戦争を語るブログ

平和を愛し、いさかい好む

2005年08月

百人斬り裁判、落着す

本多勝一は好きな人物じゃないが、判決については順当と言えるものだろう。
戦犯遺族の涙を盾に、歴史の修正を謀ろうとする右翼マスコミの驕りが裏目に出たのかもしれない。


http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20050823it04.htm

「百人斬り」報道、旧軍少尉遺族の損賠請求を棄却

http://www.asahi.com/national/update/0823/TKY200508230181.html

元将校遺族の請求を棄却 「百人斬り」訴訟で東京地裁

http://www.sankei.co.jp/news/evening/24nat002.htm

「事実なき報道、許すのか」 「百人斬り」訴訟棄却

http://www.chunichi.co.jp/00/sya/20050823/eve_____sya_____012.shtml

「百人斬り」報道訴訟 軍人遺族の請求棄却 東京地裁「記述虚偽とは言えず」

自由主義史観研究会、「北米支部」を開設

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歴史認識 に参加中!
自由主義史観研究会、「北米支部」を開設。
http://www.kardia.biz/~jiyuu-shikan/index.htm

しばらく前から活動を始めてるらしい。
正直、狙いどころは悪くないと思った。

海外で暮らす日本人は、
母国をはなれ外人の中に身をおく孤立感から
「ニッポンらしさ」にはまりやすい傾向にある。

だから、日本人を歴史修正主義に引っ張り込むには理想の環境に見えるのだろう。

今後、自由主義史観研究会は、これまでの
孤独な年寄りと引きこもり青年らに、海外生活不適応者を加えての三本柱、
いずれも日本の現実が認知できない人々によって支えられることになるかもしれない。

ただし(指を突きつける仕草)。
北米の日系人まで味方に引き入れようとはしなさるな。
彼らは歴としたアメリカ市民であり、アメリカの戦争責任が関わる場で先祖の国か新世界かと問われれば、迷いなく祖国のほう(合衆国)を選ぶ人たちだ。

普通の日本人が自由主義史観研究会というものに対する反応よりも、ずっときっぱりしたやり方で、日本軍国主義を正当化する団体への拒絶を示すはずである。
うかうかすれば、ネオナチに対するとおなじ猛反発を引き起こしかねない。

自分たちの認識の古さを思い知らされるだけの結果に終わるから、やめておけ。

「自虐史観」という言葉を好む変わり者たち

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「自虐史観」って何だ? に参加中!
「自虐史観」という言葉を好む人々のことは、私には永遠に理解不能だ。
自分の国のしたことはなんでも美化し肯定しなければ「自虐」だとレッテルを貼るような、幼児的なわがままぶりが本物の愛国心と等しく並ぶものとは到底思えないのである。

彼らの言い分はこうだ。
「とにかく、日本は正しい。戦争の目的は立派で、西洋人から亜細亜を解放する大義の戦争だった。戦い方も、捨て身の攻撃で愛国心を発露したみごとなものだ。敵国側はすべて間違ってる。彼らは、人肉食の野蛮人、差別主義者、卑怯者ぞろいなうえ、国際法無視の戦争犯罪者である」

残念ながら、まっとうな知性をそなえた大人の人間が同調できる内容ではない。
これでは、「自分の国はこうあってほしかった。いや、絶対こうなんだ」
と決め付ける、少年漫画にかぶれた幼児の夢想そのものであろう。
未熟なヒロイズムを祖国に投影し、酔おうとするだけで、そもそも史観として成立していないのだ。

いやしくも歴史を公正に評価したいならば、国家とか民族といった自己の利害のからんだものとはできるだけ距離をおいて眺めるべきところなのを、
「自由主義史観」とやらの信奉者はいきなり、自国のぶざまな部分を美しく塗り替えるというやり方で対処してしまう。
「日本人なら日本の過去をなんでも是認するのが公正」になるらしい。

彼らにとって日本史とは、みずから眺める対象ですらなく、隣人に自慢するためにだけ華美に飾り立てた門構えにすぎないようである。

これがネオジャップだ!

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大東亜戦争について に参加中!
 お気を付けください。
 気に食わない発言をする者はすべて日本人に成りすました韓国人や中国人だと思いこみ、不快な罵詈を浴びせるという、愛国者きどりの妄想集団「ネオジャップ」がネットで暴れています。



これがネオジャップだ!

――集団狂気の実態を観察――

☆ 常識がない
 インターネットも社会の一部であり、マナーが必要な世界だとわかってない。
 大手の掲示板を暴言族のたまり場として荒れ廃れさせた張本人どもである。

☆ とにかく頭が悪い
 気に障ることを言う者は在日異民族が日本人に成りすましているのだと単純に思い込む。
 日本人が自分側に不利な発言をするはずがないと本気で信じ込んでる。
 「俺は高学歴だ」とむきになって言い張るのもいるが、それほどの頭とはどうしても思えない。
 ていうか、おまえの学歴なんぞどうでもいいわい、アホンダラ(笑)。

☆ ガキである
 国家と個人を同体化して考える。
 だから、日本のことを批判されると自分がバカにされたように、むきになって怒り出す。
 要するに、祖国というものに幼稚な認識しか抱けない。
 「国家とは国民が厳しく管理し、従わせるべき野獣。管理を怠れば、国民を滅ぼしてしまうほど恐ろしい」ことがまるでわかっていない。
 大東亜戦争とはまさにそうした災厄だったのに、一億一丸となり祖国を守るため命を捧げた崇高な史実だと盲信している。

☆ 独創性がない
 言うことは、「ゴー宣」や「新しい教科書をつくる会」の受け売りばかり。
 自分の解釈がない。

☆ ユーモアがない
 他人を卑しめ、嘲るばかりで、言葉でみんなを楽しませることが出来ない。
 せいぜい、くだらないダジャレをほざいて喜ぶのが関の山。

☆ ちゃんとした議論ができない
 「日本軍が何万も殺した」と非難されれば、「相手側は数百人殺した」実例を持ち出して強引に対置させ、自国にとっての不利な事実を反古にしようとする。
 ネオジャップの言い返し方はいつも、こんな調子に「鏡面反射」を繰り返すばかり。絶対に落ち度は認めず、謝罪することを頑なに拒み続ける。
 要するに、独自の視点から反論を展開し、相手を打ち破る知能がない。

☆ なぜか「十五歳の中学生」が多い(爆)
 議論に打ち負かされると、「ぼく、なにも知らない十五歳の中学生なんです〜」とか言い訳して逃げる。
 そうやって、こちらが、大人のくせに年少者をやり込めた年甲斐のない男という悪印象を残そうとする。
 あいにくだけどさ、ネオジャップのお兄ちゃん。ぼくちゃん、まだ十二歳の小学生なんだよね(藁)。

☆ ひとりで相手に向かえない
 ネオジャップにとって議論に勝つとは、大勢で声を張り上げ、相手側の声を封じてしまうこと。
 そうやって、民主主義とは多数で少数を袋叩きにすることだと信じこんでる。
 まさに、根っからのファシズム集団!

☆ 2ちゃんねるがなければ生きられない
 本当に、逝ってよし!

☆ 害虫なのに愛国者気取り
 ウジャウジャウジャ! ゲジャゲジャゲジャ! グジャラグジャラグジャラ!
(害虫語。意味不明)

☆ 鼻つまみのくせに人気者気取り(笑)
 こうしたネオジャップが大掲示板で板の担当をまかされた場合。
 自分の仕切る板を盛り立てようと、見えすいた自作自演劇をやらかすことが多い。
 そんなものはだれも読まないし、利用者からすれば、担当者のくだらないヤラセのせいで自分の発言が埋もれてしまい迷惑なだけなのに、なにやら掲示板の名物男気分になって喜んでる(アホウ!)。



付録   ネオジャップの好む三大名言


南京大虐殺なんかなかった!

南京で日本軍が虐殺行為をおこなわなかったと証明されれば、日本のどんな罪も帳消しにできると本気で思い込んでる。


真珠湾攻撃はアメリカ大統領の陰謀だ!

米国大統領が意地の悪い要求で日本を開戦に追い込み、自国の戦略的心臓部に配置した艦隊主力をわざわざ攻撃させたというありそうもない与太話を真に受け、日本が悪党の罠にはまった純然たる被害者だと本気で思い込んでる。


謝罪しろだとお? 原爆おとしやがって

原爆投下の事実を持ち出し、相手側を非難すれば、日本側のどんな罪も許される切り札になると本気で思い込んでる。

愛国マニア

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原爆投下60周年 に参加中!
 一九六十年代末、徒党を組んで行進し、「大人たち」に抗議する「子供たち」は、本物の子供でも見抜けるような、こじつけとしか思えぬ大義名分をがなり立てていた。

 彼らは、日本に繁栄をもたらしたアメリカとの同盟条約が延長されることに反対し、自分たちが安楽に人生を過ごせる豊かな社会を築いてくれた親の世代を宿敵に見立てたのだ。

「(俺の体内に)貴様のような悪党の血が流れているかと思うと、恥かしいわい」
「おのれ、親に向かって」
 これが、この時代の構図をとらえた劇画の台詞である。

 学生活動家のほとんどは、暮らしに窮したのではないし、圧政による迫害を被ったのでもなく、ただ腹ごなしのため機動隊を相手にゲバ棒を振りまわしていただけだった。
 それはまさにブームとなった現象だが、今の時代の「愛国マニア」が「自虐史観」を攻撃する構図となんとよく似ていることだろう。

 「愛国マニア」たちは、往来でゲバ棒を振りまわす覇気などないにせよ、仲間同士で群れ合い、建設的な意見による交流がおこなわれるべきインターネットでひたすら破壊的な暴言ばかり吐き散らかしているのだ。
 内弁慶なテレビゲーム世代による親世代への反抗ともなれば、こういうカタチとなって現われるのかもしれない。

 彼らには、それぞれにバイブルを見出せる。
 安保闘争の頃の『戦争を知らない子供たち』と今の『ゴーマニズム宣言』。

 どちらも、世の中を知らない未熟者が勝手なことを書きまくった本にほかならず(だから、おなじような連中から受けた)、その時代の愚かしさが濃縮されたものという点で、双子のようによく似た二冊。

 二人の著者は、本以外のことではけっこう社会に得をもたらしたが、本が原動力となって社会を変えるまでにはいたらなかった。
 結局、北山修が数曲の美しいメロディーを残したように、小林よしのりは何人かの可愛いキャラクター(あの実物とまるで違う自画像ではない)を提供するだけで終わりとなるに違いない。

 そして、「ゴーマニスト」らの政治姿勢的な極端ぶりと関わりなく、時代はバランスを保ちながら流れていき、やがて後続の世代から、若い頃のおこないについて審判を言い渡されることとなる。

「なんで、あんな馬鹿なこと言い張ってたの、お父さん?」

「山本五十六/早期講和への果てなき道」


 愚将といえば、山本五十六さんをおいてほかにありません。

 彼は、一九四二年という重要な時期、スエズ方面でロンメルと合流させ、ドイツ軍と協働して英国の息の根を止めるのに役立てるべきだった世界最強の海上機動部隊に対し、ミッドウェーやソロモン諸島という見当はずれの方角への出動を命じ、大損耗をこうむらせてしまいました。

 まるで、指揮下の精強な騎兵旅団を敵軍陣地に正面から突撃させ、台無しにした、クリミア戦争でのカーディガン将軍のごとき愚挙!
 カーディガンは数百騎の損失を祖国にあたえただけですが、山本のほうは当時、日本がかろうじて確保した大東亜共栄圏の水域を守備するため不可欠だった連合艦隊を再起不能に陥らせたのだから、比較にならぬほど責は大きい。

 これで、日本の敗北は確定したのでした。

「山本五十六/早期講和への果てなき道」
http://www3.ocn.ne.jp/~storm/yamamoto/yamamoto.html>



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恥ずかしい

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大東亜戦争について に参加中!
いまや、どこのブログや掲示板も
ネット右翼向けにつくられた宣伝マニュアルの全文書き取りだらけ。
教えられたことをそのまま言い触らしてる感じで、自分の観点というものがない。
うならせるほど個性的な意見を探すのは、猫の群れから虎の子を見つけるより難しい。
しかもその内容がまた、間違いだらけ!(偏った認識、史実の歪曲、誤字脱字)
書き取りを間違えたのか、そもそもマニュアルが間違ってるのか。
いずれにせよ恥ずかしい。

すくなくとも俺が高校のころには、
「他人と同じことを言うのは恥だ」という意識を持ってたがな。
今の若輩だと「みんなと同じに言えないのが恥」なのかな。
まるでファシストのようだ。
小学生のようだ。

ほんとうに恥ずかしい。

水と油


日本人とドイツ人。
ヨーロッパとアジアに隔たり、肌の色まで異なりながら、気質は双子のようによく似ていた両国民。
第二次世界大戦とは、日独国民の(たぶんに体系的な)集団性の妄想が現実のものとなるのを現実世界が阻止しようとした戦争と言えるかもしれない。

個人の狂気は多くの場合、私的な妄想に浸りきるかたちとなってあらわれ、周囲に害をおよぼすことは滅多にない。
だが、一人一人は普通に見える人々が寄り集まってかたちづくられる集団性の狂気は、現実と対立し、現実の中に自分たちの共有する妄想を具現化する団体行動へと向かう。
彼らは、現実と折り合うというやり方でなく、大人数で現実を征服することによって虚妄を強引に実体化させてしまうのだ。

そうした狂気の塊が巨大な足場となって在らしめられた二つの機構、第三帝国と大東亜共栄圏が世界の中に存立できる余地ははじめから失われていたのかもしれない。
ドイツがヨーロッパの半分を支配し、日本がアジアの大部分を占領したとしても、それは、妄想が集団の力を得て一時的に実体となった状態にすぎなかったのであり、現実世界の反撃の前に維持する力が失われれば、混ぜ合わされた水と油が分離するように元の状態に戻るだけ。

日独と彼らを取り巻く世界こそは、相容れることのない水と油だったのである。


 教訓。
賛同者が増えれば道理を踏み外した目論見でも可能になるとはかぎらない。
大勢の唱和する声が本当に正常な意見か否か判断する力を培っておこう。
「みんなと同じ事をしてるから」と安心するようではあなたも危ない。



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ソ連の対日参戦がなぜ、「日露戦争の報復」か?

 二百万近い赤軍兵が満州・樺太になだれ込んだ、第二次大戦末期の日ソ開戦をスターリンが「日露戦争への報復」と銘打ったのは、実は日露戦争よりもシベリア出兵への報復が真の動機であったかもしれません。

 シベリア出兵。
 ロシア革命直後、内戦と干渉戦争で揺れ動く新生ソヴィエトのもっとも苦しい時期、日本が東から大規模な派兵をおこない、ソ連から国土をもぎ取ろうとした隣国への火事場泥棒。

 領土欲の露骨すぎる、このシベリア出兵は結局、国際的な非難を浴び(日英同盟破綻の一因となりました)、日本軍の撤退で片が付いたわけですが、ソ連にしてみれば、侵略者に痛打を与えて追い払ったと言い切れぬ、歯がゆい解決の仕方だったはずです。

 そうした近い史実がありながら、対日参戦の時、スターリンがわざわざ日露戦争を持ち出したのは、帝政時代のロシアがおなじ帝国主義国に敗れた過去と照らし合わすことで、国民の間からロマノフ朝時代のコンプレックスを払拭し、同時に社会主義政権の威信を高める狙いからだと思います。

 さらにこの当時、対ファシズム戦争の同盟者アメリカとイギリスは、かつて日本と共にソ連領土に攻めこんだ、まさに旧敵国でしたから、時期的に干渉戦争時代のことを蒸し返すわけにいかなかったのではと推察されるのです。

いわゆる愛国心について

 右翼系の人々は、自分だけに資格があるかのように、「愛国」という表現を好んで口にする。

 だがいったい、愛国なるものの対象とは?
 日の丸、君が代、皇族、国境、旧領土……もしかしたら彼らは、シンボルとしての日本を愛しているだけではないのか?
 それも、新しい日本から生まれたシンボルではない、半世紀前に崩れ去った大日本帝国から継承されたシンボルばかりを。

 日本を愛するとは、領土を愛することでもなければ、世間を愛することでもない。
 ほかならぬ国民としての自分を愛することだ。
 どの個人も、国を愛することをそこから始めなければならない。

 自分を愛するという行為に、ナルシズムやエゴイズムしか読み取れないとすれば、心理的に無理な抑圧をおこなっている証拠であり、独裁者バンザイの全体主義はそうしたゆがんだ心理が寄り集まって温床となることが多い。

 実際には、自己の生命を、自己の人生を大事にできない人間に、数多の自己によって成り立った祖国を良くすることなどできるものではない。
 祖国とはそのように自立した個人個人の集合体であるべきだし、祖国への犠牲を強要する人々に占拠された国など、愛国心の発露に値しない物理的な枠でしかなくなってしまう。

 巨大な実例がまさしく、戦時下の大日本帝国だった。
 一億火の玉、特攻、玉砕、集団自決……当時の日本人は、すべてが「愛国者」だっただろうか? 今現在の平均的日本人より、ずっと愛国的な人々ばかりで占められていただろうか?

 自分はそうは思わない。

 大戦中の日本人は、ただ死ぬことにのみ、潔く散ろうとすることにのみ狂的な情熱を捧げたのであり、祖国を守りぬくという本来の目的には天晴れなまでに貢献しなかった。
 同時代の八路軍やユーゴ=パルチザンのような持久力、後年ではヴェトナムのゲリラが圧倒的火力の前に発揮した、しぶとさ、粘り強さにまるで欠けていたのだ。

 当然のことながら、このような国民が示す戦いぶりの結果として、「神州不滅」なる壮語にもかかわらず祖国を救うことなどできはせず、大日本帝国は滅亡した。
 自分らの国を滅ぼしてしまうような民衆を「愛国者」などと呼ぶわけにはいかない。

 「一億玉砕」を叫んだ人々は、祖国を愛したのではないし、おそらくはじめから勝つ気もないまま、待ち受けるなにかへと突き進まずにいられぬ、あの戦争の原動力のひとつとなった巨大な集団的衝動に動かされていただけだったのではないか。

 そうした人々が寄り集まって行動を起こしても、カミカゼにせよ、万歳突撃にせよ、ただ犬死にしてみせる才能を発揮するだけでしかない。

 われわれは、イタリアは弱かった、フランスは弱かったと嘲り、日本軍の死を恐れぬ戦いぶりへの引き合いとする。
 だが、日本も弱かったのだ。
 敵の前に勇猛なありようで死ぬことばかりを渇望する軍隊に敵を追い払えるはずがないではないか。

 あるジャーナリストは、ドイツの電撃戦の前に敗れ去ったフランスの弱体ぶりについて、「フランスは戦わなかった」と評した。
 日本は勝とうとしなかった。

 これが、大東亜戦争についてのもっとも重要な事実かもしれない。

ナチスと組まなければ災いは避けられた?


不思議でたまらないのは、「1940年代に、日本はヒトラーと同盟しなければ災いは避けられた」と大真面目で主張する御仁のいることだ。
問題の核心をまるで見誤っていると言わせてもらいたい。
日本が災禍を被ったのは、「ドイツと結んだ」からではなく、「ドイツと同じように」国民一丸となりファシズムの道を驀進した報いだったはずである。

実を言えば、災いは一人のアメリカ人を敵にすることによって招き寄せられた。
フランクリン・ルーズベルト。
今日、歴史修正主義者が「日本を開戦に追いやった張本人」とこき下ろす、当時の合衆国大統領。
タイム誌によって「二十世紀を代表する偉人」に選ばれたこの人物は、わが国が露骨な侵略国家だから目の仇にしたのであり、ヒトラーの相棒になろうがなるまいが、日本が軍国主義からみずからを解き放たないかぎり、同じ扱いを受けた(すなわち敵対者として扱われた)のはまるで疑う余地がないところだ。

アメリカが日本を追い込んだ最大の理由は、英米両国が覇者としての将来的な適性を備える世界の中で、日本が自国の進む道を、まさにドイツやイタリアと同じかたちで踏み外していたことにある。
国家も国民もはるかに未成熟だった頃の英語圏諸国によって「新時代の正義」が遂行されたあの戦争で、イギリスもアメリカも、まったく紳士的で人道的に戦争を進めたわけでないのは自明の理だろう。
にもかかわらず英米両国民は、理想を具現化する場合に発揮される能力というか、実際状況への適応性においてドイツ人や日本人より恵まれたところがあり、そうした資質の差の国家的集積が勝敗を分け、歴史をつくったのだった。

残念ながら、彼らの勝利は偶然の賜物ではなかった。
「勝者が歴史を記す」のではなく、「歴史はその時代の適者に勝利を授ける」のであり、敵側は勝つべくして勝ったことを銘記したい。
「勝てば官軍」だと言い訳する人は、この巨視的な真理を見ようとしないだけなのだ。

ナチスと組もうが組むまいが、日本が武力で周辺地域を従わせようとする国策を捨てないかぎり、すなわち帝国であることを放棄しないかぎり、結局は、前途で災いが待ち受けていたことは確実だろう。

世界的な潮流として植民地主義は翳りを帯び、大ニッポンが存立できる時代は終わりつつあったのだから。



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スウェーデンに学べば

日露戦争の経験は日本国家にとって、避けえない運命だったのだろうか?
実際、朝鮮半島を取られたら日本の死命にかかわった、
さらにあの時代、産業国家として脱皮するには商品を売りさばく独占市場が不可欠だった、
などと云う人達で一派が形成されるほどだが……。

ひるがえって、スウェーデンはどうか?
ロシアとの戦争に敗れ、フィンランドを奪われることで、長大な国境線が地続きで隣り合わせになるという状況は、
日本が朝鮮半島に踏みいったツァーリの軍隊と日本海を挟んで対峙するよりずっと由々しき事態だったはずだ。
それが結局、スウェーデンの独立を脅かすことにならなかったのと同様、
朝鮮がロシアに併呑された仮定をもって、日本国家存亡の瀬戸際と捉えるのはあまりにも短絡であろう。
(これは実際、「ロシアにノルウェーまで進出されれば北海が脅かされる。今のうち英国は、スカンジナビアに出兵してロシアを退けるべし。さもないと国が滅びる」と弁じるに等しい。)

そのうえスウェーデンは、海外植民地なしで産業革命を軌道に乗せた立憲君主国なのだ。
日本のような持たざる後発国にとって良い手本となりえたはずであり、勇気ある決断によって、同様の選択肢を選ぶこともできなくはなかったろう。

にもかかわらず、明治国家は単独で、それこそ国を滅ぼしかねない大戦争にのめり込んでいく。
これでは、日本は帝国でありたいから帝国としての道を歩んだとしか思えない。
ロシアの脅威論は自己の選び取った植民地主義を正当化する理由付けにすぎないものであろう。

日本には、英国やプロシアの真似だけでなく、スウェーデンの真似もして欲しかった。

「電車男」のヒットと2ちゃんねるの落日(承前)

したがって、西村ヒロユキが世俗の名声になおも拘泥するのなら、2ちゃんねるをより社会常識の通用する場に改造するか、思いきって2ちゃんねるを切り捨てなければならない。
もっとも、2ちゃんねるから離れた西村にはなんの力もなくなるが。
そういう意味で、世界でだれよりも2ちゃんねるを必要とする男こそ、西村ヒロユキであろう。

ただしこれは、2ちゃんねるにとって西村が必要不可欠という意味にはならない。
2ちゃんねるに必要なのは小学生の道徳である。
それのみである。

だから結局、西村は、自己の育てた大掲示板群にたむろする連中に対して、野良犬の群れをよそ様に噛み付かないよう、飼い犬のように躾けなおすのと同様な課題を負わされることになろう。
「『電車男』から2ちゃんねるの凋落がはじまる」と言ったのはこういった意味合いによる。

先が見えた運営者らのことは、もういい。
実質的に2ちゃんねるを構成する存在、毎日のように各々の掲示板に入り浸り、読んだり書いたりする一般利用者はこれから、どうなるのか?
私見では、彼らに残された時間もやはり少なくなっているように思う。

もともと、2ちゃんねる自体がインターネット草創期の不分明で未分化な状況を潜り抜けるようにして肥大化を成し遂げた隙間産業だった。
それは、アングラサイトの掲示板を大規模にしたうえ、カテゴリーを百科事典的に細分化し、別次元の存在として機能するように仕立てられた代物であり、さながらトイレの壁の落書きを示威行進させてやれという悪巧みの発展した姿にほかならない。
大きな干渉を受けない甘やかされた状況で、本来禁じられる中傷や差別語、罵詈雑言が飛び交う環境を維持できたことが集客効果を挙げ、下劣なストレス発散の場として膨れ上がるだけ膨れ上がることを可能ならしめたのである。

だが、もう限界だ。
いまや、あまりにも大勢が2ちゃんねるの有害さに気づき、
「電車男」のヒットによって、これまで2ちゃんねると関わりなく過ごしてきた人までがその実情に接する。
倫理上の禁止コードさえ通じない今までの姿でこれ以上拡張する余地はなくなっている。
遅かれ早かれ、「言葉狩りによる人権擁護」はインターネットでも適用されねばならないし、まさにそのとき、インターネットは正式のメディアとして市民権を得られるわけだが、
旧来の2ちゃんねるのままでは市民として認められるのはあきらかに不可能だ。

2ちゃんねるの、すくなくとも今のかたちの2ちゃんねるの終焉は間近に迫っている。
しかも、その末路に劇的なところはほとんどあるまい。

おそらく彼らは、六十年代のヒッピー族と同様な衰退の道をたどる。
わずかな年数の繁栄を謳歌するものの、ある時期が過ぎれば、綺麗さっぱりと絶滅したように消え失せてしまうわけだ。

ところで、2ちゃんねるが消滅して、あぶれ出した連中は世の中に害をなすだろうか?
そうした危惧は2ちゃんねるが悪質なサーファーを隔離する場として役立つとする運営者側の恥知らずな主張に足場をあたえている。
答えから言えば、「2ちゃんねるがなくなって悪くなるものはひとつもない」のである。
「隔離」どころか、普通のサーファーから人の心を失わせ、悪質なサーファーに変えてしまうのが2ちゃんねるという有毒きわまるシステムの実相ではなかったか。

2ちゃんねるで培われた性格が実社会にまで持ち越されるかといえば、過去のヒッピー族の実例を見れば顕著だが、まったくそういうことはないと断じられる。
2ちゃんねるから離れた人間が2ちゃんねらであり続けるのは不可能で、もしも、2ちゃんねらがネット以外で生き長らえたように見えたとしても、実社会から矯正され、実社会に吸収された場合に限られよう。

そもそもが、人生を捨ててまで独自のスタイルを堅持できる連中ではないのだから。

「電車男」のヒットと2ちゃんねるの落日

ちょっとでも2ちゃんねるを知る者であれば、
「電車男は2ちゃんねるでの実話に基づいた」という触れ込みを、一笑に付すだろう。
「ありえねー!」(爆
どのくらい「ありえない話」かといえば、
「アウシュヴィッツで、ユダヤ娘に恋心を抱くユダヤ人をドイツの看守が励ます」ほどにもありえないのである。

この偽の実話にもとづいた物語のメディアでの好評ぶりは、
(かなりの部分、「紀伊国屋マジック」によってつくられたはずだが)
実際には2ちゃんねる運営者らの思惑と反し、
2ちゃんねらなる存在が一般社会で受け入れられるには、
2ちゃんねるらしさを捨てるか、
2ちゃんねるのほうを実社会にそぐわしく改造するしかないことをはからずも実証したと言っていい。

「電車男」をカタチになすための2ちゃんねる関係者の苦労は並大抵ではなかったかもしれない。
なぜなら、平素から2ちゃんねるでやっているような、削除人どもを鞭打ち、自作自演のスレッドを量産させるようなわけにはいかないからである。

問題のほとんどは2ちゃんねら自身の特異性(というより異常性)に起因する。

疑いもなく2ちゃんねるは、日本のKKKである。
日本社会が旧態なままであれと願う者にとって邪魔になるもの、
進歩主義者と在日異民族を嫌悪する。
ほかにも、身障者、同和関係者、新興宗徒、ニート族や低教育層への差別観を植え付けようと躍起だ。

その倫理上の偏りはあまりにも極端なので、
2ちゃんねるが他の世界で受け入れられるのを、
ラクダが針の穴を通り抜けるよりも難しくしている。
したがって、彼らが外部と共存を図るには、
まず2ちゃんねらとしてのカタチを崩さなければならなかった。

運営者の本意からは、グリフィスの「国民の創生」を日本流に焼き直したみたいのをやりたいに違いないが(笑)、
人道主義のルールの下ではそうは問屋が卸さない。

だから「電車男」のような、万人に問題なく受けそうな感涙ものの人情話(笑)に落ち着いたわけで、
自己の姿をかなり大きく歪めることにより、2ちゃんねる発の「偽実話」はやっと世間でも通用するようになったのだ。
「電車男」とはそうした代物であり、あの物語の内容から2ちゃんねるの生の姿を知るのはむずかしい。
(2ちゃんねるの実情は2ちゃんねるに来てみれば歴然で、だれでも即座に、映画やドラマは嘘だったと気づくだろう。かつて、ある人気時代劇俳優が「TVでの色男ぶり、頼もしさと逆に、実物はものすごい嫌な奴」と書き立てられたが、そのくらい極端な違いなのだ。)

ともあれ「電車男」にかぎれば、それは世間から受け入れられた。
そして、この表メディアでの成功は逆説的だが、裏メディア2ちゃんねるの凋落をもたらす。
今後さらに、運営者側が社会の中に地歩を築くという高望みをもつ以上、
2ちゃんねるが今のままであり続けるのは至難となるからである。

実際、西村ヒロユキらの名誉欲は、暴虐な海賊が政治家に成り上がろうとするに等しく、
そして社会とはなおも海賊としての営みをあの大掲示板に続けさせる西村を許すほど甘いものではない。
「電車男」を認めたのは、それがまさに「2ちゃんねる製」とは思えぬ出来だったからにすぎないのだ。

カミカゼ=タナトロジー

 特攻とか玉砕、集団自決といったタナトスな要素こそ、戦時中の日本人を動かしていた国民的感情ではなかったかと思います。
 民族集団としての日本は、勝ち負けを度外視、死ぬために、美しく散るためにだけ、あの戦争を戦った観があるからです。
 そして、後世のヴェトナム人が、勝つため、生き残るため、敵を倒すために発揮したしぶとさ、粘り強さ、頑強さといったものをまるで示すことなく、帝国の命運を勝者の前に捧げてしまった。
 奇妙とは思いませんか?
 祖国を命がけで守る気概のある民衆なら、ヴェトナム人のように戦うはずです。

 しかし。
 勝ち目のない戦争をわざと敵側に利するよう遂行するという不可思議なやり方に徹し切った、天皇の赤子たちのほうはまるで自分たち自身が滅びる気でいたとしか思えません。
 実際の結果として、一億の日本人すべてが死んだわけではなかったのですが、大日本帝国なる機構は滅び去りました。

 太平洋戦争とは、このような集団性の精神病理が国を動かし、歴史まで変えてしまったという巨大な症例かもしれません。
 特攻は、そうしたタナトロジーの熱狂が生み出した自滅手段のひとつとして捉えるべきでしょう。
 カミカゼ攻撃が道連れに選んだ最大の目標こそ、大日本帝国だったわけです。
いらっしゃ〜い!

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