戦争を語るブログ

平和を愛し、いさかい好む

慰安婦問題について百万回でも書かねばならないこと


在米韓国系のロビー活動により米公立高校で慰安婦授業開始へ
(SAPIO/ライブドアニュース)
http://news.livedoor.com/article/detail/11599030/


雑誌「SAPIO」の配信記事だが、書き手の歴史認識はネット右翼とまるで変わりがない。とにかく従軍慰安婦のことを広められては困る、具合が悪い、恥ずかしいとの思いがこうしたものを書かせた唯一の動機を成しているようだ。
アメリカの公立高で来年度から、授業で従軍慰安婦のことを教えられる可能性に触れ、これが在米韓国人団体のロビー活動によるもので(正確な根拠は示されない)、慰安婦問題をもう蒸し返さないと誓い合った日韓両国の「合意」に反するとか、よくわからない理屈で文句をたれている。

そもそも書いた者はロビー活動の意味を取り違えていないか? 普通は、政府から離れた市民団体の自発的な運動を、「ロビー活動」とは呼ばない。たとえ日系人も含めたアジア系米国市民らが慰安婦を思いやっての働きかけにせよ、受け容れたのはアメリカ合衆国の教育機関だ。実際にあったこと(アジアを占領する日本軍が慰安婦を利用し、多くの女性が不幸な目にあった)を教えるのに問題はないし、その件で韓国が文句をつけられるいわれもなく、だいたいネオナチと変わらぬ日本の国家主義者に地上の誰を責める資格があるだろうか。

悔しければ日本の右翼さんも、米国の授業で日本軍がアジア解放に果たした功績を教えるよう圧力をかければいいのだ。どういう結果が出ることか。
アメリカでは何を教えるか選ぶ権利は学校側にあるわけで、どんな与太話でも数を頼みに押しまくれば思い通りになるものではないこと、すなわち米国の学校で慰安婦のことが教えられるのは「韓国系団体」の働きだけによったのではないとわかるだろう。

「SAPIO」の記事がおかしいのは、書き手が「日韓合意」の内容をまるで手前勝手に解釈していること。
「合意」の主旨は、慰安婦被害の件で韓国政府がこれ以上日本政府を責め立て問題化しないのを約するもので、当たり前だが「慰安婦の徴募に強制性はなかった」とか「性行為を強要された女性がいなかった」と認めたわけではない。
むしろ逆であり、河野談話でも示されたような認識を日韓で共有しようとの前提に立っている。

また当然、「合意」の内容はこちら側をも拘束するわけで、以後「強制ではなかった」と日本軍の罪を大っぴらに否認したり元慰安婦らに対し嘘吐きと非難(いや、侮辱)するのが許されなくなったことを意味する。
有体に言えば、敵意むき出しなSAPIOの記事のほうが「合意」の精神に背くのだ。
安倍政権の大本営発表を丸呑みするネトウヨ魂の記者くんではわかろうはずもないか。





「合意」以来ひさびさに、慰安婦問題について書かねばならないとの思いを強くする。
もう何度も言ってきたし、この期に及んでこんなわかりきったこと繰り返したくないのだが。

あれだけ派手なロビー活動(市民運動ではない、政府が金を使った正真正銘のロビー活動)を繰り広げながら、慰安婦問題で安倍政権が完敗した理由とは? それは結局、旧日本軍がさまざまな状況でみせた印象的振る舞いへの嫌悪によるところが大きい。世界のだれもが日本兵を、「そういうことをしそうな顔をしている」との色眼鏡で見たからに他ならない。

偏見だろうか? なるほど、日本軍はフィリピンだけで百万人を殺した。しかしマクドゥーガル報告にあるような、「14万5千人の朝鮮人慰安婦が死んだ」となると、このブログ主でさえ受け容れがたい感じがするとはいえ、明快に否定してしまえる根拠もない。あまりにも多くの記録を終戦時に日本自ら焼却しているからだ。
これがアダとなり逆に潔白も証明できなくなった。今日、日本軍が「濡れ衣」を着せられ、後代の日本人が疑惑を晴らそうと辻褄あわせに汲々とするのは、日本軍自身が子孫らに負わせた債務といえよう。

ともあれ従軍慰安婦制度について調査した国連報告者から、「あの日本軍ならやりかねない」ことだと疑念もなく思われた。かように、日本軍は非道行為の遂行能力において万能との認識が行き渡っている。これを解消できないかぎり日本軍を好意的に見てもらうのは不可能だ。

けれどもそうした認識を払拭すること自体が絶望的に困難なのだ。それはもう、ナチの軍隊を好意的に見てもらうのとおなじほど。評価に値するだけのことを、われわれの父祖はしたと思うしかない。

第二次大戦での日本軍への好ましからざる印象が世界的に浸透していること。安倍政権の支持層がその時の歴史をすこしも悔いるようには見えないこと。この二つが組み合わさり、従軍慰安婦問題で「日本側」をあそこまで面目ない状況に追い詰める土壌を形成した。
勝ち目のない足場を自らしつらえたのだ。

仮に、だ。「総統ムッソリーニは正義の闘士だった」と吹聴するイタリア人がいたら、米国人や西欧人はどう反応する? ネオファシストの間でしか通らない道理を得々と説かれても共感を示せるか? そういう問題だ。「皇軍はアジアを解放した」と言い張る日本人がいても同じに扱われよう。

日本軍は小林よしのりが漫画で描いた通りだと信じたい連中にはここがわからない、戦争犯罪などは頭から認めない。「日本人が外道な真似などするもんか」との思い込みは強烈である。
だが見回せば、そう言い張るのは地上で日本の右翼のみ、大東亜聖戦論の「世界歴史ひとり歩き」状態だ。
そこがまた、わからないときている。
彼らにとって、テキサス親父やケント・ギルバート、マイケル・ヨンといった数人の「お雇い外国人」だけが海外の声すべてなのだから。

慰安婦問題がああまで泥沼に踏み入ったのは、日本の右派勢力があるものを執拗に守ろうとして逆効果を招いたところが大きい。
つまり安倍政権も支持勢力もあきらかに、今の日本ではなく、滅び去った大日本帝国の名誉のため慰安婦徴募での軍の関与を否定することに精出ししたのだ。

帝国日本が1940年代前期、アジア太平洋水域の覇権を牛耳ろうと国の命運を賭して大々的な軍事遠征をおこなったことは、どの国でも公認の、世界中で安倍政権の支持層だけが認めようとしない(彼らの頭では、「自衛」と「解放」が開戦動機)歴史的大事実である。
だから今更、その企てに動員された何百万もの将兵に国があてがった「女性配給制度」の不備について、「軍は関与していない」と言い張っても仕方ないし何の免罪にもならないはずだが(すべての日本兵が押し込み強盗なのに)、「性奴隷ではない、強制連行ではない」と唱えるのがよほど意味をもつことだったらしい。

しかしこれは、西側と協調する民主主義国家としては正気の沙汰とも思えぬ振る舞いだ。まるで彼らは、旧軍と心中したがるようにさえ見えた。たとえれば今のドイツ政府がナチ軍隊の非道行為の否定に躍起となるようなもの、国際的評価という意味で大変なリスクなのである。
そういう、本来はあり得ない状況、あってはならない状況にあったのが安倍政権下の美しい国だった。
果たして、相応の結果がもたらされた。

実際、強制連行の否定からリーマンショックにいたる安倍晋三の発言で、海外から受け容れられたものはほとんどない有様だ。2007年にブッシュ大統領の前でおこなった慰安婦への「謝罪」を唯一の例外とすれば。





ブッシュ大統領「安倍首相の謝罪を私は受け容れます」


2007年。第一次安倍内閣で「慰安婦の強制連行はなかった」と閣議決定したとたん、
米国議会では反発の声が高まり、抑えが利かなくなった。鎮火のため渡米した安倍晋三が、
ブッシュ大統領の前で謝罪の真似事をおこない、とりなしてもらったときの実況。




けれども帰国した安倍は、「あれは謝罪ではなかった」と言い訳し(では、何だったんだ?)、その唯一の例外さえもみずから台無しにしてしまう。
かくも国際社会での信用を潰すのに奔走した政権もめずらしい。

ようするに。安倍政権の慰安婦問題への対処ほど、負けることが確実な相手めがけて突っ込んでいった事例もないわけだ。この件では、日本の歴史修正主義者の守ろうとしたものこそ何にもまして彼らに傷をあたえた。
それはすなわち、後代の者が誇りに思うことを許さない日本軍国主義の負の遺産であり、大東亜戦争の大義など通じるはずのない世界の中でなお旧軍の名誉にしがみつく勢力にとって、最後まで足枷となり続けたのだった。

「慰安婦戦争」で安倍政権や国家主義者が敵に回したものの正体は韓国などではない、彼らには絶対に倒せない相手、日本軍の亡霊なのである。
この亡霊は国を愛する者の味方のような振りをするが、過去の栄華にあやかろうと集まる手合いを、最後には地獄の底にまで引きずり込んでしまうのだ。







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安倍のおもてなし


重大な出来事が短時日のうち重なったため、なかなかまとめられずにいる。

伊勢志摩サミットとオバマの広島訪問。
どちらが大事と問われれば、七か国首脳が集い世界情勢に相応の影響をおよぼす伊勢志摩サミットのほうだが。
しかし今回のサミットで何があったといえば。正直のところ、安倍晋三が「リーマンショックの前兆」を吹聴して残余の首脳に呆れられ、あらためて国外にまで馬鹿と嘘つきを知らしめたこと以外では覚えがない。
(アベノミクスの破綻が地球的な視野で確認されたという意味で、安倍政権には重大な岐路かもしれないが)

民進党の調査チームによれば、安倍が各国首脳に配った「リーマンショック級の不況」を裏付ける資料、これを誰がどこで作ったか外務省や内閣府にもわからぬのだという。
引用したソースの上に胡坐をかき、どや顔するのは弁舌力に欠ける人物に共通する傾向だが、もっともらしい数字を並べれば、世界がああそうですかと鵜呑みにしてくれる……欧米主要国の元首をネトウヨ並みの知性と侮らなければこういう真似はできまい。
出所のまるで怪しい資料を突きつけ、おのれの名を冠した経済政策の失敗を世界経済のせいにしようとは。これが一国の指導者のやることだろうか。
当然、各国首脳から相手にされずじまい。ロイター、ル・モンド、BBC、ファイナンシャルタイムズ、ブルームバーグ…………海外メディアはどれも日本国総理の魂胆を見抜いた報道。

まこと、日本の恥と言う以外にない。
まともな国の国民なら、このような人物が元首を務める国にいたいとは夢にも思わない。「こんな国じゃイヤだ!」とばかり国中が大騒ぎ、ただちに首相の座から引きずり下ろすに違いない。まともな国の国民ならば。

安倍はサミット開幕に先立ち、各国首脳を伊勢神宮に招き、参拝の真似事をさせた。
伊勢神宮に靖国のような昭和軍国主義の面影はないが、ガーディアン紙が指摘したように、国家主義神道の総本山という意味では靖国神社より由々しい。そういう場所へ、六か国の首脳を連れていったのだ。
しかし自分としては。どうせなら、オバマやメルケルを伊勢神宮なんかじゃなく、靖国神社の遊就館にこそ招待してくれたらと切実に思う。
現政権を支える勢力の歴史観、現政権が国民に押し付けたい歴史観を、世界の目に突きつける結果となっただろうに、あいにく非難を浴びるとわかりきった本音は表明せずやり過ごすのがこの国の流儀である。

こうした誤魔かしを、今の日本では「おもてなし」と呼ぶ。







関連リンク

<伊勢志摩サミット>「リーマン級」に批判相次ぐ
(毎日新聞 - Yahoo!ニュース)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160528-00000044-mai-bus_all


焦点:サミットで経済認識一致せず、危機強調の裏に増税延期模索の声
(ロイター日本語ニュース)
http://jp.reuters.com/article/ise-shima-summit-focus-idJPKCN0YI16Z


安倍晋三のウソ一覧 まとめ
(貴方の知らない日本)
http://s.webry.info/sp/50064686.at.webry.info/201411/article_15.html





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アイドル・テロが怖ければ


例のアイドル刺殺事件。
(後記。息を吹き返した。「刺傷事件」だった)
有名人が被害にあったのに便乗するような真似はしたくないが、一言。
映画『会議は踊る』でアレクサンドル一世が言い放つ、「暗殺を恐れては皇帝になれない」という台詞が思い合わされた。これは芸能人の場合も同様で、普通より目立つ存在になったらそれだけリスクが増してくる。

普通より目立つ存在にはどんなリスクがあるかといえば、普通でない人から好かれるリスクだ。
(普通でない人がすべて危険という意味じゃない)
いや、有名人でなくてもストーカーには遭う。不幸にも変質者の目にとまった場合だ。アイドルになるとこの危険が飛躍的に増大してくる。なにしろ万人に存在が知られるのだから、変質者に目を付けられる確率もそれだけ高くなるわけだ。冨田真由が無名のままであれば京都に住む加害者から執着されることもなかっただろう。

おそらくアイドルが世間から特別に見られる存在であるかぎり、すなわちアイドルが何万、何百万、もしかしたら何億という広範な層を相手に自身の魅力をアピールし続ける職業であるかぎり、こういうことはなくなるまい。怖ければアイドル商売なんかやるなという話になるが、さりとて日常のように「アイドル・テロ」が起こるわけでもないのだから、彼女の不運はあくまで特例的なものといえよう。
まさに皇帝が襲われるのと同じ程度に。

こんな悲劇がおきたからといって、世の人々は変わらずアイドルを求め続ける。喝采し声援し称え上げ……それはいい。
最悪なのは、アイドルが手の届く存在、誰もが深い仲になれる相手だと思わせることだ。まるで旧知のように馴れ馴れしく接していい相手だと錯覚させてしまう。そこから問題が持ち上がる。





かく申すは理屈なり、というか。
アイドル商売とは、無数の受け手それぞれに「あの娘は、俺の嫁」と思うほど恋と類似の感情を抱かせてはじめて成り立つものであり、上に引用したツイートでのお行儀よく振舞うよう諭すがごとき言い草は実情から大きく乖離する。
アイドルが晒される危険を作り出すものこそアイドルをあらしめる条件そのものではないか。

アイドルが誰にでも好かれるよう振舞うのは、スーパーや喫茶店の店員がお客を愛想よく迎えるのとはわけが違う。
カフェやスーパーが売るものは飲み物であり日配品だが、アイドルの場合、買ってもらうのは自分自身の魅力である。アイドルの仕事はまさに、多くの男たちから恋してもらうことなのだ。

変質者を含む無数の受け手それぞれに、「あなたが好き」と訴え(る振りをし)て幻想をあたえ、夢中にさせてしまうアイドルシステムそれ自体がこの手の犯罪の揺籃と言っていい。発生確率はほとんど起こり得ないほど低いのだが、いざ事件が起ころうものなら世間は大騒ぎ、心理学者を引っ張り出しプロファイリングまでさせて犯人の危険な性向を印象付けようと躍起になる。
しかし誰も、アイドルシステムそのものに問題があるとは思いたがらない。

それが実情だろう。

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犯人の写真。
予想したような病的な感じがあまりないのに、むしろ驚く。
そういうことをしそうな顔というより、どこにでも、だれの隣りにもいそうな顔をしている。





追記

体を二十箇所も刺され心肺停止、あきらかに死亡したと思っていた被害者の冨田真由。又聞きのような不確かな情報でたぶん希望的観測も混じったものだろうが、なんと一命をとり止めたとのツイートを見た。
心肺停止は死亡宣告と同義かと思ってたが、こういう状況も起こり得るのかもしれない。





関連リンク

ストーカーと熱烈ファンの違いは何か
(BBC News Japan)
http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-36356855?ocid=bbc-japan-twitterjapan





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戦争力と平和力


足をとられるばかりで開催準備がちっとも進捗してない感じの、2020年東京五輪。
もう、どうでもよくなってきたような観さえある東京五輪。
ここに及んで、あらたな課題が持ち上がり、前へとあがく人々の前途に立ちはだかる。






東京五輪は賄賂で買い取った?

萩生田官房副長官は早速、「賄賂じゃない。しっかりした信用のある会社に委託したコンサル料だ」という意味の発言で疑惑を否定するが。

萩生田氏の言葉はあくまで国内だけを向いた釈明と思われる。つまり国連人権委の勧告への安倍政権の対応と変わらない。「外からどう文句つけられようが国民には、適当なこと言っておけばいい」。そんな調子で、つい安易な言い訳に逃げたのだろう。しかし今回まで、それでやり過ごせるかは疑問だ。

この買収疑惑はそもそも国際陸上連盟前会長のロシア選手ドーピング隠蔽疑惑に関連して浮かび上がった。「汚職でまみれたあの人物(陸連前会長)なら東京から賄賂も受けるだろう」との色眼鏡で見られるので日本軍性奴隷制度と同様に、海外からの好意的な反応はまずもって期待できない。

しかし菅官房長官はあくまで、「クリーンだ」と強調する。それほど言うなら本当なのかもしれない。
だいたい実情に即したことを言わない人物だが、この件ばかりは言葉通りというのもあり得る。とにかく、賄賂など贈らなかったという可能性は排除できない。
とはいえ、菅氏の言うことだから実際は逆なのだと思ったほうが当たる確率は高い。





この東京五輪招致をめぐる一大スキャンダル。
むしろ大多数の人は面白がっている、と見た。
「そんな馬鹿な。日本がそんな狡い真似するはずないだろ。嘘だ、嘘だ! 嘘だーーっ!!」
こんな調子でむきになって拒絶するような市井の人を見かけない。誰もが「今の為政者どもでは当然」と妙に納得してしまっている気がする。
かたや、「世界中から悪く思われる。日本人として恥ずかしい」と嘆くような人もあまり見ない。

自分に波及してくる問題とは捉えていないのだ。興味のないスポーツ種目の選手団が海外遠征で恥をさらした程度にしか感じないという。住む世界が違う人々をめぐる醜聞のように受け流す日本人がこれほど多い現実。
「関係ないよ。政府が政策やイヴェントでどうしくじろうと、自分たちの暮らしとは」
これが日本の民主主義だ。国の施政や国家事業で失敗した場合に責任をとる者を選び出すだけの制度。
2012年末、アベノ自民が政権を奪い返して以来の日本は嘘と不正と無気力に支配されているわけで、虐待を受けながらも家との絆だけは保った子が、しかし親が家の外で恥をかくのを見てほくそ笑むのと似たところがないだろうか。

これから、どうなる?
疑惑はまだ序の口で、どんな具合に進展しどういうかたちで収拾するかは予断を許さない。
自分的には東京五輪などさっさと返上し、いまからでもイスタンブールに譲り渡したほうが日本のイメージ改善のためには望ましいと思われる。
賄賂疑惑どっぷりの陸上連盟前会長の息子はトルコにも賄賂を求めたらしい。それで東京に決まったのだから、トルコはまったく話に乗らなかった(か日本より出した額が少なかった)ということになる。
イスタンブールのほうが東京よりは開催地の資格ありだろう。
だが必死でしがみつく連中がいる。
アベノミクスの破綻が衆目の目にもあきらかとなりメディアの伝える支持率とは裏腹で実社会の求心力を失いつつある今、現政権にとって東京五輪は党威発揚のため死すとも放せぬ生命線に等しい。

それにしても。
真珠湾攻撃の準備は一年たらずでなし遂げたのに、東京での平和の祭典は開催七年前から決まりながら準備はかどらず、実現さえ危ぶまれるとは。
日本の国民性?

いやいや、1964年の東京五輪はうまくいったのだから、日本人が平和に向かないってことはあるまい。米軍のおかげもあるがすでに七十年間、日本国民は「平和力」なるものを見せつけてきた。
しかし現政権、2013年以後の日本政府にはその「平和力」が落第点しか付けられないほど欠如しているようだ。

あきらかに安倍内閣は和を乱すほうに向いている。
とはいえ。ヒトラーでさえ成功させたオリンピックでこれほど失態を重ねるのだから、戦争やらせても勝てそうにないのだが。






真珠湾攻撃成功の報に、欣喜雀躍する日本政府首脳

(画像はイメージです)


後記

ところで日本は、IOCから開催地を剥奪ばかりか、出場まで禁止されることはあるまいね?
まあそのほうが、JOCと現政権にはよいお灸になるんだけど。
しかし、馬鹿と恥知らずと悪党以外はだれも開催を望んでないのが今回の東京五輪だな。







関連リンク

買われた?東京五輪1――電通への質問状
(FACTA online)
http://facta.co.jp/blog/archives/20160224001297.html





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シンセサイザーとパイプオルガン


電子音楽の巨匠、冨田勲が死んだ。
http://goo.gl/7ohlfN
正直、めったに聴かない人なので著名人がまた逝ったか程度の受け取り方なのだが、ちょうどパイプオルガンの起源を調べてた時このニュースに当たるとはなんたる奇遇。
遺跡を見学中に人工衛星の墜落を知らされるようなもので、もしかして「人類は進み過ぎとるぞ。初歩に戻り、またやり直せ」との啓示ではあるまいね。

あー、と。
なんで柄にもなく、パイプオルガン調べる気になったかって?
この古い映画の音楽を聴いたせい。





『ローマ帝国の滅亡』(1964)メインテーマ

凡作史劇ながら、スケールは特大、キャスト・スタッフは一流で、
わけても大家ディミトリー・ティオムキンによる主題曲が秀逸




ローマ史劇なのにBGMがバロック調でパイプオルガン鳴るなんて変だろ、と思ったのが動機。
ざらっと検索して、わかったのは。
パイプオルガンの初期のかたちの水圧オルガンは紀元前からあったそうな。ローマ時代には宮廷や闘技場で奏され、皇帝ネロもこの水圧オルガンの演奏を好んだというのだから、まるっきり間違った使い方ではないわけだ(考証はあのウィル・デュラントが担当)。
まあタイトルで流れたのはさすがにバロック色が濃すぎるが。

いや、こんなウンチク語りは面白くあるまい。
しかし『風と共に去りぬ』の壮大な叙事的味わいをローマ史劇と融合させたような、格調高い悲劇性はなかなかのもの。映画の内容もこの通りならよかったのにと悔やまれる。
作曲担当のディミトリー・ティオムキンは音楽の出来には絶大な自信を持っていたがオスカーを獲れなかったのに落胆、以後ハリウッド映画の仕事はあまり受けなくなったというのをどこかのサイトで読んだ。
ウクライナに生まれカリフォルニアに没した彼の墓は、あのグレンデール市の共同墓地にある。

さて。
冨田勲と聞いて思い出すのが、手塚治虫(だと思う)がある映画(忘れた)の音楽をシンセサイザーで作ってくれるよう依頼した話。ところが富田からは自分が手がけると何千万円もかかりますよとの返事。やむなく手塚(と思われる人)は、交響楽団に演奏させることにしたという。
(うろ覚えで明言できない箇所ばかり、 (´・ω・)スマソ)

凡人の感覚ならシンセサイザー音楽よりフルオーケストラのほうが高く付きそうに思えるが。冨田のギャラが高いのか、多重録音で時間を食うせいか、その両方の理由からか、ともあれ冨田勲を拘束するとえらい金がかかるようになってたってわけだろう。

いったい、なにが冨田をして世界の冨田と言わせるほどの偉物にしたかといえば、それはもちろんシンセサイザーの扱いで力量を発揮、音楽の新しい地平を開いた(と一般には認識される)ゆえだろう。でも仮に、彼がシンセサイザーなるものと関わらなければ評価はどうなされていただろうか。
60年代から有望視された冨田だから、佐藤勝や山本直純のような才能にふさわしい名声を築いたとは思うが、やはり電子音楽を使いこなすことで世界的時流をも乗りこなす機会をつかんだのを否定するわけにいくまい。

時代の求めに、初期のうちから満足いくかたちで応えられたひとりだった。
そうはいっても世界のトミタは、ぼくにとって凄さはわかるが馴染めない音楽家だった。あの『スターウォーズ』もやはり、ロンドンフィルの演奏のほうがいいやと感じたし、いまでもその真価が理解できると思えない。

――と。
せっかく逝ってしまわれたのにこんな感慨では、手向けにならないな。
冨田勲と自分とで寄り合える接点はないものか。
『ジャングル大帝』も『リボンの騎士』も覚えていない。そもそも家では見せてもらえなかったので、話題に出されるとかえって疎ましい。
いや、あった。
冨田はまだシンセサイザーと関わる以前、東映の劇場アニメ『アラビアンナイト・シンドバッドの冒険』(1962)の音楽を書いていたのだ。その劇中、主人公らの乗る船が幽霊の海に迷い込んでしまったとき、シンドバッドはギターを弾いて、霊たちの魂を鎮める。
あのメロディが懐かしい。

懐かしいと言いながらどんな旋律かも思い出せないとは、我ながらいやになる音楽の素養だが、とにかく良い曲だったことだけは何十年たった今でも覚えているという。
Youtubeでいくら探しても見つからないのが残念。誰かDVD持ってる人、曲の部分だけうpしてくれんものか。

こだまする電子音響に包まれて天に召される印象の冨田勲には、あの曲こそ送別にふさわしいかもしれない。







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