米国ナースプラクティショナー(NP)になるために

アメリカの看護大学院に通っていました。Board certified ナースプラクティショナー になれるように勉強中。日々のこと、勉強のこと、アメリカの看護大学院に入るまでの過程、アメリカの医療職や日常について、研究や、将来の仕事のことなど、順序は関係なく、気ままに書いていきます。

June 2020

留学開始2週間が過ぎた頃、


語学学校が提供してくれた
寮(一軒家をシェアするシェアハウス)を出ることを決意しました。



渡米前、住む場所は Dormitory 寮 と言われたいたので

実際に行ってみて 自分の思い描いていたものとはかなり離れたものでした


英語なんてまだまだ話せるわけもなく、ヒアリングもそこまでできない。


それでも、どうしても出たかったので、

午後に通っていたナーシングの塾の事務の方がよくして下さり

事務の方の教会のお友達であり、3カ国語を話せる方を

無宗教の私に紹介してくれました。


その方のお陰で、すぐに
とてもいいな  と思える場所をみるけることができ、

ルームメイトを探している方と会った瞬間に、お互い波長が合うのがわかりました。


この人は大丈夫、となんの根拠もないけれど、とてもいい印象を受けました。


すぐに退居願いを語学学校に出し、

新しく見つけた5階のコンドミニアムの入居の契約をしました。



私が住むことになったのは5階。


キングベットにバストイレは自分の専用。

見晴らしもいいし、テレビまである!

自分の部屋に 鍵もついているためプライバシーも守られている。



更にはエレベーターも大きくて2つある上、

とてもアクセスのいい立地条件でした。



さらには寮に払っている金額よりも少し安く、

70代の女性と暮らすことに決めました。




問題は、彼女があまり英語が話せない、そして私も。


更には、彼女は全く日本語がわからない。私は彼女の母国語が全くわからない。


けれども、この女性と同じコンドミニアムには、

日本語も英語も、そして女性の話す言葉もわかるお姉さんが上階に住んでいました。



そのお姉さんのお陰でいつも何かあれば、私たちのところにきてくれて

通訳をしてくれ、かつ一緒にご飯を食べたり、一緒にテレビを見たりしました。



どうやらこのお姉さんは昔、日本に留学をしてたそうです。


そのためとても流暢な日本語を話されていました。



本当にありがたかったです。



なぜ こんなにもすぐに寮を出ることにしたか。


理由は

車をもっている寮長が、勝手に
     私の徒歩30~40分かけて買ってきた
     オレンジジュースやベーグルなどを飲んだり食べてしまう。
     (夜中にくるガールフレンドが勝手に飲んでいるのを注意しない、と後で知りました)


共同のシャワールームに毎回シャワー後に脱ぎ捨てたトランクスを便座に置いて
     きれいにすることなく、私たち同居者たちの迷惑をかけている、のに行動を変えない。


学校が提供する食べ物がいつも同じで自炊したくなった。



更にはいつも朝方4時、5時まで宿題を終わらせるために起きている私には

隣りの部屋で 毎日ガールフレンドを連れてきてうるさくする寮長にとても迷惑していた、


というのもあります。



まだ2週間だけど  とにかく英語力がなさすぎて本当にキツかったです。


午前の授業が朝9時から。バスで行くので30分前には出ないといけない。


朝4、5時まで勉強して、少し寝て、そしてまた起きて午前から夕方5時までずっと授業。

昼の移動時間もあるため、休憩はそこまで取れませんでした。


留学生活に置いて、生活環境、特に住み場所は非常に大事だと痛感しました。


驚いたことに、私が退居して1ヶ月もしないうちに、

シェアハウス(語学学校の言う 寮)に銃弾が撃ち込まれ、

フロントのガラスが割れる事件がありました。


その銃弾が貫通して  家の中にあったそうです。


幸い誰もいなかったため、負傷者はなし。




まだ留学したばかりで、勉強以外の 生活環境に対応するために

とても労力を使っていました

以前書いた内容の続きになるのですが、
私がアメリカに行くきっかけとしたのは、英語を向上させたいためでした。
とても一般的な理由だと思います。

ただ、自分の中で、「英語」と言っても非常に広いジャンルに渡るため
その英語力が歴史や政治までわかる英語なのか、日常会話ができる英語なのか、
様々なレベルの目標がある中で、

私の場合は看護を理解できる英語力を培うのが目標でした。
そしてアメリカの正看護師の試験に合格することを目標にして渡米しました。


今思えば よくぞそんなことを思いついたなと。
知らぬが仏 ゆえに怖さもなく 色々できてしまうもの。

実はどんな留学の方法が自分に適しているのか 悩んだ末、
いろんなエージェントに行き話を聞きました。

今でもある栄陽子さんのところにもしっかり資金を払って相談に行き、
日本人のいない田舎のカレッジに行くことをお勧められました。



その中から、看護に焦点を当てているエージェントに手続きを頼むことにしました。
担当者の方からは「看護師の試験に合格できますよ」と言われ、それを鵜呑みにしていました。笑


日本でもカプランKAPLAN という塾が有り、
当時 説明を訊きに行ったところ、特に誰かがその場所で教えるのではなく、
録画されてある講義を自分の好きな時に聴いて勉強するシステムを
提供していると教えて頂きました。


そこに通いながら病院勤務を続けても良かったのですが、
かなりのお値段だったのと、何よりも 怠け者の私には
実際に現地に行って、英語を聞ける日常生活を送り(かなり憧れていたのもあります)
1年間だけアメリカで生活をして、看護師の資格を取ろうと決めました。



そして1年したらまた日本に戻って、今度はGREとTOEFLの勉強をして
アメリカの大学院の準備をしていこう と思っていました。

あわよくば、もっとリスニング力をもっとつけて、
自分の力で 学会で言われていることを理解したい気持ちが大きかったです。



病院の常勤看護師として、やり甲斐を見出しながら働いていた職場を去る決断をし、
3ヶ月間は、バイトで夜間の救急や老人ホーム、在宅などで働き準備をしていきました。



4月に 人生初の留学。



友達も、家族も、親戚も、誰も知らなかったアメリカへ
スーツケース1つで単身渡米。



留学生活のスケジュールは

午前に語学学校へ通い、
午後はNCLEX-RNの授業をアメリカ人の看護師さんたちから教わりました。


語学学校に入る際に、実力試験を受けるのですが、
なんとレベルが1から6まであり
下から レベル1, 2A, 2B, 3,  4, 5, 6 となっており

その中の 2B でした。 


それにも関わらず、午後はアメリカの看護の勉強。
Saunders サンダースと言うNCLEX-RN対策の本を使って
全て日本人で構成されている小クラスの中で、問題文を読んで、
それに対しての答えを一人ずつ交代で述べる、という流れ。

英語力がレベル 2 だけれど、アメリカの看護の勉強を始めて
とにかく宿題もあるし、解説を読むにも理解できなくて
何度も何度も電子辞書を使いながら読んでいたため、
週に1回は電池を交換するくらい よく使っていました。


いよいよ過酷な日々の始まり。



留学はテレビやネットで描かれる  華やかなもの  では全くなく、


苦労、不安、保証なき日々の 自分との戦い。








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