前回の記事。
http://blog.livedoor.jp/manfor/archives/52031811.html
はじめは「原爆トランプ」の記事題にあわせ、「原爆よりトランプのほうがよっぽど怖いや〜」みたいなオチで締めようかと思っていた。ところが書くうちに、日本の国民性のほうが原爆よりもトランプよりも、どんなものより恐ろしいのではと思い当たり、なんとも言えない気分に陥った。
たしかに日本は原子爆弾を投下された唯一の国だが、そうなったのには相応の理由があるのかもしれない。

見てほしい。
最近、Twitterで話題をさらったこのツイート。
ある人が台湾の空港で撮った旅客者の国籍調査の写真だ。
赤丸の小さなシールを出身国の欄に貼って回答するのだが、問題はそのシールの貼り方。





日本人の、他国民とくらべた一目瞭然の特異性


なぜ、こんな場合でも整列させなければならない。軍隊国家か、ニッポンは?
日本人だけだ、世界中でこんなのは……。
自分的には、なんとも暗澹たる気分にさせられた。日本人に個々の立場での主張は百年先まで不可能ではとのあきらめに似た思いというか。
一枚の写真で断じるのもなんだけど、他の局面でも覚えがある我々の集団的性向を重ね合わせると、一事が万事という気になってくるのである。

ちなみに、コメント欄も驚きだ。これに呆れるどころか、なにやら肯定的で誇らしげな感想のほうがずっと多く、やはり国民的な特異性が全開という。
これではどうしたって、「日本人に生まれてよかった」とは真逆の感慨を抱かざるを得ないではないか。

すでに集団主義の実体すら失い、形骸化されたごとくの規律への隷属。
監視され命じられたわけでなくても日本人の見せるこうした、一人ひとりの骨身に染み付いたかのような天然の組織的群居性とも呼ぶべき性向のほうが、原爆より怖くてたまらない。もはや笑い茶化す気もしないほどに。

この、周囲から異分子と見られないよう自我を抑えて整列することで、逆に周囲の世界とはっきり際立ってしまった異分子の大集団。
それが日本人。
「いいではないか、きちんと並んで何が悪い」と言うかもしれないが。
「おまえたちも俺たちと同じアジア人だろ、みんなで同じ向きに並べ」と力づくで整列を強要したのがあの「大東亜戦争」ではなかったか。こうした結束ぶりを誇示しながらファシズム陣営以外のすべての国に対峙、周辺地域に広島・長崎を上まわる規模の惨害をもたらしたのだ。

「ニッポンこわい」と感じるのは、けっして天が降るのを案じる危惧ではあるまい。







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