戦争を語るブログ

平和を愛し、いさかい好む

『Yasuke』


ひさしく前からハリウッドで企画が進行している、織田信長に仕えた黒人侍を描く『ヤスケ』について思うことがある。

「うるせー。欲しいのは『ヤスケ』の実情報だ、おまえの思いなんか知るか」だと?
わかってる、わかってる。でも、ぼくの映画の予想はだいたい当たるので(それも悪い予想が)、一聴の価値はあるから心して聞いてほしい。

ジョージ・ルーカスが二次大戦で活躍の黒人戦闘機隊を描く『レッドテールズ』の企画を出したとき、どの映画会社からも「黒人ばかりの映画は海外市場で集客できない」との理由で断られたという。
結局ルーカスは自費で作ったのだが案の定、北米ですこし話題になったきり、海外ではまるで無視される結末に。



ちなみに。これが『レッドテールズ』の戦闘場面
『スターウォーズ』ばりにVFXを駆使、迫力満点のアクション満載にもかかわらず、日本では劇場公開すらされていない。


『ブラックパンサー』が十億ドル台の世界的ヒットを飛ばした今となっては隔世の感があると言いたいが、実のところ黒人映画が北米以外の地域で振るわない実情はあまり変わらない。
アメリカで爆受けした『ゲットアウト』にしろ『Us』にしろ、海外市場では驚くほど集客率が低いのだ。

さて。期待される『ヤスケ』だが。
先に述べた諸々の事情から、ハリウッドはこの企画に熱烈に乗り気というより、「ちょっと一発、作ってみるか」という程度の興味の抱き方と察する。
弥助を誰が演じるかで予算の規模も違ってくるが、『ラスト・サムライ』級の大作に仕立てるのは難しいんじゃあるまいか。

そもそも日本にロケ隊がやってくるかも怪しいのだ。
『ヤスケ』は金のかかること必至の題材であり製作費を効率化して使わねばならず、撮影は政府から補助金の出る台湾や韓国、あるいは中国、もしかしたらニュージーランドでおこなわれる可能性がむしろ高い。
(おなじ事情から、スコセッシも『沈黙』を台湾で撮った。『ラスト・サムライ』もほとんどの場面がニュージーランドで撮られた。『47RONIN』に至ってはヨーロッパで収録されている)

お。



噂をすれば何とやら。
主人公の弥助役に『ブラックパンサー』のチャドウィック・ボーズマンが決まった。
朗報だ!

そうは言っても『ブラックパンサー』は日本で大きくヒットしなかったから、多くの日本人にはピンとこないだろう。
チャドウィック・ボーズマン?
熱心な洋画ファンでもなければ、顔がすぐに浮かんでこないのでは。
実際、トム・クルーズやキアヌ・リーブスが侍を演じるほどのインパクトはあるまい。
しかしこれで、中規模以上の予算は確保されたわけで大きな進展となる。

ところで、どんな内容になるのか?
だいたい映画の実録ものが史実どおりに描かれないのはむしろ定石。
『ラスト・エンペラー』といい、『アラビアのロレンス』といい、実際とは大きく異なる作中世界を構築してるし、それでこそ傑作に仕立てられたと言っていい。

だから、この『ヤスケ』の場合も。
史実を飛び越えて、主人公に荒唐無稽な大活躍をさせそうだ。
(T・E・ロレンスも坂本竜馬と同様に、実際は使い走りに過ぎなかったというが)
たとえば。木下藤吉郎のしたことをそのまま弥助にやらせるとか、明智光秀が寝返ったのは信長と弥助の関係を妬んだからとか、弥助の功績や影響力を過大に描くのでは。
なんか、そんな気がする




関連リンク

「Chadwick Boseman set to play African samurai in 'Yasuke'」
(CNN entertainment)
https://edition.cnn.com/2019/05/08/entertainment/chadwick-boseman-yasuke/index.html


「」
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ハリウッド製ポケモン映画は果たして当たるか?


こんな映画が今日から世界に先がけ、本邦公開される。




日本のゲームキャラがハリウッドに上陸して大丈夫なの?
たぶん案じなくていいと思う。
これはハリウッドの映画人が世界市場で稼ぐために作ったものだ。日本製コンテンツでも、あちらの手にかかれば商品価値が見違える。

不思議でならないのは、「こうした企画をなぜ日本のほうから率先してやらずにいたか?」ってことだが。
そこを残念がらず、ハリウッドに先んじられお株を奪われたのを、「凄いだろ? 世界が日本のコンテンツに注目してんだぜ」としたり顔でせまる日本スゴイ教徒たち。
バッカじゃなかろか。

ところで当たるとしたら、どの程度?
微妙。
映画のピカチュウは予告編でみるかぎり、小生意気でよくしゃべり、自立的に動く性分らしい。ようはアメリカ人好みにキャラが改変されてる。アニメに馴染んだファン、とりわけ日本のファンには違和感が多かろう。

むろん当たり外れを決めるのは映画の出来次第、つまり面白いか否かだが。
うまくいけば設定をガラリと変えた『ピーター・ラビット』並みに、(北米で)一億ドル超の収益をもたらすほど好感されるかもわからない。

とはいえ、集客数は蓋を開けてみなければ。日本のアニメやゲームの実写化はリスキーで、『マリオ』や『ドラゴンボール』は大コケ、『ゴースト・イン・ザ・シェル』も惨敗に近かった。
こいつはどうなのか? 今はまだ、映画評サイト「腐れトマト」で点数が付くのを見守る必要がある。
(現在、トマトメーターは70%を境に上下している)




関連リンク

「Pokemon Detective Pikachu」の評価
(腐れトマト)
https://www.rottentomatoes.com/m/pokemon_detective_pikachu





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『エンドゲーム』はマーベル版『史上最大の作戦』だ


『アベンジャーズ・エンドゲーム』、ついに北米公開。
「腐れトマト」での評価も悪くないようだし、前売りも爆発的。まあ二十億ドルの収益は確定事項と思ったが。
いざ封切ったら、驚くなかれ。

初日の興行収益、なんと1億5670万ドル!
(ちなみに。『フォースの覚醒』の場合、1億1900万ドル、『インフィニティ・ウォー』だと1億600万ドル)
これまで世界でいちばん客を集めた映画といえば『アバター』であり、総収益は28億ドル弱だったが、『エンドゲーム』が『アバター』を抜いて世界収益30億ドル超を達成するのも夢じゃあるまい。

それにしても、この配役。
まさしく、『史上最大の作戦』の再来だ。
(60年代の興奮を知らない若い層にはピンとこないかな)
特筆すべきは、これらスターたちがネームバリューで興行力を発揮すると同時に、演じる役の魅力でも集客できること。
こんな映画、またとあるもんじゃない。




劇場へ急ごう。
前作を見ていない人でも面白さはわかるはず。ちょうど、ノルマンディ上陸にいたる第二次大戦の歴史を知らなくても『史上最大の作戦』という戦争映画が巨大な群像劇を満喫させてくれるように。
この連休中はいろいろなことが出来るだろうが、その一日だけ費やして、半世紀先まで語り草となるほどの伝説の映像エピックの目撃者となっておくのも悪くあるまい。

ところで、『史上最大の作戦』といえば。
YouTubeでこんなの見つけた。
ダリダがフランス語で歌う「史上最大の作戦マーチ」。




『アベンジャーズ・エンドゲーム』で残念なのは、これに匹敵する魅力をもつ主題歌がないってことかな。
(主題曲自体はあるが、こんな感じに末永く聴き継がれると思えない。見かけで十二分に気負いながら音の面で弱体なのが玉に瑕だ)




関連リンク

『アベンジャーズ・エンドゲーム』の評価
(腐れトマト)
https://www.rottentomatoes.com/m/avengers_endgame


『アベンジャーズ・エンドゲーム』
北米と世界各国の興行収入
(Box Office Mojo)
https://www.boxofficemojo.com/movies/?page=intl&id=marvel2019.htm





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小池一夫


劇画原作者の小池一夫が他界したという。
享年83歳。
すでに仕事をやり遂げていたような人なので、世間も揺れ動くほどの反応は示さなかった。

小池一夫 といえば、知名度で作者を超える作品が少ない気がする。
だいたい『子連れ狼』しか思い浮かばない人が多いだろう。
それも当然で、一流どころにのし上がってからはいささか粗製乱造の気味があった。しかも読者の反応を見るに過敏、評判が芳しくないとキャラクターの容姿なんて平気で変えてしまう。

たとえば、『少年の町ZF』の囁き子。
登場した時はフランス人形のような美少女が、たった数話で丸顔のねえちゃんに。これには唖然。
キャラクターを180度変えられたのが『デュエット』の雪妃。
王女の風格の持ち主だったのに、鉄樹に犯されてからはまるで別キャラ、ただのつまらない女になり下が……(以下自粛)

そうした適応力ゆえに生き残り、長きにわたり一線で活躍できたとも言えようが。
しかしあまりにも時々の思潮に合わせ過ぎたことが作品ごとの完成度を低める結果をもたらしたのは否めない。
さらに。
おもに青年読者の嗜好に沿いながらの仕事を続けたせいか、今日的なフェミニズムの視点からは、「うむむ……」となるような描写が多いのだ。

むろん小池一夫だけが特別だったのではない。
マッチョズムの表現は小池が活躍した時代の漫画家や原作者の必需的な技能。欲したのはほかならぬ受け手の側、当時の男社会全体だ。
そうした要素を出版物に求めていた人々が大きな層を占める日本でフェミニズムやLGBTがなかなか地歩を築けない所以だろう。

ところで。
ぼくがこの人に着目したのは、連載中だった『サハラ』の一話を目にしたとき。
ヒステリーカが公園にいると文芸愛好家らしい女性が近づいてきて二人で詩の話題を交わすようになる。だが……という筋運びで、オチは「ある職業の女は香水を使わない」という台詞で締められる。
なにぶん70年代に読んだきりだから内容についてはあやふやながら、当時としては青年劇画の枠にとらわれず女性の知性を侮りなどしない描き方に感服させられた覚えがある。
もしも当代が最盛期ならば存外、才能を時流に無難にフィットさせ、フェミニストの視点からも納得できる作品作りをしたのではなかろうか。

さて。
小池一夫に先駆けるかのごとく モンキーパンチも逝ってしまった。やがてくる新元号の時代から門前払いをくらったかのように。
昭和に活躍した人々が平成という深い溝を飛び越えて居場所を得ることに、すなわち平成サバイバーとなるのに、令和は思いのほか拒絶的なのかもしれない。






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『ドクトル・ジバゴ』


『ドクトル・ジバゴ』といえば。
60年代半ばのデビッド・リーン監督によるパナビジョン大作が人気の面で固定化している。多くの人が『ドクトル・ジバゴ』に抱くイメージはここからくるものが多いだろう。





リメイクするなど無謀だ。
金がかかるし、昔からのファンは「ドクトル・ジバゴはこんなじゃない」と拒絶反応を示すしで、おいそれとは手が出せない企画であり続けた。
今世紀になってイタリアの国営放送がテレビ化を企てたが、製作条件の足枷が大きく、映画版を打ち負かしたとは言いがたい出来となった。
しかし。
それとは別に同時期、本場のロシアでドラマ化されてたとは思いもしなかった。 500分におよぶ長大なテレビシリーズだという。

今回、語りたいのはこのロシア版について。
ロシアのテレビドラマだって? アレだろ? アレなんだろ? 暗くて、重くて、長ったらしく退屈で……。
いやいや、思うほど馴染めないシロモノではない。
ロシアのテレビドラマだからといってとびきりしんどくはない感じ(なんたる褒め方!)、出演者の顔ぶれもロシア映画にちょっと詳しいなら「ああ、あの人か」とわかる。

主役のユーリ・ジバゴは、『シベリアの理髪師』のオレグ・メンシコフ。
ヒロインのラーラが『ルナ・パパ』のチュルパン・ハマートヴァ。
恋敵コマロフスキーが、ロシア映画界の重鎮オレグ・ヤンコフスキー。
この配役だけで、海外にも売ろうと国際的にすこしは知られる俳優をそろえて作ったのだとうかがえよう。

ただし、売れたかどうかは別問題。
実際ぼくなどは、つい先日はじめて、こんな作品が存在するのを知ったというくらいだから、国際的な知名度を得るにいたらなかったのは歴然としている。
どうもロシアの映像産業はアジアの某国と同じに、海外に出す商売が下手らしい。




モスフィルム製作によるテレビドラマ版のラーラ

Amazonのビデオ評では、ロシア版ラーラについて、「蓮っ葉みたい」という所見があった。
そりゃ、たしかに。映画でジュリー・クリスティー演じたラーラのイメージを持ち続けると調子が狂う。
しかしだよ。
この無邪気で奔放な雰囲気。映画版のたしなみあるラーラよりも実は、原作の感じに近いのだ。
だからこそ。いくぶん無鉄砲さのある魅力とあいまって、外側は堅実な家庭人でありながら内面は詩的なロマンティストだったジバゴの心を捉え、解き放ったと解釈したほうがいい。
むしろジュリー・クリスティーではミスキャストといえるのだ。
(それで英語圏でのモラルにはおもねることができたせよ)



むろん本気で世界に通用する商品にしたければ、イタリアのテレビ局が製作した『ドクトル・シバゴ』のように、台詞は英語、主要配役は西側とりわけ英語圏で知られる面々ってことになるのはやむを得ないのだが(成功作になる保証はない)。
それだと本場としての矜持が許さなかったのか。
そう、本場もの。
『ドクトル・ジバゴ』の原作は言うまでもない、ボリス・パステルナークによる詩小説。
ロシア人が主人公でロシアを舞台とする、ロシア人の手になる文芸だ。
最初に映像化される何年も前、業績をねぎらったノーベル財団が文学賞を授与、そのこと自体で世界的物議をかもしたのは周知の通り。



原作者ボリス・パステルナーク

他の写真もすべてそうだが、印象的な面長の顔である。
デビッド・リーンは当初、ジバゴの役をピーター・オトゥールに演じさせたがったというが。
これを見て、わかる気がした。



それでだが。
あいにくのところ、『ドクトル・ジバゴ』の真価なるものがぼくにわからない。
わかろうはずもない。
『ドクトル・ジバゴ』の唯一無二の価値は、他の小説家ならば散文で語るはずの地の文をすべて詩文で謳いあげたところにある(といわれる)のだから。
並みの詩人がではない、ロシア語の詩才では当代一流のボリス・パステルナークがやり遂げたのだ。
ノーベル賞の選考委員が他の候補作を差し置いてまで『ジバゴ』を選ぶ理由といえばそこにしかなく、もしも散文小説としての出来の良し悪しを争点にするならばちょっとアレというわけで、「政治的な動機からの授賞」と断じられても仕方あるまい。
それほどロシア語にも詩にも疎い外国人が理解した気になるのは困難な作品ということだ。

以前、原子林二郎(なんて読む?)氏の急訳による時事通信社版に目を通したことはあるが。
どんな物語構成でどんな人物関係かがわかるだけ、感動も何も感じなかった。詩文で綴られてこそ意味あるものを他の言語に置き換え、散文で語りなおすほど空虚なことはないかもしれない。

というわけで。原作の骨格だけでも知ってる者から言わせれば。
このロシアのテレビ局による長篇シリーズは、本場の俳優とスタッフによる映像化でありながら原典に忠実きわまりないとは言いかねるということだ。
いろんな事情があったと察せられる。
もっとも、60年代にソヴィエト連邦が国家事業のような勢いで映画化を成し遂げた『戦争と平和』がすでにしてトルストイの原作とは雰囲気がまったく違うものだったから。いまさら『ドクトル・ジバゴ』がどう変えられようと驚くことではないかもしれないが。

本場でとれた混じり気なしの原産品というよりも。
意外な切り口から描いて新味を出そうとした文芸映画のひとつだと割り切って見たほうがいい。

ちなみに。実にどうでもいいことながら。
ロシア文学に描かれるロシア女性として時に引き合いに出されるヒロインのラーラだが。
原作ではロシアに帰化したフランス人とベルギー人技師との間に出来た子という設定のはずで、ロシアの血はまったく入らないか入ってもごく僅かなのである。





ロシアのテレビシリーズ『ドクトル・ジバゴ』
(全十一話中の第一話)

音声はロシア語であり、日本語の字幕はないぞ。
(邦訳の字幕付きで見たければAmazonで買うのだ)






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