戦争を語るブログ

平和を愛し、いさかい好む

アイドル・テロが怖ければ


例のアイドル刺殺事件。
有名人が被害にあったのに便乗するような真似はしたくないが、一言。
映画『会議は踊る』でアレクサンドル一世が言い放つ、「暗殺を恐れては皇帝になれない」という台詞が思い合わされた。これは芸能人の場合も同様で、普通より目立つ存在になったらそれだけリスクが増してくる。

普通より目立つ存在にはどんなリスクがあるかといえば、普通でない人から好かれるリスクだ。
(いやいや、普通でない人がすべて危険という意味じゃない)
むろん有名人でなくてもストーカーには遭う。不幸にも変質者の目にとまった場合だが、アイドルになるとこの危険が飛躍的に増大するわけだ。なにしろ万人に存在が知られるのだから、その中にいる一定数の変質者が彼女に目をとめる。冨田真由が無名のままであれば京都に住む加害者から執着されることもなかっただろう。

おそらくアイドルが世間から特別に見られる存在であるかぎり、すなわちアイドルが何万、何百万、もしかしたら何億という広範な層を相手に自身の魅力をアピールし続けるかぎり、こういうことはなくなるまい。怖ければアイドル商売なんかやるなという話になるが、さりとて日常のように「アイドル・テロ」が起こるわけでもないのだから、彼女の不運はあくまで特例的なものといえよう。
まさに皇帝が襲われるのと同じ程度に。

こんな悲劇がおきたからといって、世の人々は変わらずアイドルを求め続ける。喝采し声援し称え上げ……それはいい。
最悪なのは、アイドルが手の届く存在、誰もが深い仲になれる相手だと思わせることだ。まるで旧知のように馴れ馴れしく接していい相手だと錯覚させてしまう。そこから問題が持ち上がる。





かく申すは理屈なり、というか。
アイドル商売とは、無数の受け手それぞれに「あの娘は、俺の嫁」と思うほど恋と類似の感情を抱かせてはじめて成り立つものであり、上に引用したツイートでのお行儀よく振舞うよう諭すがごとき言い草は実情から大きく乖離する。
アイドルが晒される危険を作り出すものこそアイドルをあらしめる条件そのものではないか。

アイドルが誰にでも好かれるよう振舞うのは、スーパーや喫茶店の店員がお客を愛想よく迎えるのとはわけが違う。
カフェやスーパーが売るものは飲み物であり日配品だが、アイドルの場合、買ってもらうのは自分自身の魅力である。アイドルの仕事はまさに、多くの男たちから恋してもらうことなのだ。

変質者を含む無数の受け手それぞれに、「あなたが好き」と訴え(る振りをし)て幻想をあたえ、夢中にさせてしまうアイドルシステムそれ自体がこの手の犯罪の揺籃と言っていい。発生確率はほとんど起こり得ないほど低いのだが、いざ事件が起ころうものなら世間は大騒ぎ、心理学者を引っ張り出しプロファイリングまでさせて犯人の危険な性向を印象付けようと躍起になる。
しかし誰も、アイドルシステムそのものに問題があるとは思いたがらない。

それが実情だろう。

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犯人の写真。
予想したような病的な感じがあまりないのに、むしろ驚く。
そういうことをしそうな顔というより、どこにでも、だれの隣りにもいそうな顔をしている。





追記

体を二十箇所も刺され心肺停止、あきらかに死亡したと思っていた被害者の冨田真由。又聞きのような不確かな情報でたぶん希望的観測も混じったものだろうが、なんと一命をとり止めたとのツイートを見た。
心肺停止は死亡宣告と同義かと思ってたが、こういう状況も起こり得るのかもしれない。





関連リンク

ストーカーと熱烈ファンの違いは何か
(BBC News Japan)
http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-36356855?ocid=bbc-japan-twitterjapan





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戦争力と平和力


足をとられるばかりで開催準備がちっとも進捗してない感じの、2020年東京五輪。
もう、どうでもよくなってきたような観さえある東京五輪。
ここに及んで、あらたな課題が持ち上がり、前へとあがく人々の前途に立ちはだかる。






東京五輪は賄賂で買い取った?

萩生田官房副長官は早速、「賄賂じゃない。しっかりした信用のある会社に委託したコンサル料だ」という意味の発言で疑惑を否定するが。

萩生田氏の言葉はあくまで国内だけを向いた釈明と思われる。つまり国連人権委の勧告への安倍政権の対応と変わらない。「外からどう文句つけられようが国民には、適当なこと言っておけばいい」。そんな調子で、つい安易な言い訳に逃げたのだろう。しかし今回まで、それでやり過ごせるかは疑問だ。

この買収疑惑はそもそも国際陸上連盟前会長のロシア選手ドーピング隠蔽疑惑に関連して浮かび上がった。「汚職でまみれたあの人物(陸連前会長)なら東京から賄賂も受けるだろう」との色眼鏡で見られるので日本軍性奴隷制度と同様に、海外からの好意的な反応はまずもって期待できない。

しかし菅官房長官はあくまで、「クリーンだ」と強調する。それほど言うなら本当なのかもしれない。
だいたい実情に即したことを言わない人物だが、この件ばかりは言葉通りというのもあり得る。とにかく、賄賂など贈らなかったという可能性は排除できない。
とはいえ、菅氏の言うことだから実際は逆なのだと思ったほうが当たる確率は高い。





この東京五輪招致をめぐる一大スキャンダル。
むしろ大多数の人は面白がっている、と見た。
「そんな馬鹿な。日本がそんな狡い真似するはずないだろ。嘘だ、嘘だ! 嘘だーーっ!!」
こんな調子でむきになって拒絶するような市井の人を見かけない。誰もが「今の為政者どもでは当然」と妙に納得してしまっている気がする。
かたや、「世界中から悪く思われる。日本人として恥ずかしい」と嘆くような人もあまり見ない。

自分に波及してくる問題とは捉えていないのだ。興味のないスポーツ種目の選手団が海外遠征で恥をさらした程度にしか感じないという。住む世界が違う人々をめぐる醜聞のように受け流す日本人がこれほど多い現実。
「関係ないよ。政府が政策やイヴェントでどうしくじろうと、自分たちの暮らしとは」
これが日本の民主主義だ。国の施政や国家事業で失敗した場合に責任をとる者を選び出すだけの制度。
2012年末、アベノ自民が政権を奪い返して以来の日本は嘘と不正と無気力に支配されているわけで、虐待を受けながらも家との絆だけは保った子が、しかし親が家の外で恥をかくのを見てほくそ笑むのと似たところがないだろうか。

これから、どうなる?
疑惑はまだ序の口で、どんな具合に進展しどういうかたちで収拾するかは予断を許さない。
自分的には東京五輪などさっさと返上し、いまからでもイスタンブールに譲り渡したほうが日本のイメージ改善のためには望ましいと思われる。
賄賂疑惑どっぷりの陸上連盟前会長の息子はトルコにも賄賂を求めたらしい。それで東京に決まったのだから、トルコはまったく話に乗らなかった(か日本より出した額が少なかった)ということになる。
イスタンブールのほうが東京よりは開催地の資格ありだろう。
だが必死でしがみつく連中がいる。
アベノミクスの破綻が衆目の目にもあきらかとなりメディアの伝える支持率とは裏腹で実社会の求心力を失いつつある今、現政権にとって東京五輪は党威発揚のため死すとも放せぬ生命線に等しい。

それにしても。
真珠湾攻撃の準備は一年たらずでなし遂げたのに、東京での平和の祭典は開催七年前から決まりながら準備はかどらず、実現さえ危ぶまれるとは。
日本の国民性?

いやいや、1964年の東京五輪はうまくいったのだから、日本人が平和に向かないってことはあるまい。米軍のおかげもあるがすでに七十年間、日本国民は「平和力」なるものを見せつけてきた。
しかし現政権、2013年以後の日本政府にはその「平和力」が落第点しか付けられないほど欠如しているようだ。

あきらかに安倍内閣は和を乱すほうに向いている。
とはいえ。ヒトラーでさえ成功させたオリンピックでこれほど失態を重ねるのだから、戦争やらせても勝てそうにないのだが。






真珠湾攻撃成功の報に、欣喜雀躍する日本政府首脳

(画像はイメージです)


後記

ところで日本は、IOCから開催地を剥奪ばかりか、出場まで禁止されることはあるまいね?
まあそのほうが、JOCと現政権にはよいお灸になるんだけど。
しかし、馬鹿と恥知らずと悪党以外はだれも開催を望んでないのが今回の東京五輪だな。







関連リンク

買われた?東京五輪1――電通への質問状
(FACTA online)
http://facta.co.jp/blog/archives/20160224001297.html





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シンセサイザーとパイプオルガン


電子音楽の巨匠、冨田勲が死んだ。
http://goo.gl/7ohlfN
正直、めったに聴かない人なので著名人がまた逝ったか程度の受け取り方なのだが、ちょうどパイプオルガンの起源を調べてた時このニュースに当たるとはなんたる奇遇。
遺跡を見学中に人工衛星の墜落を知らされるようなもので、もしかして「人類は進み過ぎとるぞ。初歩に戻り、またやり直せ」との啓示ではあるまいね。

あー、と。
なんで柄にもなく、パイプオルガン調べる気になったかって?
この古い映画の音楽を聴いたせい。





『ローマ帝国の滅亡』(1964)メインテーマ

凡作史劇ながら、スケールは特大、キャスト・スタッフは一流で、
わけても大家ディミトリー・ティオムキンによる主題曲が秀逸




ローマ史劇なのにBGMがバロック調でパイプオルガン鳴るなんて変だろ、と思ったのが動機。
ざらっと検索して、わかったのは。
パイプオルガンの初期のかたちの水圧オルガンは紀元前からあったそうな。ローマ時代には宮廷や闘技場で奏され、皇帝ネロもこの水圧オルガンの演奏を好んだというのだから、まるっきり間違った使い方ではないわけだ(考証はあのウィル・デュラントが担当)。
まあタイトルで流れたのはさすがにバロック色が濃すぎるが。

いや、こんなウンチク語りは面白くあるまい。
しかし『風と共に去りぬ』の壮大な叙事的味わいをローマ史劇と融合させたような、格調高い悲劇性はなかなかのもの。映画の内容もこの通りならよかったのにと悔やまれる。
作曲担当のディミトリー・ティオムキンは音楽の出来には絶大な自信を持っていたがオスカーを獲れなかったのに落胆、以後ハリウッド映画の仕事はあまり受けなくなったというのをどこかのサイトで読んだ。
ウクライナに生まれカリフォルニアに没した彼の墓は、あのグレンデール市の共同墓地にある。

さて。
冨田勲と聞いて思い出すのが、手塚治虫(だと思う)がある映画(忘れた)の音楽をシンセサイザーで作ってくれるよう依頼した話。ところが富田からは自分が手がけると何千万円もかかりますよとの返事。やむなく手塚(と思われる人)は、交響楽団に演奏させることにしたという。
(うろ覚えで明言できない箇所ばかり、 (´・ω・)スマソ)

凡人の感覚ならシンセサイザー音楽よりフルオーケストラのほうが高く付きそうに思えるが。冨田のギャラが高いのか、多重録音で時間を食うせいか、その両方の理由からか、ともあれ冨田勲を拘束するとえらい金がかかるようになってたってわけだろう。

いったい、なにが冨田をして世界の冨田と言わせるほどの偉物にしたかといえば、それはもちろんシンセサイザーの扱いで力量を発揮、音楽の新しい地平を開いた(と一般には認識される)ゆえだろう。でも仮に、彼がシンセサイザーなるものと関わらなければ評価はどうなされていただろうか。
60年代から有望視された冨田だから、佐藤勝や山本直純のような才能にふさわしい名声を築いたとは思うが、やはり電子音楽を使いこなすことで世界的時流をも乗りこなす機会をつかんだのを否定するわけにいくまい。

時代の求めに、初期のうちから満足いくかたちで応えられたひとりだった。
そうはいっても世界のトミタは、ぼくにとって凄さはわかるが馴染めない音楽家だった。あの『スターウォーズ』もやはり、ロンドンフィルの演奏のほうがいいやと感じたし、いまでもその真価が理解できると思えない。

――と。
せっかく逝ってしまわれたのにこんな感慨では、手向けにならないな。
冨田勲と自分とで寄り合える接点はないものか。
『ジャングル大帝』も『リボンの騎士』も覚えていない。そもそも家では見せてもらえなかったので、話題に出されるとかえって疎ましい。
いや、あった。
冨田はまだシンセサイザーと関わる以前、東映の劇場アニメ『アラビアンナイト・シンドバッドの冒険』(1962)の音楽を書いていたのだ。その劇中、主人公らの乗る船が幽霊の海に迷い込んでしまったとき、シンドバッドはギターを弾いて、霊たちの魂を鎮める。
あのメロディが懐かしい。

懐かしいと言いながらどんな旋律かも思い出せないとは、我ながらいやになる音楽の素養だが、とにかく良い曲だったことだけは何十年たった今でも覚えているという。
Youtubeでいくら探しても見つからないのが残念。誰かDVD持ってる人、曲の部分だけうpしてくれんものか。

こだまする電子音響に包まれて天に召される印象の冨田勲には、あの曲こそ送別にふさわしいかもしれない。







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トランプ警備保障

現実味を帯びるトランプ大統領 米軍駐留費用「日本が全額支払うべき」と断言
(BuzzFeed)
https://www.buzzfeed.com/sakimizoroki/trump-victory-and-military-in-japan


「メキシコ国境に長城を築く」「イスラム教徒は入国禁止」とおなじで、荒唐無稽もいいところだが。

この人は引き算ができないようだ。米軍が日本に守備拠点を置いたことでアメリカ本土はいかに効率的に守られたか、まるでわかっていない。逆にもし米軍が日本から引き払い、極東情勢が戦前のように不安定と化せばアメリカはどれほどの代価を払わねばならないかも知るべきだ。
在日米軍がアメリカの安全のためにこそ必要だとの認識がない。

トランプの言い草は、ハリウッドが「おまえの国で映画撮影してやるから、ロケにかかる費用すべて出せ」と要求するようなもの。どこの映画会社がそんな無茶を言うだろう。
たしかに撮影隊が乗り込めばロケ地は潤うが、製作者は金をばら撒くためではない、映画を作って儲けたいから撮影にくる。そうして出来た映画が目論見どおりにヒットすれば、ロケ撮影に投資したのとは比較にならない莫大な見返りが得られるのだ。
ただし出来が悪くて赤字をこうむるリスクもあり得るが、それは作った側の責任となる。ロケ地のせいにはできない。

「いや、日本に米軍基地は必要だ。たしかに日米同盟は大きな利をもたらしてきた、今の駐留費負担は少なすぎる」と感じるとしたらトランプの舌先に乗せられた証拠。額を増やすにせよ、わが国の負担分は総経費の13%〜22%までだろう。
いざというとき自衛隊の戦力はもちろん日本側の数々の便宜に、米軍が頼れるメリットは金額に換算できない。日米同盟が長く続いたのは、双方にとって出費以上の益になるとの共通の了解があったればこそだ。

さて。
大変困るのは、記事を読むかぎりトランプの語る理屈は、何も知らないアメリカ人に説得力があるということだ。そう、何も知らないアメリカ人なら納得してしまう。彼らはみんな一票の選挙権を持っており、トランプに投じるかもしれない。

あり得ないことが続く悲運も起こり得る。
仮にトランプが合衆国大統領になったとして、しかも公約にたがわず日本に米軍経費全額の請求を突きつけ、そのうえ周囲が止めもしなかった場合。
そのときは、日本側の交渉力が問われるだろう。


追記

思い違いかもしれないが。
どうやらドナルド・トランプは、在日米軍の駐留費用だけでなく第七艦隊から空軍宇宙軍団にいたる、日本防衛のため米軍が活動する費用は何から何まで全額日本が負担せよと言っているようだ。

もしかしたらトランプは、合衆国の三軍を使った国際的な警備会社を始める魂胆なのか。
アメリカの安全を外壁となって守る同盟諸国との軍事協力費を当事国がすべて払えとは前代未聞だが、アメリカがアメリカの力だけで守られたと思っている彼には妥当なことだろう。
この件をさして、「トランプ警備保障」と呼ばせてもらおうか。





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ニッポンこわい


前回の記事。
http://blog.livedoor.jp/manfor/archives/52031811.html
はじめは「原爆トランプ」の記事題にあわせ、「原爆よりトランプのほうがよっぽど怖いや〜」みたいなオチで締めようかと思っていた。ところが書くうちに、日本の国民性のほうが原爆よりもトランプよりも、どんなものより恐ろしいのではと思い当たり、なんとも言えない気分に陥った。
たしかに日本は原子爆弾を投下された唯一の国だが、そうなったのには相応の理由があるのかもしれない。

見てほしい。
最近、Twitterで話題をさらったこのツイート。
ある人が台湾の空港で撮った旅客者の国籍調査の写真だ。
赤丸の小さなシールを出身国の欄に貼って回答するのだが、問題はそのシールの貼り方。





日本人の、他国民とくらべた一目瞭然の特異性


なぜ、こんな場合でも整列させなければならない。軍隊国家か、ニッポンは?
日本人だけだ、世界中でこんなのは……。
自分的には、なんとも暗澹たる気分にさせられた。日本人に個々の立場での主張は百年先まで不可能ではとのあきらめに似た思いというか。
一枚の写真で断じるのもなんだけど、他の局面でも覚えがある我々の集団的性向を重ね合わせると、一事が万事という気になってくるのである。

ちなみに、コメント欄も驚きだ。これに呆れるどころか、なにやら肯定的で誇らしげな感想のほうがずっと多く、やはり国民的な特異性が全開という。
これではどうしたって、「日本人に生まれてよかった」とは真逆の感慨を抱かざるを得ないではないか。

すでに集団主義の実体すら失い、形骸化されたごとくの規律への隷属。
監視され命じられたわけでなくても日本人の見せるこうした、一人ひとりの骨身に染み付いたかのような天然の組織的群居性とも呼ぶべき性向のほうが、原爆より怖くてたまらない。もはや笑い茶化す気もしないほどに。

この、周囲から異分子と見られないよう自我を抑えて整列することで、逆に周囲の世界とはっきり際立ってしまった異分子の大集団。
それが日本人。
「いいではないか、きちんと並んで何が悪い」と言うかもしれないが。
「おまえたちも俺たちと同じアジア人だろ、みんなで同じ向きに並べ」と力づくで整列を強要したのがあの「大東亜戦争」ではなかったか。こうした結束ぶりを誇示しながらファシズム陣営以外のすべての国に対峙、周辺地域に広島・長崎を上まわる規模の惨害をもたらしたのだ。

「ニッポンこわい」と感じるのは、けっして天が降るのを案じる危惧ではあるまい。







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