戦争を語るブログ

平和を愛し、いさかい好む

コミック

小池一夫


劇画原作者の小池一夫が他界したという。
享年83歳。
すでに仕事をやり遂げていたような人なので、世間も揺れ動くほどの反応は示さなかった。

小池一夫 といえば、知名度で作者を超える作品が少ない気がする。
だいたい『子連れ狼』しか思い浮かばない人が多いだろう。
それも当然で、一流どころにのし上がってからはいささか粗製乱造の気味があった。しかも読者の反応を見るに過敏、評判が芳しくないとキャラクターの容姿なんて平気で変えてしまう。

たとえば、『少年の町ZF』の囁き子。
登場した時はフランス人形のような美少女が、たった数話で丸顔のねえちゃんに。これには唖然。
キャラクターを180度変えられたのが『デュエット』の雪妃。
王女の風格の持ち主だったのに、鉄樹に犯されてからはまるで別キャラ、ただのつまらない女になり下が……(以下自粛)

そうした適応力ゆえに生き残り、長きにわたり一線で活躍できたとも言えようが。
しかしあまりにも時々の思潮に合わせ過ぎたことが作品ごとの完成度を低める結果をもたらしたのは否めない。
さらに。
おもに青年読者の嗜好に沿いながらの仕事を続けたせいか、今日的なフェミニズムの視点からは、「うむむ……」となるような描写が多いのだ。

むろん小池一夫だけが特別だったのではない。
マッチョズムの表現は小池が活躍した時代の漫画家や原作者の必需的な技能。欲したのはほかならぬ受け手の側、当時の男社会全体だ。
そうした要素を出版物に求めていた人々が大きな層を占める日本でフェミニズムやLGBTがなかなか地歩を築けない所以だろう。

ところで。
ぼくがこの人に着目したのは、連載中だった『サハラ』の一話を目にしたとき。
ヒステリーカが公園にいると文芸愛好家らしい女性が近づいてきて二人で詩の話題を交わすようになる。だが……という筋運びで、オチは「ある職業の女は香水を使わない」という台詞で締められる。
なにぶん70年代に読んだきりだから内容についてはあやふやながら、当時としては青年劇画の枠にとらわれず女性の知性を侮りなどしない描き方に感服させられた覚えがある。
もしも当代が最盛期ならば存外、才能を時流に無難にフィットさせ、フェミニストの視点からも納得できる作品作りをしたのではなかろうか。

さて。
小池一夫に先駆けるかのごとく モンキーパンチも逝ってしまった。やがてくる新元号の時代から門前払いをくらったかのように。
昭和に活躍した人々が平成という深い溝を飛び越えて居場所を得ることに、すなわち平成サバイバーとなるのに、令和は思いのほか拒絶的なのかもしれない。






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『わたしは真悟』/神格化されているのはロボットではない、少年少女だ


いわずと知れた楳図かずおの代表的劇画のひとつ。
本年初頭、フランスのアングレーム漫画祭で「遺産として残すべき作品」に加えられ、事情通をわかせた。

『わたしは真悟』が漫画誌に連載されたのは1980年代前期。
高度成長期に海外の経済学者や未来学者から「世界一の大国になる」と持ち上げられながら、国としてなんら変革をおこなわず、大衆もブランド崇拝や「見栄講座」に流されるほか何もせず、日本が真に明るく豊かな未来をもたらす好機をみずから逃した時代の産物である。

それをなぜ、今頃?
フランス人といえば気まぐれで有名だが、30年以上も放っておかれたものを拾い上げたうえで「遺産漫画」とは。
ひょっとしたらその前年、フランス人がぼろ糞にあつかわれた映画『ダンケルク』が世界的評価を博したことへの反発がくすぶっており、『真悟』の作中でイギリス人が極悪に描かれるところ気に入られたのではと勘ぐりたくなる。

ともあれ、話の内容。
「不可解」「難解」との評価が多くて読むのを控えていた『わたしは真悟』だが、いざ頁を開いてみれば小学生同士の純愛という明快なかたちで始まる。
端的にいえば、エリート子女と労働階級の庶子とのかなえられない恋物語だ。想いよせあう少年少女を主軸に、『リトル・ロマンス』風の軽やかな展開で読む者をひきこんでしまう。

それはいいのだが。
主人公たちの子供らしさ。
実際に子供時代を体験し、現に大人である身としてはわからないことが多すぎ、戸惑う。
子供なのに、大人になることに子供らしい憧れを抱かない。逆に、「子供時代が終わってしまう」のをこの世の終わりのように恐れたりする。
小児期を特別なものとして神聖視するかのような、大人の作者の思い入れがあんまり強すぎ、ついていけないところがあるのだ。




こんなガキいねえよ! もう大人の思い込みが凄いの一語。
(スキャナー使えないので、ネットで拾った画像でご勘弁)


先行きになんの理想も見出せずにいた当時の社会思潮(それは今も同じか)を反映し、主人公たちも大人になるのをただ汚れること、大事なものを失うことだと決め付け、成長を頑なに拒絶する。
(否むしろ、大人になるのを受け入れねばならないと知っているからこそ、今のうちに子供時代だけに可能な「証」を刻み付けておきたいのだろうか?)
この時代性と作者の思いが重ならなければ、『わたしは真悟』は世に出なかったかもしれない。

さて。
この手の物語のお約束、親から一緒に遊ぶのを咎められ引き離されそうになった悟とまりんだが、ともに親元から逃げ出し、結婚を誓い合う。
そして産業用ロボットに内蔵されたコンピューターに向かい、「どうすれば二人の子供が作れるか?」と問うてみたところ、出た回答は。
「333ノ テッペンカラ トビウツレ」

333とは東京タワーの高さと読み解いた悟とまりん。
そいでまあ、二人の子供は何が起こるかと半信半疑ながらも登っていくわけ、タワーの天辺まで。えっちらおっちら、キャーキャー悲鳴をあげながら。
(愚直だよね)
まりんと悟が東京タワーを登りつめる一連の描写は、想像力豊かでしかも高所恐怖の人が読んだらビビること請け合いの出来栄え、全編でのピークと言ってもいい。これあればこそ本作が固定的な支持を得て、後半での迷走にもかかわらず長期連載が続いたのだろう。

けれども。
ようやく頂上をきわめても何もない。救助のヘリコプターがやって来て、「飛び移れ」と叫ぶだけ。
意を決した二人は手を握り合い、ヘリめがけてジャンプする。
果たして――。

場面は変わり、地上の工場。
悟とまりんが馴染んだ産業用ロボットに突如として、意識が生じる。
(のちの真悟である)
何故いかなるカラクリにより、子供たちが東京タワーから救助ヘリに飛びうつることで、遠く離れたなんの接続もない工作機械に意識など生じたのか。
結末でも解明されない最大の謎だが、まあ「奇蹟」がおきたわけだから野暮は言うなであろう。

ともあれ、真悟は自立性を得た。
ここまではホラー的な要素はまるでなく年少者の純愛物語として日常的な展開だったものが、描写が俄然スプラッタになっていく。
電源を切られているのに動きだし、幼女の頬肉をぶち切ったり(ギャーッ!)、吠えかかる番犬をねじり殺したりで自力により逃走。
楳図漫画の本領発揮という感じだ。

そうやって真悟は、地上で離れ離れになった悟とまりんの愛を架け渡す存在として、世界中のコンピューターと通じてこの世のあらゆる情報を吸収、ついには地球とつながる神の領域にまで進化を遂げていく。
気宇壮大なドラマの始まり。

しかし。
いや、しかし。
楳図かずおは、前半部でなしとげた素晴らしい盛り上がりを混沌たる脳内世界に放り込み、みずからぶち壊しにしてしまう。

後半からはもう、まるでメタメタである。
「毒のキカイ」だの「日本人の意識」だの陰謀やオカルトの連発、泥沼にはまってしまったようで何がなにやら。

両親とともにロンドンに転地したまりんの身におこる出来事は、「これじゃない」感が凄まじい。
英国での展開がもたつくのは話が込み入りすぎたからではない、あきらかに幼稚すぎるからだ。
それというのも、まりんに異常に執着するロビンという英国少年15歳(に見えねえよ)の造型があまりに薄っぺら、やることなすこと全部つまらなくて物語が盛り上がろうはずもないのだ。

初対面以来とり憑いたかのようにまりんの傍らにしつこく身をおくロビンは、まりんの悟への純な想いをもぎ取って強引に子供時代を終わらせる役割にひたすら邁進する。
しかしロビンは醜い大人たちの象徴というよりむしろ、大人になりきれない子供と言ったほうがいい。そのことはまりんを拉致し連行するやり方を見ても如実であろう。
どうしてロビンがこうなったか。これもまた幼少時の体験等に理由を求められると思うのだが、作中では一切明かされることがない。

クライマックスはなぜか、エルサレムの教会。
わずか10分の間にタンカーから上陸、砂漠を突っ切って駆けつけた真悟が身を挺し、ロビンの魔手からまりんを救う。
かなり強引で無茶苦茶な山場の作り方だが、「感動した」「泣いた」との評価は多い。しかし考えれば、ロビンがこの聖地でのまりんとの「挙式」にこだわったのは奇怪である。
まず、宗派が違うだろう。そんな場所まで行かずとも結婚なら他の教会でも挙げられるし、だいたい二人だけで誓い合っても婚姻は成立しない。
まりんが欲しいのなら力付くで奪えばいいのだし、まりんのほうから愛するよう仕向けたかったとしても、かたちばかりの祝言で愛が生じないのはわかりきったこと。ここら辺り、ロビンが「核戦争だ」と騙してまりんを地下室に閉じ込めたりあちこち連れまわす設定とあいまっていちじるしく説得力を欠いている。

まりんを誘拐してロンドンからリビアの砂漠、それからエルサレムへと信じられない遠出をするロビンだが、途中で誰からもなんの法的制止も受けないとは不可解きわまる。漫画の中とはいえ、ありそうもない。
そのうえに、真悟の思いで核戦争がはじまった、しかしそれはまりんに生じた想念だったなどと夢オチに等しい収拾の仕方なのだからいやはやだ。

ロビンとまりんにまつわる部分はロビンがまりんを騙す場面の連続だが、展開そのものがまったく読者を侮った子供だましなのである。
ロビンは秘密の反日結社で重要なポストにいるらしいが、作劇上それが有効に機能することなく別方向に話が進んでしまい、最後までまりんへの邪恋を遂げようとするだけの変態野郎のままだった。

ラストちかく佐渡島での「人間狩り」はわけをわからなくさせただけ、ないほうがよほどよかった。
事故死したはずの子供がパソコン画面の中で語った「キプロスと佐渡はつながってるから、キプロスで起きたことは佐渡でも起こる」というのも、ユング流の同時共振性のことなのだろうが正直、理解不能の域。だいたい、キプロスの場面など出てこないから意味がない。


何故こうなった?
『わたしは真悟』が連載形式での発表だったせいなのか。
連載ものにありがちなことで、作者は、読み手の興味をかきたて人気を維持しようとあれこれ奇抜な設定を盛り込んでいくうち収拾できる範囲を超えてしまい、しかも人気は落ち続けてとうとう連載を打ち切られ、筋が破綻の域に達したまま強引に完結させるしかなかったのでは?
そう邪推したくなる終わりようである。
総体的に、やらかした感の半端ない読後感となった。

一言で言えばこれは、子供時代の男女を偶像視するあまり、子供たちの自然な大人への憧れを無視し、次につながる思春期の訪れさえも祝福できないという内容なのだ。
(初潮がはじまった途端、真悟にはまりんが見えなくなってしまう)
そうした作者の思い入れを認められるか否かで、『わたしは真悟』への評価は違ってくるかもしれない。






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『漂流教室』(楳図かずお)


お元気でしょうか? 
ミサイルの影響(笑)で首都圏の地下鉄が止まったとみんなが騒いでいた頃、こちらはのんびりと読書です。
楳図かずおの『漂流教室』全六巻を、あまりの馬鹿馬鹿しさと残酷ぶりに「こんなの、あるわけないだろ」を連発、ゲラゲラ笑い転げながら読み終えました。
そうですとも。北朝鮮のミサイルなんぞ知ったこっちゃありません、ええ。




突然、荒廃した未来にタイムスリップしてしまった子供たちの物語、『漂流教室』。
(スキャナーが使えないので仕方ない、ネットで拾った画像です)




実は、本作品については今までも部分部分に目を通す機会ならあったのですが、このたび全巻を読破してみたところ、『漂流教室』ってこうだったんだと驚く場面の連続で。
自分はこの漫画の後半部のみ断片的に見知っていただけなんですね。
雨乞いの合唱、校舎になだれ込む濁流、毒ガスの発生、レジャーパークでの惨劇、そして最終回のくだり等は記憶に残ってますが、校舎がタイムスリップする発端部、教師たちが死に絶える顛末、関谷の狼藉、女番長、怪物の襲撃、ペストの蔓延、あげくの果てに未来人まで出てきたり……自分がいかに全体の一部しか知らぬまま読んだ気になっていたかがわかった次第。
まるで新しい物語に接するかのように新鮮な気分で読めました。

とにかく、新鮮です。
どこがそうだったかといえば、いまや不可能になっているのではと思われる様々な描写、襲いくる脅威の前に小学の児童らが次々と無惨な死を遂げていくところ。
作者はあまり神経を使わず、むしろそこが見せ場であるかのように、これでもかの勢いで見せつけてきますよね。
(いや、もう徹底しております。映画の『バトル・ロワイヤル』なんか目じゃありません)
20世紀の70年代、出版物にいまだ児童保護モードの規制がおよばない時代に創作された凄味というか。

全体を知り、あらためて言えるのは、「今じゃ、こうした描写はいろいろ邪魔が入って、完全なかたちじゃ掲載不可能だろうな」という感慨でしょうか。
もしかするといずれ、『漂流教室』での子供が死ぬ場面は削除されるか作品自体が発禁になりかねません。

(続く)






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