これらもMeToo運動の行き過ぎとしか思えない例。
コスビーへの法的措置は当然だが、40年も前の一件でポランスキーまで映画作りでの功労を無視して除名処分とは。
現状、とばっちりが怖くて誰もが同調した振りするほかないようだが、そんな沈黙を強要するやり方でどんな運動も長続きするものではない。
ともあれ、人気番組のよき想い出と映画の芸術的な価値は残り続けるだろう。

アメリカのメディアでMeToo運動に堂々と立ち向かう人をあまり見ないのは、ようするに関係者の多くが「すねに傷ある身」だからと思われる。やぶ蛇になるのを恐れているのだ。 MeToo派の刃がいつ自分に向かってくるかわからない、ヘタに言い立てて反感を買い、過去を掘り返されたらたまらない。
もしかしたら、身に覚えのある人ほど疑われぬようMeTooには積極的に賛同という構図が出来ているのかもしれない。

ワインスタインやケビン・スペイシーの失墜は、少数を見せしめとして罰し全体に言うこときかせるやり方だ。かくして、「MeToo神に逆らうと、おまえらもこうだぞ」という脅しの効き目をもたらしたと言っていい。
いまやアメリカは、マッカーシーの赤狩り以来の偏向的弾圧の只中にある。

もちろん、すべての芸能関係者を告発したら映画もテレビも存在できない。MeToo派の女優や歌手にもそこはわかっているから、自分らの生存領域をわざわざ潰す真似はせずに「A級戦犯」の処刑でとどめておく。 かくしてMeTooは、期間限定の一大ムーブメントとして男たちへの教訓、いや恐訓を残し落着するように思われる。




関連リンク

「MeToo運動はジャコバン主義に陥るか?」
(当ブログ)
http://blog.livedoor.jp/manfor/archives/52082517.html


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