戦争を語るブログ

平和を愛し、いさかい好む

2016年10月

『思い出のマーニー』


2014年作品。
図書館でDVDを借り、ようやく鑑賞。
いろんな意味で、ジブリの限界、日本アニメの限界を感じさせる。
それはともかく。




「わたしたちのことは秘密よ、永久に。」
時を越えた舞踏会。告白の森。崖の上のサイロの夜。
ふたりの少女のひと夏の思い出が結ばれるとき、杏奈は思いがけない“まるごとの愛”に包まれていく。



DVDのケースに記された物語の説明文ですよ。
なに、この思わせぶりな語り口? なんとかして、百合マニアを誘引しようとの罠まるだし(笑)。
いえ、そんな内容じゃありません。断じて。

でも、罪深い宣伝コピーですね。
乗せられて見に行ったGLオタはあてはずれ。
逆にお母さんがたは余計な心配して子供を連れてかない。
それで興行成績、思わぬ伸び悩みになってりゃ世話ないという。

さて、さて。
内容の説明は、ずっと下の「関連リンク」での引用先に譲るとして。





原作はイギリスの児童小説だが、アニメ化にあたり舞台を北海道に移植。
表題キャラのマーニーも英国人を父親にもつ欧亜混血児という設定に変えられた。
だから金髪の少女が出てきても、その血縁だった(わ、ネタバレ)杏奈の瞳が青くても、日本アニメにありがちな登場人物が西洋人のように見えることへの合理的な裏付けが出来ており、そこは認めていい。
また、背景となる自然描写、建物、小道具などの美術設定も精緻を極めているけれど。

残念ながら、没入できない物語。
見続けるのが苦痛だったのは、キャラの動きや表情の変化をあらわすためのアニメ特有というか、まるでジブリ創業以来変わってないような旧態な描き方のゆえだ。
たとえば、人の表情がAの状態からBの状態へ変化するのに間をあけ過ぎたり。顔がアップになっても表情が動いていなかったり。
つまり、感情表現がいささか記号表記に偏ってるわけで、自分的には相当くどさを感じる。

いったいに日本のアニメファンは、こういったお約束には慣れきっており、アニメなんだからそれでいい、それが普通と思い込んだ風だが、自分に言わせれば、実写映画で人物の顔やしぐさが視覚化される場合とくらべ不自然すぎるのだ。
もっと生理的というか、表情が内側から素早く変わるように見せられないだろうか。

ないものねだりかな?
「文句あるならアニメじゃなく、実写映画だけ見てろ」と言われそう。
なるほど、そうかも。
「外国のアニメでも子供にわかりやすく、表情の変化は一呼吸おいてる」って?
なるほど、なるほど。
それだけ理由があるなら、割り切って受け入れてもいいが。不満な点を見過ごし、改善の余地に妥協を居座らせるのは前進をあきらめることにつながる。
作る側が発育をやめたとしても、見る側は成長してくるものだ。

そろそろ思い切った演出上、表現上の変革を迫られてる気がしてならんけど。






関連リンク

「あれ?マーニーはハーフの子だったんですか?」
(Yahoo!知恵袋)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10151475505


「思い出のマーニー 馬鹿な僕は内容が全く分かりません」
(Yahoo!知恵袋)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10149959770


『思い出のマーニー』原作と映画の違い【ネタバレあり】
(ciatr.jp)
http://ciatr.jp/topics/80603





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未来は高齢者のものという当たり前の事実





絶対日本の映画やドラマじゃ描かれない?
それは純粋に時代遅れで、今の現実を反映していないからだろう。
実際、上記の二点(「|翡男を若い娘が忌避する」「年を考えたらどうなんだ!」)というのは、古臭い、偏見に染まったイメージにほかならない。だからこそ中国のように、人権意識がなお発展途上の国でまかり通る作劇作法なのだ。

語り手の説明の仕方にも(たぶんに意図的な)不備がある。
映画の中で若い娘を「ナンパ」する中年男が悪者扱いなのはおそらく、強引な態度で付き合うよう迫った、すなわち嫌がられる真似、迷惑行為をしたためであり、「中年の男が若い娘と仲良くしようとした」ゆえではあるまい。
相手がはっきり拒絶の態度を示すのになお執拗に迫ったのが問題なわけで(これはもう、「ナンパ」ではない)、実は同様のことを若者がやっても、それどころか女性がやっても問題視されるはずなのだ。「年、考えろ」なんて台詞は場面全体の中で無意味な雑音にすぎない。そうしたことは顧みられず、上記のツイート主ときたら、「自分が見た中国映画ではこうだから」と悦に入るばかり。(もしかしたら、年長の男に意中の彼女をとられた暗い過去でもあるのだろうか?)
さて。付け加えると。
この手のものは日本でも昔は、テレビでも劇画でもやたらと見せられた覚えがある(それはもう、あくびが出るほど)。今、目にする機会が少ないとしたら、安っぽい設定に飽きられたのもさることながら、我が国で高齢層の比率が増えたため中国のような若者だらけの国と違い、中高年世代を餌食にしづらくなってるからなのだろう。

すなわち、若くない日本人が若い日本人を圧倒するような世代構成の変動を反映し、中高年も若年層と変わらぬ価値をもつのだと認知され、見直されてきたからだ。
当然だろう。
今の世の中ときたら中高年世代の働きでもってるところがある。製造業もサービス業も、どの職場も高齢の労働力なくして支えきれないのが現状で、これまでのような若者を主体とする戦力構造は望もうとしても望めない。
もはや中高年層は欠かせぬ一大戦力であり、本人も周囲も「中高年らしく」との偏見に捉われなくなり、分別や慎みをもって振舞う理由もなくなった。

彼らの強みは、これまでのような、政界や財界など世の中を「高所」から管轄する一握りの支配層と違い、社会構造を現場で支える主戦力として影響を行使できること。
以前の日本社会では見られなかった状況だ。
当たり前だが、この人々は排除せんとする者に都合よく道を譲らない。

なんとしても若々しさにこだわるというなら、ネット右翼の大嫌いな労働移民を何百万人も受け入れねばなるまい。中国、ブラジル、フィリピン、ヴェトナム、ネパール、インドにパキスタン、バングラディシュ、アフリカ諸国……。
なんにせよ日本社会の景観を昔に戻すのは不可能だ。

気づいてる人も多いと思うが。
ある年数以上生きた人々というものはTwitterのような世界においてさえ、必要不可欠な存在だ。インターネットとは、けっして若からぬ人々が実年齢にこだわらず若々しい本音をさらすから活況を呈すところがあるわけで、それこそ「ネット文化」が60年代や70年代の大衆文化(真の意味での若者文化)とは大きく異なる所存なのだ。
もはや本物の若者だけでは成り立たないし、若さというものを本物の若者だけに限定させる必要もない。

そうでないと頑固にも言い張るのは、現場を知らない者、現実の見えない者だけだろう。









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