戦争を語るブログ

平和を愛し、いさかい好む

ライトノベル「アレが見えるの」六の1


 御影はそのまま向きを変え、バタバタバタと遠くへ逃げてしまった。
 あとには御影のお父さんと悲鳴に驚いて集まった家族や教団の人々、そして僕が残された。
「御影の奴、なんて挨拶の仕方だ」
 黒石支部長は若い訪問客の手前、いましがた自分の娘が見せた礼を失するような振る舞いを笑ってとりなした。
「はっはっは。きっと学校の友だちがいきなり自分の家に来てたもんだからビックリしたんでしょう。しかし男の子がいるからって、あんな恥ずかしがって奥に引っ込んじゃうとは。あいつもお年頃なんだな。はっはっは」
 みんなもつられて笑った。御影の異常な反応は、そういうわけかということで受理された。

 このおじさんの鈍感ぶり、わかった気がする。父親だったら娘が悲鳴をあげて逃げたとき、顔赤らめたか顔面蒼白だったか見分けられそうなもんだが。
 まあ無理もないか。黒石氏には御影とちがって、僕の周囲にいる幽霊が見えないんだから。

 ところで、悲鳴がきっかけでその場に揃った御影以外の教団支部の人々――これから始まる夕刻の祈祷のため礼拝室に来てた――は僕という新入りに、もう少し丁寧なかたちで歓迎の意思表示をしてくれた。
 人数は二十人ばかり、市井の人々とあまり見分けのつかない感じ。年取った人が多い。数少ない若年者には、僕に教団と御影のことをいろいろティーチしてくれた御影の友だちの志摩敦子もいて、とりわけ嬉しそうだった。新しく入信者を連れてくると教団でのポイントが上がるのかな。

「さて。そろそろ夕べの祈祷の時間だ」
 ここで、黒石氏は立ち上がった。
「体験礼拝をご希望だったね。これから礼拝室で、実際に儀式をエンジョイしてもらおうか」
 そうだった。ここに来た表向きの名目が「体験礼拝」のためだった。本来の目的がいきなり現われ、しかも悲鳴をあげて逃げてしまったのですっかり忘れてた。
 僕は喜んでという反応を示し、黒石支部長や他の人々とともに礼拝室に向かった。

 礼拝室といっても、奥に通される前に通過したところで、店舗だった建物の店の間取りをそっくり転用したものだから、土間のような空間に三十脚程度の折りたたみ椅子が祭壇に向けて並べられた程度の場所だ。
 しかもその祭壇たるや、インド的というか神道的というかなんとも名状しがたい様式の、ゴチャゴチャと飾り立てられた教壇のような場所だった。上方に教祖ボジャイ様の肖像写真が掲げてあるが、威厳とか霊験とかはあまり感じない。ちょっと名状しがたい、ものすごい濃い顔をした人物で、宗教家というより芸人としてのほうがよほど通用しそうだ。

 信者たちはほとんど顔見知りの間柄で、馴れ合ってるようだった。僕と面識があるのは同級生で御影の友だちの志摩敦子だけだ。その敦子は、一緒にいた母親になにか告げ、僕のすわった隣りに席を移してきた。お祈りのやり方を指南してくれるという。

 さて。
 礼拝が始まるのは午後六時からというが、時計の針は時刻を過ぎてた。
 すでに礼拝室にはあらかたの信者が揃ってるのに、思ったとおり御影の姿が見当たらない。
 その理由がどうしてかは僕にはあきらかだった。彼女は僕の出席する今晩の礼拝には出てこないつもりかもしれない。

「御影ちゃん、どうしたの? 来ないと始まんないじゃない」
 信者たちの口々にいぶかる声。御影は祈りの文句を朗誦する役なので、いないと礼拝が執りおこなえないらしい。

 黒石氏は離れた席にいる奥さんを、「呼んでこい」という風に、顎でうながした。
 御影のお母さんが退室し、奥のほうへ消えた。
 しばらくして一人で戻ってくると、支部長に耳元でなにか囁くようにして伝える。
「連れてこい」
 しかし黒石夫人は、夫の耳元でさらに囁いて返した。そうしようとしたけど拒絶されたと言ってる感じだ。
 黒石氏は軽く舌打ちした。
「しょうがないな」
 今度は黒石支部長が立ち上がり、奥のほうへ早歩きで消えていった。
 やがて、父親と娘とでなにか言い合う声、続いて父親が娘を叱るというよりなんだか脅しつけるようなドスの利いた声が奥から聞こえてくる。

 みんな、何事かと聞き耳を立てるうちに、御影が父親から両肩をつかまれ、押されるようにして入ってきた。
 それとわかる、こわばった顔だ。
 祈祷室の中を目線だけですばやく見回し、僕がどこにいるか確かめると――まわりに幽霊が群れてるのですぐわかるらしい――、もうこちらを絶対向かないという確たる意思表示でもするような態度で自分の席にすわった。なに、学校でのいつもの反応ぶりを家の中に持ち越してるだけだ。
 学校のときと違うのは、なぜか僕の隣りにいる志摩敦子を睨め付けるような感じだったことか。
 それにしても黒石支部長は「悪魔も幽霊も、聖殿の入り口に立っただけで退散するさ。はっはっは」と請け合ってみせたけど、あの御影の態度から察するかぎり幽霊の侵入はぜんぜん防げてないんだなあ。

 自分の席に戻った支部長はさきほど娘を脅迫したときとはまるで違う、人の好い声で会衆をうながした。
「お待たせしました、皆さん。さあ、ボジャイ様へのお祈りを始めましょう」
 支部長が音頭を取って、祈祷が始まり、一斉に楽器が鳴り出した。シンバル、鐘、太鼓……それぞれ役割が決まっていて、いずれも古参信者が奏でる。

 しかし、なんたる礼拝だろう。
 けたたましいことは志摩敦子から聞かされてたが、いざ自分がその場に身をおき、臨場感を味わってみると、たまったもんじゃない。まるで夏祭りと葬儀とを一緒にやってるような、厳粛きわまる騒々しさだ。

 カーン、カーン、カーン!
 盛大にシンバルが轟いたあと御影が、おそろしくよく通る声で、祈祷の文句をリードするように読み上げる。
「七難ボジャイ、八苦ダラネーナ」
 これに、信者たちの朗誦が続く。
「七難ボジャイ、八苦ダラネーナ!!」
 御影の単誦。
「何とぞ我らから七難八苦を退け、九死に一命を授けたまえ」
 信者たちの合誦。
「何とぞ我らから七難八苦を退け、九死に一命を授けたまえ!!」
 ピリオドを打つように、鐘と太鼓の音が響く。
 チーン! ポコッ!
 そしてまた、シンバルの連打。
 カーン、カーン、カーン!
「七難ボジャイ、八苦ダラネーナ」
「七難ボジャイ、八苦ダラネーナ!!」
「艱難がどうぞ他所に向かい、我らには至福が訪れますよう」
「艱難がどうぞ他所に向かい、我らには至福が訪れますよう!!」
 チーン! ポコッ!
 こういう調子で延々と繰り返されていく。

 耳栓をしたかったが、それだと嫌味になるだろう。
 やかましいのを懸命にこらえた。吹き出すのをこらえるのはもう必死だった。すぐ隣りの敦子ははじめのうち、慣れた様子で平然としてたけど、僕が失笑すまいとする様子につられるように、何度か口元をゆるめそうになった。あとで聞いたら、通い始めの頃はやっぱり必ず吹き出すので叱られ通しだったとか。もうやめようかと悩んだこともあるという。
 思えば御影は、子供の頃からこの環境でしごき抜かれたんだなあ。

 その御影だが、完璧にはまり役をこなしていた。
 学校での話しぶりでは想像できない、一種独特の貫禄を発揮して、祈りの文句を詩吟でも読み上げるように、音楽的な韻律をつけて滔々と朗誦する。ほんとうにくだらない祈祷文なのに、彼女が読み上げるととても迫力があり、詩文のような響きをもって効果的に耳に迫ってくる。
 礼拝所の面々では目立たない存在としてありながら、実際はオペラのプリ・マドンナのように、場の空気を自分のものにしてるなと感じた。

「御影ちゃん、すごいでしょ」
 傍らの敦子が、僕の関心の向きを察したらしく、同意を求める言葉でこちらに調子を合わせてきた。同調することで同じ位置に立ちたいかのように。
「サマになってるもん。まるで本物のボジャイ様の巫女みたい。あたし入信したのも、御影ちゃんのあの姿に感化されちゃったところがあるのよね。あのおとなしい子があんなに変わっちゃうんだもん。憧れみたいなもの感じたの」
「ボジャイ様の巫女って、なに?」
 敦子はなぜか、話をはぐらかした。






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冒頭固定記事【挿絵募集の件】


「挿絵描きさん大募集」


ぼくの小説のため挿絵を描いてくださる奇特な方
いらっしゃいましたら、ご連絡を。
わけても、麗しい少女の萌え画が得意な方を切望しています。



と、勝手な注文いろいろ並べておきながら。
あとから言うのもなんだけど……。
もしもだよ。
「私でもいいの?」とかで、かなり画力の劣る人に申し出られたりしたら断りづらいんだよね〜。
(他人様の好意を無下にできない性分ゆえ)

ようするに。
「ヘボ絵はいらない。上手な絵だけ使いたい」と、こういうわけです。
ずいぶんと虫がいい話でしょ?

だったら初めっから。
たとえば、こんな水準の絵師さんならご遠慮ください。
         


って条件つければいいかもしれないけど。

現状。
オンライン文芸の界隈って、挿絵を描ける人より挿絵を求める人のほうが圧倒的に数が上回るらしいので。
(だよね?)
かかる需要と供給の関係からいって、あんまり身のほど知らずだと挿絵の申し出なんてどこからもあるわけなかろうし。
まことに、悩みどころなんですよ。

やっぱり、未熟でも自作でいくしかないのかな〜。



とか思ったり。

まあ、「自作」ったってねえ。
今のところ、プロフィール・アイコン程度のものしか描けないんだけどさ。


   






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ライトノベル「アレが見えるの」五の2


 御影の家はさびれきった商店街のような通りにあった。
 ほとんどの店がシャッターを下ろし、昼間なのに行き交う人も少ない。
 どでかいショッピングモールが駅前に出来、客を吸い取られてしまったのだという。
 通りの入り口では「楽園通り商店街」と銘打ってるけど、いまでは誰が呼んだか「霊園通り昇天街」。言い得て妙だ。
 場所は御影の友だちに教えてもらった。「行ってもいい?」なんて本人に訊いたら(訊くのさえ容易じゃない)、「来ないで」と言われるに決まってる。
 だから体験礼拝の名目で、じかに教団支部のほうを訪ねることにしたんだ。
 所在地はもろちん、御影の家と一緒。

 家の前には大きめの看板で、「聖ダラネーナ協会 大野小町一丁目楽園通り支局」。
 いや、立派な建物じゃない。
 木造平屋でありきたりの一軒家。店舗だったのを改装したらしい。

 ここで逡巡してしまった。
 なんだか気恥ずかしく、空恐ろしい。
 まるで恋した少女の家を初めて訪ねるような気分だ。
 あるいは神経科の病棟のような、普通なら行かない場所に足を踏み入れる気持ち。
 まだ遅くない。やめようか。
 でもここで引き返したら、自分につきまとう問題は解消できない。
 この先、幽霊にも風説にも祟られながら過ごすなんて。
 何とかしなければ!
 端緒となることを言い始めた御影に近づけば、糸口が見出せるかもしれないんだ。
 来たのは誰のためでもない、自分のためじゃないか。

 なに、ひとりで行くんじゃない。
 幽霊たちも一緒だ。
 気を取り直して、呼び鈴を押した。
 チン、コーン。
「どなた?」
 か細くかすれた、中年女性の声が応じた。
「守屋護といいます。御影さんの同級生ですが」
 あれ、なんで御影のことを言ってしまったんだ。
 初っ端でとちったぞ。
 御影なんか関係なしで、通りしなに看板を見て興味を惹かれ寄ってみたような振りする気だったのに。

 すーーっと玄関の戸が開き、なんと幽霊が現れた。
 髪はほつれ、青白い相貌の女の幽霊が。痩せた身を白い長衣に包んでいる。
 うわ、ついに僕にまで見えるようになったか。
 御影が言うのは本当だったんだ。
 でもこんなのがとり憑いてるなんて、やだな〜、と思った矢先。
 目の前の幽霊はもの問うような顔で、生体反応を示した。
「御影のお友だち?」
 幽霊じゃなかった、御影のおかあさんだ。
(ふん。ありがちなギャグだ)

「いいえ。幽霊のお友だちです、御影さんに言わせれば」
 そう返そうとしたが、やめておいた。
 まあ広義の意味でお友だちなんだろう、「クラスメート」だからな。
 僕は、これも同級生で御影さんの友だちから聞きました。ダラネーナ教のことを。それでボジャイ様の教えに興味をもって詳しく知りたいと思ったんですと用件を述べるかたちで、相手に通用する嘘をついた。

 話変わるけど。
 ぼくの大叔父さんは、「三十歳より若い者の言うことは信用できねえ」が口癖だった。
 なぜかといえば、「若い奴らは相手が大人と見ると本音を言わず、嘘つくからな」 。
 みずからのおこないに照らせば、これは至言だ。大叔父さんにも若い時があったのだろう。大叔父さんが他の大人と違うのは若かった頃を忘れてないことだ。

 さて。
 とりあえず受け容れてもらえた。
 僕が真面目な好男子に見えるせいもあるが(みんながそう言っている)、教団としては入信者が増えるのは大歓迎のはずだ。
 奥のほうに通された。

 僕は居間兼応接間のような空間で待たされ、やがて支部長たる御影のお父さんと引き合わされた。
 あんな娘がいるとは思えない人物だ。
 表向きは円満で愛想が良く、口先上手。そのうえ損得勘定が巧みで抜け目がない。
 話からすれば、そうとう狂信的なのではと覚悟してたのに。宗教人というより商店主のようだった。
 事実、ダラネーナ教に染まる以前は、文具屋を堅実に経営していた。建物が表玄関を入るといきなり礼拝所でその奥が住居というのは、店舗だった頃の名残りだ。
 要望したとおり、ボジャイ様の教えについていろいろと説明を受けた。
 いろいろと。
 それはもう、得意になって淀みなくしゃべるのを聞かされた。
 普通と異なる場にいるという緊張感はあったが、内容については御影の友だちが言ってたとおり、それもボジャイ様をあくまで褒め上げる立場から聞かされる。
 正直あくびをこらえるのに苦労しながらの一時間だ。
 でも説教が一段落ついた頃には、律儀に耳を傾けながら時おり質問をはさんだりでちゃんと聞いて理解した振りをし続けた僕は、相手からかなり信用を獲得していた。
 とりあえず自分の影響力の圏内に入ったと思ってくれたらしい。

 そのあと、お茶菓子を食べながら入信の準備や自分の身の上についての雑談をするうちに、聞きたくてたまらなかった疑問を差し向けてみた。
「変なこと聞くようですが。この信仰を続けてて、怪異な現象を体験するってありますか? 他人にとり憑いた悪霊が見えるようになるとか」
 はっはっは、と支部長は笑って受けた。
「あり得ない。ここは当教団の聖殿だよ。怪異なものなんか入れるわけがない。悪魔も幽霊も、入り口に立っただけで退散していくさ。はっはっは。恐れることなんか何もないんだよ」
 いや、そういうのが聞きたいんじゃなくて……。あなたがご家族をどの程度わかってるかということなんです。ほんとにご存じないんですか、幽霊の見える娘さんがいることを。娘さんが学校でどんなこと言ってるかも。
 ああ、直裁に訊けないもどかしさ。
 なぜ御影がああなったのか、その答えを得ようと来たようなものなのに。

 そのとき。
 ガラリと玄関の戸が開き、一呼吸おいて、ピシャッとしまる音がした。
 誰かが帰ってきた様子だ。
 たんたんたん……と廊下に軽快な足音を響かせながら、近づいてくる。
「あら、『ただいま』は?」
 御影のお母さんが出迎える声がする。
「ただいま〜。お母さ〜ん、走ってきてのど渇いちゃった〜。冷たいものな〜い?」
 御影の妹だろうか。
 子供っぽい、あまえた声で、おやつをねだっている。
 いや待て、御影に妹はいなかったぞ。
 ついで、母親がこれこれと叱る調子で娘をたしなめる声。
「お行儀よくなさい。学校のお友だち来てますよ」
「ふんふん♪ アッコが?」
「守屋くんという男の子」
 母親がそう言うのと、快活な少女が居間兼応接間に姿を見せるのとはほぼ同時である。
 あれま。
 黒石御影その人だった。
 その瞬間の彼女だが、何事が起きたのか理解できない様子でいた。
 やがて……御影は視界の中の事実、自分の家にあの守屋護がいる、あるはずのないところにあるはずのない存在を認めたのがわかると、待ち伏せでもくらったみたいに、激しく悲鳴を上げた。
 学校ではとんと、こんな反応は示したことない。
 鼓膜をつんざくという形容がぴったりのけたたましさだった。
 ぎゃーーーーっ!

 家中の人が集まってきた。


(続く)






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ライトノベル「アレが見えるの」五の1


 もともとは、黒石御影も普通の子だった。
 御影の家も普通の家だった。
 両親も他の家族もごく普通の人ばかりだった。
 「だった」と過去形を繰り返したのは、今はそうじゃないからだ。

 ある時を境に、御影の世界はどんどん普通から離れていった。
 御影の祖母があの教団に入信したせいで。いや、仏教やキリスト教のほうじゃない。
 聖ダラネーナ教団。
 まだまだ規模は小さい。信者は数百人程度(稲葉高校の一学年分の人数より少ない)、狭い地域に集中してる。御影の家がある周辺だ。たぶん大きな成長は見込めないし、正直ずっと小さいままでいてほしい。知れば知るほどそう思う。
 古代インドが起源とうそぶくが実は最近できたばかり、ボジャイと名乗る聖人だか山師だかを教祖として崇める新興教団、その教えが長年の伴侶を失くし空虚な思いでいた御影の祖母をとらえたのだ。
 ボジャイ様につき従えば、やがて来る艱難から免れる。失くしたものは取り戻し、宿願だったこともかなえてくれる。

 ボジャイ様とは何者か?
 まず経歴からして怪しい。一応は日本人である。小さい頃に宗教者としての素質を見込まれインドの名家に引き取られたという。そうして霊的な英才教育により修行を積み重ねた末ついに悟りの境地に達し、教祖の称号ボジャイを名乗るようになった。
 とにかく並みの日本人とは違う。容姿も、人格も、振る舞いも。
「あの人はインド人に育てられたから、インド人みたいになっちゃったのよ」
 巷のおばさんに言わせればそうなるが、ただしこの言い草は無知もはなはだしい。日本人に育てられて忍者みたいになっちゃったのと同じくらい変なんだ。インドについての理解が、江戸川乱歩の水準で止まってる。
 インド共和国の名誉のため言いたいが、かの国とダラネーナ教団とで文化的な関わりはまったくない。「インドの名家に引き取られた」も作り話に決まってるし、だいたいボジャイ様がインド人に見えるもんじゃない。
 あくまで日本の中だけで通用する変人だ。

 ともあれ、ボジャイ様なる人物の経歴ほど疑わしいものはない。みずから「私は詐欺師でござい」と言ってるに等しい。
 並みの人なら、これはヤバイ、ご利益なんかあるはずないと思うだろう。御影の祖母がまさにそうだったのは最初のうちだけで、いつしかボジャイの教えにはまり込んでしまった。
 どんな存在でも、ちょっと目立つこと、変わったことをすれば感化されていき、神と崇める人まで出るという見本かもしれない。

 しかも怪しいのは経歴だけじゃない、最たるものはその教義だ。
 すべての人を幸福にする方途はない。世の中の不幸の総量は一定であり、人類がこの決められた量の災いから免れる術はない。どうしてもそれだけの不幸や不運を集団として受け容れなければ世界はやっていけなくなる。
 つまり、おみくじで「凶」を引く人が凶札の数だけいるように、誰かしら不幸になる定めなのだ。
 しかしボジャイ様には厄を避ける力があり、その信徒になれば回ってくるはずの不運からは逃れ得る。はずれ籤を引かずに済むのだ。すべての人は救えないが、資財を投げ打って忠誠を尽くす者をボジャイ様は守ってくださる。だから信徒らは不幸が、自分たちでなく教団外の者に見舞うようひたすら祈るのだという。

 他人がどうなろうと知るかというんじゃない、是非とも他人に不幸を肩代わりしてもらおうという。
 なんたる教え。なんたる祈り。こんな宗教の信者になるほど不幸なことはない。

 たとえばキリスト教。
 救世主イエスは人類の原罪をすべて引き受け、我が身を犠牲にして贖(あがな)ったとされる。いや、それはいい。本当かわからんし。
 でも入信するには、人が生まれながらに罪を引き継いだ存在なのを認めなければならない。そう受け容れるのが出発点となるわけで結構むずかしいことだ。
 かたやボジャイ様は、世界を救うなど端からあきらめ、自分を教祖として崇める人々だけを守る。信徒たちも、ボジャイ様のもとに集いそのはからいで降りそそぐ災いを逃れようというわけで志に大変な差があるのだ。

 とにかくダラネーナ教と比べれば、他の宗教がよほどまともに見えてくる。街中で勧誘を受けても、いとも容易に振り払えるだろう。しかし……。

 狂気というのは憑依するものだという。そして伝染病のように拡がっていくらしい。
 御影の祖母ばかりじゃなかった。家の他の人々も、あきらかに異常な戒めで信徒を律する新興宗にあらがうどころか、しだいに教えに帰依するようになった。
 ほんとうに普通の家なら起こるはずのないことが、御影の一家には起きた。
 カルト信仰とは人々をそれほど変えてしまうものなのか。あるいはもとから黒石御影の家族には、集団狂気の発現する素地があったということか。

 いや、黒石家の中にもボジャイ様の教えを頑として受け付けない者がいた。
 ほかならぬ御影自身である。しかし彼女には、家族が狂信にはまっていくのを止めることができなかった。できるはずもない。ダラネーナ教が家に持ち込まれたとき、御影はまだ9歳だ。

 自分の家族が一人また一人と狂信に染まっていくさまを眺めるって、どんな気持ちだろう。それを幼い御影は、一人で味わったんだ。
 御影が中学に入るとき、家はダラネーナ教にすっかり乗っ取られていた。我が家がその地区の教団支部と化した。外面はまあまあ普通の一家に見えたが家の中では教えに背いた言動が許されず、体罰やネグレクトでの仕置きを受ける。

 たとえばお祈りするときに、失態は許されなかった。
 ダラネーナ教では祈祷のとき、鐘だの太鼓だのをけたたましく鳴らしながら聖句を朗誦する。

カーン、カーン、カーン!
七難ボジャイ、八苦ダラネーナ。
チーン! ポコッ!
何とぞ我らから七難八苦を退け、九死に一生をあたえ給え。
カーン、カーン、カーン!
七難ボジャイ、八苦ダラネーナ。
チーン! ポコッ!
艱難がどうぞ他所に向かい、我らには至福が訪れますよう。
カーン、カーン、カーン!
七難ボジャイ、八苦ダラネーナ……。

 ここがいけなかった。変な風に聞こえるのだ。
 「七難ボジャイ」が「なんぼじゃい」、「八苦ダラネーナ」が「ハッ、くだらねーな」に。まだ幼く、空気の恐ろしさが読めない御影は、朗誦がその部分にくるとどうしても吹いてしまう。
 すると祈祷の場を取り仕切る御影の父は、こいつ神様を笑ったと鬼のように怒るのだ(すでにボジャイ様から教団の支部長を仰せつかっていた。人格能力による采配とちがい、その地域で最初に入信した家が支部、家長が支部長になる定めだ)。

 厳粛であるべき時と場合に重大な粗相をしでかしたということで、彼女は制裁を受けた。
 ご飯を食べさせてもらえない。
 他にも、信仰のことでちょっとでも本音をもらそうものなら、たちまちお仕置きが見舞った。
 布団で寝かせてもらえない。遊びに行かせてもらえない。テレビを見せてもらえない。漫画も読ませてもらえない。お洒落も許してもらえない。遠足にも行かせてもらえず終日、教団本部の掃除を命じられるという……。

 これじゃ家のみんなに合わせるしかない。
 屈辱的な姿勢で祈り、教団への奉仕に専心した。祈りの場でも声を張り上げ、朗誦を真剣におこなった。
 とにかく表向きはボジャイ様の信徒として落ち度のないよう振舞い続けたのだ。そうしなかったら、高校にも行かせてもらえなかっただろう。

 誰もが同情はしても自分がそうなりたくはない境遇。
 御影はそこに身をおき、日々を送ってる。

 なんで、こんなに詳しいのかって?
 友だちから聞いたんだよ、御影の友だちに。どうして御影に幽霊が見えるようになったか、あるいは幽霊が見えると言うようになったか、過去に秘密があるんじゃないかと思って。
 でも何だか、幽霊どころじゃない恐ろしさをもった魑魅魍魎の世界にはまり込んだみたいだ。

 実際、この世でいちばん行きたくないのが黒石御影の家。痛切に思う。
 しかし今、僕はその玄関に立っている。


(続く)






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ライトホラーノベル「豆腐男」5





 どれほどの時がたっただろうか。
 カスミは、列なって傾いた商品棚のうち一番傾きが少ないものの上、かろうじて身をおけるスペースでへばりつくように、まるまった格好で横になっていた。
 まるで自分が水浸しで売り物にならない品物のひとつに成り果て、見切り品として陳列されたみたいだ。
 ずぶ濡れの身が冷えきって、ガタガタ震えが止まらない。
 それでいて、全身が麻痺したように動くのが億劫だった。

 気が付けば、建物の外では、あれほど狂おしかった豪雨と暴風もしだいに鎮まりつつある。
 出水は引く気配こそないものの、水かさがこれより増す恐れもないようだ。
 心なしか、空も白みかけている。
 豆腐男の姿は、どこにも見当たらない。
 あいつは溢水の最初の直撃に呑まれ、そのまま外に運んでいかれたらしい。
 ともあれ最大の脅威は駆逐されたのだ。
 カスミは、こんな目に遭った自分はいったい災難に見舞われたのか幸運に恵まれたのかどっちだろうと、なかば朦朧となった頭で考えた。
 なお救助が必要な状況なのは間違いない。
 スマホがあれば助けが呼べるし全国的な注視の的にもなれるのに、あいにく蛆虫豆腐の騒ぎで失くしてしまったし。あったとしても、こんな惨めな姿を自撮りして日本中に配信するなど思いもよらない。

 だいたい、今夜起きたことを説明しても信じてもらえるだろうか。
 自分ですら身に起きたとは認めがたいことなのに。

 それにしても、あいつ!
 カスミの脳裏には怒りの感情とともに、店長の顔が浮かんだ。
 命に関わるとは思えぬ母親の看病をカスミの身を気遣うことより優先、「大丈夫だよ、豆腐男なんか」とへらへら笑うように出て行き、果たして彼女を死ぬほどの危難に追いやった大馬鹿野郎!
 張り倒してやりたくてたまらなかった。
 前に跪かせ、頭をつかんでこの泥水に押し付け、涙声で詫びさせなければおさまらない。

 カスミはふいにクシャミの発作をもよおし、ブルッと震えた。
 まあ、いいけど。
 今はただ、暖かくて安全な場所、家に帰ってぐっすり眠りたい。

 そのとき。
 気のせいだろうか。何かが泳ぎ着くように、バリケードのようになった陳列棚の連なりにドスンとぶつかる鈍い衝撃を感じた。
 何なの?
 闇の中、目を凝らしてくまなく見たが、誰もいない。
 カスミが安堵の吐息をついたとき、どろどろに濁った水面からいきなり男の手が伸び、カスミの足を握りしめた。
「ぐえーーっ!」

 ついで男が水面から頭を出し、馴染んだ顔と声とがカスミの目と耳をとらえた。
「げはあ、げはあ……俺だよ、俺」
「店長!」
「おまえを放っておけなくて……増水で通行止めになった橋を無理に渡ろうとしたけど、車が流されちまってよ……必死で泳ぎきってな、もう命からがらだったぜ」




 台風は通り過ぎ、氾濫した川も穏やかさを取り戻した。
 水浸しとなった店内は、陳列棚も商品もメチャメチャな有様で、こんな狭かったかと驚くほどのスペースにずぶ濡れの廃品を雑然と放り込み積み上げたようで、多くの人が買い物や用足しで馴染んだ場所とは思えなかった。
 豆腐男が暴れまわった痕跡などすべて洗い流されている。
 男がどうなったかはわからず、身元もついに謎めいたままとなった。

 やがて。
 保険は下り、店は修復された。
 カスミも職場に復帰した。
 初夏には、店長と式を挙げる予定だ。

「やだ、また売れ残ってる……」
 カド印の『美味い絹豆腐』と『美味い木綿豆腐』。
 あいかわらず客に不評のまま、見切り品売場で不動の地位を占めていた。
 もう買っていってくれる客もおらず、売れ残れば廃棄されるだけなのだ。
「店長。このメーカーの品物、もうやめようよ」
「おまえもそう思うか?」
 豆腐男の事件からわかった大切なものがあるとすれば、愛の美しさや女性の自立などではなく、売れないとわかった品はもう売らないという思い切りだったかもしれない。


†             †             †



 しかし。
 豆腐男の件が落着ししばらくすると、今度は納豆女が……。

 それは奇怪な光景だった。
 三十がらみの女が早朝の決まった時刻に来店し、その日期限切れとなる納豆ばかりを買っていく――。




( 完 )






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「豆腐男」
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「豆腐男」
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