「慰安婦の利用はどの国の軍隊もやった」と無知をさらす発言をした市長がいた。
(その言葉の真贋についてはさんざん反証が出ているので、ここでは触れない)
あいにくだが。
諸外国にとって問題なのは、「どの国にもあった」ことではなく、「どの国にあったか」ということだ。例の市長は日本軍がどういう軍隊だったせいでどう思われているかを知ってから発言しなければならなかった。
日本軍とは「どの国にもあった」ような軍隊とはわけが違うのである。
実際、「銃弾が雨嵐のごとく飛びかう中で精神的に高ぶった集団を休息させるには、慰安婦制度が必要」とする彼の言い分は日本軍しか視野にないピント外れなものだ。
あの大戦当時でさえ英米仏など民主主義国の軍隊では、能うかぎり将兵を「銃弾が雨嵐のごとく飛びかう」ような状況におかずに済ませる作戦の立案に心を砕いていた。
前線部隊にも、多大な損害や補給の途絶など戦えない状況では撤退したり降伏する権利が認められたし、無茶な命令に従うのを拒否する者までいた。
日本軍はそうではなかったのだ。
万歳突撃、玉砕、特攻、集団自決……兵隊に死を命じれば命じた通りに遂行されるという、当時の世界の中でもほんとうに特異的な軍隊だったわけで、従軍慰安婦制度もそれにふさわしい特異的な代物と思われてなんの不思議もない。
「あんなこと(娼婦の活用)はどこの軍隊でもやってたのに、なぜ日本だけ…」という橋下流の理屈が世界の人々に違和感を抱かせたのは、そこに起因する。
日本軍のような常軌を逸した戦いぶりはどこの国もしていない!
かたや日本人には、日本軍がああだったのをしょうがないこととして受け入れているため(劇画などの影響で「立派なこと」と勘違いする者すらいる)、海外の反応が大げさに思えてしまう。
今の日本国民自体がそうとう特異的だと言わねばならない。
(その言葉の真贋についてはさんざん反証が出ているので、ここでは触れない)
あいにくだが。
諸外国にとって問題なのは、「どの国にもあった」ことではなく、「どの国にあったか」ということだ。例の市長は日本軍がどういう軍隊だったせいでどう思われているかを知ってから発言しなければならなかった。
日本軍とは「どの国にもあった」ような軍隊とはわけが違うのである。
実際、「銃弾が雨嵐のごとく飛びかう中で精神的に高ぶった集団を休息させるには、慰安婦制度が必要」とする彼の言い分は日本軍しか視野にないピント外れなものだ。
あの大戦当時でさえ英米仏など民主主義国の軍隊では、能うかぎり将兵を「銃弾が雨嵐のごとく飛びかう」ような状況におかずに済ませる作戦の立案に心を砕いていた。
前線部隊にも、多大な損害や補給の途絶など戦えない状況では撤退したり降伏する権利が認められたし、無茶な命令に従うのを拒否する者までいた。
日本軍はそうではなかったのだ。
万歳突撃、玉砕、特攻、集団自決……兵隊に死を命じれば命じた通りに遂行されるという、当時の世界の中でもほんとうに特異的な軍隊だったわけで、従軍慰安婦制度もそれにふさわしい特異的な代物と思われてなんの不思議もない。
「あんなこと(娼婦の活用)はどこの軍隊でもやってたのに、なぜ日本だけ…」という橋下流の理屈が世界の人々に違和感を抱かせたのは、そこに起因する。
日本軍のような常軌を逸した戦いぶりはどこの国もしていない!
かたや日本人には、日本軍がああだったのをしょうがないこととして受け入れているため(劇画などの影響で「立派なこと」と勘違いする者すらいる)、海外の反応が大げさに思えてしまう。
今の日本国民自体がそうとう特異的だと言わねばならない。
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8.15は、韓国の祝日「光複節」である。 2013/8/15(木) 午後 4:33
日中戦争から第二次世界大戦にいたるまで、日本帝国主義軍隊は、約2000万人ほどのアジア人民を殺害した。戦争行為により殺された日本軍属は230万人程度である。安倍総理は、敗戦記念の日、だれに対してまず謝罪と誓いを述べなくてはならないか。
靖国神社に奉られる輩は、日本帝国主義の尖兵として戦地に赴き、半分以上は戦闘行為も行わず餓死した。いわば犬死にである。これを強いたのは、昭和天皇・大元帥に他ならない。
戦没者追悼式は、天皇列席の下、「君が代」斉唱に続く式辞で、安倍首相は「あなた方の犠牲の上に、いま私たちが享受する平和と繁栄がある」と戦没者を哀悼。「世界の恒久平和に能うる限り貢献し、万人が心豊かに暮らせる世を実現するよう、全力を尽くす」と誓った、そうだ。なんの罪もないアジアの民衆を2000万人も殺しながら、殺された側への配慮のかけらもなく、殺しにいった兵隊を、尊崇の念で奉る、という。
アジアの人民から尊敬されないのは当たり前だ。