人生は 100% 自分の思い通りになることはない と思っている。

それ故に、あまり期待をせず、目の前のことをコツコツやるようにしている。

愚痴を言って、自分のことを 悲劇のヒロイン と捉えることを勧めているわけではない。

未来のことは誰にもわからない。

できることを全力で出し切ってやってみることが大事だといえよう。

おそらく こうしたスタンスがなかったら

私は アメリカでの留学生活で生き残ることもなく、すぐに撤退していたと思う。


考えすぎて、頭でっかちとなり やらないで終わるよりは、

いろいろ考えた上で、リスクは避けられないけれど

自分がどうしてもやってみたいと思うことを

行動していくことは大事だと言える。

他人から何と批判されようとも。


また物質的なものは 死んだらあの世には持っていけない。

だから あまり物質的なものに固執するよりは、

経験 や 良き出会い を大事にしたいと思っている。


私がこんなにも看護や医療の世界に固執しているのは

12歳の時に突然、病気になり、

緊急入院を余儀なくされたことが 大きなきっかけ となっている。


小学校の6年間は無遅刻&無欠席。

元気ハツラツな 木登りや遊具で遊ぶことが大好きな子どもだった。

小学校低学年の時に ピアノの練習に行く代わりに

親に内緒で、友達の誕生日会へ行って怒られたことがあった。

勉強には全く興味がなくて、塾には通ったことが一度もなかった。

友達といつも一緒に遊ぶのが好きだったため、

また学校で飼っていた動物の世話をするのが係りだったため、

それが生き甲斐で 学校に行くのは苦にならなかった。


小学校3年の時に、実験で氷砂糖に魅了され、

友達と3人で、クラス全員の実験用の氷砂糖を

放課後に隠れて食べ尽くし

後日、実験の時に担任の先生が氷砂糖がないことにパニックとなり

原因が私たちにあることを知り、

激怒され、廊下にバケツを持って 立たされたこともあった。


小学校5、6年生の時には親友とダイエットをしようといって、

よくダイエットに効果がありそうなダンスをしていた。

学校のクラブ活動にも参加し、体はよく動かしていた。


また、ある時には、学校が終わった後に

近くの八百屋さんに足を運び、

売りものにならない部分の野菜を貰ったり、

給食室の職員の方たちが片づけをしている最中に、

押しかけて 余った食べられなさそうなパンがないかを尋ねて貰い、

それらをかき集めて、学校で飼育している うさぎ と ニワトリに与えていた。

動物が病気やケガをすれば、

そそくさと徒歩圏内の獣医クリニックへ連れて行き、

治療に必要な薬をもらい、治るまで係りの子たちと交代で面倒をみた。

亡くなった時には埋葬もし、菊の花と お線香を添えた。


特に将来、何かなりたいものがあったわけでもなく、

小学校の卒業文集には、「花屋さん」「ドッグシッター」と書いたのを覚えている。

また、家族や親戚に、医療系の職業に携わった人は誰一人としていなかった。


人生は毎日楽しく過ごせば それでいいと 小学校の頃は思っていた。

他人に迷惑をかけたって 別にいいものだと思っていたため、

思ったことを歯に衣着せぬ言い方をし、

誰かが傷つこうが 気にすらしていなかった。


小学校卒業間際になり、突然 体に変調をきたし始めた。

仲良しの友達とも卒業をしたら 違う中学校になってしまう子もいたため

お泊り会をしようということになり、

それぞれの家を回って、連日仲良し4人同士で泊まっては

毎晩はしゃいでガールズトークをしていた。

お泊り会はとても楽しかったものの、

段々と体調が悪化していくのが自分でもわかった。


そして、急に両下肢に 何もしていないのに 紫斑ができるようになった。

翌週には だんだんと身体が重くなりだるかった。

段々と紫斑が拡張していくことに恐怖すら感じた。

無事に卒業式は迎えたものの、やはり体調がすぐれず、近くの病院へ。

そして緊急入院となった。


難病で診断名がつかないと言われ、ゆえに 入院費は無料とされた。

小学校卒業直後の緊急入院。

親はハラハラしていて、今後のことを心配していた。


小児科医もどうしていいかわからなかったようで

とにかく検査検査。

そして絶対に歩いたらダメだと言われ、入院中は車椅子のみでの移動。

助手さんに車椅子を押され、外来にある様々な検査室に行くたびに、

いろんな外来待ちの人たちが まるで明日には私が死ぬ とでも思っているかのような

申し訳なさそうな 私が哀れな子供のような顔をしていたのを鮮明に覚えている。


それまでは、病気も骨折などの ケガもなく病院とは疎遠だった。

ゆえに 病院に足を運んだことが一度もなかった。

家族や親戚には誰一人医療者はおらず、医療者と関わったことがなかった。

医療者になろうという動機も 出会いも 特になかった。


それが 病気になったことで

素敵な小児科の看護師さん達との出会い、

本当に人生の見方が変わり、急に将来の目標ができた。

12歳で 私も看護師になろう、と思うようになった。


また、こんなにも親に感謝したことはなかった。

うちの両親は共働きだったため、

仕事の後にいつも母親が病棟に来てくれて

時には父親も同伴で来て

私が好きなものを差し入れしてくれた。


特に母親は本当に強い人で、医師との話し合いもしっかりしており、

こんなにも自分のことを思ってくれるのかと頭が下がる想いだった。

また、小児科では 親のみ の面会許可であったため、

友達に会えない分、ぬいぐるみや漫画などをプレゼントしてくれた。


シャワーやお風呂に入れない代わりに、

泡スプレーのボディソープを親が売店から購入してくれた。

それを使って、病院で支給された

ほかほかの暖かいタオルを4つ渡され、

よくわからないままカーテンを引き、自分で洗体をした。

渡されたタオルは3色で、

白いタオルが2つ、青いタオルが1つ、そして黄色いタオルが1つだった。

何も説明を受けなかったので、適当に使った。

後から、助手さんが

黄色いタオルは陰部用で、青いタオルは顔用だと聞きゾッとした。

なんとその説明を聞く前に、

私は 陰部用の 黄色いタオルで 顔をゴシゴシ拭いていたのだ。

改めて車椅子に乗り、部屋についている洗面台に行き、

顔を洗って、しっかり自分の乾いたタオルで顔を拭いた。


全くもって、何が何だかわからない手探り状態の入院生活が始まった。


ある時、4人部屋の私の隣りのベッドには

舌が歯ぐきの裏側にくっついた病気(舌小帯短縮症)の3歳くらいの子が入院してきた。

しかし彼女はうまく話せない。

それでも何か看護師さんに要求したいものがあったようで、

人生で初めて、ナースコールを使って 看護師さんを呼んだ。

子どもながらに、ややドキドキした。

「看護師さんは忙しいかな?でも、きっと今 呼ばないとこの子は大変そうだし」と、

今までなら あまり他人のことを気にしていなかった自分が

段々と他の人に興味を持ち、気を遣うようになり始めた。


看護師さんが来た時には、しっかり自分なりに、

この隣りのベッドの女の子が

どんな状況で困っているのかを伝えた。

ナースコールを押すって、意外と12歳の私にとっては勇気のいるものだった。

というのも、結構看護師さんがバタバタと忙しそうにしている様子をみていたため。

10日間の入院で済み、仮退院をした。

一年間はどの運動も禁止とされた。

この入院以降、外来だけのフォローアップで 再度 入院を言い渡されることはなかった。





月日は経ち、看護大学卒業後、

10個の病院見学した中で、1番働いてみたかった病院で就職。

実際、病気を抱える人たちを相手にする看護師となって、

私が12歳の時の病状とは 同じ状況ではなかったものの、

おそらく 入院や 重症な病気をした経験のない人には

わからないであろう感覚的なものは なんとなく察することができた。

だからこそ、言われる前に察することが どれだけ大事かもわかっていた。

またナースコールを押すというのは、それなりの理由があるため、

あまり忙しさで文句を言う看護師の同僚を見ていて

きっと患者の立場になったことがないからなのだろうな、と思っていた。

もちろんケースバイケースなのはわかっていたが。


病気になることって、

非常にマイナスだと思われることもあるけれど、

今までは全く気づけなかったものに気づける機会だと思う。


それをうまく受け入れられなくて、他人のせいにしたり、社会を恨んでみたり、

とにかく、愚痴を言わないと気が済まない人も多々いる。


世の中にはまだまだ解明されていない難病は山のようにある。

それゆえに、様々なサイエンティストたちや

基礎研究や臨床研究を積み重ねていくことで

進歩しているものもある。


私自身も、12歳の時に生まれて初めて 

入院を強いられるほどの難病指定と言われてみて

それまでの自分や経験したこと、

他人の気持ちを察することがなかったこと、

両親に対する自己中心的なふるまい方など、

いろいろと反省しながら、今までの人生を自分なりに振り返ったことがある。

また、「死」というものが 子供なりにどんなものなのかも真剣に考えていた。

小児看護学でも学ぶ、あの子供なりの病気に対する捉え方とでも言おうか。


病気は、いつでも、誰にでも 起こりえるもの。

本当に他人事ではない。明日にでも起こるかもしれないもの。

そして 誰もが いつかは この世を去っていく。

だからこそ、あまり卑下ばかりしていないで

毎日、その瞬間 瞬間を懸命に、

楽しく、後悔なく生き抜くことは大事
だと思っている

誰しも潜在的な様々な可能性を秘めている。

しかし いろんな理由を重ねて、できない理由を並べる。

多くの人は、おそらく年齢が気になっている印象を受ける。



病気になるのは 人を謙虚にもさせるものだと思った。

少なくとも 私の場合は。

そして、人の優しさに気づくことができ、

親への感謝 も甚く触れることができた。


どんな時でも、病気になった時の 受け止め方は とても重要だと思っている。

誰のせいとかよりも、まずは自分の感じ方、考え方、そして捉え方が鍵と言える。


少なくとも私の場合、12歳で診断名のない病気で入院をした時から

人生の大きな転機が始まった。


患者として入院していなかったら、

きっと、今なら感じられることも

気づかないまま寿命を終えていたかもしれない。

おそらく看護師にもなっていなかっただろうし、

ましてや海外に来て、医療の知識を深めたいとも思っていなかっただろう。

きっと、マイナス的なことを どうプラスに変えていくかが

生きていく上での術であるといえよう。


アメリカの看護大学時代のクラスメイトが誕生日にくれたプレゼント。


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