NO! と答えるしかないだろう。

「平和を愛し、隣国と友好を築き、世界に調和をもたらす」のがほんとうに戦争を永久に放棄した国民のありようだとするなら、戦後日本の歩んだ道と照らし合わせる時、まがりなりにも第九条を愛してきたとはいえない。

はっきり言えば、憲法九条は立派すぎてわれわれにはもったいないほどだ。

日本人は、平和は望んだが、平和を愛してはこなかった。
ただ、ふたたび戦争の災禍にさらされるのを恐れたにすぎない。
それが偽らざるところではなかったか。

「これから日本人は自分で戦わず、他国民に血を流させ、日本の平和を守ってもらう」というのが、わが国の九条についてのほんとうの解釈かもしれない。
事実、小泉と安倍以前の歴代内閣はその解釈を実践してきた。

アメリカは第二次大戦初期、ヒトラーと戦う連合国に軍需品を供与する法案(Lend-lease)によって、出兵なき戦争を遂行していた。
真珠湾攻撃により米軍が出動できるようになった後も、この物資の援助は、ソ連に向けて大々的におこなわれ、独ソ両軍を大量に殺し合わせ、西側の犠牲を低く抑えるのに貢献した。

戦後日本の場合、「武器貸与」(Lend-lease)ならぬ「基地貸与」というやり方に徹しきり、米軍がアジアの各所で共産勢力と戦う背後にできた安全地帯で、血に染まることなく経済成長と技術進歩に邁進し、ふたたび世界の主要国にのしあがった。

それだけのことを日本人は、ウヨ厨さんらが「自虐史観に支配された」で片付けたがる昭和後期のうちにやり遂げたのである。
東西両陣営がせめぎ合う中で非戦主義を守りとおす政策はたしかに、われわれに繁栄をもたらした。

ただし、この第九条の理念を支えたのは日米同盟である。
反戦運動とか平和への連帯といった博愛思想とは別のものだった。

もちろん、日米安全保障条約を潔しとしない日本人も大勢いて、1960年の改正時と1970年の更新時には、反対派の学生を中核とするデモ隊によって全国的な騒動が沸き起こっている。

彼らデモ隊にしても、「米帝」の手先になるのを嫌気して騒いだだけのようで、それでは米軍と手を切った後、日本をどうやって守るかとなると、角材を振りまわすのに忙しいせいか真剣に考えていなかった感が強い。

ヴェトナム戦争に協力する政府への抗議が間違っていたとは言わないが、当時、ソ連邦も毛沢東もなお健在であり、「非武装中立で日本の平和を維持する」と思うには時期尚早だった。


(まだ続きます)



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