米国ナースプラクティショナー(DNP)になるために

アメリカナースプラクティショナー(NP)&看護学修士号(MSN)取得、全米統一NP Certification(認定証)試験合格。今年から公衆衛生学+看護博士課程(DNP)のプログラムに進学することを決意しました。

カテゴリ: 留学経験から思うこと

アメリカには一年に一回スーパーボウルというものがあります。

Super Bowlって食べ物やボールのことではなく、

アメリカンフットボールのTOPのチームが戦う

最終戦のことです。

通常2月の上旬にあります。

今年のスーパーボウルで優勝したチームは

フロリダのチーム

Tampa Bay Buccaneers

タンパベイ・バッカニアーズなのですが


実は今回、フロリダのチーム@タンパベイを優勝に導いた

アメフトの選手のことが

看護の世界で悩んでいる新人看護師などの心情と

似ている気がしたのでそのことについて書いてみます。


おそらく日本では

初めて学生から看護の世界に入ると、

どうしても患者さんの命に直結している仕事ゆえに、

角の緊張もする上に、ストレスも多く、

昼夜の逆転した生活ゆえに体内リズムも崩れ、

それに加えて

まだ経験が浅いがゆえに

非常に心身共にストレスフルな職場環境下に置かれると思います。


私も新人の時には、よく先輩方にフォローをしてもらいながら

外科&内科病棟で経験を積ませて頂きましたが

最初はそれなりに苦労の連続でした。

経験不足ゆえに、判断力も劣っており

最初の6か月くらいは学ぶのが楽しい反面

それでも精神的に辛い部分も多々あり

ありがたいことに理解のある先輩が多かったり、

共感できる仲間がいたため、

そうした周囲からのサポートのお陰で

最初の一年を乗り切りことがができたと思っています。

それでも、同じ病棟には

新卒として採用された子の中には心的に病んで、

中には円形脱毛症に悩まされる子もおり、

どんなに彼ら彼女らの相談に乗っても

やはり 非常に心的に辛い とのことで

辞めていく子たちもいました。

いなくなってしまうことは悲しいものの

それでも私は、彼ら彼女らにとっては

それがベストの選択だったのではないか、と感じていました。

自分という大切な人が心を病んでまで

頑張る必要はないと感じたからです。

日本のわずか1つの病院の1つの病棟にいて、

あぁだこぅだ悩んで、

心が病んでいくよりは

潔く次なる道に進むことも

新たな人生の始まりとなり、

おそらくその病んでいる人にとっても

幸せなことなのではないでしょうか。

看護師だって患者さんと同じ人間なのですから。

スーパーウーマン・スーパーマンなんていない訳です。

自分に余裕がない中で

一体どうやって笑顔で他人のケアができるのか、とも感じました。

ただ、個人的な経験ではありますが

激務が続いた時に、身体的にきつくてふらふらしながら勤務した時、

それでも休むことなく頑張っていて良かったと思えたのは

なんと自分がケアするはずの患者さんたちから

逆に声をかけてもらったり、支えてもらったこともあり

看護師って患者さんにしてケアをしてあげている感があるけれど

実は、持ちつもたつなんだな、と実感したことがあります。


話は戻って、

今回、このフロリダのアメフトのチームを優勝に導いた

ロブ・グロンコウスキー

Rob Gronkowski

という選手は

実は2年前に 29歳という若さで 引退を表明したことがあります。

彼の当時の引退を決意した理由は

" I needed to recover. .. I was not in a good place.

Football was bringing me down, and I didn't like it. 

I was losing that joy in life.... I could play right now if I wanted to play. 

I'm feeling good. Physically, I could do it. Mentally-wise, desired-wise, it's not there...."

1分25秒のインタビューです。もしご関心があれば 00:20 あたりから見てみて下さい。
ESPN
のサイトより Gronkowski - Football was bringing me down (espn.com)


でした。

おそらくプロの選手になるくらいであれば

アメリカンフットボールが大好きだったであろうにも関わらず

アメフトが嫌いになり、人生の楽しみも失い、

もし今、試合にでてプレーをしたいと思うならば、

身体的にはすることはできるけれど

でも精神的には、またやりたいという要求はないんだ。。。

と語られていました。


では、なぜこんなにも心が病んでいる状況であった底辺から立ち上がって

今回のスーパーボウルでチームを優勝にまで導かせることができたのか?

その一つの要因はトム・ブレイディの存在があります。



彼は経験豊富な43歳という年齢的にはチームの中でも上の方だと思うのですが

このトムとは 以前にも同じチームでもあったのですが

お互いフロリダのチーム@タンパベイ・バッニッカーズへ移籍し

再度、共にプレーをすることができたのも

彼の精神的な健康が向上した要因だといえそうです。

また2019年から1年間ブランクを開けて

アメフト選手としてのポジションから

あえて離れてみたのも

逆に復帰するエネルギーとなったのかもしれませんね。

きっとロブは自分が心的に病んでいることが

しっかりわかっていたからこそ

あえて大好きなアメリカンフットボールの選手の役割から

一度離れる勇気をもって決行し、

それが吉と出たのではないかと予測します。

こうした決断って勇気がいるかもしれませんが

長い人生の中では非常に大切なことだと思います。


だからこそ、新人看護師さんの中でも

もし彼のように、

もし心が病んでいる時には、

頑張る以上に、自分というものを見つめ直して

その場にもう少し残るのも選択肢の一つだとは思いますが、

一旦引いてみると、

このアメフト選手のロブのように、

再起動できることもあるのかなと感じます。

それは " 諦める "とはまた違ったものだと思います。

世の中には様々な仕事、チャンス、人との出会いがあるもの。

日本以外にも様々な世界があり、国連加盟国だけでも193カ国だと

外務省のホームページに書かれてあります

世界の国数|外務省 (mofa.go.jp)

そう考えてみたら、自分の居場所や

やっていることって

ちっぽけなものだなと感じることも多々あります。

もちろん、無責任かつ自分勝手に自分の利益ばかりを追求し、

相手に被害や多大な迷惑を与えるとかでなければ

まずは

自分を大事にする

ことも人生を有意義にする鍵なのかと感じています。


私も、自分が本気でやりたいものがあり、

挑戦的なものであればあるほど

困難も多々あり、

眠れなくなるくらいストレスフルなこともあり

心が病みそうになることもありますが

それでもアメフト選手のロブが選択した引退との大きな違いは

おそらく辛い中にも、

どこか 楽しい Joy と思える部分があり、

自分で決断してやりたいと思ったブレない初心があるから

行動ができているのかと思います。

彼はインタビューの中でJoy がなくなった

話されていましたので。


心が病んでいる時は、頑張るというよりは

一旦時間をおいて冷静に自分をみつめて

復帰するのもあり、辞めるのもあり、全く違う道を行くのもありだと思います。

そんなことを今回のスーパーボウルの勝利チームの選手から

教えてもらった気がします。





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(おおよそ 2~3 分 Reading)

今現在、参加している授業

Biostatistics 生物統計学のクラスの

インストラクターが言っていたコメント。

”Common sense is sometimes not common."

本当にそう思います。

日本で看護師として働きながら留学を決めた頃、

もう20代後半に差し掛かるんだから

そろそろ結婚しないと取り返しがつかなくなって後悔するよ、

と言われたり

多くの友達が、どんどん結婚をし始めて結婚式に出席することも増え、

結婚に至っていない友達は焦っていたりするものの、

私は呑気になんでそんな早くに結婚したいんだろう?と

思っていたことを思い出します。

きっとこんな娘をもつ親からしてみれば

大変悲しいことをいう娘だとは思うのですが。

20代はとにかく海外でいろいろチャレンジがしたくて

やりたいことは山のようにあり

これっぽっちも結婚願望がありませんでした。

20代中盤の私にとっては

結婚なんぞしてしまったら

家族に対して責任をもって振舞う必要があると思っていたため

制限がかかるだけで、何もできなくなって、

もしかしたら自分はそんな押さえつけられた中にいたら

鬱になるかもしれない、

と さえ思えるほどでした。

日本なら年齢がとにかく何に対しても区切りであり、

社会人になってからもまだ勉強するって

頭大丈夫?そんなに勉強して何になるの?とも

言われたことがあります。

日本では

靴は脱いで家に入ることが当然。

お風呂は夜に入って寝るもの。

車を運転するのは左車線が当然の規則。

トイレにはウォシュレットがあるのは当たり前。

それは日本人として生まれ育って、

日本だけに住んでいたら常識かもしれません。

しかし、海外に出ると、その常識と思えたことが

実は他の国の人からしたら非常識だったりもします。

なんで靴を脱ぐ必要があるの?

朝軽くシャワー浴びればそれでいいでしょ?

なんでお風呂なんかに入るの?

車線は右でしょ。なんで左なの?

結婚は自分がしたいときに相手をみつければいい。

なぜすぐに20代でする必要があるの?

結婚してからも女性は働き続けることが普通じゃないの?

結婚しないで同棲しているだけで十分なんじゃないの?

別に看護師だからといって

髪の毛を束ねる必要はなく、

そのままストレートのロングヘアを垂らすのがなぜダメなの?

看護師だっておしゃれがしたいから、

どんな色のマニキュアをつけていても

しっかり看護師の仕事ができていれば支障ないでしょ?

なぜ目立たない色に塗り替えなければならないの?

私の病棟の男性看護師長は

ものすごく人柄もよく、学歴も高く、

(因みに彼は今アイビーリーグの博士課程で今年卒業予定)

看護師歴豊富なゲイ(同性愛者)ですけど、

それが何か問題ありますか?


日本人なら当たり前、日本の看護界では常識であることも

アメリカでは非常識。

自分の価値観を押し付けて

他人を非難する必要は全くなく、

いろんな人生の生き方があっていい。

どんな人種であれ、

どの国で生まれ育ったって、

どんな宗教を信じていようが

根本的に人間って同じ社会で生きる動物

それをいろんな知識、偏った教育、歴史、

自分の限りある知っている世界だけで

物事をあたかも把握しているように

威張っているのは、正直滑稽に感じることもあります。

面白いことに、アメリカに来てみると、

アメリカでしか過ごしたことがない人たち(特に中西部)は

日本しか知らない日本人と、似た傾向があるような感じがします。

(はい、うちの親のことです。パスポートがないって。。。。汗)


少しでも違う人は異端人扱い。

人種差別も半端ない。

何か違う文化などに触れる経験、

外国人として海外に住んだことがないため、

外国人という身分で長期間 扱われたことがない経験は

せっかく国際化しているこの世の中で、

勿体ないなと感じます。

まぁそんな辛い想い、する必要はないのかもしれませんが。

なんでも「そんなの常識でしょ」と口にする前に

それが本当に常識なのか、

今一度考えた方がいい気がします。

自分の住んでいる世界が小さいほど、

強いことが言えてしまうもの。

でも、海外に出てみて、苦労をし続けると、

どれだけ自分はちっぽけなものであり

無知で先入観の強い人間だったかと反省ばかり。

他者を認める心とは、

きっと 思い込みを最小限に抑えて

まずは先入観を起動させる前に 聴く耳をもつ ことが

よりよいコミュニケーションの方法となりそうです。

もちろん議論をするのは会話の活性化には繋がるため、

悪いことではないと感じますが。

いろんなことを学ぶと、新たな見解が持てるものだと痛感してます。

他人と違うことを決断する選択を取ることは

それなりの覚悟と勇気がいるため

簡単なことではないかもしれませんが

それでも、それでも自分の信じるものがあるならば、

その信念に従っていくのもありかと思います。

自分の人生、自分の気持ちに素直になることは大事ですし。

いちいち周りの目を気にしないで やってみる、

というのもユニークな人生の歩み方で面白みがあるかと思います。

私も20代中盤から婚活をして

結婚していたら、今のような生活はなかったのではと感じてます。

きっと誰か運命の人にすぐ出会えていたならば

結婚を決断して、今頃友達のように子育てに励んで

家庭を築くことに幸せを感じていたいたかもしれませんね。



人生は常に選択の日々。

その選択をどうするかで明日が構築され、

来月選択することが半年後、1年後、5年後。。。となっていく。

今ある現状に不平不満ばかりあるとするなら

おそらく選択したかったことを、

行動しなかったからかもしれません。

でも周囲に言われても、

自分の思うことを行動するかしないかは

周囲の責任ではなく

行動をした自分の責任でもあるのではないでしょうか。

私ももちろん過去に

「あぁ~こうしなければ良かった」と思うことはあります。

上手くいかない度に

「なんでこんなになってしまったんだろう」と反省。

しかし、唯一、後悔していないのは

周囲からいろんなことを言われても

自分の信念で積み上げてきたため

不平不満はないんですよね。

あの時は自分なりに最善の選択だと思っていた、

という事実があるからでしょう。


今日の統計学の先生のたった一言で

こんな長い文章になってしまいました。

いつも読んで下さる方、

初めての方も

お越し下さり ありがとうございます。

さて週末はどんどん宿題を終わらせていきますぞ。

Mel

スーパーには グミとしてメラトニンがイチゴ味で売っていました。
美味しいのかな?まだ睡眠に問題はきたしていないため、
接種したことがないのですが。




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2020年は大幅な計画の変更を

余儀なくされる年だったと感じてます。

アメリカではついにコロナによる死亡者が

34万586人を突破しました。



一体だれがこのようなパンデミックが起こることを

予測していたでしょうか。

今までのアメリカでの経験を振り返ってみても

何一つとして計画していたことがスムーズにいったことはなく

ただただ目の前のことを全力でこなしていくことで

新たな自分の予測していなかった道が開拓されてきました。


2020年はコロナのせいで、と

言いたくなることもありますが

決して全てが悪かったわけではなく

結局は現実をどう自分なりに捉えるか、なのだと感じてます。

なんでも自分の都合よく

思い通りにいく人生なんてない気がします。

そういう方もおられるのでしょうが、

少なくとも私の場合はないかなと。

コロナ禍中であっても

あまり投げやりになったり、

感情に落ち潰されたり、

誰かに当たり散ったり、

何かに逃げ出すよりも、

「では何が解決になるのか?どうしたら改善できるのか?」

と冷静に考えると、

意外と地味な答えではあるものの、

「これが上手くいかないなら、じゃあこの選択に変えてみるか」と

機転を利かせると、ちょっとだけ光は見えてくるものだと感じました。

別にうまくいかなくとも、

それが人生の終わりか?と言われたら

そうとも言えないですよね。

何か最悪なことがあって、その時にはそう感じても

後々振り返るとそうでもなかった、といいますか。


2020年の悪かったことは

コロナ以降は期待していた

ナースプラクティショナーの実習先が一切行けなくなり、

オンラインで架空の患者さんのケースから学ぶ状況だったり、

卒業式が開催されなかったり、

ずっと継続して働ていた実験室の仕事が

コロナの影響で辞めざるを得なくなったり、

ナースプラクティショナーの組織から書類が古いと言われ

学校とその組織と長いこと、やり取りを続けたり、

クラスメイトたちのように

思い描いていたように働けなかったり、

あるアメリカの看護学会が中止となり

自分の提出したものが発表できなくなったり

違う学会での発表のためにやり直したり、

パソコンが壊れてデータをなくしてしまったり、

ここには書けないほどの

相当の屈辱的なことを経験したり。

でも、それでもいいこともあり、

たとば今までなら、

まず家にいることがないほど忙しく走りまわっていたのが

パソコンの前に座る時間が増えて、

ブログを始めてみようと思ったのも

コロナがなかったらやらなかったことと言えます。

人生は本当にマイナスとプラスの連続の積み重ね。

何はともあれ、

重度な病気にかかることなく過ごせたことは幸せなのだと思います。

このちょっとした幸せを感じることが

来年も継続してできることを祈って、

2020年の最後の日記とさせて頂きます。

何等かの形でこのブログを読みに来てくださった方たちにも

この場をお借りして感謝申し上げます。

どうぞ安全かつ健康を害することのない

ホッとできる年末年始をお過ごし下さい。

Dental

アメリカらしいオモチャを文具店で発見。
こういうオモチャの発想が面白いなぁと感じます。




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先日、ノーベル賞を受賞された3人の方の話を

ちょっとだけ聴く機会がありました。

2人は女性の研究者、1人は男性の研究者でした。

合計 1時間の中の彼らの会話の中で、

私が聴けたのは20分くらいだったのですが

その中でも、特に私の中で一番キラキラと輝きを発して見えた

研究者がいらっしゃいました。

彼女の名前はDr. Andrea Ghez アンドレア・ゲズ 博士で

物理学・天文学の教授だそうです。



その中でも心に残ったのは

「他の人を説得させて、リスクを取ることは価値のあることです」という言葉です。

もちろん時と場合によるのかとは思うのですが

研究の世界だと、未知な事実を解明するために

研究をして知らなかったことを知るという

骨の折れる、誰もわからないことを

自分(自分の研究チーム)を信じて

やっていくからなのだと感じました。

きっと功績を残せないで終わる方たちも多いであろう中

様々な葛藤や不安などもあったことでしょう。


以前、ある研究論文の文献検索をしていた時に、

仮説とは全く異なる、

効果が観察されなかった結果が出たという文献がいくつもあり、

「なんだぁ。有意差はなかったのかぁ。」と、

また文献を調べ直さなければならないことが多々あったのですが、

その時に言われたことは

「どんな研究でも、有意差がなかったとしても、

 仮設を立てたものが証明されなかったとしても、

 それも重要な発見なんだよ

と先生に言われたのを思い出しました。


それゆえに、研究の世界ではもしかしたら、

全ての研究がうまくいかないことも

認知しておく必要があるのだなと

ハッとさせられたことがあります。

もちろん成果が出ないと、研究基金を確保するのは

困難なことなのでは?と勝手に想像しているのですが。

それでも、こうした「何も効果がなかった」という事実が、

次なる研究者たちへの導きになるとのことでした。

何も無駄なことはないのかなと感じました。


話は戻って、

このゲズ博士が話されいたことで更に印象的だったことは

".... to always engage in exploring the world what you don't know" 

(未知な世界を探検していくことが常に大事である)

とおっしゃっておりました。

おそらく世の中には

安定・安泰でいる生活、地位、関係が

一番の幸せに感じる方も多い中、

こうした突拍子のないことを言うと、

逆に変人扱いされそうな中、

このチャレンジ精神のある教授が今年ノーベル賞を受賞され

身をもってこうおっしゃっていることに、なぜか励まされました。

何でもそうかと思うのですが現在の「当り前」なことも、

実は先人の方たちがリスクを負って

開発、解明、発見していったものの積み重ねなのだと思います。

また、今は当たり前のことも、

5年後、10年後、50年後、1世紀後には

変わっていくる可能性もあると言えるでしょう。


どなたかが、著名人の発言された言葉を引用する以上に、

当の本人である研究者たちの

直の言葉は

その背景とな多大な苦労を乗り越えて来たからこそ

説得力があると感じました。

苦労の渦中は逃げたくもなり、

悲しくもなり、

将来がどうなるのかなと不安にもなりますが

そうした時こそ、こういう話を聴くと

次元は違えど、頑張ろうという気になれました。

役目も興味も可能性もそれぞれ皆違うとは思いますが、

でも何かに向かってやっていこうとする情熱って

やはりあっていいものなんだと感じました。

世の中にはいろんな場面で頑張っている人たちが

このコロナ禍でもいるんですね。

私も地道にやっていきます。




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たぶん誰もが悩みを抱えていると思います。

たとえ一見、自分よりも条件がよさそうな人たちがいたとしても

実はそうした人たちにも彼ら彼女らなりの違った悩みが

必ずあるものです。

もちろん、そうではない人たちもいるように見えるかもしれませんが、

意外と言わないだけなんだなぁと感じた場面が結構あります。

人って自分のことを上手にコントロールしていかないと

他人が良く見えるようにできているのかなと感じます。

きっと、各々が一生悩みを抱えながら生きていくのかと想像します。



生まれて来る前は、

出産まで赤子が胎内でしっかり育つのか、

生まれてきたら今度は順調に育っていくのか、

小さい頃はケガや病気を抱えることなく成長するのか、

中学高校になれば成績やクラス内でどうか、

進学はするのか、

留学か、就職か、それとも結婚か、

社会人になれば このまま仕事をするのか、辞めて他のことをするのか、

キャリアを構築し続けるのか、

そろそろ家庭をもつのか、

子どもはいるのか、いないのか、何人欲しいのか、

家は購入するのか、マンションにするのか、

車はどうするのか、投資はするのか、

住む場所は日本のどこか、それとも海外なのか

定年はいつにするのか、その後はどうするのか、

健康問題はないのか、

そして死期が近づいたら

どういった状態で亡くなるのか、

残された人たちはどうなるのか、

孤独死なのか、認知症になるのか、

延命治療はどこまでするのか、

死ぬ前に片づけなければならない所持物はどうしていくのか、などなど。


一つ解決したら、また次に新しい悩みがやってくる。

つまり 悩みは尽きないわけです。


こうした悩んだ時の 最終的決断は

誰がなんと言おうとも、結局は自分次第。

誰かに何か言われても、それを行動するか否かを決めるのは自己の問題。


さて、ふと思ったことがあるので書きたいと思います。

ナースプラクティショナーのプログラムに入る時、

ある授業でお世話になった先生に

「成人高齢者プライマリーケア ナースプラクティショナーに

 出願してみようと思うのですが」と伝えたら

「別にナースプラクティショナーでなくてもいいんじゃないの?
  
 そんなに高齢者に特化したことが勉強したいなら、

 老人(年)学の修士学に行ったらどう?

 別に 看護を絡めなくてもいいのでは?」

と言われたのを今でも覚えています。

この先生は看護大学の学部生たちに教えている方で

地域保健の専門に長けており

Ph.Dに通っている方でした。

彼女はナースプラクティショナーのプログラムに通ったことがないため

きっと違った視点、おそらく研究の観点から

こういったアドバイスを下さったのだと思います。

お礼を伝えたものの、そこまで納得はいかず、

結局1校も老人学 Gerontology という専攻には出願しませんでした。

たぶん私も変に曲げない部分があるため、

決めたらとにかく実行したい派なため

あまり人の言葉に翻弄されないのかもしれません。


また、看護大学院である

ナースプラクティショナーのプログラムに入った時、

とても興味のある看護学部の授業ではない別の科の授業に興味を持ち、

選択科目で取りたいなぁと思い、アドバイザーである教授と話していたら

「別にその授業は取る必要はないと思うわよ。辞めとくことを勧めるわ。」

と助言を下さりました。

でも、授業を取るか否かは私が決めること。

その授業は公衆衛生 Public healthの学校のものだったのですが

誰も興味を持っている人はおらず、看護学部から単独で参加しました。

結構悩みに悩んで、とりあえず、最初の日に出席をし、

本当に取るか否か考えたのですが、

かなり興味深かったため

待ち受けている課題には覚悟しつつも

でも興味があるからやれるかな、と思って結局一度も休むことなく全出席しました。

この授業ではPublic Healthの学生さんたちのみならず、

MBAの方と、メディカルスクールの子も一人いて、

さらには他国から特別に1年間来られている

医学部の研究者だとおっしゃる方たちも2人受講されていました。

他の授業もそこそこ気を抜くことができず大変だったため

途中でこの授業を取ったことを後悔しかけました。

というのも、ほぼ徹夜を3日間ほど続けて

一番最後のプロジェクトのペーパーを仕上げていたくらい必死だったので。

「やっぱり教授の言う通り、取らなければこんな苦労しなかったかなぁ」と

でも、やはり覚悟を決めて、頑張って良かったと思ってます。

というのも、この Public Health の先生はとてもチャーミングな方で

白人の高齢な方だったのですが、

コテコテの研究熱心なPhDを保持されている自信満々な方でした。

2回ほど、オフィスに行き、話し合いをしたことがあるのですが

快くいろんな話をして下さったのが懐かしいです。

この先生の変わったところは、授業の区切りに

「はい、皆さん立ってください。10分間運動をしましょう」と言って

少人数だったこともあり、皆立ちあがって、

先生が紹介する運動の映像をみながら

毎回、椅子に座る時間を減らしてくれていました。

彼の教える授業はHealth Policyという健康に関する政策の授業であり、

特に肥満に関すること、栄養に関すること、地域の健康向上などに

焦点をあえてていたため、ナースプラクティショナーとはやや違った視点から

学ぶことができました。

かつては、看護学校のアドバイザーに

「取らなくていいと思うよ」と言われたことを

鵜呑みにしていたら、

経験できなかった苦労と新たなる学びをすることができました。


何が言いたいかと言うと、

何事もそうだと思うのですが、

最終的にはどんなに他人からアドバイスを受けたり、

「そんなことできないよ」、などと言われても、

それをやるかやらないかは自分次第ということです。

「できないよ」とか「やらない方がいいと思う」と言う人も

結局は人間です。

いろんな感情と、限りある経験の中から出て来る言葉だと言えそうです。

また、やってみて、もし上手くいかなくても、

それでもやったことには十分な価値があるのかと思います。

誰も完璧な人はいないのですから。


また、幸せを感じるか否かも、きっと自分で決めたらいいのかと思います。

きっと今日の気持ちと行動が、

明日の自分へとつながっていくのでしょうね。

Hp
この昆布茶の Health-ADE + Happy はなかなか美味しかったです。





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今日、話をしている中で

"Most likely, he will not be successful" 

「多分、彼は成功しないと思う」と耳にして

ふと一体何が『人生の成功』なのかな?と思った。

お金持ちになること?

名誉のある社会的地位につくこと?

有名人になること?

安定していること?

食べ物がしっかり手に入ること?

家を沢山保持していること?

テスラなどの高級車を乗り回すこと?


正直な気持ちとして

人生は山あり谷ありで、

本当に死ぬまでどんな経過をたどるかなんて誰にもわからない。

もちろんお金も生活をしていく上で大事だけれど

もし歩けていた足に支障が出て歩けなくなったり、

眼がみえなくなったり、

階段を上れないくらい心不全が悪化したり、

夜中に息ができない恐怖感に襲われる肺気腫になったり、

どんなにお金があっても健康であった身体を失うと、

それもまた人生の更なる挑戦。

成功っていえるのかな?地位もあってお金もあるけど身体が病に侵された際って。


逆に、病気になったら成功できない?

障害があるから可能性もない?

お金がない、貯蓄もない、家も車もないから人生に成功しなかったのか?

それって誰が決めたのかな?


人生に成功したい!と思ったことがなく

ただただ目の前のことを

高い山があるから登ってその先には何があるのか挑戦したい!と

淡々と全力でやってきただけだからか

一体そういう他の人たちのいう

『成功』という言葉を耳にすると、

それが幸せをもたらすとでも思っているのかな?と疑いたくなる。

社会的地位が上になればなるほど、

誰にも言えないストレスや葛藤は出るだろうし

責任感もある上に、もし社長などのなれば

きっと会社全体の将来を抱えていくことになる。

もし大学の教授になれば、永久に教授のポジションをとれるまでは

きっと競争も多々あるだろう。

傍からみたら「成功した人」と思われるかもしれない社会的な地位の裏では

その当本人が幸せかどうかは怪しいところ。

きっと私も成功したいと思っていたら、

こんなにも失敗ばかりの生き方をしていたら嫌気がさしていたと思う。

たぶんもっと中学高校の頃からアグレッシブに挑戦していたかな?笑

今までの生き方ももっと効率よくいこうとそれに専念していたかもしれない。

でも、あまり成功だとか失敗だとか考えないで

何をやっていると楽しいか、生き甲斐になるか、情熱をもってできるか、が

人生の質を上げてくれるのだと思う。

だから失敗しても平気。

なぜならその先にまたチャレンジすればいい という気構えがあるから。

失敗するとそこから学ぶことも結構ある。

転んでもそのただでは起きないくらいな根性も必要。

きっとプライドがあって、成功を強く誓っている人には

理解ができない考えかもしれない。

でも気張って、頑張って頑張って頑張っていると、ある時、

張り詰めたゴムがパッツリと切れてしまうと思う。

社会的地位を保持している人たちに出会ってみても、

鬱になっている人も少なからずいる。

まぁ人生いろいろあるよね、と面白いことをみつけながら

気長に一日に一回は何らかの Appreciation 感謝できるものがあると

また人生も違ってみるのではないかなって思っている。

他人がどうこう思ったり言おうとも、

自分の思い方、捉え方が一番大事な気がする。

会話の後に ふつふつと感じたことを書いてみました。

「人生の成功」って別に何等かのObjective Data客観的なデータがあるわけでもなく

(あったとしても、それは人間が決めたこと)

主観的なものだよなぁと ふと思ったのでした。

明日がやってくる保証はなく、

人生一生安定ってこともなく、

精一杯いろいろあっても 1日1日を 泣いても笑っても

とにかく経験していきながら 生き抜くだけでも 儲けものだと思っております。

今、絶頂な人だって、来年にはどうなるかわからない。

今、不幸のどん底でも、来年にはどうなるかわからない。

だから他人と比べて「成功」うんぬんより

自分を褒めていくことも大事な気がしました。

でないと幸せな気持ちになれないので。

時々 私も忘れかけるのですが、自分を大切にしていこうと思います。

いよいよ明日から朝5時起きの日々!





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今年中にどうしても、

自分の中で看護学修士 (MSN) 時代に書き上げた卒業論文を

何等かの形にしたかった。

しかしながら、最初に意気込んで投稿してみた

学会からの返事は残念ながらなかった。

ゆえにダメだったんだなぁとしょんぼり。

その時の記事です


しかし、落ち込んでいても仕方がないので

次なる適した学会があるか探して再度挑んでみることにした。

卒論とは別のものであったため、一から調べて書き上げていったのだけれど、

そしたら今度はそのアップデートするシステムがうまく起動してなくて

何度も事務の人とメールのやり取りはしたものの、

結局、悲しいことに最終日にどうしても用事があって、

学会への応募に時間を割けていられず

気づけば締め切りが終わっていた。

主催者の方に締め切りよりも早い段階で

直接メールで要旨を送ったのだけれど、スルーされてしまった。

まぁそんなものなのかなと現実を受け止め、

2回目もうまくいかず。

思い通りに何でもなるわけないよな、と ただただ受け入れた。

いつもなら、もっと必死になって連絡を取り合って

なんとか持ち込む勢いもなきにしもあらずであるものの

もし採用されたとなれば、

私が通っていた大学院の倫理委員会などとの

細かなやり取りに時間がかかるのが面倒だと思ったため

まぁいっかな、と思ってしまったのも事実。

それでは 今度こそ 3度目の正直


おそらく執念が通じたのか

ちょうどいいタイミングで別の学会の情報にも目が行き、

じゃあ今度はここに出してみようと

最後の頼みの思いで応募してみた。

これが通らなければ、来年の初めにまた開始すればいいだけのこと。

なぜかわからないけれど、正直、きっと通るかも、という印象があった。

きっと自分のテーマと合うなと思ったから。

そしたら、厳しく 訂正を指摘されたものの、

なんとか採用してもらえることになった。


そうこうしている内に、なんと一番最初に応募した学会から連絡があり、

採用決定との連絡が来た。

連絡がコロナとは言え、こんなにも遅いものなのか。

そしたら2週間くらいして、今度は

「今回はやはりコロナ渦中で状況が悪くなってきたため、

 ホテルの会場を貸し切ってのカンファレンスは不可能、

 今回はオンラインに移行はしない」

とのことで

「またのご応募をお待ちしてます」

との連絡が来た。

正直ホッとした。


看護学修士のレベルであるため、

博士PhDのような最初から自分でデータを生む出すレベルではなく

現在博士課程で勉強をしている友達たちの話をきくと、

本当に研究の深さが違うんだなと感じた。

相当好きでないと博士課程にはなかなか進めないのだろう。

ぼやぼやしている暇はなく、いよいよ今週が提出期限。

たしか復員軍人の日(ベテランの日と言います)は休日で、

それが今週の水曜日11月11日。

って明日でした。

まぁ結構作り上げてきたから、最終確認って段階ではあるんですけど

気を抜かずやっていきます。


最後に、

Coco

スーパーにはいたるところにココナッツオイルが。

私はココナッツオイルは身体にいいものだとずっと思っていたのですが。

しかしアメリカの看護大学に入るのに必須だった栄養学の勉強を

Community Collegeで取ったことがあるのですが、

その時にかなり衝撃を受けたので今でも覚えているのですが

先生がココナッツオイルは取りすぎると

身体にはよくないと先生が言っておりました。

なぜか?

このハーバード大学の記事がわかりやすく説明されております。


ココナッツオイルはSaturated Fat(飽和脂肪酸)といって

悪玉コレステロール(LDL)を上げます。

栄養学の先生が言っていたのは、

部屋の温度に置いた時に、それぞれの油の状態を見て、

それが身体にいいかどうかわかると話していました。

つまりココナッツオイルやラード、バターは常温でも固いまま。

逆にキャノーラ油やオリーブオイルなどは常温でも液体のまま。

液体のままである油の方が身体にはいいのですが、

それもまた加熱すると別問題なんですけどね。

きっと度が過ぎない摂取であればいいのかと、個人的には思っております。




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今日は内分泌系の勉強。

問題も全てではないけれど、そこそこ数をこなせた。

勉強だけ出来たらいいのだけれど、他にもやることが。。。

一日が24時間では足りない。

焦っても仕方ないので明日もコツコツ頑張ろう。


先日、珍しくて食べたことのない、

セールになっていた ヨーグルトをみつけて、

それと トレーダージョーズのドライフルーツとナッツを朝昼兼用で混ぜて食べた。

あとはコーヒー1杯と水は1.5リットル飲んだ。
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ニュースを見るといろいろなことが起こっていて

本当にこの世の中はどうなってしまったのか、

地球温暖化がいたるところで発生していることが懸念される。

フロリダ上陸し始めているハリケーン@サリーに備えてビーチは閉鎖し、

ルイジアナはハリケーンで道路が水浸しになり始めている。


画像の最初はフロリダのビーチ、

そして 0’40”くらいからルイジアナの映像になっている。



今週が勝負。カテゴリー2のハリケーン。



一方でワシントン州、オレゴン州、カリフォルニア州は

今でも山火事で空気の質は最悪な状態だそうである。

この度は画像に出てくる消防士さん曰く、

消防士不足本当ならあと800人から1000人は必要だとのこと。

現在はその他半分足らずで消火にも難航の様子。



異常気象は、アメリカにいても目まぐるしくなっていることがわかる。

大変だけど、それぞれが投げやりにならないでやっていくのみ。

卑下したくなる上に、この先の不安はあるけれど、

こうした時ほど、感情的になるよりは冷静さが必要と言えよう。




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ホームレスを見たら、

いろんなネガティブなイメージが浮かんでくる人もいると思う。

仕事を失い、住む場所を失い、ホームレスになった人。

精神疾患を病んており、ホームレスになった人。

離婚して、貯金や職歴もないため、ホームレスになった人。

もと軍人の方で、

今でも兵士時代のトラウマ(PTSD:Post Traumatic Stress Disorder)が

影響して社会に適応できなくて、ホームレスになった人。

何等かの形で障害をもち、金銭的な困難もあり、ホームレスになった人。

アルコールやドラッグ中毒で

仕事や私生活のバランスが崩れ、ホームレスになった人。


結果的にはホームレスという状況になったとしても

生まれて来たときには 誰もが 何も社会のことを知らないで、

ただただ無邪気に生まれて来た赤ん坊だった。


ホームレスになる過程にもいろんなことがあってのもの。

結果的にはそうなっていったけれど、

それを「汚い」「社会の敗北者」「怠慢」などと言う人を見ると、

どれだけホームレスの人たちと関わったことがあって、

その人たちのことを知っているのかと問いたくなる。

いろんな事情があってなったのだと思うから。

きっと誰もなりたくないけど、

そうせざるをえないものがあったのかもしれない。

それが本人のせいでもあれば、

そうでない予測不可能な事態ゆえに

突然の出来事からなったのかもしれない。

特に、この新型コロナの後から、

ホームレスの人たちが増えている社会問題が挙げられている。


Community Collegeに通っていた頃、

学校のクラブ活動でボランティアをするグループに入っていた。

ノルマは 毎学期、最低何時間はボランティアをする、と決まっていた。

そしてミーティングにも出ること、何か係りをすること、

ソーシャルイベントにも参加することなどが課された。


ある時、このクラブ活動のメンバーである

ビジネス専攻の女の子と、

一緒にホームレスセンターでスープを配る係りになった。

その子はボランティアは成績表にHonorとつくためにやっているものであり

非常に割り切っていて、

「こんな奴らは ただただ怠慢なだけで

 何もしなくても国がなんとかしてくれると思っている税金泥棒だ」

と憤っていた。

このホームレスセンターで、スープやパン、洋服などを配布し、

かつ、持ち帰ってもどこでも食べられるクラッカーやパン、果物、

ジュースに缶づめなども、支給されていた。

スープを配り終わり、全て並んでいたホームレスの人たちが

テーブルまでトレーを持って行き、

席について各々が配布された食べ物を食べていた。

このために、朝から待っていた小さな子供などもいた。

親子でホームレスなんだなぁ、と心が痛んだ。


このテーブルで食べていた

ホームレスの人たちは結構フレンドリーな人がいて、

「良かったら君も ここに座ったら」と話してくれる人がいた。

ビジネス専攻の子は顔が困惑していたものの、まぁ座ってみるか、

となり 少し話すことになった。

ホームレスの人たちって自分が生きていくことで必死だから、

あまりお礼など言わないのかと思っていたら、その人は、

私たちの協力があってありがたいと言ってくれた。

また、別のホームレスの方は上から下までしっかりとスーツで決めており

腕時計を見ては時間を気にして、

まるでこれから就職活動の面接か、仕事にでも行くようだった。

彼は まだ働き盛りの年齢層といえる男性だった。

配布された食べ物を食べた後に、何かお祈りのようなしぐさをして、

笑顔でホームレスセンターを出ていった。


私はこうしたホームレスの人たちと実際に対面してみて、

ホームレスって永遠にホームレスではないんだな、と知った。

そして全ての人がやる気もなく、人生は終わった、と でも思っている

精神的に不安定で 暴力的かつ攻撃的な人たちばかりではないこともわかった。

もちろん、常に気を張っておく必要はあると思うけれど、

でも何もしていないのに攻撃的にするのもおかしな話だと思う。

時々ニュースではホームレスだからという理由で殺害する人もいる。

一方でホームレスが事件を起こすこともある。


このボランティアの経験は より今までみてきた世界の見方を一気に変えるきっかけとなった。

日本にいた時には思ってもみなかった、捉え方、感じ方を

直接ホームレスのひとたちと関わることで教えてもらったと思っている。

それ以来、ホームレスの人たちを見ると、一体どうしてこういった結果になったのかな?と

最初からレッテルを付けて人を見ることがなくなった。

何はともあれ、いろんな事情が人にはあるもの。


実習でもホームレスの人たちと関わることはあった。

非常に無力感に感じたのは、どんなに皮膚の発疹があり、掻痒感があっても

もともとの衛生面が保てない、食べ物も、

考えてバラスよくなんて食べられるわけもないという現実を目の当たりにした。

彼らの中には、本当に精神疾患、特に 鬱になっていたり、

もともとの持病である統合失調症があったりなど、

いろんな因子があってのホームレスな状況を知り、

これはNPとして働くにしても 一人では

ほんの微々たることしかお手伝いすることができない、と感じた。


もちろん、それでも「汚いし臭いし、近づきたくない」という人たちも いるのはわかっている。

それでも、そんな強い意見があったとしても、

全ての人が永遠にホームレスなわけではなく、

一時的に選択肢がなくて、仕方なく そうなっていることもある、

ことをお伝えできたらと思っている。


統計学的にも、意外と退役軍人の人たちにもホームレスって多いのが事実。

国のためと思って戦場に行ったり、犠牲を負ってでも使命を果たしてきたのに、

そのPTSDが後から出てきて、仕事に行けなかったり、アルコール依存症、

ドラッグ中毒になるくらい何かに依存しないと自分のことを守れない人たちもいる。

人って本当に精神と身体が一体になっているのがわかる。


今日は上記でもご紹介した精神科を中心に勉強をした。

どうやって精神疾患(MMSE: Folstein Mini-Mental Status Exam) etc の

スクリーニングをしていくか、

また、診断名と、検査オーダー、薬品の選定、副作用、治療計画などなど。


最後に、

ミッシェルはダンサーである母親が 癌の診断を受けてから家を失い、

ホームレスとなり、高校生活はずっとホームレスのシェルターで生活をしていた。

しかし、優秀な成績を保ち、

ハーバード大学に入学し、1年生と終えたところだそうである。


人の可能性は諦めないでまっすぐとした揺るぎないものがあれば、

どこまでも無限であると感じる

You Tube:  Homeless to Harvard:ティーンエージャーが語る




 長文を読んで下さりありがとうございました。


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