あー。やっぱり、かみ合ってない。
懸念は事実となって眼前に突きつけられた。

映画『海難1890』での日本の俳優陣とトルコの役者の芝居。
トルコ俳優のほうは、なるべく自然に見えるやり方でリアリティを出そうとしている。
対する日本側出演者。ほら、いつものアレだ。
舞台劇的で生理的な自然さからかけ離れた過剰演技。妙に気張った感じの表情に声音、目の動きや立ち居振る舞い。

こんな日本の俳優とトルコ俳優とでからみ合うと、さながら異種格闘技といった様相だ。おなじ場面で向き合って台詞をやり取りするのだが、まったく自然な打ち解けように見えないのである。

1960年代末、フォックス映画『トラトラトラ!』の撮影時も、日本側の演出があまりに大げさなのにアメリカの製作陣は閉口、俳優をなるべく抑えて演技させるよう指示したというが、出来上がった映画を見てもアメリカ側との違和感はやはり大きい。

それで、日本映画界。『トラトラトラ!』の経験からいかに邦画の人物描写が国際水準から隔たってるか思い知ったかといえば……。
ぜんぜん学んでいなかった。
それどころか今になっても、日本の俳優たちは、日本人ならこうあるべきと思い込んだ芝居しかできない、したがらないのをまざまざと見せられるとは。

欧米流儀での「演じる」とはある状況での心の動きの肉体的表現だが、日本人は芝居というものを、普通と違うように振る舞って現実ではあり得ない状況を造型すること、すなわち現実に対する特権的な行為と思い込んでるのではなかろうか。





この『海難1890』は日本とトルコとの友好を祝する合作映画だ。
明治時代、和歌山沖で台風のため難破したトルコ軍艦の乗員を漁村の住民らが救助し手厚く介護した実話にもとづいている。
美談としてトルコの学校でも教えられるというが、たとえば日本の道徳の教科書にも載っていた「クヌッセン機関長」とおなじ感じ、国境を超えたヒューマニズムを謳いあげる意図によるのだろう。

一部日本人の思い入れもわからなくないが、エルトゥールル号事件を世界にもまれな二国間の歴史的友好の起因のように捉えるのは無理がありすぎる。
(そもそも日本とトルコはそこまで密接な間柄ではない。民族も文化も言語も宗教も違う。同盟を組んで戦ったこともなければ、たがいに移住者の受け入れもせず大勢の訪問客による行き来もない。本物の友好国同士ならもっと活発な交流がネット上で見られてよさそうだが、ネトウヨどもはトルコの親日ぶりを吹聴するばかり、自分らがトルコ人と交わろうとは夢にも思わずいるのが実情だ)

しかし明治時代の善意を描くだけなら、まだよかった。
映画の後半部、テヘラン空港での顛末となるともはや実情から明白に乖離しており、ぶちこわした感が半端ない。

映画では、トルコの大使館員が空港のロビーに集った同胞を前に演説、不自然にも百年も前のトルコ軍艦遭難事件を持ちだし、返礼として戦火の中で脱出できずにいる日本の避難民にトルコ航空のチャーター便を譲ってやろうと訴えかけ、一同から熱気のこもった賛同を得るのだが。
あれが全部フィクションだと言われたら、信じられるだろうか。


トルコ航空が日本人を乗せたのは空席があったから
https://togetter.com/li/822784


むろん、映画は歴史の論文とは違うものだ。
物語のテーマを強調できるのなら実話の枠に縛られる必要はなく、いくら手を加えても罪は問われまい。

本当の話、現実にあったことをそのままに描く実録映画は存在しない。
『アラビアのロレンス』『ガンジー』『ラスト・エンペラー』『シンドラーのリスト』『英国王のスピーチ』『アルゴ』……これら諸作はみごとなドラマに仕立てるには事実をいかに脚色するのが効果的かを教えてくれるものばかり。
逆から言えば、大半の実話は劇的に加工しなければ使い物にならないといっていい。どれほど小説より奇なる事件もそのままでは価値ある原石でしかないのだから。

『海難1890』の内容が嘘なのか否かはある意味、どうでもいい。
重要なのは、せっかくの原鉱を研磨するのにしくじり夜店の売り物と変わらなくしてしまったということだ。

それにしても、このエピソード。
イランから出国できず地獄に置き去りになったように怯えきり、脱出しなければこの世の終わりみたいな様子でいる日本人の描き方。
イラク軍の爆撃にさらされながら自分の国にとどまり続けた数千万のイランの人々が見たら、なんと思うだろう?
こんなところにも日本的な無神経がよく出ている。


ええ、ええ。
日本人に生まれてよかったですとも。
心からそう思います。
自分が外国人で日本を見たままに書いたら侮辱になる。
でも同胞の身で落ち度をあげつらうなら、
日本人として自省する潔い態度だ。
「日本のネットにも謙虚な奴がいた」
外国人からそう見てもらえるのですよ。







ところで合作映画といえば。
1970年代。東宝とモスフィルムによる日ソ共同制作で『モスクワわが愛』というのがあった。
出演は栗原小巻とオレグ・ヴィドフ(『ワーテルロー』の兵卒トムリンソン役)。
試写会場から出てきた批評家の一人が、「くだらんね」と吐き捨てるように評したという。
つまり、そういう内容だったのだ。友好第一、作品の出来は二の次といった感じの。

自分は『海難1890』について、「くだらんね」とまでは言わない。
国と国とで仲良くするのはいいことだし、日本の映画人が合作を推し進めるのもいいことだ。
しかし検索すればわかるが、ネット上でこの映画を恥もなく絶賛するのは特定の政治傾向をもった人に多い。その事実こそが作品の出来以前、作品をあらしめた状況を浮かび上がらせていると思う。

これは日本トルコ合作というより、両国をそれぞれに強権で支配せんとする安倍首相とエルドゥアン大統領との合作と呼ぶほうがふさわしい。
安倍自身、「『海難1890』を成功させる会」なる組織の最高顧問。安倍の依頼にこたえ、トルコ政府も製作費の半分を拠出した。
私企業が儲けのため仕組んだ企画と異って、そもそもの動機から不純なのである。大衆の出す入場料をめあてに大衆を楽しませようと作られたものではないのだから。

かかる次第で、当初十億円はかたいと見積もられた興行収入だが、果たして八億そこそこしかいかなかった(大衆の本音だろう)。あの出来栄えではトルコでもたいして集客できないから、商業的には赤字に違いない。
しかし誰も損をしない。関係者は使った金なんて政治活動費のようなものと割り切っているのだろう。

ああ、しかし。
こんな無理だらけの友好宣伝映画などより、百年前のアルメニア人虐殺でトルコを非難しながらドイツにも同盟国としての責任があると認めたガウク独大統領の誠実な態度のほうこそ百年たっても語り草となるように思えてならない。




なかよく映画を宣伝する二人の強権主義者、
安倍晋三とトルコのエルドアン大統領。








関連リンク


「映画『海難1890』(VFX制作:東映アニメーションほか)」
https://cgworld.jp/regular/201512-vfxanatomy-cgw209.html


「この映画は事実に基づいています」って
実際どれだけ基づいてるのか教えてくれるウェブサイト
(ギズモード・ジャパン)
http://www.gizmodo.jp/2016/02/post_664151.html






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