米国ナースプラクティショナー(NP)になるために

アメリカの看護大学院に通っていました。Board certified ナースプラクティショナー になれるように勉強中。日々のこと、勉強のこと、アメリカの看護大学院に入るまでの過程、アメリカの医療職や日常について、研究や、将来の仕事のことなど、順序は関係なく、気ままに書いていきます。

August 2020

人生は 100% 自分の思い通りになることはない と思っている。

それ故に、あまり期待をせず、目の前のことをコツコツやるようにしている。

愚痴を言って、自分のことを 悲劇のヒロイン と捉えることを勧めているわけではない。

未来のことは誰にもわからない。

できることを全力で出し切ってやってみることが大事だといえよう。

おそらく こうしたスタンスがなかったら

私は アメリカでの留学生活で生き残ることもなく、すぐに撤退していたと思う。


考えすぎて、頭でっかちとなり やらないで終わるよりは、

いろいろ考えた上で、リスクは避けられないけれど

自分がどうしてもやってみたいと思うことを

行動していくことは大事だと言える。

他人から何と批判されようとも。


また物質的なものは 死んだらあの世には持っていけない。

だから あまり物質的なものに固執するよりは、

経験 や 良き出会い を大事にしたいと思っている。


私がこんなにも看護や医療の世界に固執しているのは

12歳の時に突然、病気になり、

緊急入院を余儀なくされたことが 大きなきっかけ となっている。


小学校の6年間は無遅刻&無欠席。

元気ハツラツな 木登りや遊具で遊ぶことが大好きな子どもだった。

小学校低学年の時に ピアノの練習に行く代わりに

親に内緒で、友達の誕生日会へ行って怒られたことがあった。

勉強には全く興味がなくて、塾には通ったことが一度もなかった。

友達といつも一緒に遊ぶのが好きだったため、

また学校で飼っていた動物の世話をするのが係りだったため、

それが生き甲斐で 学校に行くのは苦にならなかった。


小学校3年の時に、実験で氷砂糖に魅了され、

友達と3人で、クラス全員の実験用の氷砂糖を

放課後に隠れて食べ尽くし

後日、実験の時に担任の先生が氷砂糖がないことにパニックとなり

原因が私たちにあることを知り、

激怒され、廊下にバケツを持って 立たされたこともあった。


小学校5、6年生の時には親友とダイエットをしようといって、

よくダイエットに効果がありそうなダンスをしていた。

学校のクラブ活動にも参加し、体はよく動かしていた。


また、ある時には、学校が終わった後に

近くの八百屋さんに足を運び、

売りものにならない部分の野菜を貰ったり、

給食室の職員の方たちが片づけをしている最中に、

押しかけて 余った食べられなさそうなパンがないかを尋ねて貰い、

それらをかき集めて、学校で飼育している うさぎ と ニワトリに与えていた。

動物が病気やケガをすれば、

そそくさと徒歩圏内の獣医クリニックへ連れて行き、

治療に必要な薬をもらい、治るまで係りの子たちと交代で面倒をみた。

亡くなった時には埋葬もし、菊の花と お線香を添えた。


特に将来、何かなりたいものがあったわけでもなく、

小学校の卒業文集には、「花屋さん」「ドッグシッター」と書いたのを覚えている。

また、家族や親戚に、医療系の職業に携わった人は誰一人としていなかった。


人生は毎日楽しく過ごせば それでいいと 小学校の頃は思っていた。

他人に迷惑をかけたって 別にいいものだと思っていたため、

思ったことを歯に衣着せぬ言い方をし、

誰かが傷つこうが 気にすらしていなかった。


小学校卒業間際になり、突然 体に変調をきたし始めた。

仲良しの友達とも卒業をしたら 違う中学校になってしまう子もいたため

お泊り会をしようということになり、

それぞれの家を回って、連日仲良し4人同士で泊まっては

毎晩はしゃいでガールズトークをしていた。

お泊り会はとても楽しかったものの、

段々と体調が悪化していくのが自分でもわかった。


そして、急に両下肢に 何もしていないのに 紫斑ができるようになった。

翌週には だんだんと身体が重くなりだるかった。

段々と紫斑が拡張していくことに恐怖すら感じた。

無事に卒業式は迎えたものの、やはり体調がすぐれず、近くの病院へ。

そして緊急入院となった。


難病で診断名がつかないと言われ、ゆえに 入院費は無料とされた。

小学校卒業直後の緊急入院。

親はハラハラしていて、今後のことを心配していた。


小児科医もどうしていいかわからなかったようで

とにかく検査検査。

そして絶対に歩いたらダメだと言われ、入院中は車椅子のみでの移動。

助手さんに車椅子を押され、外来にある様々な検査室に行くたびに、

いろんな外来待ちの人たちが まるで明日には私が死ぬ とでも思っているかのような

申し訳なさそうな 私が哀れな子供のような顔をしていたのを鮮明に覚えている。


それまでは、病気も骨折などの ケガもなく病院とは疎遠だった。

ゆえに 病院に足を運んだことが一度もなかった。

家族や親戚には誰一人医療者はおらず、医療者と関わったことがなかった。

医療者になろうという動機も 出会いも 特になかった。


それが 病気になったことで

素敵な小児科の看護師さん達との出会い、

本当に人生の見方が変わり、急に将来の目標ができた。

12歳で 私も看護師になろう、と思うようになった。


また、こんなにも親に感謝したことはなかった。

うちの両親は共働きだったため、

仕事の後にいつも母親が病棟に来てくれて

時には父親も同伴で来て

私が好きなものを差し入れしてくれた。


特に母親は本当に強い人で、医師との話し合いもしっかりしており、

こんなにも自分のことを思ってくれるのかと頭が下がる想いだった。

また、小児科では 親のみ の面会許可であったため、

友達に会えない分、ぬいぐるみや漫画などをプレゼントしてくれた。


シャワーやお風呂に入れない代わりに、

泡スプレーのボディソープを親が売店から購入してくれた。

それを使って、病院で支給された

ほかほかの暖かいタオルを4つ渡され、

よくわからないままカーテンを引き、自分で洗体をした。

渡されたタオルは3色で、

白いタオルが2つ、青いタオルが1つ、そして黄色いタオルが1つだった。

何も説明を受けなかったので、適当に使った。

後から、助手さんが

黄色いタオルは陰部用で、青いタオルは顔用だと聞きゾッとした。

なんとその説明を聞く前に、

私は 陰部用の 黄色いタオルで 顔をゴシゴシ拭いていたのだ。

改めて車椅子に乗り、部屋についている洗面台に行き、

顔を洗って、しっかり自分の乾いたタオルで顔を拭いた。


全くもって、何が何だかわからない手探り状態の入院生活が始まった。


ある時、4人部屋の私の隣りのベッドには

舌が歯ぐきの裏側にくっついた病気(舌小帯短縮症)の3歳くらいの子が入院してきた。

しかし彼女はうまく話せない。

それでも何か看護師さんに要求したいものがあったようで、

人生で初めて、ナースコールを使って 看護師さんを呼んだ。

子どもながらに、ややドキドキした。

「看護師さんは忙しいかな?でも、きっと今 呼ばないとこの子は大変そうだし」と、

今までなら あまり他人のことを気にしていなかった自分が

段々と他の人に興味を持ち、気を遣うようになり始めた。


看護師さんが来た時には、しっかり自分なりに、

この隣りのベッドの女の子が

どんな状況で困っているのかを伝えた。

ナースコールを押すって、意外と12歳の私にとっては勇気のいるものだった。

というのも、結構看護師さんがバタバタと忙しそうにしている様子をみていたため。

10日間の入院で済み、仮退院をした。

一年間はどの運動も禁止とされた。

この入院以降、外来だけのフォローアップで 再度 入院を言い渡されることはなかった。





月日は経ち、看護大学卒業後、

10個の病院見学した中で、1番働いてみたかった病院で就職。

実際、病気を抱える人たちを相手にする看護師となって、

私が12歳の時の病状とは 同じ状況ではなかったものの、

おそらく 入院や 重症な病気をした経験のない人には

わからないであろう感覚的なものは なんとなく察することができた。

だからこそ、言われる前に察することが どれだけ大事かもわかっていた。

またナースコールを押すというのは、それなりの理由があるため、

あまり忙しさで文句を言う看護師の同僚を見ていて

きっと患者の立場になったことがないからなのだろうな、と思っていた。

もちろんケースバイケースなのはわかっていたが。


病気になることって、

非常にマイナスだと思われることもあるけれど、

今までは全く気づけなかったものに気づける機会だと思う。


それをうまく受け入れられなくて、他人のせいにしたり、社会を恨んでみたり、

とにかく、愚痴を言わないと気が済まない人も多々いる。


世の中にはまだまだ解明されていない難病は山のようにある。

それゆえに、様々なサイエンティストたちや

基礎研究や臨床研究を積み重ねていくことで

進歩しているものもある。


私自身も、12歳の時に生まれて初めて 

入院を強いられるほどの難病指定と言われてみて

それまでの自分や経験したこと、

他人の気持ちを察することがなかったこと、

両親に対する自己中心的なふるまい方など、

いろいろと反省しながら、今までの人生を自分なりに振り返ったことがある。

また、「死」というものが 子供なりにどんなものなのかも真剣に考えていた。

小児看護学でも学ぶ、あの子供なりの病気に対する捉え方とでも言おうか。


病気は、いつでも、誰にでも 起こりえるもの。

本当に他人事ではない。明日にでも起こるかもしれないもの。

そして 誰もが いつかは この世を去っていく。

だからこそ、あまり卑下ばかりしていないで

毎日、その瞬間 瞬間を懸命に、

楽しく、後悔なく生き抜くことは大事
だと思っている

誰しも潜在的な様々な可能性を秘めている。

しかし いろんな理由を重ねて、できない理由を並べる。

多くの人は、おそらく年齢が気になっている印象を受ける。



病気になるのは 人を謙虚にもさせるものだと思った。

少なくとも 私の場合は。

そして、人の優しさに気づくことができ、

親への感謝 も甚く触れることができた。


どんな時でも、病気になった時の 受け止め方は とても重要だと思っている。

誰のせいとかよりも、まずは自分の感じ方、考え方、そして捉え方が鍵と言える。


少なくとも私の場合、12歳で診断名のない病気で入院をした時から

人生の大きな転機が始まった。


患者として入院していなかったら、

きっと、今なら感じられることも

気づかないまま寿命を終えていたかもしれない。

おそらく看護師にもなっていなかっただろうし、

ましてや海外に来て、医療の知識を深めたいとも思っていなかっただろう。

きっと、マイナス的なことを どうプラスに変えていくかが

生きていく上での術であるといえよう。


アメリカの看護大学時代のクラスメイトが誕生日にくれたプレゼント。


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今晩は夜更かし確定。

試験勉強とは また違い、自分で決めた課題が終わっていない。

時間が限られており、明日の朝までに やらなければ まずいことに。


夜な夜なやることがある時に、時々 頭を刺激するために摘まむものも一つが 

ドイツの会社によって  世界で初めて作られたグミ  Haribo ハリボー

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来年で100年周年という 歴史の深いグミ。


初めてこのメーカーのグミを食べたのは 中学2年の時。

日本人の友達が、海外から うちの近所に引っ越してきて、

この彼女のお父さんは、よく海外へ出張に行く人だった。

そして アメリカやヨーロッパなどに行き 出張先から帰ってくる度に

ジップロックに いろんな種類のスナック小分けしてくれて みんなにくれた。



その中で初めて見てビックリしたのが この Haribo のグミだった。

衝撃が強かった。というのも形がミミズだったので

https://www.haribo.com/en/products/worms

これです


色は赤や緑や黄色やら、かつ 形が虫だったため、

日本のグミに馴れていた私には、結構なカルチャーショックだった。

どうしても見慣れないためか、なかなか食べられなかった。



当時は、外国にも行ったことがない上、

海外の物にもほとんど触れることがなかったため、

こうした外国製のものに馴れている 友達はすごいと思った。



因みに、個人的な見解だけれど、

ドイツで作られた このハリボーと、

アメリカに輸入されている イギリスで作られたの ハリボーの味は微妙に違う。

カナダに留学していた友達は、カナダとアメリカで食べるハリボーも違うと言っていた。


このグミは そこそこ噛みごたえがあるため、気に入っている。



さて、ラストスパート頑張ろう。

ではっ





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日本にいた時は、多くの周りの人たち、友達や家族も含めて、

言ったら必ずやる人たちだった。

同僚や後輩、先輩たちも、必ずやると言ったらしっかり業務をやったため、

言われたら、皆そうするものが 当り前 だと思っていた。


アメリカに来て、驚いたのは、

言ってもやらない人がかなり多いこと。

それは友達ではない ちょっとした知り合いや、会ったばかりの人たちや、

クラスメイト、さらには教える立場にある人たち、店員さんたち など

どんな人にも当てはまる。

一方で、やると言ったら必ず行動し、万一できなかった場合には

必ずそのことを伝える人たちもいる。

そういう人たちはやはり信用が置けるし、いい関係を保つことができる。


以前書いたエピソードでもあるけれど、

アメリカで車の免許証の取得試験に合格した後、

2-4週間で免許証が届くと言われたけれど、来なかった。

こちらがエピソードです。


http://blog.livedoor.jp/manami_pn2020/archives/6655361.html



また、アメリカに来て2週間くらいで銀行口座を開いた時にも、

銀行のカードがいつまでも届かなくて

お金を引き出すことができなくなり、本当に焦ったことがある。

友達の力を借りて、再度銀行のカードを送ってもらえるようにしたものの、

本当に冷や冷やすることが多かった。


しかし、時と共に、いろんな人が 有言 であることがわかってきたため

そんなものなんだろうな、と思うようになった。


看護学部時代に、グループプロジェクトがあり、4人で1グループ。

4人でそれぞれ分担を決めて、プレゼンテーションをする予定だった。

が、しかし、一人の学生が言ったけれど、全くやらない。

彼女の担当部位はファイナンスだった。

経済的にどれくらいのコストが それぞれかかるのかを

架空のシナリオの下、計算式に乗っ取って、グラフや表にして

スタッフへの費用、外部機関への費用、学校の組織のトップの払える費用など

細かく話すはずだったのだけど。。。

Google doc でグループのパワーポイントを

誰でもいつでもアクセスできるように各々が当日の朝までにアップデートする予定が。。。

発表の前日の晩になっても 何も情報が加えられていない。

彼女は言ってもやらない人であることに気づき、

仕方なく残りの3人が必死になって、できる限りのことをフォローアップ。

なんとかパワーポイントは完成したものの、

当日の発表は彼女はしっかり準備していないもんだから

ネイティブスピーカーだろうが関係なく、ひどい出来だった。

これだから、グループプロジェクトって嫌だ、と感じることがあった。

メンバーが頼れる人たちだったらまだしも、

言ってもやらない人が入ってくると、どうにも苦労が増す。

自分のやった部分も、個々に評価されるけれど、

グループ全体の評価もまた別項目であったため、

結局、まぁまぁな最終的なスコアで終わった。


自分一人でどんどん進めてしまった方が楽だとも感じたものの、

生憎、看護学部にしろ、看護大学院にしろ、

グループプロジェクトはところどころで要求された。

大学院はそれでもそこまで多くなかったけど。

個人でのプレゼンテーションは必ず毎学期あった。

逃れられない現実であるからには

いちいちこんなことで気を揉んでいたら、自分の身体に悪影響。

期待しないことを心掛けるするようにしたし、今でもそうしている。


面白いことに、それは別にアメリカ人だけではない。

アメリカに居る どの人種でも意外とあること。

だから、あまりその人が何人(なにじん)だから、といった

期待や先入観はなくなっている。

言われたことは鵜呑みにしていない。

発言なんで誰でもできる。

でも行動は本当に思ってやっているかどうかの証だから

しっかりその行動を見て、人を判断するようにしている。


いろんなところで頻回に 有言な人たちと出会う度に、

「やってもやらえないのが普通なんだろうな」と思うようになった。

最初は忘れている可能性もあるから伝えるのだけれど、

そうではなく、すんなり交わして やらない 人もいるから。

それも時と場合により使い分けてはいるけれど、

いちいちイライラしても何の解決にもならない。


おそらく日本のように(最近はどうなのかな?)

言ったらしっかり即座にしてくれることは

本当に夢のような世界なのだろう。

私のクラスメイトの何人かはとにかく日本が大好き。

日本に住んでいた東京のアメリカの基地でミリタリー看護師をしていた子や、

一度訪れたら素晴らしかったため、毎年、休みには日本を訪れている子たちも結構いる。

心からそういう話をきくと嬉しくなる 


アメリカの医療の現場にいても、いろいろ思うことがあった。

患者さんの平おむつ交換 を「やるやる」とCNA (Certified Nurse Assistant) が言って、

それを鵜呑みにしていると、ほとんどやっていないことの方が多い。

代わりに、携帯電話で遊んでいたり、

ステーションの方に戻ってきて 座って食べていたり。

こういった感覚の人たちといる時、

自分の精神的健康を保つ上での捉え方は

「言っても やらないのが普通なんだな」と期待しないこと。


最初はそういった人たちの感覚が全く理解できなくて苦しんだ。

それでも、こちらもノルマがあってどうにもならない時には

「本当にあなたのヘルプが必要なの。お願い、やってくれる?」

と何回か強く言ってみる。

そして確認をしに そのCNAを見ては

「やってくれたかな?」としつこく尋ねた。

そして もしやってくれたら "You made my day" などど言って

トコトンありがとう  と伝えた。


日本にいた時のような普通だと思っていた感覚で期待をしなければ、

やってもらえない時に 堪忍袋の緒が切れることも ない。


日本のサービスが大好きな外国人が多いのは、

言ったらすぐにやってくれるのもあるのだと思う。

また丁寧でキレイだから、

本当に日本の基準は高い、とアメリカに来てから 更に感動している。

日本で生まれ育って良かった。


もちろんアメリカでも 全ての人がやらない のではなく、

それは各々の人たちを知っていくうちに自ずと気づいていくもの。


あまり根に持たず、でも期待せず、が

アメリカ留学で培った他人への捉え方 かなと言える。


ただ、皆がそうだからと言って

自分もそうなる必要はない と思っている。

どんな渦中であろうと、他人は変えられないため

せめて 何があろうと 自分だけは 自分のことを信じられる人間でいたい


初めて飲む種類の インスタントコーヒー   

セールってだけで手に取ってしまった。


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今日、チャドウィック・ボーズマンという俳優が亡くなった。

ステージ3の大腸がんが2016年にみつかり、その後進行しステージ4となった。

4年間に渡る闘病生活を送った。

43歳だった。

現在、民主党の副大統領候補のカマラ・ハリスと同じ学校の、

ハワード大学(Howard University) というワシントンDCにある大学を出ているそうだ。

彼は2000年ころからテレビなどでブレイクし始めて

映画の " ブラックパンサー" というヒーロー系のストーリーで大活躍。

本当なら2022年の5月には  " ブラックパンサー2” がリリースされる予定が組まれていた。

家族が見守る中で、最期は自宅にて 安らかに死を迎えたそうである。


また、今週の初めに、知り合いのお母さんが他界された。

2回ほど、新型コロナの前は、大きなグループの中に入れてもらい

一緒に外食をしたことがあったこともあり、顔なじみだった。

人が亡くなる話をきくと、やはり医療者であっても、悲しいものは悲しい。

この方の葬儀に参加できないかと言われ、承諾した。

しかし、昨日になって、どうやら葬儀に参加できる人数は

40名と限られていることを知り、

なかなか親戚やお友達も多い方ゆえに、

私は呼ばれたものの、定員に満たしてしまったため 参加できないことになった。

今は新型コロナゆえに、人数制限はかなり厳しくなっているらしい。


アメリカでの葬儀には2回ほど出席したことがある。

香典はどのようにしたらいいのかわからなくて、いつも悩む。

アメリカにもいろんな種類の人種がいるため、

彼らの文化的な背景や宗教が何かを知ってから

どうするか考えている。

今回は、アジア系のアメリカ人の方たちだったため

けじめとして お悔みのカード (Sympathy のカード)と 微々たる香典を渡してきた。


知り合いは非常に手先が器用。

最近 牧場に行って、ひな鳥を6匹購入してきたらしい。

まだ2匹しか名前をつけていないらしく、あとの4匹のうち、1匹を指さして

「日本語で Blue Bird って何でいうの?」と言われ伝えたところ

その名が気に入っているようだった。


先週の水曜日に生まれて、また生後1週間ちょっと。

とてもかわいくて、人懐っこくて、触らせてもらい、とても癒された。

ちょっとだけの おいとま だったのが、

気づいたら、彼女の飼っている 2歳と6歳のニワトリにも餌を一緒に上げに裏庭に行き、

1時間以上も居座ってしまった。

2歳のニワトリたちは卵を産むらしく、生まれたての卵を見せてもらった。

また、ニワトリたちはスイカが好物らしく、

半分に切られた大きなスイカが置かれてあった。


6歳のニワトリはとにかく甘やかされているらしく、

しっかりと撫でていないと ご機嫌が斜めになった。苦笑 

また、餌を上げる時にも、手に乗せて食べさせないと不快そうな態度をする。

感情の表出が露すぎて 思わず笑ってしまった。


帰り際に、最近、インターネットを経由して、手作りのマスクを売っているらしく、

売らない用に作ったマスクが幾つかあるから

持って行ってと言われ、いくつか頂いてきた。



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すごいなぁ、こんなに器用にいろいろと作れて、と感心。


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因みに、このマスクのデザインは

N95マスクの上から被せるタイプだとのこと。



日々、この世には 生まれ出て来るものもいれば、この世を去っていく人もいる。

やはり、一日一日を大事にしていかないとな、と改めて感じた。

ボーズマンに、そして知り合いのお母さんに、ご冥福をお祈りいたします。

限られた日々を 後悔のないように 過ごしていこう。








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NPの大学院に通っていた時、

学校で一日中 講義のある日は

朝5時には起き、6時15分には家を出ていた。

まず起きてすぐにやることはコーヒーを淹れること。

課題や試験勉強で眠れないまま 朝を迎えたことも結構あった。

そしてシャワーを浴びて、準備して、車に乗り込む。

通常、ベーグルを焼き、

スーパーで売っている$3~4のサラダを ランチバッグに入れる。

ベーグルには 特にジャムやクリームチーズなどは付けない。

なくても平気なように自分を鍛えていたら(要は節約)、今はそれに板がついた。

また、授業中にお腹が空いた時のために、

ちょっとしたカロリーの高いエナジーバーを持って行った。


また、マスカットや小さいニンジン、リンゴを切って

ジップロックに入れて持って行った。

これなら授業中でも 手だけでいつでも食べられるし

冷蔵庫に保存しておかなくても平気。

もちろん食べる前にはいつもウェットティッシュで拭いていた。

日本人の習慣?!


一回学校に行ってしまうと、夜まで戻ってこれないため

課題などの忘れ物がないか チェックをして

ラップトップと学生のIDバッジ、パソコンの充電器も持って行った。

こうした 全ての荷物をバックパックの中に入れる。


授業は朝8時からだったけれど、早めに行き、

車の中でコーヒーを飲みながら、

録音した授業を聴いていた。

もちろん録音したらダメだという先生の場合にはできないのだけれど。

一回で多量の情報を頭に入れられるほどの賢さは全くないため

隙間時間にできることをしていった。

1回、2回 と聴いていくうちに、なるほどね~と理解が深まった。

そして、「このフレーズの後は こう言うんだよな」と

覚えなければならない内容ではなく、

先生の話し方の癖や、説明の際に出された例の方が印象的で

必要がないのに 覚えてしまうこともあった。

そんなの試験に出ないのに。苦笑

そして肝心の覚えておくべきことが。。。。

まぁ そんなものでしょう。


もちろん疲れている時には ラジオなど流していた。

私の車は、ハンドルを左右にきると、時々 不意打ちに音量が変わる

まぁ中古の車なので、しっかり安全に走ってくれれば

ラジオが聴けなくてもいいかな、と思っている。

ちなみに車内のCDプレーヤー(どんだけ古いんだ)も

よく音楽が途中で飛んでいる。

ある時、スペイン語講座のCDを一度だけ購入し

何度も聞いていたら、急に会話が飛び飛びとなり、

最終的にはCDがダウンしてしまった。

こんな状態でも、いろんな思いと共に

しっかりOPT期間中に看護師として働いて

苦労してやっとのこと支払った車だから

メンテナンスして大事に大事に これからも乗っていこう。



学校のある日は、

休み時間や、授業の後に、実験室に行くこともあったため

入室するための鍵を忘れないようにチェック。

一人の学部生が常にいて、実験室は半ば 彼の勉強部屋のようになっていた。

たしかに広くて見晴らしも良く、

ここが自分の住んでいる部屋だったら 最高な立地条件だよね、

と、よくこの学部生と話していた。

仕事は、臨床実験に参加してくれている患者さんへのフォローアップや

新規の患者さんの場合には、いつ病院のクリニックで会えるのかの連絡や、

細々したことになると、Spacimen のスライドの確認などなど。 

実験室のバイオハザードのゴミや、汚れた白衣をクリーニングに出して

洗ってもらった白衣を地下に 受け取りに行くのも仕事の1つだった。


授業と仕事が終わってから、

それでも余裕がありそうなら&前日の睡眠が足りている場合には

少しだけジムに寄り、トレッドミルで走るようにしていた。

そのため、Tシャツとランパン、そしてスニーカーと小さなタオルを

別のバッグに入れて持って行ってた。


もし、翌日、早朝から実習の際には、ジムにはいかず、家へ直帰。


今は全てのナースプラクティショナーの授業が終了。

家で少しずつ Board Examの勉強、そしてリモートでの仕事。

また、あることに取り組んでおり、それに時間がかかっている。



大学院へ通う必要がなくなった今でも

相変わらず、朝はあまりお腹が空かないため

ヨーグルトとコーヒーのみ。


なかなか生活習慣は変わらないものである。

このFAGE というヨーグルトは甘すぎなくてとても気に入っている。

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通常はプレーンを購入するのだが、久しぶりにイチゴも購入。

というのも、もし5つ買ったら1カップずつ$1だったから。

かなりお得。

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遺伝子組み換え(GMO=Genetically Modified Organism)ではないそうです。

ということは、ヨーグルトにもGMOの商品があるってこと?!


砂糖 や 甘味料も混ざっていない 自然なイチゴの甘さのみ。

お勧めです。



ではではっ 












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たとえば、あなたがユダヤ人だったとする。

そして何も知らないで、今日のかかりつけの医師へ症状説明をし、

診察が終了した後に 薬が処方されたとする。

通常ならこの処方薬は理由があって出されるもの。

あなたの症状をよくするためのもの。

もし本当なら A という薬が出されるはずなのに、

あなたの医師が、あなたがユダヤ人だから、という理由だけで

あえて B という薬を処方したとしよう。

その B という薬は確実に必要のない、確実に誤ったものだったとしたら

いったいどのような気持ちになるか?

そして、その過ちを医師は知っていたのに、あえてあなたに差し出したとするならば。



今週の月曜日に、オハイオ州の医師免許を剥奪された

ララ という医師のニュース。

記事はこちら






アメリカの医師の免許にも2種類あり、

ララは Osteopathic Medicine の学校を卒業しているため

Medical Doctor(MD) ではなく

Doctor of Osteopathic Medicine (DO)の免許を持っていたようだ。


過去の記事で MD vs DO に関する記事はこちら




彼女は去年、医学大学院を卒業してから

オハイオ州のクリーブランドで研修医として働いていた。

(マニアックなことを言うと 、バスケットのNBAプレーヤー レブロン・ジェームス 
 長年バスケットをやっていたチームも 同じクリーブランド今は移籍してしまったけれど) 



彼女は 少なくとも6年間に渡り ずっと ツイッターで

反ユダヤ主義を 面白おかしく発言し続けていた。


その中の最も過激的な発言が

"I'll purposely give all the yahood [Jews] the wrong meds" と書き込んでいたらしい。

「わざと 全てのユダヤ人患者に間違った薬を処方する・投与するわ」

とツイートしていたようだ。



これに驚いたクリーブランドの医療機関はララを解雇。

しかし、その後、彼女は他州に移り、

新しい病院の研修に受かるための面接で「なぜオハイオの研修を辞めたのか」と訊かれ

「家族の訃報で」と話したらしい。



この人がこのまま医師になっていたら、

いつかはユダヤ人の人たちが本当に知らないうちに

様々な危害、殺害に巻き込まれていたかもしれない。

病院内であれば、おそらく看護師がオーダー間違いに気づくだろうけれど

もし外来で患者さんと彼女だけだったら、確実に危険。



それぞれの人種には、それぞれの歴史があり、文化や風習があり、宗教もある。


それはアメリカにいると余計に感じる。

違っていいではないかと思う。

根本的にはどんな人種や国出身でも 同じ人間



どんなに歴史的なものの背景や、個人的な嫌な経験、

人種や国に対して嫌悪感を感じようとも

医療者という立場を使って、処方をして、

患者さんに危害を加えるのは

通りでナイフを振り回して、傷つけるのと同じ犯罪。



誰が殺したり、危害を与えたくて医療者になるのだろうか?

医師になったら 何でも好き勝手にコントロールできるとでも思っているのだろうか?



医療や看護という職業は、人命と直結した仕事であり、

その人のことが嫌いだろうが、人種が嫌悪感を与えようが、

同じ自分たちと 同じ人間 であることに変わりはない。



何ら自分に対して 危害を加えて来たわけでも、

パワハラや虐待、セクハラされたわけでもなく、

単に、あなたが医療者だからという理由だけで

外来や病院に来た ごく普通の患者と変わらないのに

その患者がユダヤ人だというだけで、「違った薬を処方してやろう」

などといったことをするのは。


信じがたいニュースだった。


このララは 現在、オハイオ州の医師会に

「あの記述は私という人間を示してはない」と

抗議文をしているようである。

もしかしたら裁判沙汰になるかな??



医師になりたくて必死に勉強して、研究して、ボランティアもして、

リーダーシップもして、MCATも受けて、全ての必須授業もとって頑張っている人たちが

ごまんといるのに、なぜ こんなにも殺気だった彼女のような人が医師になれたのだろうか。



この 彼女の 医学生の1スポットを、

心から患者さんのことを助けたいと思っている人に

与えるべきだったと私は思うのだけれど。



段々とハロウィーンがやってくる。

そしてテキサスとルイジアナに巨大な カテゴリー4のハリケーン Laura が。。

あまり被害が大きくなりませんように   


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学校の課題では、よく文章を書く機会がある。

その課題の量とページ数は半端なく多い。


看護学部時代の時は、必ず看護学科にはライティングのテューターがいた。

このチューターは どの人も皆、アメリカ人で英語のネイティブスピーカーだった。

私が一番歯車の合う、教え上手だと思っていたチューターは、

人としても 教えてくれるテューターとしても 本当に素晴らしい方だった。

彼女のおかげでこちらも更に頑張ろうと努力したし、

いろいろ支えてもらったと言える。


テューターは もちろん 無料で1回のレッスンで1時間もらえた。

毎週月曜日に予約をすれば、

このお気に入りのチューターに会って

文章の書き方の修正をしてもらえた。

月曜日は毎朝8時から授業で昼には終わる。

そのため、授業後にすぐに 予約をしていたテューターのレッスンへ足を運んだ。


学校側も 誰もが公平にチューターを利用できるように、と

一人の学生が最大の利用できるのは 週に1回のみと決められていた。



全てのチューターに会ってみたけれど、

一番時間を効果的に文章が上達できるサポートを して下さったのは

定年退職するまで ずっと高校で英語を教えていた スーザンだった。


彼女は3年前に 退職してから

私の通っていた大学の看護学科で

ライティングのチューターをし始めたそうである。

とても活動的な方で、更には気さくで話しやすい。

よく旦那さんとキャンピングカーで旅に出ていく人だった。

キャンプも山登りも大好き。今度はどこに国に行く、など雑談をしていたのが懐かしい。

それゆえに、彼女の旅行の予定がわかったら教えてくれて、

こちらもそれに合わせてどんどん課題を進めて

早めにペーパーを書き上げるようにしていた。

最悪、自分の書いたままの提出でも良かったのだけれど

やはりネイティブに最終チェックを 少しでも  して欲しいと思っていた。

どうやって文章をもっと違った表現で書いていくかの過程を

話し合いながら勉強するのがとても勉強になった。



彼女の秀でて素晴らしかった点は、

こちらがテューターの予約をしたら、

その情報が彼女のメールに届き、

必ずメールをくれて、

レッスンの前日までに 私が書いたペーパーを送るようにと伝えて来てくれたこと。



いろんなテューターとの出会いの中で

こういった気の利いたことをしてくれたのは スーザン だけだった。
 
しっかり準備ができる分、

1時間のレッスンは非常に濃密かつ有効に時間を使うことができた。



しかし、スーザンは看護師でもなければ、看護学科の学ぶ内容は さっぱりわかっていない。

そのため よく、

「この意味はどんなことを説明しているのか?」と訊かれたことを覚えている。



英語のエキスパート。

いつもどんな風に Paraphrase したらいいのか頭を抱えていたけれど、

その過程を スーザンのアドバイスを聴きながら

時間の許す限り 共に修正をしてくれたことは 感謝としか言いようがない。


また、スーザンのレッスンだけでは足りない場合には、

図書館に行くと、大学院生たちが英語のチューターをしていたため、彼らの力も借りた。

この大学院生の場合、週に1回、30分だけ予約が取れた。

また、予約をすでに1回して、レッスンを受けたものの、

もし 更に必要な際は ウォークインでのテューターの確保。

つまり、もし 誰も学生が予約をしていないチューターがいて、

教える隙間時間がある際には 受け入れて貰える。



このテューターたちは看護学科の子は一人もいなかった。

私がお世話になった人たちは英文科や言語学専攻、または歴史などの文系の人が多かった。

結構、切羽詰まっている時には、必死だっため、

選り好みをしている暇はない。お金もカツカツだから個人的なチューターにも頼めない。

それゆえに 最大限の指導を貰うために 全く保証はなかったけれど、

とにかく毎週 図書館にも 足を運んだ。

ありがたいことに、学部時代には

看護学科の授業以外にも一般教養なども取る必要があったため

逆にテューターがいい観点を持っていて、学ぶことも多々あった。


表現が乏しくても 最大限に自分で考えて組み立てた文章の構成を

しっかり示すことができるの大変でも 向上にも繋がり それが嬉しかった。

結果よりも過程をとことんやることに意義を感じていた。




こうしたテューターのシステムは

新たに通い始めた

大学院にも 当然あるものだ と 思っていた。


(私のアメリカで 通った看護大学と看護大学院は別の学校)


いや、もっとしっかりした言い方をするならば


こうしたシステムと同じくらい 優れたテューターがいるものだ
と期待していた。



が、しかし、チューターの質は悲しいほど酷かった。



大学院には同じくWriting center があり、留学生のみならず、

アメリカ人の大学院生たちも訪れに来ていた。



看護学科だけのテューター つまり前の学校のような

スーザンのような人たち はいなかった。


きっと、それなりのレベルの学校になっていたので、

そんなテューターなんて使う必要などないくらいのレベルの子たちだったのだろう、

と勝手に解釈していた。



それでも 私はせっせとon-lineで予約をして、早め早めのペーパー作成をし始めていた。

大学院はとにかくペースが速いし、ペーパーの量は半端なく多く、

試験が毎週のようにあった。

この とてつもなく厳しいスケジュールと課題と勉強量をうまくやるには

とにかく早く 早く 早く 早く 早く ペーパーを書き始めることが鍵だった。



on-lineで予約を取る際に、事前にどんなチューターか自己紹介が書いあった。

そして可能なスケジュール時間も示されており、

週に1回、50分だけ予約できた。


なかなか授業が詰まっていて、限られた時間の中で行くことになった。

文科系のチューターたちに教わった。

あまり看護や医療のことに慣れていないから、その説明に結構な時間がかかった。

それでも一所懸命に教えてくれる人達も何人かいた。


ただ、一度だけ 疾患のプロセスや

なかなか細かい病態生理のことも書いてある内容のペーパー作成をして

やはりこれは 理科系のテューターの方が話がわかるかと思い

生物学を専攻している博士課程のテューターに頼むことにした。



まさか それが 大きな間違い だったとは知る由もなく。。。




通常、50分という時間はかなり限られている。

1つのペーパーをもっていっても、丁寧な人だと時間もかかり

1パラグラフ見てもらえれば それでいい方。



この生物学専攻の J は 全くやる気のない

本当にびっくりする大変失礼な態度を取ってくるテューターだった。


「今回は病理学の課題で心疾患と糖尿病のことを書いたペーパーを書いたのですが、

 この部分をみてもらいたくて」と伝えたら。。。




両腕を組み、更には足まで組み始め、


鼻息だけペーパーに吹っ掛けて


「それで俺から何が 必要だって言ってんの?


と偉そうな態度をとってきた。




ペーパーの量を見て、面倒くさそうに


まだ一文すら読んでいないのに


「これは直す余地がないねっ。」
と一言。

そしてニヤリと微笑み 勝ち誇ったかのような顔をした。



もう一度言います。


まだ一文も読んでいない のに。


一文すら読んで ない  
わけですよ 



ただ私と話すだけで 時間を終わらせようとしているのが見え見えだった。

そんな時間、私にはないんですけど。




あまりにも呆れてしまって こちらも開いた口が塞がらなかった。


今までいろんなテューターと出会ってきたけれど

こんなにも無礼な テューターに出会ったことがなくて

この衝撃が大き過ぎて忘れられない。



理屈にもならない、説明の余地もない、


単なる威圧的だけで、


文章も読んでいないのに「直す余地がない」と言い張るとは 





冷静にふと彼を見ると、

読みたくないだけで駄々をこねている子どものように見えた。

同時に ふと、この人はそうやって理不尽なことを勝手に言って

困ってやってきた大学院生を怒らせて 突き放し

自分の時間を確保したいのかとも 感じた。

なんとなく彼が焦っている雰囲気がしたから。



それでも そんなの知ったこっちゃない。

こちらだって理由があってきているわけで。


ぐっと我慢して、もう一度、頼んでも何も言わない。

理由も教えないで

ただただ 鼻で フフ~ン とプリントアウトした紙が 揺れるほど

大きな鼻息とともに 笑われた 



「まじですか?!笑ってる? ニヤケてる??ってか なんでそんなに鼻息荒いの?」



何も言わないで避けていることほど

無礼で卑怯な対応はない。



ここで弱気になって 丁寧に

「そうですか、残念です。

なんてするはずものなく、



私は勢いよく立ち上がり、

J を見るなり

こちらも思うことを


「XXXXXOOOOOO▽▽▽▽▲▲▲▲XXXXXOOOOOO▽▽▽▽▲▲▲▲!!!!!!」


とバシッと言い放し、

自分のバックパックを床からつかみ取り、

ジロリと睨みをきかせ その場を去った。


テューター開始のわずか10分の出来事。



この私の反応に J は ショックを隠し切れないほど 呆気にとられていた。

まさか  見た目が弱そうに見えたであろう私が

こんなになるとは思わなかったのだろう。


でも言っていることは理にかなっていることだと自負している。

こっちだって 言われっぱなしで 泣き寝入りするほど 繊細ではない。

同じような犠牲者が出ないためにも、しっかり言うことは言っておこうと思った。

アメリカでの留学生活はかなり精神的にも鍛えられる。


このテューターのレッスンのために

遥々 学校まで運転してきたのに、

時間も労力も無駄になるとは。

(もちろん帰りは学校のジムに寄って運動したけどっ。笑)


このJ のモラルもない 最低&非常に無礼な態度は

この学校の負となるため、

大変遺憾な出来事を しっかりライティングセンターのトップに連絡をした。

それは J にも立ち去る前に 言っておいた。

給料をもらっているのに教える気がない

彼のアビリティーを再評価する必要があると伝えた。


毎学期 授業料から このライティングセンター費が引かれていたので

(全大学院生がそうである)

私にも言う権利はあると思っていた。



一事が万事。

こんな態度をしているようでは。。。


早く自分のやっている行為に気づいて貰いたい。


いくら勉強ができたって、

マナーもない、モラルもない、人を意味なく笑う人間では 。。。


きっと 想像ではあるが、そういった態度をいろんな面で取り続けて来た気がする。

かなり慣れている感じだったから。

あの態度を直さない限り 更なる敵を作っていくことになるだろう。


でも、もしJ に心肺蘇生などが必要な、命に別状をきたす緊急が発したら

(まだ20代前半だと思われるけど)

やはり私は必死に救う行動に出るけど。


この話を翌週にクラスメイトにしたら

なんと 似たような経験をしている子もいて、本当に驚いた。


一体 何なんだろう、この大学院のライティングセンターのシステムって。


教える気がないなら 教える立場にいるべきではない。


もっと他の仕事をすべきだと思う。

J にはもっと違った仕事が合っていると思う。


教える立場にある人は、教えることが好きであることが大事。

どんなに賢くて様々な知識があろうとも、

その教える際の伝達能力、つまり コミュニケーションの取り方が下手だったら、

単なる自己満足の学習で終わるわけで、教育者には向いていない。

宝の持ち腐れ。





私の場合は、きっと患者さんや家族などへの指導力になってくると思う。

自分の常識は他人の非常識。

当り前と思わず、忍耐強く聞く耳を失いたくない。

このテューターの言動を、反面教師にしていくことを誓った。



今となっては これも大学院時代の思い出の一つ。


最終的には、

このWriting center には通う時間もなく

これ以降は行かなくても しっかり授業はパスできたし、

結果オーライ。





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学校のアクティビティーでこの本が必要だと言われ、

購入をするようにと言われてした。

かなり小さい本だけれど、白衣のポケットにしっかり入るサイズ。

実習先によってはインターネットのアクセスが悪い場所もあったため

万一のことを考えてポケットサイズの本にした。

別にこうしたプリントされた本でなくても

デジタルのアプリでもアクセスできる。

クラスメイトの中にはダウンロードしてi Pad で見ている子も何人かいた。


anti

Website はこちら 

https://www.sanfordguide.com/


この本は私のような 初心者向けには とても役立つ。


なんと驚いたことに、

ナースプラクティショナーを20年やってきた

プリセプターもこれを使っていたらしく見せてくれた。

彼は最新版を見るなりこんなに厚くなったのか、と驚きながら

ご自分が愛用してきた薄いバージョンを見せてくれて、

この最新版の 半分以下の厚みだった。

20年で相当な抗菌薬治療の情報が増えた証拠。

その分、彼のようにベテランであれば

今までの経験と知識があるから、こんな分厚い本が必要ないんだろうと思う。

それでも時々参考にするとは言っていたけれど。

私もいつか 彼のようになりたい。


ではプライマリーケアNPの Board Exam勉強の復習を

ちょっと書くと。。。



テトラサイクリン カテゴリーD

テトラサイクリンはBacteriostatic 

可能性として、歯に色素沈着が起こり一生取れなくなることがある

カテゴリーDの薬とは、通常妊婦さんが内服した際に
  胎児に悪影響を及ぼす可能性がある薬のこと
  しかしケースや薬によっては、それでも利点が強い薬もあるため処方されることもある

テトラサイクリンが カテゴリーDの理由の一つは
 妊娠中に取ると Skeletal defects 骨格異常をきたすため

ゆえに、乳児や 8歳以下の小児にも 禁忌

通常テトラサイクリンを処方してもいいのは13~14歳から可能

なぜなら歯が生えそろうから(親知らずは別として)


どんな薬がテトラサイクリンか?

  • Doxycycline - クラミジアやAtypical なバクテリアの感染の最初に選択される抗生物質
  • Minocycline - 最初に選ぶ抗生物質ではない、副作用が強い
  • Tetracycline - 中度のニキビやRosacea に処方する最初の選択肢 (軽度のニキビには禁忌)

副作用は?
  • Photosensitivity Reactionといって 少しでも日光に当たると重症な日焼けが生じる
ゆえに、患者教育として、
       日光はなるだけ避けること
日焼け止めを用いること
帽子をかぶること
サングラスをかけることを伝える。
  • 食道潰瘍は稀だけど可能性はあるしっかり薬を飲むときは沢山の水と一緒に飲むこと


ノートとして


軽度のニキビの際には、市販薬を勧めるSalicylic acid & Benzoyl peroxide   

もしそれでも効果が出ない時には、

  処方箋の必要な強めのBenzoyl peroxide & erythromycin/Benzamycin

  or Tretinoin or Azelaic acid cream がお勧め 

これらを2-3ヶ月使っても効果がない場合にはテトラサイクリンを処方

テトラサイクリンクラスの薬は空腹時にのむように伝える
 カルシウム、乳製品、鉄分、マグネシウム、亜鉛などのミネラルと結合しやすいため
   食前1時間前、もしくは食後2時間してから内服する 

万一、消費期限が切れていたらテトラサイクリンの錠剤は捨てるように伝えること
 Nephropathy or ファンコニー症候群などが生じることがある



Doxycycline は実習でも プリセプターが 処方しているところを 何回かみた。

Women's health clinic でPelvic inflammatory disease (PID) の人にも処方されていたし

Atypical pneumonia(非定型肺炎) でも処方される。

そういえば昨日 勉強した肺炎も胸部レントゲンの問題が出ていた。


ちょっとした 勉強後のつぶやき 

また明日もコツコツやっていこう。





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