April 2011

April 30, 2011

 鎌倉昌樹講師(発生生物学 富山県立大学)はミツバチの幼虫を女王バチへと育てるたんぱく質を特定した。
 驚異的な産卵能力を持つ女王バチは海外から輸入している養蜂家も多いため、女王バチを人工的に大量生産することで、養蜂に生かせる可能性があるという。
 
 ミツバチの女王バチと働きバチは同じ遺伝子だが、ローヤルゼリーをエサとして育てられた幼虫だけが女王バチになる。
 働きバチのエサは蜜や花粉。その働きバチが分泌するローヤルゼリーのどの成分が決め手となっているのかは謎だった。

  女王バチへ誘導するたんぱく質「ロイヤラクチン」を発見、これを幼虫に与えると、働きバチに比べ体が1.5倍程度に大きくなったり、卵巣が発達したりして女王バチの特徴を示した。
 ショウジョウバエに与えると体が2倍近くに成長、遺伝子として組み込んでも同様の効果があったという。
 
   

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April 29, 2011

ミノア文明
 エーゲ文明のうち、クレタ島で栄えた青銅器文明のこと
 伝説上のミノス王にちなみ、ミノア文明ともよばれる。
 クレタ文明と呼ばれる事もある
 紀元前2000年頃の中期ミノア期に、地中海交易によって発展した。
 クノッソス、マリア、ファイストスなど、島内各地に地域ごとの物資の貯蔵・再分配を行う宮殿が建てられた。宮殿以外にもコモスやパレカストロのような港湾都市が繁栄した。
 また、貿易を通じてエジプトやフェニキアの芸術も流入し、高度な工芸品を生み出した。 

 紀元前1600年頃の後期ミノア期には、各都市国家の中央集権化、階層化が進み、クノッソス、ファイストスが島中央部を、マリアが島東部をそれぞれ支配するに至った。
 木材の大量伐採による自然環境の破壊が文明そのものの衰退化を招き、紀元前1400年ごろにミュケナイのアカイア人がクレタ島に侵入、略奪されクレタ文明は崩壊した。
 
   

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April 28, 2011

 エーゲ文明のうち、紀元前1450年頃、ペロポネソス半島のミケーネを中心としたアルゴリス地方で栄えた青銅器文明のこと。
 ミノア文明と同じく地中海交易によって発展した。
 ミノア文明との貿易を通じて芸術などを流入し、勢力を拡大させたのちクレタ島に侵攻、征服したと考えられる。
 
  
 

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April 27, 2011

 ウェルキンゲトリクス
   Vercingetorix
   (紀元前72年 - 紀元前46年)
 ガリア地方(現在のフランス)に住むケルト人(ガリア人)の一部族
    アルウェルニ族
の出身で、古代ローマのガイウス・ユリウス・カエサルのガリア遠征に対して抵抗した人物
 フランス最初の英雄と称されヴェルキンゲトリクス、ヴェルチンジェトリクスとも表記される。
 
 ローマの属州として、高率の貢納を求められ、それまで統率の執れていなかったガリア諸部族をまとめ上げて対ローマ統一部隊を組織すると、初期の戦闘ではガリア各地でゲリラ戦やローマ軍の兵站線の寸断、焦土作戦などを展開したものの、後退するローマ軍を追って攻撃を仕掛けたが、戦略的な誤りから、最後にはガリアの都市アレシア(現在のディジョンに近い地域)に追い詰められ、ローマ軍に土塁・壕・墓標・百合・刺を設けた。外周部の土塁の総延長21キロメートルで包囲され2重の囲いを構築されて兵糧攻めにあった。
 
 突破作戦を決行するも失敗し、部下達の保全を条件についに降伏、投降した。
 その後、ローマへと送られ、6年間トゥッリアヌムに投獄された後、カエサルの凱旋式が行われた際に処刑された。

 
 

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April 26, 2011

グリゴリー・ミハイロヴィチ・セミョーノフ
   Семёнов, Григорий Михайлович
  (1890年9月13日 −1946年8月30日)
 ロシア革命当時ザバイカル・コサックの統領(アタマン)
 日本軍参謀本部によって、反革命勢力の軍事指揮官に擁立された。
 
 東シベリアのザバイカル州クランツカでコサックの父とブリヤート人の母の間に生まれた。
 第一ウェルフネウディンスク連隊に入隊し、外蒙国境警備の任についた。
 1914年、第一次世界大戦では
   第一ネルチンスク連隊
の一員として東部戦線へ出征した。
 大尉として第三ウェルフネウディンスク連隊でペルシャ戦線に戦っている時に二月革命が起こった。
 1918年9月、イギリスに擁立されたコルチャークにより、オムスクに全ロシア臨時政府が成立、ザバイカルの統治権限を受けた。
 ただ、粗暴で専制的な素行と両者の戦略や思想の食い違い、海外政府の思惑の影響から軍事作戦面での協力が整わなかった。

 赤軍に押されてオムスク政府が崩壊する際、500トンとも言われる帝政ロシア中央銀行の金塊の一部を入手して日本の朝鮮銀行に輸送した。
 続いて列国のシベリア撤退に伴い日本軍の後ろ楯を失い失脚し、1921年にウラジオストクを脱出した。
 1945年8月、日本の関東軍支配下にあった満州ではロシア軍が侵攻し、大連にいたセミョーノフは赤軍に捕縛され、翌年8月モスクワで国家財産略取の名目で絞首刑を執行された。
 
 

manekinecco at 03:53トラックバック(0)よもやまばなし  このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

April 25, 2011

アレクサンドル・ヴァシーリエヴィチ・コルチャーク
    Александр Васильевич Колчак
  (1873年11月4日 −1920年2月7日)
 ロシア帝国の軍人・政治家 白軍(白衛軍)の総司令官
 サンクトペテルブルクの海軍軍人の家に生まれた。
 
 海軍幼年学校を次席で卒業、1894年、海軍尉官補となり、一等装甲巡洋艦「リューリク」に配属された。1896年末には、二等巡洋艦「クレーイセル」の当直士官に任命された。 

 日露戦争開戦時、艦隊装甲艦「ペトロパヴロフスク」の指揮を任命されたが断り、優速の一等防護巡洋艦「アスコーリト」への任官を志願した。
 ペトロパヴロフスクは日本海軍の敷設した機雷に触れて沈没している。
 その後、水雷艇セルジートィイの艦長として旅順防衛に参加、敷設した機雷で日本海軍の防護巡洋艦「高砂」を撃沈、聖アンナ勲章を受けた。
 旅順開城後により捕虜となり、長崎の捕虜収容所に収容された。

 海軍参謀本部に入り、戦後壊滅した海軍の再建に尽力した。
 第一次世界大戦勃発時には、艦隊水雷艇「ポグラニーチュニク」の指揮を取った。
 1915年2月にはフィンランド湾の機雷作戦を指揮して成功、1914年から1915年の間に、コルチャークの指揮した機雷戦にて4 隻のドイツ帝国の巡洋艦と8 隻の駆逐艦、11 隻の輸送艦を沈めた。
 1916年海軍中将として黒海艦隊司令長官に任命された。
 
 二月革命後、帝政派から臨時政府派となり、十月革命の勃発時には、2ケ月半日本に滞在した。この間日本軍部、イギリス政府と接触している。

 イギリスの後援でオムスクに樹立された反ボリシェヴィキ政府の陸海軍大臣となったが直後にクーデターを起こして政権を奪い、ウラル以東のほぼ全域に軍事独裁体制を敷いた。 

 1919年末までにオムスク政権は事実上崩壊したため、シベリアへ逃亡を図るが追いつかれ、味方であるチェコ軍団に裏切られて赤軍へ引き渡された。
 赤軍のイルクーツクの軍事革命委員会により、1920年2月7日、アンガラ川のほとりで銃殺された。
 
   

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April 24, 2011

アントーン・イヴァーノヴィチ・デニーキン
   Антон Иванович Деникин
  (1872年12月16日−1947年8月8日)
 ロシア帝国の軍人
 アレクサンドル・コルチャークやグリゴリー・セミョーノフらと共に白軍の指揮官の一人として知られる。

 ワルシャワ郊外で生まれ、1899年、ロシア帝国の参謀本部アカデミーを卒業、ロシア帝国軍として日露戦争に従軍した。

 第一次世界大戦時は、南部軍の師団を指揮し1916年には中将となった。
 1917年夏、ロシア革命後に旧ロシア帝国領を統治していた臨時政府に対する
   コルニーロフの反乱
に参加、この反乱が失敗したことにより逮捕された。

 同年12月に刑務所を脱走し、ドン地方で義勇軍を組織、これ以降赤軍に対抗する勢力を形成した。
 一時、連合国の支援も取り付け、ボリシェヴィキー勢力の首府モスクワをも窺う勢いを確保した。

 ウクライナやポーランドの独立を完全に否定したことから、それらの勢力との共同戦線を形成できないまま各勢力は赤軍に個別撃破された。
 1919年にはドン軍との合同により南ロシア軍を組織したものの、白軍の劣勢を挽回することが出来ずにデニーキンは1920年春にイギリス海軍の戦艦「マールバラ」に乗りパリへ脱出亡命した。

 なお、第二次世界大戦中、反ソ勢力の指導者の候補としてドイツ側から接触を受けたが拒否した。
 終戦後、アメリカに移住している。
  
   

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April 23, 2011

カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム
       Carl Gustaf Emil Mannerheim
   (1867年6月4日 −1951年1月27日)
 フィンランド大公国 男爵
  
 ドイツ人の実務家でハンブルクの工場経営者
    ハインリッヒ・マーヘイム(1618年–1667年)
がもととされる。
 ハインリッヒはスウェーデンのイェヴレへ移住、息子のオーガスティンとヨハンは事業等に成功し、とともに1768年に男爵の地位まで上がった。
 マンネルハイム家がフィンランドに移ったのは18世紀で、曽祖父の
   カール・エリック・マンネルハイム
          (Carl Erik Mannerheim)
はロシア帝国に半分自治を認められていたフィンランド大公国で市民軍の将校となり、議会議員になった。
 エリックは1825年に伯爵の称号を得ている。
 
 父親は劇作家のカール・ロベルト・マンネルハイム伯爵(Carl Robert Mannerheim)であり、母はフィスカース鉄器を営んでいた生産業者
   ヨハン・ヤコブ・フォン・ユーリン
          (Johan Jacob von Julin)
の娘ヘドウィグ・シャルロッタ・ヘリナ・フォン・ユーリン(Hedvig Charlotta Helena von Julin)で三男として生まれた。
 
 カールはロシア帝国軍に入隊し、日露戦争などで実績を積み将軍となった。
 第一次世界大戦中、フィンランドが独立すると、その後の混乱から起こったフィンランド内戦で軍を任され、白衛軍の司令官となった。
 第二次大戦突入前の情勢不安の中で先の実績を買われてフィンランドの国防委員長となり、軍の装備の更新などに力を入れた。
 その後、ソ連との戦争である冬戦争、継続戦争においては最高司令官となりフィンランドの防衛を行った。
 また、政治家として、継続戦争で戦況悪化とナチスとの同盟の責任から大統領を辞したリスト・リュティを継いで、1944年から1946年にかけて第6代大統領となった。
 難しいソ連との講和を成し遂げ、フィンランドの独立を保った。
 
   

  

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April 22, 2011

ペレコープ=チョーンガル作戦
 ロシア内戦の最終局面において赤軍が実施した軍事作戦
 ミハイル・フルンゼ将軍率いる南部戦線によって1920年11月7日から1920年11月17日にかけて実施された。
 この作戦の結果、クリミア半島に立て籠もっていた
    ピョートル・ヴラーンゲリ将軍
率いるロシア軍が撃破され、白軍は最終的な敗北を喫することとなった。
 なお、赤軍も甚大な被害を受け、その死者数は20万人に達したとされる。
  

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April 21, 2011

白軍
 (ビェーラヤ・アールミヤ)
 1917年以降のロシア革命期における革命側の赤軍に対する反革命側の軍隊の総称 

 ボリシェヴィキによる「十月革命」に反対する勢力で、ロシア内戦において赤軍と戦闘を繰り広げた。
 反ボリシェヴィキ革命に対する牙城として英仏などが支援しており、白軍の内訳は旧ロシア帝国軍、白軍派コサック軍から成り、共和制派が多く、各地に共和国を建国した。
 クリミア半島において1920年11月
   ペレコープ=チョーンガル作戦
で赤軍に破れ、多くの兵・市民がフランス、アメリカ合衆国などへ亡命した。
 このときの亡命艦隊はロシア艦隊と呼ばれ、1930年代までフランスに抑留されていたことで知られる。
 
 

 

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