2008年05月30日

第24回 ゲスト:直枝政広

<お詫び>

「招かれざる客」は、3回分お休みさせていただきました。

ただ単に忙しかった、という理由だけではなく、
敬愛する直枝さんの言葉がどれも素晴らしく、それに応えられるだけのキャパが自分の中に探し出せずにいたのでした。
いろいろ悩みながら、3ヶ月もかかってしまいましたが、なんとか完成することができました。

待っていてくれた皆さん、そして直枝さん、ご迷惑をおかけしました。
次回からはきちんと毎月25日掲載していきますので、よろしくお願いいたします。


神森徹也


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さて。
この企画も、今回でなんと24回目!
なんと2周年年。
とっても感慨深いです。
思えばあんなこと、こんなこと、ありました。

今回のゲストは、過去の連載で2人のゲストから(堂島孝平君と中村ケンゴさん)、それぞれお薦めしてもらった、敬愛するバンドのヴォーカリスト。
感激です。

毎回毎回、ゲストに出演を頼むときは、「本当に、こんな企画に出演してもらえるのだろうか?」と不安でいっぱいなのですが、皆、いつも快く引き受けてくださって、そして真面目に参加していただき、感謝してもしきれません。

今回のゲストも、僕の中では雲の上の人なので、恐る恐るメールをしてみたのですが、気さくに引き受けてくださいました。
本当、何でも言ってみるものですね(笑)
一歩踏み出す勇気、ですよ!

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「神森君の音楽は昔から知っていますよ。かなりギターが弾ける人なんだな、って思っていました。」と、最高に嬉しい言葉をかけてくれた、今回のゲストは‥


直枝政広












直枝政広



1983年、カーネーションを結成。
1984年、シングル「夜の煙突」でレコード・デビュー。
以降、数度のメンバーチェンジを経ながら、数多くの傑作アルバムをリリース。


「存在感のある言葉」
「美しいメロディ」
「斬新なサウンド」
それらが絶妙なバランスで混ざり合い生み出される氏の曲は、一度聴いたら忘れられない。そして何度聴いても新しい発見がある。
憧れの先輩であり、(勝手ながら)密かに共感していた人である。

音楽愛聴家としても有名である直枝氏だが、その膨大な知識を駆使して、いろいろな音楽の要素を足していくようなポスト・モダン的な曲作りではなく、不器用で熱のある、かつ洗練された曲作りが、大好きだ。


バンド・マンでありながらも、シンガー・ソング・ライターでもある、最強の音楽家だ。



そんな直枝氏のお薦め3枚は‥


SandyDenny










○Sandy Denny「The North Star Grassman and The Ravens」(1971)



■直枝

サンディー・デニーがフェアポート・コンヴェンション(Fairport Convention)から飛び出して作った最初のアルバム。
ロックを通過した電化トラッドを追求した研究家的佇まいがフェアポート・コンヴェンションだったとすれば、このソロ・アルバムは当時、時代とともに内省に向った若者たちの心情にも通じていたであろうリアルなSSW(シンガー・ソング・ライター)のアルバム。

女性的な感覚のしなやかさと独特のロンサム感をうまく幻想的に表現する人だよ。
歌詞は非常に抽象的だったりするけど、断崖から広い海をただ眺めているような曲の世界がなんたっていいんだ。でも、これは危険な音楽のひとつだね。
気持ちが入るが故に、深くて痛くてね。女性的な強さや弱さが、全部(曲に)出てるっていうか。
自ら意識せずとも、サンディはそういうのがついつい出ちゃうタイプで、男性や恋愛に対する依存心がすごく強いんだとも思いますね。
そこが逆に歌の強さに繋がるという魅力がある。気持ちの揺れ動きの捕まえ方というか感情の動きかたが尋常じゃないっていうか。

彼女はその後、アル中になって、まぁ、男のこととかいろいろ理由があるんですけれど、それで酔っぱらって階段から落っこちて、その怪我がもとで亡くなったんだよ。
彼女の人生について考えることはあまりにもヘヴィなので、俺はもう語るのを止めようと思ってたんですけどね。
でも、これは一応、神森君には紹介しておこうと思ってね。


女性ってほら、手が小さいじゃない?おそらく男性より。
だから彼女はギターではオープン・チューニングにしてみたり、独特な押さえ方をするんだよね。指使いをはしょってはしょって、神秘的な音を探しちゃう感じがあって。
とにかく彼女の押さえるコードの響きは不思議な感じがしますね。
俺も手が小さいんです、実は。だからその案配はよく分かる。

「レイト・ノヴェンバー」と「ネクスト・タイム・アラウンド」、この2曲に人生変えられたっていう感じがしますね。
本当にいい音楽のひとつだなって思います。


■神森

なんて強い音楽なんだろう、しかしそれと同じくらい、なんて繊細な音楽なんだろう。
強いんだけど、優しくてどこか儚い彼女の歌声。
ジョアン・ジルベルトを初めて聴いたときの感覚に近い。

声を張り上げる、とか奇をてらった歌い方、とかでは全然なく、それでいてこの存在感。
心と声が、繋がっている感じ。
自分を偽ることなく、たくさんの人の心に訴えかける歌が歌えるなんて、すごいことだ。


歌がうまい、って正確なメロディを正確なリズムで歌えることを指すことが多いが、そうだとしたら歌がうまいだけでは意味がない。
誰にでも、その人にあった声質というものがある。声の音量や音程、音色など。それを活かさなければ良い歌は歌えない。誰かの物真似では自分の表現はできないのだ。
それから歌うモチベーション。歌うことに特別な「何か」を感じていなければ、こちらも「何か」を感じることはない。
彼女は自分の声を素晴らしい技術で、心で表現している。


それから美しくて儚いメロディや、ストリングスやスライド・ギターなどを駆使した洗練された暖かいサウンドなど、楽曲の完成度も非常に高い。
リチャード・トンプソン(Richard Thompson)のブルージーでファンキーでドラマチックなギターも素晴らしい。

Sandy Dennyは某大型CDショップでは、POPSやROCKが置かれているコーナーとは階が違う、「British Trad(ブリティッシュ・トラッド)」というコーナーに置かれてある。
本当、ジャンル分けって虚しい。


僕の中学生の時からの愛聴盤である、Led Zeppelinの「IV」というアルバム(「天国への階段」が収録された彼らの代表的なアルバム)の中の、「The Battle Of Evermore」という曲でSandy Dennyがゲスト・ヴォーカルとして参加している。
知らずに、もう20年近く前から、慣れ親しんで声だったとは!





GaryWilson










○Gary Wilson「Mary Had Brown Hair」(2004)



■直枝

宅録もの、ですね。
多少のゲストはいると思うんですけど。
ベックがこの人の70年代の作品を再発見して以来、ガーンと知名度が上がった。

こういう天然の人はうらやましいね。
このアルバムは、2004年なんだけど、それでいても全然上等な感じじゃなくて、本当、カセットMTRでやっているような感じで、この図々しさがなんといってもいいな(笑)。
なんたって誰にも媚びていないし。

グチャグチャしてて、だだらしなくて、でもどこかキュートなんだよね。
アイディアもいちいち笑わせてくれる(笑)
1人遊びの境地だけど、その子供みたいな純度の高い感じがいいよね。
多分、こういう 感覚って神森君も好きだと思うけど。


■神森

こちらはSandy Dennyとうってかわって、奇をてらったことをする人(笑)
いや、正確に言うと、奇をてらったことを「素」でやってしまう人。
そういう意味では、この人も自然体の人、なのかもしれない。
流行の音楽(流行した音楽)と比べると、マイノリティである自分のセンスを慈しみ、自分を取り繕うことも誤魔化すこともなく、自分らしい音楽を作る感じがすごく伝わってくる。


最初聴いたときはペラペラでゴチャゴチャしていて「何これ?!」って感じなんだけど、聴き進めるうちに、とても人懐っこいメロディや、奇妙で可愛らしい音などが、段々心地よくなってきて、アルバムを聴き終わった後、また聴きたくなる、中毒性の高い音楽。
ほとんどの楽器を自身で演奏しているという宅録の人特有の、それぞれの楽器がすごく主張してくるんだけど何故か不思議とまとまっていて気持ちよいアレンジメント。
ずべての音に対する気遣いが感じられる。

アルバムの中の楽曲は、ジャズ、アヴァンギャルド、ヒップ・ホップ、ニュー・ウェイブなど様々な音楽の要素があって、幅広い音楽の知識もあるし、演奏技術も高い。
だから、それなりの曲なんて簡単に作れるのだろうけど、そうしない。いや、「素」で作っているから、そうできない、のかもしれないな(笑)


好き勝手やって、それがたくさんの人に認められるのが一番だが、たいていはそう上手くはいかない。
彼はそれをわかった上で、好き勝手やっているのだろう。それはとても痛快なことだ。
でも、僕はやはり、自分の音楽で、人と繋がっていきたい。
だから自分の内と外で、せめぎあい、悩んでいくのだろう。。






Wilco










○Wilco「Sky Blue Sky」(2007)

『世界的にブレイクを果たしたグラミー賞の名作『ゴースト・イズ・ボーン』以来、3年ぶりのオリジナル・アルバムは、新たなラインアップとなったバンドの充実感を示す、より多彩な音楽性を備えた傑作j!』-CD帯より抜粋-



■直枝

ウィルコはわりと初期の頃からちょこちょこ聴いていて、大好き。共感の連続でね。
根っこが全然違うようでいても、やっぱり同じだったりする。
その気持ち全部が良く分かるなあ、って感じのバンドですね。

世代的にも、大人になる前にあの革命的な60〜70年代を無自覚に過ごしてきた人たちだからね。おそらく、あの時代のロックに対する憧れ方にも独特の距離感があるんだよ。
カタログ的な聴き方じゃなくて、もっとこう子供時代の記憶をほじくるような、無意識を探るようなトリップができる。
ウィルコの人たちはおれと同世代のソニック・ユースやフィッシュより若干若いんだろうけど、その意識の持ち方には独特なこだわりを感じるよ。

このアルバムはここ何作では最高傑作だと思ってる。
音響派のジョン・マッケンタイアーと絡んでやってた頃はちょっとドラッギーすぎちゃって、俺はあんまり好きじゃなかったんだけど。
ようやく、歌が、メロディが戻ってきたなと思って。それと勢いのいいギターのラインも強力。
ありきたりな曲じゃないし、それでいて普遍的な実力も伺えるし。
文句ないよ。


多分神森君は、このリーダーの人にビビッとくると思う。
ギターのタッチとか、ギターの鳴りとか。
ギターを弾いてきた人としての視点が、多分すごく近いと思う。ギター・プレイと歌の関係とか、詩と自分の歌の関係とか。
より密接に楽器と近いところにあったりするから。そこの部分で共鳴するところがまずひとつあると思う。
あとは「ちょっと変だな…」っていう要素ね。
だけど、屈折してるけどアングラに突き進むわけじゃなく、常に世の中に対してメインはってるっていう感じ、そこが堂々としてて素晴らしいところ。

いい音ってこれかなって感じますよ。ウィルコみたいなバンドが理想ですね。


■神森

素晴らしいアルバム!

どの曲も本当に魅力的。
柔らかくて芯の通った歌声、優しくて美しいメロディ、アイデア溢れる確かな演奏技術。

何よりも僕が感動したのは、愛の溢れるアレンジメント。
1曲の中にいろいろな要素が、不思議なほど自然に入っている。
緩やかなギター・ソロから、キメキメのツイン・ギター・リフに突入したり、ビートルズ的なロックン・ロール・フレーズから音響的な優しいギターと歌になったり、唐突なはずの場面展開がまったく嫌味じゃなく、自然で素晴らしい。
不自然を自然に表現できている。
これは頭で考えるだけではできないことだ。
おそらく、バンド・メンバーで何度もリハーサルを重ねて、「これだ」というものに行き着いたのだろう。
音楽の構築美と即興性を兼ね備えた、理想的なロック/ポップス・ミュージックだ。

Wilcoは初期はカントリー調の音楽をやっていたバンドだったらしい。
その後、Jim O'Rourkeに出会い、音響・ポストロック的な音楽を嗜好するバンドに。
そして、それまでに培ってきたいろいろな音楽要素を何一つ捨て去ることなく、それらすべてが融合された、彼らの完成形ともいえるものが、このアルバム。


自分の音楽の可能性を決め付けたくない、可能性のあるものはすべて受け入れたい。
僕はそうやってずっと曲を作り続けてきた。
いろいろな音楽を吸収することによって、人間の複雑な感情を、自分にしかできない方法で表現したい、できる、と。
しかし、そんな気持ちが強すぎると、どうもごちゃごちゃしたトゥーマッチな曲になってしまうことが多い。
そして最近思うのは、やはり「身の丈」なのだと。
無理して何者かになろうとするのではなく、普段の自分を表現できれば、それがその人にしかできない表現なのだ。
その「普段の自分」を充実させていけばよい。
焦らずに、外にも内にも広がっていきたい。

彼らはその見本となるべき存在だ。
しっかり人と向き合い、自分の音楽を作っている。
そこが彼らがグラミー賞を受賞するようなバンドたる所以だと思う。


終わりに------------------------------

インタビューの中で直枝さんは、

『神森君は、自分の音楽が「カウンター」という意識は全然ないでしょ?自分が王道だと思ってるでしょ?
それでいいんだよ。
ある時それが極まってメイン・ストリームになる、そういうつもりでやってればいいんじゃないかな。
俺だって王道のつもりでやってるし。

ただ、今自分がメイン・ストリームだって思ったら面白くなくなっちゃう。
ベスト・テンの1位になる曲だな、とか思った瞬間にそれはそうじゃなくなると思う。
(「自分の王道」と「メイン・ストリーム」は)そういうデリケートな関係性があると思う。

そこを分かってないとバランス崩すな。
ある程度わきまえながら、最上級の自分を出してあげる。
最上級のポップなマナーを見せてあげることで、十分自分の個性ってのは発揮されると思う。
それを敢えて自ら中学生の人にもわかるものに仕上げようと思っちゃ駄目だね。
結果としてそういう風になる時はいつかくる、ということで作っていくのが自然だと思う。』

と、話してくれた。
この言葉に僕はクラクラきてしまった。

最上級の自分、最上級のポップ・マナー。
これは自分を見つめて、人を見つめるということ。
自分がなければ表現なんて虚しい。
自分しかなければただの我がまま・押し付けだ。

「商品を作る」ということは、購買者の購買意欲を満たすもの、つまり人々が買いたくなるモノを1から作るということなわけだが、
「作品を作る」ということは、基本的にはまったくの逆で、製作者の製作意欲を満たすもの、つまり自分が納得するものを1から作るということだ。
だけど、製作者(曲を作る人)だって、もちろん沢山の人に聴いてもらいたいに決まっていて、僕らはいつだって「商品」と「作品」の狭間で苦しむことになる。

「最上級の自分」「最上級のポップ・マナー」、それこそが、この苦しみから抜け出せる答えなのではないか。


今回お薦めしていただいた3枚のアルバム。
この3人(組)の、自分・人との向き合い方はまさに三者三様だった。
ただ愛するものを見つめ、その人に向かって表現する人、
ただ自分を見つめ、自分のためだけに表現する人、
自分も人もきちんと見つめて、表現する人。

良い悪いではなく、僕は音楽を生業にする限りは、自分も人も見つめていきたい。
そうやって人と繋がっていきたい、と切に思う。


直枝さん、どうもありがとうございました


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次回訪問先は‥ ソニック・ユースケ氏 です

みなさんお楽しみに

神森徹也



Posted by manekarezarukamimori at 11:57│Comments(0)TrackBack(0)

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