現今、過剰なまでの勢いで生け贄を吊るし上げる「セクハラ狩り」の風潮はいずれ反動を招くとは思っていたが。 まさかフランスから来ようとは。

ドヌーブら仏女性百人は言う。
「MeToo運動は行き過ぎ」 「反論や抗弁を封じ、みなに同調を求める」 「魔女狩り」 「全体主義」……。

それに対するMeToo派の敵意の表出を見るだけで、ドヌーブ達の指摘がいかに正しいかわかる。
「出直しなさい、レイプ擁護者」 「ババアのくせに男に媚びる気?」 「チヤホヤされ過ぎて普通の女性の苦労を知らないのよ」……。
寄せられた反論はどれも的外れ。ほんとうに声明の全文に目を通したら言えないはずの浅はかなものばかりなのだから。
(「せっかく男社会に仕返しする好機なのに、余計な口はさみやがって」との苛立ちはありありとうかがえるが)

声明を普通に読めばわかるが、ドヌーブらはフェミニズムの敵ではない。むしろ日本の生半可なフェミ女子など足元にも及ばぬその道の先達揃いであり、彼女らは男に媚びるわけでもなければMeToo運動に反対するのでもない、ただその行き過ぎに警鐘を鳴らしているだけなのだ。
かたや日本のミートゥー女子らの、「いいところなんだから邪魔すんな」感の凄さときたら。

ドヌーブらフランス知識人の目に、MeToo派の過激ぶりが、あの大革命でのジャコバン党独裁と重なって見えたとしても不思議ではあるまい。

いや。
ある意味、MeToo派のやることはジャコバンより徹底している。
ダスティン・ホフマンが五十年前の撮影現場でふざけてやったおさわり行為まで掘り返して責め立てるのだから。 もしもこの勢いが日本に及んだら、事実上すべての芸能関係者がアウト、勝新太郎や森繁久彌なんて墓を暴かれかねないだろう。

MeToo派が、過去の落ち度をすすんで打ち明けたケビン・スペイシーまで血祭りにあげたことを忘れるべきでない。
彼はすべてを失った。仕事も、名誉も、地位も……公開間近の出演作まで自分が演じた役は別の俳優で撮り直された。映画界から抹殺されたのだ。
(正直、この件があるまでケビン・スペイシーなんて知らなかったけど)
あれ以降、有名人も有名でない人も、女性や年少者への「性的虐待」の経験を自分からは認めなくなってしまった。(そりゃ当然だ)
しかしMeToo派は反対派や彼らのルールの違反者を戦々恐々とさせ、暗黙の同調を得ることには成功した。

さて。繰り返すが、ドヌーブを含む仏女性百人による声明はフェミニズムに敵対する内容ではない。
しかしMeToo派のほうは、女性の敵、裏切り者だとしてバッシングの的にする。
その反応をたとえれば、ジャコバン派のやり方が批判されたのにフランス革命そのものを否定されたといきり立つようなものだろう。
もっともフランス革命はジャコバン派に牛耳られたあげく宙吊りの成果で終わることになりはしたが。

フランス革命にも光と影とがある。それは富や身分の格差への不満が爆発するかたちで始まったが、世界史上最初に自由、人権、平等を謳いあげたという意味で根本において輝かしいものだった。
しかし今日、王侯貴族の吊るし上げや反対者の弾圧など行き過ぎた面を擁護する人はいない。

MeToo運動も大筋の流れでは正しい。
性的に抑圧され搾取をこうむった弱い立場の人々(多くは女性)の怒りが加害者を告発するかたちで噴き出したものにほかならず、共鳴する人々が群れなしてあらたなモラルと秩序の確立を求める巨大なうねりにまで発展した一大現象である。

だからこそ未来への影響は甚大だし、フランス革命やロシア革命のように仕損じて弾圧や粛清による災禍を残すだけの結果を招いてはならないのだが、MeToo派にはよもや自分らこそジャコバンやボルシェヴィキのような悪役として名が刻まれるかもしれないことには思い至らないようだ。






関連リンク

ドヌーヴ「女性を口説く権利」 全訳
(はてな匿名ダイアリー )
https://anond.hatelabo.jp/20180111072916





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