戦争を語るブログ

平和を愛し、いさかい好む

差別

未来は高齢者のものという当たり前の事実





絶対日本の映画やドラマじゃ描かれない?
それは純粋に時代遅れで、今の現実を反映していないからだろう。
実際、上記の二点(「|翡男を若い娘が忌避する」「年を考えたらどうなんだ!」)というのは、古臭い、偏見に染まったイメージにほかならない。だからこそ中国のように、人権意識がなお発展途上の国でまかり通る作劇作法なのだ。

語り手の説明の仕方にも(たぶんに意図的な)不備がある。
映画の中で若い娘を「ナンパ」する中年男が悪者扱いなのはおそらく、強引な態度で付き合うよう迫った、すなわち嫌がられる真似、迷惑行為をしたためであり、「中年の男が若い娘と仲良くしようとした」ゆえではあるまい。
相手がはっきり拒絶の態度を示すのになお執拗に迫ったのが問題なわけで(これはもう、「ナンパ」ではない)、実は同様のことを若者がやっても、それどころか女性がやっても問題視されるはずなのだ。「年、考えろ」なんて台詞は場面全体の中で無意味な雑音にすぎない。そうしたことは顧みられず、上記のツイート主ときたら、「自分が見た中国映画ではこうだから」と悦に入るばかり。(もしかしたら、年長の男に意中の彼女をとられた暗い過去でもあるのだろうか?)
さて。付け加えると。
この手のものは日本でも昔は、テレビでも劇画でもやたらと見せられた覚えがある(それはもう、あくびが出るほど)。今、目にする機会が少ないとしたら、安っぽい設定に飽きられたのもさることながら、我が国で高齢層の比率が増えたため中国のような若者だらけの国と違い、中高年世代を餌食にしづらくなってるからなのだろう。

すなわち、若くない日本人が若い日本人を圧倒するような世代構成の変動を反映し、中高年も若年層と変わらぬ価値をもつのだと認知され、見直されてきたからだ。
当然だろう。
今の世の中ときたら中高年世代の働きでもってるところがある。製造業もサービス業も、どの職場も高齢の労働力なくして支えきれないのが現状で、これまでのような若者を主体とする戦力構造は望もうとしても望めない。
もはや中高年層は欠かせぬ一大戦力であり、本人も周囲も「中高年らしく」との偏見に捉われなくなり、分別や慎みをもって振舞う理由もなくなった。

彼らの強みは、これまでのような、政界や財界など世の中を「高所」から管轄する一握りの支配層と違い、社会構造を現場で支える主戦力として影響を行使できること。
以前の日本社会では見られなかった状況だ。
当たり前だが、この人々は排除せんとする者に都合よく道を譲らない。

なんとしても若々しさにこだわるというなら、ネット右翼の大嫌いな労働移民を何百万人も受け入れねばなるまい。中国、ブラジル、フィリピン、ヴェトナム、ネパール、インドにパキスタン、バングラディシュ、アフリカ諸国……。
なんにせよ日本社会の景観を昔に戻すのは不可能だ。

気づいてる人も多いと思うが。
ある年数以上生きた人々というものはTwitterのような世界においてさえ、必要不可欠な存在だ。インターネットとは、けっして若からぬ人々が実年齢にこだわらず若々しい本音をさらすから活況を呈すところがあるわけで、それこそ「ネット文化」が60年代や70年代の大衆文化(真の意味での若者文化)とは大きく異なる所存なのだ。
もはや本物の若者だけでは成り立たないし、若さというものを本物の若者だけに限定させる必要もない。

そうでないと頑固にも言い張るのは、現場を知らない者、現実の見えない者だけだろう。









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「沖縄県民を先住民族とは失礼」と国連に抗議する日本政府に、開いた口がふさがらない


国連見解「沖縄の人々は先住民族」に政府が反論
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160427-00000524-san-pol
宮崎政久議員「(日本人に)沖縄県民は先住民族だと思っている人はいない。誠に失礼な話だ。民族分断工作と言っても良い。放置しないでほしい」と政府に毅然とした対応を求めた。




おいおい。「先住民族」って呼ばれるのが失礼なのかよ。
「先住民族」ってぜんぜん、侮辱表現じゃないだろ。「インディアン」や「エスキモー」、「ブッシュマン」、「土人」が侮辱になるから「先住民」と言い換えなければとは聞くけど。
もとからの沖縄人を「先住民族」に認定するのが侮辱・差別・非礼になるって初耳だ(当たり前だが、国連差別撤廃委員会は日本の政治家が不快がるような意味合いで、琉球地方の人々を「先住民族」と言ったわけじゃない)。

「先住民族」が侮辱になるなら、アメリカ大陸やシベリア、アリューシャンから太平洋、ハワイ、オーストラリア、台湾、そして北海道の「先住民族」の人々はどうなる?
まったく。
自分らの言ってることわかってるのか? 産経の記事にある、宮崎政久議員や木原誠二外務副大臣、飯島俊郎参事官の発言をひっくるめると、こうなるんだぞ。
「沖縄県民を北海道のアイヌのように先住民族扱いするとは失礼」
……って。(絶句)
どういう意味なんだろう? どんな顔で言ってるんだろう? どんな神経してるんだろう?

「先住民族」は本来、リスペクトをともなう呼び方なのに。こいつらときたら、首狩族や人食い土人と同義に捉えてるんじゃないのか? でなけりゃ、こんな反発おこるはずないもんな。
「先住民族だなんて、沖縄への差別だ」とか抜かす奴はまさに、当の自分(@g@)が沖縄に、そして先住民族という定義に偏見もってるからこそ、心の底に隠したものを掘り当てられた気がして文句つけたくなるんだろが。

この糞をさらして恥じない自民党の大馬鹿政治屋ども。
(自民ばかりじゃないかもしれんが)
謝れ!
世界中のすべての先住民族に謝れ!






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二次元マニアの同一性障害

言いたくないが、言う。
漫画アニメを愛好する二次元マニア。日本を愛好するネット右翼。この両者には顕著に共通するアブナイところがあると思う。
つまり、「自分たちの姿が見えなくなってる」。

Twitterである人が、戦時中の米国で日系人差別をあおった新聞漫画を批判的に紹介していた。
(それはいいんだけど)
心底から驚いたのは、ネット右翼が、「これ日本人? 朝鮮人や中国人に見える」とか不思議がるコメントを付けてたことだ。






昔の米国人が日本人を蔑んで描いた絵を、今のネトウヨが「中国人や韓国人だ」と言い張るってどんな美意識だろう。どうやらネット右翼の頭の中では、自分たち日本人は中韓のように近場のアジア人とは異なった、もっと立派な容貌の民族として存在しているらしい。
(韓国人を醜い姿に描きながら日本人キャラは白人みたいに造形して済ましこむネトウヨ・バイブル『嫌韓流』を一覧するだけでわかるが)

実を言うと、欧米の劇映画やテレビ映画で変な日本人、つまり日本人の目には日本人に見えない日本人キャラが出てくると拒否感を示すというのは昔からあったことだ。
(僕の母など、そういう場面では決まって、「チャンコロみたい」とぼやくのが癖だった)
だから、今のネット右翼の反応は別に新しいものではなく、旭日旗はためく頃からの無知と偏見をそっくり受け継いでいるにすぎない。

この驕り昂ぶりがどこから来るかといえば。
それは間違いなく、アジアの小国にすぎなかった位置から出発し、脱亜入欧・富国強兵に励んだ果てついに欧米諸国と肩を並べるまでに成り上がった日本、その国民である自分らは白色人種と対等の存在だとの強い優越的・特権的意識である。
敗戦をくぐり抜けても、日本人が有色人種のチャンピオン、別格な存在だというこの国民的自負は変わらなかった。

だから日本人が白人から差別的に遇されて憤る場合。「どんな人間も対等であるべき」との真の平等意識からではない、多くはこの「自分らは欧米人と対等の国民だ」との思い込みが基調となっている。
「日本人は他のアジア人と違う。白人と同じクラブに属するのだから、もっとふさわしく扱え」というに過ぎないのだ。
そしてこれこそが、隣国の人々を「支那人、チョンコ」と罵りながら他所では、「日本は世界で最初に人種差別撤廃を訴えた」と自慢するネット右翼の頓珍漢ぶりを解き明かす鍵だ。

さて。
関連して思うに。
その昔、日本でも放映された『ディック・トレーシー』なる米国製アニメに出てくるヤマダ警部の容姿の描き方が日本人への差別だと言う者がいて、呆れたことがある。



ヤマダ警部

米国アニメ『ディック・トレイシー』に登場するレギュラーメンバー。

基本的なイメージは、戦時中に悪意をもって描かれた日系人そのものとわかるだろう。しかし彼は正義の味方として悪者たちと対峙する。




なるほど、欧米人から見た日本人のステロタイプに違いない。
しかし本当に差別的な意図による番組なら、日本人(日系人)なんて悪役で登場させるかまったく無視するだろうに、ヤマダ警部といえば出番も多い、ディック・トレーシーの片腕のような役どころである。
ようするに。
ヤマダ警部の外見だけとらえ「差別だ」と文句を言う者には、あの時代、日系人、メキシコ人、発話障害の浮浪者といったマイノリティをトレイシー主任の部下や協力者、つまり正義の側として活躍させたことがどれだけ凄いかというのがわかっていないのだ。

60年代にこの子供向け番組を製作した人々の善意については、今更ながら評価したい。

それでも、こんな日本人では許せない、認められないというのがわが国での主流だ。
たしかにこの手のタイプは昔から日本に大勢いた、だからこそ欧米人の間でかかるイメージが形成されたとわかっていても、世界の中での日本人をもっと男前でカッコよく、日本人が思う理想の姿で見てもらいたいとのオリンピック・ヒステリーには抗えないのである。


さて、さて。
またもやTwitterでの話になるが。
「西部劇で日本人に白人の役は演じさせてもらえないが、インディアンの役なら日本人向け」とツイートしたところ、不思議がるリプライをくらった。なんで日本人が西部劇に出られないの?という感じで。
どうやらハリウッドに差別的な空気があって日本人の出演は拒絶されるように誤解したらしい。

いや、そういう意味ではない。
別にハリウッドが日本人の出演を禁じてるとか(笑)日本人が西部劇に出ちゃいけないのではなく、アジア人の顔をした日本人が、欧州系移民の役で出演し騎兵隊やガンファイターを演じたら不自然きわまりないと言ったのだ。

これは『テルマエ・ロマエ』で証明済みだが、日本人からは西洋人に見えるような白人の血を引く日本俳優でもいざ白人の役で白人の群れの中においたらやっぱり違和感が強い。
いわんや生粋の日本人においておや。

むろん、『レッド・サン』とか『EAST MEETS WEST』のような内容で日本人が日本人を演じるのなら、まあ問題ない(そういう設定の映画ばかり仕組むのはしんどいが)。
それから、『荒野の少年イサム』のようなものだったら許容の範囲だろう。
ただし。劇画で描かれるイサムは日本流の自意識まる出しになった造型で、白人と見分けがつかない。これを実写で生身の日本人が演ったらたぶんに微妙な見映えになると思う。

なにがなんでも日本人を西部劇に出したいなら。
いっそ思い切って、日本から西部に渡ってきた開拓移民団のお話というのもありかもしれない。
鎖国が解け、一般人の海外渡航が許されるのは明治以降だから、その頃には西部開拓史はもう終焉、時期的な出遅れ感は否めないが。
(徳川幕府の責任だ、うん)



シベリアのアジア系民族(左)とアメリカ大陸先住民(右)


いくぶん脱線したようだ。
話を戻そう。
ようするに、アジア人と米国先住民とは人種的にほとんど変わらず見かけも大差ないので、日本人が西部劇に出るとしたらまさにインディアンの役がはまり役なのである。
ところが、この素晴らしい可能性に気づいた日本の映画人はほとんどいない。

「素晴らしい」どころか、「インディアンに適役」などと言われると侮辱された気になるという。
そこに問題の根幹が隠れている。

それはさんざん述べてきたように、日本人の側に自分たちがアジアの中で特別な存在だという幻想的プライドがあることだろう。『テルマエ・ロマエ』のように無理まるだしでローマ人の役は演じるくせに、はるかに似合った米国先住民の役は演じたがらない。





さあ。ここで気分を変え、17世紀の絵画を鑑賞しよう。
これもTwitterで紹介され、話題になった画像の引用だが。





間違いのないよう、ダメ押しとして言う。
左側、黒ひげで白衣の人がフランシスコ・ザビエル。右側、赤い衣の人がなんと戦国武将の大友宗麟!
まるで日本アニメに出てくる日本人のように白人と見分けがつかない。
絵の作者は1641年に没した英国の画家だけど、日本に来たことがない、日本人を見たこともないという人に日本の場面を想像で描かせたらこうなっちゃうという見本である。
アジア人をアジア人の姿で描くということができない創作環境だったのだろう。

それにしても現代日本の絵師さんたちは恵まれてる。
わざわざ英国に行かなくても、日本にいながらこういう感じの、日本人を白人のようにえがいた絵がいくらでも描けるのだから。
(ごめん、最大級の皮肉になった)



なんのかの言うが、ブログ主だって自分には甘いのだよ。
日本人のつもりで女の子を描いても、
美少女キャラに仕立てようとするとこんな具合で、
西洋風の目鼻立ちにしてしまうのだよ。


自分もそうだけど、画力の落ちる者ほど西洋的な美の基準で日本人キャラを造型する傾向があるようだ。身のまわりの日本人を正しく眺め、そこからつかんだ生きた美を再構築できないからだろう。
しかしながら日本では、西洋風な美キャラのほうが需要が大きい。

フィリピンなど東南アジアの国では、以前は、白人の血を受け継いだ外貌でなければ映画スターになれなかったという(独立後ずいぶんたってからの話だ)。
それは結局、西洋志向の美意識になおも縛られた大衆がそうした基準を夢の中にまで求めたゆえだ。現実はどうあれ、本来の自分たちはこうあるべきとの思い。そんな理想の世界からはアジア的身体要素ははじきだされてしまう。
矛盾もいいところだが、願望に浸りたい側からすれば矛盾とは思われない。むしろどれだけ願望を的確に具現できているかで作品の評価が決まる。

日本の二次元世界も似たようなものだろう。

実際、日本の漫画アニメの作中世界は、西洋的美貌への憧れで満ちている。
(例外もあるが、人気の主流となるライトノベルの挿絵やアニメ化はほぼそんな感じだ)
日本が舞台で登場するのが日本人ばかりなのに、外見が西洋人と見分けられないのはむしろ普通で(海外でさかんに揶揄される日本アニメの特徴ともなっている)、名前と地名を変えれば外人キャラとして通用するほどだ。
はたして欧米ではそうやって設定を変え、自国の物語として放映する場合が多い。だからこそ売りやすくするため、人物の見かけをわざわざ白人と変わらぬようにしたという踏み込んだ解釈もできる。

これなんぞいい実例だが。




チャージマン研! 第44話「研の偽物をやっけろ」より


かなり大昔のTVアニメの引用となり恐縮だが、問題点は今のアニメとも共通したことばかり。
製作はむろん、日本のアニメ会社。
出るキャラ出るキャラみんな目が青くて西洋風の顔立ちなのに、主役の名が泉研(いずみ・けん)、日本の学校や家庭が場となり話が進んでいく。
しかしここが肝心だが(強調)、日本の視聴者はこれを見てもけっして「不自然」とは受け取らず、日本の少年が活躍する物語としてすんなり受け入れてしまうのである。

ニコ動から転用されたこの動画、テロップでは題名の脱字や設定のお馬鹿ぶりがさかんに揶揄されてるけど、おまえら他にもっと気にすること色々あるだろ、と特大の字幕を付け加えたくなってくる。





ようするに。
漫画やアニメ、ゲームの世界に熱中する二次元マニアというのは、性同一障害の人がみずからの肉体条件とは異なる性に属すと思い込むように、自分たちを白人であるかのように勘違いしている、すなわち民族的な意味での同一性障害なんじゃないか? いや、一人ひとりはそれほど変わってない。しかし集団としてみた場合、極端なまでの特異性が発現する。たとえば醜く描いた中国人や韓国人を西洋人の姿をした日本人がやり込めるという狂った漫画がベストセラーになったりするわけで、それこそ大きな問題ではとの感想を述べようと書き始めたところ。

妙な具合に脱線を繰り返し、収拾できずにだらだら長引いてしまったと、こういうわけで。
いや、面目ない。





おまけ



ネットで拾った画像です。





関連リンク

Native Americans and Siberians are cousins
(RUSSIA BEYOND THE HEADLINES)
https://t.co/Dh0uCv7Ana


日本アニメはマカロニ・ウエスタン
(ROOSTER ROOST)
http://www.geocities.jp/ondorion/rooster_roost/rooster_roost7.html





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知ってても差別をしてしまう場合

言葉をやわらげる言い方はむずかしい。自分では立派な倫理コードを課したつもりでも、立派な差別として成立している場合が往々にしてある。

ずっと以前。古谷三敏の新聞漫画『ぐうたらママ』で、「政治的に正しくない」描写があった。
主人公のぐうたらママがものすごいド派手の厚化粧で出てきたのに閉口した旦那さんが「そんなクンタ・キンタみたいな人、ぼくの奥さんじゃない」とか苦言を呈すところ。

ちなみにクンタ・キンテというのは、当時話題になった米国TV映画『ルーツ』の初代主人公、捕まって奴隷にされたアフリカ人の名前である。
これは子供心にも引っかかる言い方だったが、やっぱり後日、日本在住のアフリカ人ジャーナリストからも差別表現として槍玉に挙げられていた。

しかし。古谷三敏にしてみれば、悪意から登場人物にああ言わせたわけではなかったとは断言できる。本人はむしろ、「アフリカの土人みたい」と言わせようとしたものの、それでは言葉が酷い、アフリカ人を見下すことになると倫理的な自己規制が働いたものと察せられる。
そこでとっさに、「クンタ・キンテみたいな人」と表現をやわらげたのではないか。とにかく古谷氏本人はよかれと思ってしたことなのだ。それなりの気遣いがあったのは、当時リアルタイムで連載漫画を目にしたぼくにもうかがえた。

だが結局、「クンタ・キンテみたいな人」という言い方自体が別の意味での差別表現にほかならず、そう受け取られてしまう結果を招いた。(だいたい、映画『ルーツ』の中でクンタ・キンテが、ぐうたらママみたいにド派手なメークをする場面など一切ないのだ)。

無意識に差別表現をしようとした直前、「これだと差別になるかな?」と善意による自己規制が働き、言葉を言い替えてみたのだがそれでもやっぱり差別表現にほかならなかったという、この失敗例は教訓となる。





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差別する時もナチの猿真似

差別する時もナチの猿真似
(「ROOSTER ROOST」より転載)



「ニワトリ。おまえ、差別されるんだって?」
「孔雀や白鳥みたいに大事にされないんです」
「あいつら少数種だから、珍しがられるだけだろ」
「お店でも鶏肉は、牛肉や豚肉より安く売られるし」
「大衆に愛されてる証拠だ」




いまだに「単一民族幻想」が根強い日本という国は、そのかぎりにおいて、世界でもっとも人種的な差別意識の強い国だと指摘されることがある。
とにかく、日本人と日本人でない人とを分けたがるのだという。

それも、すべての異人種を等しく拒絶というのとは異なった、いやらしい分け方をする。
世界人類というものを、ゴビノー流の色分けにならいながら日本の立場は保ちつつ、上中下の階層に分類し、固定してしまう。

筆者が内心、気掛かりでならないのは、日本人がどうやら自分自身を白人の仲間だと勘違いしているのではないかと思えることだ。
それは大げさにしても、自分たちを、文明人が原始人とは違うようにアジア人を超えた存在と思っているのはたしからしい。
劇画でも日本人キャラクターを、明るい髪の色、明るい目の色、コーカソイド系の顔立ちとして無思慮に描いたのが目立つ。
 「日本人は器用だ。鏡を見ないで自分の姿を描くなんて」


能うならば、筆者もこう言いたい。
「日本はナチズムやKKKの国じゃない。差別思想のまかり通るところと違います」
そんな抗弁に内側から盛大に水を浴びせ、身も蓋もないようにしてしまう毛のむけ狂った連中がいる。
日本語で書き込める掲示板を根城に、ネット中でヘイトスピーチを撒き散らす、日本流ネオナチ集団ともいうべきバカウヨどもである。

彼らの差別意識となると、日本一般のものよりもさらに極端だ。
なにしろ同じ日本人同士の間にさえ線を引き、なんとかして日本を巨大なカースト社会に造り変えようと必死でいるのだから。
人種差別、部落差別、障害者差別、学歴差別、性差別……。
差別することは、彼らバカウヨどものまさしく信仰なのである。

こんな差別狂どもが野放しとなった日本の正体を、世界の前に隠しておきたいといちばん切実に思っているのが、靖国派の現政権かもしれない。
なんといっても、「日本が戦わなければ、いまでも世界は白人に支配されたままだった」という神話を教えるのが国民に自信をもたせることだと本気で信じる連中なのだから。

しかし、そのように人種平等がもたらされたはずの世界でただ一箇所、インターネットの日本語圏では北東アジア人への大々的な迫害キャンペーンが公然とおこなわれる。
そこでは、「日本が人類をみな平等にした」と教え込まれたバカウヨどもが、真顔で言いふらすのだ。
「南京大虐殺や従軍慰安婦をめぐる世界的な反日現象は、日本をうらみ、ねたむ支那人や朝鮮人が裏で仕組んだ」

中国のような地位も力もある国が、日本での昭和ファシズム正当化の動きを非難するとき、わざわざ「裏で仕組む」必要があるかという疑問はさておき、日本語の掲示板やブログではこの手の流言が絶えることがない。

 なんで日本のネオナチは、白人じゃなくて、同じアジアの中国や韓国を目の仇にするんだろ?
 バカウヨさんは、「日本がアジアを解放した」と鼻高々に威張りたい。でも実際の日本は、韓国を併呑し、中国では暴虐を。解放者どころかアジア唯一の侵略国家だった。そんな歴史の真相をすぐ隣りから突き付けられ通しだったので具合が悪い。
「夢を壊すな」と、逆恨みしたくなるんでしょう。
 道理もヘチマもない、さもしさだな。

ほんとうに。
「バカウヨの壁」の中では、「韓国人や中国人はすべて、日本人に執念深い敵意をもち、日本を貶めようと日夜、暗躍する」という認識ができあがってしまっているのだ。

 似たような言い草どこかで聞いたことあるぞ。
 いかにも。

ドイツが苦境に陥るのは内外のユダヤ人の陰謀によるものと根拠もなく決め付ける、被害妄想に満ちたあのヒトラーの演説と不気味なほど酷似している。
およそ心を病んだ者でなければ、こうしたことは言えるものではないのだが。

特筆すべきはバカウヨどもが、第三帝国崩壊後六十何年もたった今という時にナチの宣伝文句と変わらぬ内容を語っていることだ。

彼らは、在日コリアンのような外国人が日本の中に何十万人も暮らすのは大問題だから、すべて、日本国籍に帰化させるか、国外退去させよと無理難題を言い張る。

むろん、問題のつかみどころを間違えている。

 「在日コリアンって、テロ活動とかするのかい? 自治を要求して暴動おこすのか?」
「そんなの聞いたことないし、想像もできません」
 「つまり日本人とおなじ、法に従い、税も納めてる、おとなしい連中なんだ」

あきらかに日本にとっての問題は、在日コリアンが何十万もいることではなく、在日コリアンのように日本という国に融けこんだ外国人居留者が何十万もいるにもかかわらず、なお異端分子として問題視せずにいられない者がいることだろう。
すなわち、バカウヨ自身の存在こそ日本にとっての大問題なのである。

彼らはまったく、時代から遅れ、世界から外れてしまっている。
精神状態も時代意識も、大東亜戦争時のままのようだ。
掲示板やブログでのレイシズムで染めあがった投稿の数々に目を通すだけで、日本人が戦時中、アジア各地で他国民を過酷に虐げたのは本当のことだとすんなり納得できてしまう。

そんなバカウヨどもが、コリア系住民はいかに日本にとって有害であり排除しなければならぬかを嬉々として弁じたてたところで、外人の目からは、今頃ナチの人種政策にかぶれるような頭の足りないレイシストに見られるだけのこと。
(しかも、彼らが主張の拠りどころにする『嫌韓流』という漫画は『わが闘争』にも匹敵するガセネタ本なのである)

右手に日の丸   左手に『嫌韓流』

一、日韓併合は朝鮮人のほうで求めた
一、在日コリアンはみんな密入国
一、在日コリアンの五人に一人は生活保護の寄生虫
一、在日コリアンは税金免除など在日特権をむさぼってる
一、南京レイプは、日本軍の朝鮮人部隊がおこした
一、帰ってもらおう、半島へ

バカウヨ系ネオナチ派の図
彼らは連日、コリア系住民に悪印象を抱かせようと
幼稚な嘘を言いふらし、迫害者をきどる



そもそも、外国人には日本人も在日コリアンも見分けがつかない。彼らレイシストがなぜコリアンを迫害したがるのか理解に苦しむだけだ。
そして思うことだろう。
 「こんな奴らがヒトラーの同盟者だったのは当然か」

バカウヨどもへの評価はそれで確定だ。
おなじ文化圏の韓国人や中国人とすら仲良くできない彼らが、軍国時代の日本がいかにアジアの民族自立に貢献したかを得意になって語ったところで、アジア人からも白人からも真に受けてもらえるはずがない。
 当たり前だ、ボケ!


ば〜か
笑われて
わからずにいる
国の恥



( 続く )



差別する時もナチの猿真似
(ROOSTER ROOST)
http://www.geocities.jp/ondorion/now/rooster_roost5.html




キルロイ見てるぞ





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