言葉をやわらげる言い方はむずかしい。自分では立派な倫理コードを課したつもりでも、立派な差別として成立している場合が往々にしてある。

ずっと以前。古谷三敏の新聞漫画『ぐうたらママ』で、「政治的に正しくない」描写があった。
主人公のぐうたらママがものすごいド派手の厚化粧で出てきたのに閉口した旦那さんが「そんなクンタ・キンタみたいな人、ぼくの奥さんじゃない」とか苦言を呈すところ。

ちなみにクンタ・キンテというのは、当時話題になった米国TV映画『ルーツ』の初代主人公、捕まって奴隷にされたアフリカ人の名前である。
これは子供心にも引っかかる言い方だったが、やっぱり後日、日本在住のアフリカ人ジャーナリストからも差別表現として槍玉に挙げられていた。

しかし。古谷三敏にしてみれば、悪意から登場人物にああ言わせたわけではなかったとは断言できる。本人はむしろ、「アフリカの土人みたい」と言わせようとしたものの、それでは言葉が酷い、アフリカ人を見下すことになると倫理的な自己規制が働いたものと察せられる。
そこでとっさに、「クンタ・キンテみたいな人」と表現をやわらげたのではないか。とにかく古谷氏本人はよかれと思ってしたことなのだ。それなりの気遣いがあったのは、当時リアルタイムで連載漫画を目にしたぼくにもうかがえた。

だが結局、「クンタ・キンテみたいな人」という言い方自体が別の意味での差別表現にほかならず、そう受け取られてしまう結果を招いた。(だいたい、映画『ルーツ』の中でクンタ・キンテが、ぐうたらママみたいにド派手なメークをする場面など一切ないのだ)。

無意識に差別表現をしようとした直前、「これだと差別になるかな?」と善意による自己規制が働き、言葉を言い替えてみたのだがそれでもやっぱり差別表現にほかならなかったという、この失敗例は教訓となる。





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