図書館でDVDを視聴。
内容についてはわざわざ説明する必要もないほど周知のものだろう。
愛すべき珍品である。
だが良きにつけ悪しきにつけ、日本人であることを突きつけてくる結果となった。

古代ローマと現代日本とを股にかけたタイムスリップものだが、スタッフ、キャストはほとんど日本人、ローマの場面はTVドラマ『ローマ』で使われたオープンセットを流用、現地のエキストラを充満させて撮っている。
美術設定や考証において遜色はないのだが……。

映画が始まって数分のうちに感じ、しだいに大きくなってくる違和感。
ローマ側の登場人物では、主人公ルシウスのほかハドリアヌス、その息子、アントニウスなど主要な役に日本人が配されており、さすがに無理がありすぎる。
白人の血統を引く阿部寛でさえイタリア人の群れの中におくと、アジア的な形質のほうが際立ってしまい、肌も黄色っぽく見えるほどだ(これは作り手の計算違いだろう)。
しかも顔の表情や仕草も、さして本物らしさを意識しない邦画的な芝居のままだから、ますますもって生粋のローマ人からは程遠くなる。
まして他の俳優となると、目も当てられない。
舞台劇ならともかく実写の映画でこれをやるとは、いい度胸してるとしか言葉が出ない。





日本人がアジア系以外の外国人を演じる場合、三船敏郎がメキシコの農夫を演じた『価値ある男』や仲代達也が白人と先住民との混血に扮した『野獣暁に死す』あたりがやっぱり限界だと思い知らされる。
なぜローマ人の役はすべて白人に演じさせなかった。そのほうがカルチャーギャップも際立っただろうに。
という当然の道理が通らない作り方なのは残念以外のなにものでもない。

しかし。
『大地』、『王様と私』、『北京の55日』、『ジンギスカン』……ある時点までのハリウッド映画もそんな感じ、ちょうどこの『テルマエ・ロマエ』を逆にしたようだった。つまり、東洋を舞台にアジア人が活躍する物語なのに白人の俳優が不自然なメークで東洋人を演じていた。




『テルマエ・ロマエ』でローマ人に扮した日本の俳優



こちら、ハリウッド映画『北京の55日』(1963)で中国人を演じた白人俳優





だから、古代ローマが舞台の日本映画で同じ真似を、ローマ人の役を日本人がやって何が悪い。なんとなれば近年のローマ史劇でさえ、英米の俳優が英語で台詞をしゃべり、ローマ人に扮しているではないか。
もし作り手がそうした意図から、一種のプロテストを込めてかかる映画世界を設えたとすれば、逆に見上げたものといえよう。

欧米人から見れば違和感たっぷりだが、そういう主張をまさに体現するものがあってもいい。
まあ実際は、製作条件に縛られる中できる範囲で頑張って、こんな結果になったということだろうが。そもそもから日本市場しか狙っておらず、外国人からどう見られるかは意に介さなかったのかもしれない。
ともあれ、この商品は国内では大受けし日本の観客はみんな面白がったようだから、本物らしくないと文句を付けても仕方なかろう。














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