の名に於いて茲(ここ)に明確に声明するものである。」昭和七年十二月十九日 日本電報通信社 報知新聞社 東京日日新聞社 東京朝日新聞社 中外商業新聞社 大阪毎日新聞社 大阪朝日新聞社 読売新聞社 国民新聞社 都新聞社 時事新報社 新聞連合社 他百廿社(『東京朝日新聞』1932.12.19)

満鉄線路の破壊(柳条湖事件)は関東軍により計画・爆破したもので、中国軍が破壊したのではないのが真実だ。柳条湖事件と満州を調査したリットン報告書に基づき、満州国の主権が中国にあるとする対日勧告案がジュネーヴの国際連盟総会で採択された。これに、日本は唯一反対して総会から退場し、その後国際連盟から脱退して国際社会から孤立したが、すべての有力マスメディアが政府を積極的に支持したことが史料からわかる。
昭和恐慌と満州事変を契機に日本は軍国主義国家体制を構築し、アジア・太平洋侵略で多大の被害を与え、本土爆撃、沖縄戦、広島・長崎の原爆投下、ソ連の対日参戦で壊滅し、朝鮮を分断させた。日本近代史は明治維新に始まり軍国主義国家体制の崩壊で終わった。
日本現代史は非軍事化と民主化のポツダム宣言を受諾し、国民主権、基本的人権、平和主義を原則とする日本国憲法を制定したことに始まる。東西冷戦の深刻化で、日米安保、自衛隊の創設、公職追放解除などのいわゆる「逆コース」により、憲法の平和主義との矛盾は生じたものの、今日まで、戦争は二度としないという国民の決意により、原則はゆるぎなく支持されている。東西冷戦は1991年のソ連解体で終結しており、本来、基本原則の敷衍に立ち戻るべきだが、逆に集団的自衛権の法制度化など、「逆コース」に進み、読売など「逆コース」に同調するマスメディアも存在している。
日本は、安倍政権以前、テロとは無縁の国であり、9.11は起こらない国だった。イスラム世界に対する武力行使は憲法で禁止され、日本の平和的な開発援助は、テロの対象ではなく、感謝と尊敬の対象であった。自民党などが共謀罪でテロ対策を叫んでいるのは、憲法の平和主義の原則を踏みにじっていることへの恐怖心から来ているのではなかろうか。

「ひるおび」を見ていると、コメンテーターの八代英輝氏が6000億円かけた豊洲を更地にすべきでないと発言していた。ここまでは、日ごろの発言から、さもありなんというところだが、大谷昭宏氏までが同調したのにはびっくりした。環境基準を100倍も超えているのに、専門家が安全と言っているから豊洲に移転せよとは、非常識きわまりない発言である。豊洲は地上も地下も環境基準に適合して安全安心という前提で築地からの移転がすすめられたのだから、マスメディアは異常な環境になっている。
森友学園問題では、小学校の校地でゴミが出てきたのは深さ3.3メートルまでであったことが判明した。この数字は、この土地がもともと池であったので、当初から予測された池の部分にゴミがあったというシンプルでリーズナブルな話である。ところが、値引き額を大きくするため、国交省はつじつまが合うように9.9メートルまでゴミが出たというストーリーで国民を欺いていた。

前川氏の記者会見は、安倍政権に対し、だれかが批判しなければならないところまで政治の腐敗が進んでいることを示している。前川氏の家族も正義感が強く、後押しがあったのかなと想像するが、前川氏のポリシーとして発言をしなければならない使命感があったと推察する。

読売は前川氏の人格攻撃をしている場合なのか。他のマスメディアも、利害や報復を恐れてしまい、書かなければいけないが書かない、発言しなくてはいけないが発言しないという、真実を追究する職責と勇気を失っていないだろうか。


2017年05月13日

安倍政権の憲法改正に反対する。旭日旗擁護にみる安倍政権のいじめ体質。

安倍首相は最大の政治目標である憲法改正を2020年に実現したい意向を表明した。出口のない金融政策やマスメディアの統制と懐柔など、世論の支持を得るためになりふり構わぬ政策をとってきたのはすべて9条改正の野望を実現するためであった。安倍政権は憲法9条改正至上主義、すなわち9条改正のための9条改正主義である。
憲法改正になじまないとされている、国民主権、基本的人権、平和主義の基本原則を敷衍する憲法観の立場なら、改正手続きが条文にあるのだから、国民に提案することに反対はしない。しかし、もしそうであれば、まず人権の敷衍に関する条文の改正が提案されるはずだ。しかし、口から出たのは9条改正と維新に改憲支持の正当性を与える高等教育無償化の提案である。
安倍首相、自民党は、現行憲法を占領下で押し付けられたという憲法観を理由に自主憲法制定を主張する。押し付けられてはいないのだが、押し付けられたとしても、もし国防軍の規定があったならば憲法改正は主張しないだろう。民主化・非軍事化の日本国憲法の否定から出発すれば、必然的に改正の性格は非民主化・軍事化となる。
戦後70年の時間の経過を言うなら、国民が最も改正の必要を感じている新しい人権をなぜ提案しないのか。安倍政権の政策は、特定秘密保護法、安保法制、共謀罪とすべて人権を抑圧し、公共と武力行使を重視する政策である。時代に合わせてというのは方便であり、9条改正のための9条改正である。
現行の9条で日本は平和を構築してきた。9条改正へのこだわりは、安倍政権の存在意義が9条改正による国防軍創設にあり、これ以上でもこれ以下でもないからだ。9条改正ができないと安倍政権の歴史的な存在価値はなくなる。しかし、9条改正や国防軍創設は国民の大多数が求めていないのだから、安倍政権はもともと存在価値のない内閣である。

「サッカーJ1川崎フロンターレのサポーターがアジア・チャンピオンズリーグの試合で旭日旗を掲げ、アジアサッカー連盟(AFC)から処分された問題をめぐり、菅義偉官房長官は8日の記者会見で、「旭日旗は自衛隊旗だけでなく、大漁旗や出産・節句の祝い旗などとして日本国内で広く使用されている」と述べた。旭日旗を掲げるのは差別的行為を禁じる規定などに違反するとのAFCの判断に異論を唱えた形だ」(『朝日』5月9日)。
川崎の一部のサポーターは専守防衛の自衛艦でもないし、大漁や出産を祝って旗を振るわけでもない。韓国のチームに勝つために、一部が旭日旗を振った。旭日旗に対する韓国側の感情があり、乱闘や殺傷に繋がる可能性が大きいのでAFCは処分した。
菅官房長官は成田を出ても通用する発言をする責任がある。川崎や日本サッカー協会に加勢して、一部の不届きなサポーターを煽動することは、政府自ら人権感覚がない国であることを露呈することになり、厳しく批判されなければならない。
差別というのは人間の尊厳を傷つけることだ。足を踏んでいる人には踏まれている人の痛みはわからない。人間の尊厳を傷つけていることが分からない人を人権感覚がないという。
旭日旗が中国や韓国の国民の心を傷つけることを、中国や韓国は、日本や国際社会に対して明確に示しており、政府やサッカー協会やサポーターはそのことを知り抜いている。いじめというのは、このことをすれば相手が傷つくことがよく分かっているからするのだ。旭日旗を掲げれば相手の選手やサポーターが尊厳を傷つけられて冷静さを失い川崎に有利に試合が展開できることを知り抜いて一部のサポーターが相手をいじめているのだ。リスペクトを重視するサッカー界が差別やいじめを容認しないのは当然である。
日本政府や日本サッカー協会に人権感覚がないとしたら、相手をリスペクトできない国となり、オリンピックのホスト国の資格があるか疑問となる。安倍政権の人権抑圧の性格や政策と通じるところがある。いじめに加担することなく、国民が安倍政権の人権感覚を厳しく批判すべきである。


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