愛国者の主人公が「反日勢力」相手に大暴れするネット小説(だよな?)の『愛国伝説』が左側からさんざんに叩かれている。というか揶揄にさらされている。
実際、そういう内容なのだろう。
聞いたかぎりでは、日本を愛する心に目覚めた若者が、転生して神の力を授かり、恨の国や龍の国の手先らと死闘を繰り広げ、ラストでは反日勢力の親玉を草薙の剣で倒して美しい日本を取り戻すという、色々ぶっ飛んだ感じのお話らしい。

そんなだから。Twitterでは「#愛国伝説」のハッシュタグまで作られ、左派系の人々の間で格好の餌食になっている状況だ。

しかし自分は今回、『愛国伝説』を馬鹿にする人たちの流れに加わる気になれない。むしろ、そんな暇があったら、自分(たち)でもっと広範な層にアピールできる「反ネトウヨ小説」を書けばいいのに、との思いを強くした。
知るかぎりでもここ十年、この人たちはネトウヨ思潮の社会への蔓延を食い止めることにおいてまるっきり無力だったではないか。

このようにTwitterで意見したところ、『愛国伝説』を擁護するそっち系の奴と思われたのだろうか、左派の人や左派に成りすました人からちょっかいを受けた。
「どうせあんなもの、一部にしか読まれない」「あの水準では恥ずかしくて書けない(笑)」「ラノベでなく上質なドキュメントがいい」「うるさい馬鹿、黙れ」……。

なるほど。常識的な見地からはおっしゃる通り。
問題は、あんな物語でもやすやすと共感してしまう受け手も相当数いるわけで、これまで「左側」からはその水準の人たちに向けての重点的な働きかけがなされなかった。ネトウヨの言い分がいかに間違いだらけかわかる人にだけわかればいいという捉え方であり、認識を同じにする者同士が寄り合って充足する感じだった。
結果として左側から放置された人々、いわゆるB層は無防備なままに極右思想による知的蹂躙にさらされ、かくして右派勢力の思う通りの世論が一部にせよ形成されてしまった観がある。

これは『戦争論』、それから『嫌韓流』が出た当時から変わらず言ってきたことだが、何千回でも繰り返そう。
リベラル系の人たちは、普通の人でも見たがらない小難しい文献の提示なんかでネトウヨをやり込めようとは考えず、もっと広範な層に訴えられ、しかも楽しませる方法を考えろと。
(正確な資料を突きつけて退治できるなら、今頃ネトウヨは全滅している)
ようするにネトウヨを相手にするのではなく、ネトウヨが相手にしている人々のほうを相手にするべきだ。
わかりやすく、共感が得られるアプローチの仕方で。

こう言ったところ、またもやTwitterでコメントを受け取る。
そうしたものならいくつか出てるしプロ作家のものまであるとのこと。
(だから自分はやる必要がない、と言いたいらしい)
あいにくそれらの書名は、まるで知らないものばかり。つまり、どれも話題にならず不発に終わったというわけだ。「広範な層に訴え、楽しませること」ができなかったのは明白なのである。
これでは、ネトウヨの書いた『愛国伝説』にさえ負けている。その『愛国伝説』をネット左翼はさかんに馬鹿にするかたちで知名度向上に貢献する。酷いもんだ。



これも以前に語ったが。
悔やまれてならないのは、石坂啓のような才能もあり魅力的な画も描ける人でさえ小林よしのりと人気や影響力で拮抗できるほどの漫画をついに出せなかったということ。
(赤ちゃんや十代少女でなく歴史認識を扱った内容で)
彼女にかぎらず権力や体制への批判では奔放に活動できた人たちが、ネトウヨ相手だと本来の強みを発揮できない場合が多かった。
歯が立たないのではない、「糠に釘」なのだ。誰もがネトウヨ流のゲリラ論法で振りまわされた。

当然だろう。「反権力」「旧制度の打破」こそが本分の日本の左派が、ネトウヨ相手に「良き大人・立派な社会人」の目線から人権や歴史を講釈し説き伏せようとは。権力に挑む抵抗運動の闘士だったのが無法者を取り締まる保安官の役にまわるわけで、居心地が悪い。
本領が発揮できない所存である。

一方。小林よしのりにかぎらず、ほとんど歴史修正主義者に共通することだが。
彼らはまず、「自虐史観」「東京裁判史観」「サンフランシスコ体制」といった祖国を締め付け日本民族を虐げる強大な敵役を設定、それに反発し打破しようと挑んでいく抵抗者の立場を作り上げた。そこから、同胞一丸となって「美しい日本」を取り返せと呼びかけている。
このやり方で、おおかたの左派はお株を奪われてしまったのである。

ところで、小林よしのりとは知的な意味で達し得ない巨峰だろうか。
とんでもない。
ある水準以上の知識と良識さえあれば、小林よしのりを超える主張を展開するなど造作もない。誰にだって可能なことかもしれない(実際、僕でもできた)。
しかし人気の点で、より多くの受け手を惹きつけるという意味で、小林よしのりを上まわる本や漫画を出せなかった僕らの責任は重い。


つまるところ日本のリベラルは、少なからぬ人々が右派勢力に取り込まれていく実情を目の当りにしながら、「自分(だけ)はこんな奴らと違う。騙されたりするもんか」と知的保身に精出すばかりでネトウヨ思潮が大衆の間に浸透するのに何も打つ手をしなかった。いや努力はしたかもしれないが、効果的ではなかった。
これこそが偽りなき実情だ。

『愛国伝説』とは、そんな具合に敵側にわたった人々から自然発生的に出てきた作品。
出来栄えについて言えば、笑話に等しいものに違いない。だが成功に味をしめ(とりあえず話題になりはした)、後続がどんどん繰り出してくる。手際もよくなってくる。いずれ『戦争論』や『永遠のゼロ』をしのぐほどの人気と影響力をもったものが現れるかもわからない。
そうなれば、ますます多くの人が右側に吸い寄せられる。そこにこそ問題をはらんでいるのが今回の事案なのである。

かたやリベラル側では、対抗馬になるものを何も作ろうとしていない。
面白がって揶揄するばかりなのだ。「やれやれ……」という嘆息しか出てこない。



繰り返すが。
極右勢力側は、鉄壁に知性武装したリベラル側の守備範囲を超える箇所を突いてきた。
『戦争論』や『永遠のゼロ』のような嘘でも心に沁みる話にたやすく共感してしまう、けっして意識の高からぬ人々、物事を深く考えない層に働きかけ取り込むというやり方で。
そうやって陣地を増やしていったのだ。
この国ではどんな学歴の持ち主でも日本人であれば一票の選挙権を持つわけで、そのかぎりにおいて我々の敵は妄言好きにもかかわらず現実的だった。

こちら側でも相手に利することをした。騙されやすい人を仲間に加える宗教勧誘のような敵側の活動を、馬鹿ばかり集まっても仕方ないとあざ笑うだけ。頭のいい僕ちゃんたちがネトウヨどもの嘘をあばき続けるかぎり日本は大丈夫、と。

そして、現状がもたらされた。
大袈裟でなしに、コマーシャリズムに対するアカデミズムの蔑視・優越意識が油断・足枷となり極右勢力の躍進に貢献したわけだ。








関連リンク

Popular tweets for #愛国伝説.
(Top Twitter Trends)
http://ekla.in/trends/%E6%84%9B%E5%9B%BD%E4%BC%9D%E8%AA%AC.html


「ネット右翼の妄言録」
http://www.geocities.jp/ondorion/now/mougen.html






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