戦争を語るブログ

平和を愛し、いさかい好む

ヴィジェ=ルブランが気になって

美女の肖像


【問題】
,海粒┐鯢舛い燭里話でしょう?
絵のモデルは誰でしょう?





【正解】
〆郤圓蓮△里舛縫泪蝓次Ε▲鵐肇錺優奪箸両啻など手がけ、ルブラン夫人として名をなすルイーズ・ヴィジェ。
▲皀妊襪話かというと……これがビックリ!
まだ16歳、初々しかった頃の作者自身、つまりルイーズ・ヴィジェ本人の自画像なんですね〜。


描かれたのが、1771年。
今現在、これより水準の劣る絵を描いてる絵師さんは、美術史250年の試行の成果を自分の作品にどれほど生かせているかとみずから問いかけるといいかもしれません。

さて。
実は今、自分の中ではこのルイーズ・ヴィジェがちょっとしたブーム。
一般には「マリー・アントワネットの肖像画家」として知られる人だけど、実のところ魅力的な自画像で名をなした絵師さんの先駆ではないでしょうか。
ヴィジェ=ルブラン以前に、自画像で人気をつかんだ女流画家なんていましたっけ?
(あ、いたね。アンゲリカ・カウフマンという人が。でもアンゲリカの絵ってどこか硬くて、才女を強調するあまり自然な好ましさに欠けてる感じ)

そう、「自然な好ましさ」。これこそがをルイーズをして欧州一の人気肖像画家に押し上げた要因なのでしょう。
誰もがルイーズの絵を好きになるのは、彼女がモデルを実物より美化して描くからでもなければ彼女自身が美貌だからでもない、描いたものに生き生きした親しみや温かさを感じるからなのです。




20代半ば頃の自画像から




ルイーズ・ヴィジェ=ルブランの魅力は、「どんな絵に仕立てるか」という画流が確立しており、「あの人にまかせれば、こう描いてもらえる」のがわかっていたところにあったのかもしれません。
ありのままの模写でなく、モデルの姿を自分の流儀にあてはめ、カンバス上に再構築する。そのデフォルメのやり方、彼女だけの味わいある絵柄、いわばルブラン印のキャラ造型が気に入られたという。
(現代の絵師にも要求される売りどころです。たとえば、今の日本でジブリ風のデザイン・キャラが幅広く受けているように)




■ルイーズ・ヴィジェ=ルブランの筆になる著名人の肖像■



マリー・アントワネット
いわずと知れたフランス王妃。
この方の引き立てなくしてルイーズに名声は得られなかったかもしれない。





エマ・ハミルトン
映画『美女ありき』でも知られるネルソン提督の愛人だった女性。
ギリシャ神話風の扮装をしている。
レディ・ハミルトンってほんとうに美貌だったのだなと見惚れてしまう絵だ。





エマのスケッチ画
1790年、サー・ハミルトンとはまだ愛人関係だった頃。
(翌年結婚し、レディ・ハミルトンとなる)
奔放で快活なエマの素顔をよく伝えてると思う。





エリザヴェータ・アレクセーエヴナ
フランス革命を逃れたルイーズのペテルブルグ時代の作品。
のちにロシア皇帝として即位するアレクサンドル大公のお后さま。エカテリーナ二世在位中で、まだ16歳か17歳の頃。
フランス王妃を別にすれば、ルイーズの絵のモデルでは最も高位にのぼりつめた人といえる。





ルイーゼ・アウグステ
プロイセン皇帝フリードリヒ三世のお妃。

対仏戦で連敗したプロイセンは、ナポレオンに領土の半分を奪われたうえ巨額の賠償を課されることに。
すわ祖国の一大事、彼女はナポレオンを相手どり、根回し、泣き落とし、色仕掛け、あらゆる手で要求を減じてもらおうと試みるのだが、さすがナポレオン、ぜんぜん効き目がなかったとか。

それでも、王妃のこの愛国的奔走は国民を一丸にまとめる効果をもたらし、プロイセンの崩壊を瀬戸際で食い止めたのだった。天晴れ、天晴れ。
(いや、こうでも言わなけりゃ頑張った甲斐がなかったことになるからね)

1810年、仇敵ナポレオンの没落を見ることなく、34歳の若さで没した。





バイロン卿
バイロンについて説明の要はないだろう。
しかし、これは詩人として名を成すずっと前、14、5歳の頃の肖像画というから驚きだ。
ルイーズの絵は、成人後のバイロンを描いた他のどんな画家よりもバイロンの狂的側面をよく捉えている気がしてならない。いや、白黒の画像なので迫力が増して見えるのかも。





ナポレオンの妹カロリーヌ
とその娘。
夫はやがてナポリ王になるミュラー元帥。

でも払われる報酬は破格の安値、おまけにカロリーヌが遅刻はするわ髪型や衣装を毎日変えてくるわで作画期間が長引き、ルイーズさんイライラのし通しだったそう。ついに切れて、「本物の王族ですら、わたしを待たせたりしなかったのに」と叫んだとか。
しかしルイーズの筆によるナポレオンその人の肖像がないとは残念。





スタール夫人
ポスト革命期のパリで、当代唯一の知性と活力を誇った女性。
しかしながらルイーズにはこの人物の魅力がつかみきれず、たいていの依頼主にサービスを惜しまず美貌として造型するにもかかわらず、スタール夫人の肖像については(以下略)。

そしてそのやり方、ルイーズ流の美の基準に収めなかった表現の仕方がまさに、皮肉でなく、スタール夫人の真価を伝える結果となっているとは何ともだ。







関連リンク

「ルイーズの娘ジュリーがまた可愛い」
(当ブログ)
http://blog.livedoor.jp/manfor/archives/52097795.html


「美魔女としてのルイーズ=ヴィジェ」
(当ブログ)
http://blog.livedoor.jp/manfor/archives/52097310.html






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美魔女としてのルイーズ・ヴィジェ



35歳頃(1790年)の自画像



ところで。
ルイーズさんって、ほんとにこんな綺麗な人だったの? との疑問はあるかもしれません。
いえ、不細工な顔でフランス王妃の取り巻きになれるわけないので当然、若かりし頃は人並み以上に整った容姿の持ち主だったはず。

そうなんだけど、この人の場合。
中年以降さらには還暦(!)を越えてからの自画像も、ほっそりとした顔立ちで皺も染みもない、まるで美魔女のようだという。
さながら映画の撮影で往年の大女優のアップの場面、カメラマンが苦労して難点を消し去ったかのようにきれいな顔のままなんですよ、ルイーズさん。
ある時期から自分で自分を描く時やはり手心を加えるようになったのは間違いありません。

今でさえ、女優やモデルの撮影時にはメークや照明を工夫して美貌をいっそう際立たせますよね。ルイーズ・ヴィジェが自画像でそれをやって責められるいわれはないと思うのです。
商業画家は好かれる絵を描いてなんぼのものだし。
また彼女は旦那がクズとしか言いようのない男だったため、絵を売って暮らしを立てねばならない身の上でした。そのうえに比類なき美貌の女流画家として喧伝されてしまい、独り歩きをはじめた名声に沿わぬわけにはいかないという事情もあったのでしょう。

さて。
一体ルイーズは、自己の姿をどう捉え、見る人にどう受け止めてもらいたかったのか。そして、年齢を重ねる自分をどう表現していったか。
30代以降からのルイーズ・ヴィジェの自己イメージの変遷を年代順に追ってみましょう。




31歳頃(1786年)の自画像
一人娘のジュリーと。まるで聖母画のようだけど。
母性愛をよそおったルイーズの百点満点な自己愛ぶりこそ作品の基調。






松島トモ子で〜す♪
じゃなかった――

32歳頃(1787年)の自画像で〜す♪





34歳頃(1789年)の自画像
経年変化は確実にあらわれてると思う。
すなわち、おのれを押し出すことにおいて何の臆面もなくなっている。
自身を美貌と表現するのに自惚れも恥じらいもないその態度、クールなナルシシストぶりを見せつけて動じることがない。






35歳頃(1790年)
作画中のヴィジェ=ルブランを描いたセルフイメージではもっとも有名な一枚だろう。実際、彼女を紹介する記事ではやたら引用されることが多い。また、絵のバージョンによってはずいぶん童顔に見えるので美魔女ぶりを話題にされやすい作品でもある。





40歳から45歳の間(1795年から1800年)の自画像
このへんから無理が目立ってきているような。
ほんとうに、皺もたるみもお肌の汚れもすべて消し去った超美容術を施しておいでで。
あ、頭にかぶってるのはエステ用のじゃなくて、当時のお洒落で流行ったターバンだから。






40代半ば頃(1800年)の自画像
ややリアリズムに目覚めた感じで、第三者視点を意識した描写。
邪推するに、「自画像見てすごい美人と思って来てみたけど。なんだ、実物たいしたことないや」とか批判や失望の声に動かされたのかも。
それでもやはり、顔の不快な要素は慎重に消し去り、見せる人への配慮を忘れていない。




これも45歳頃(1800年)の自画スケッチ
同年、ルイーズの母が死去。さらに一人娘のジュリーが彼女の反対を押し切ってロシアの男と結婚し、こうむったストレスはMAXだったと察せられる。
とにかくルイーズの人生では大きな曲がり角だったらしく、この時期から美貌を売りにした自画像は描かなくなってしまう。






上の絵の翌年(1801年)の自画像
並みの女性ならばとっくに、おばさん化しているところなのに。彼女、たとえおばさんになっても化けたりはしない。
化かすことにはご執心なんだけど。




美貌の信憑性

1802年、ロンドンでの名士を集める晩餐会に招かれたルイーズを評した英国人画家の一文があります。
「40歳ぐらいであろう。顔の表情が豊かで、とても美しい女性だ。」
(『マリー・アントワネットの宮廷画家』(石井美樹子著/河出書房新社刊)より抜粋)

ルイーズはそのとき47歳だから、年齢よりずっと若く見える人だったのは確かでしょう。他の女性とくらべ美しさや魅力をなお保っていたことも裏付けられたわけで。





48歳頃(1803年)の自画像
実は、彼女の自画像で一貫しているのは、自己を美貌に描くことよりも、自己をしっかりした知性ある女性として造型することではなかったかと思う。
そうした狙いがもっともよく達成されてる一枚。






53歳の頃(1808年)の自画像
もう年なのだし、長年ついてまわった「美人画家」の評判から訣別しようとの気負いが見られなくもない。
まあそれでも、けっして醜くは描かないというか描けないところがルイーズらしい。
どう見ても53歳の人の肌じゃないものな。






63歳ぐらい!(1818年)
さすがにもう、なんというか。
すでに自画像じゃなくなってる気がする。若手女優が下手なメークで老女に扮したようにしか見えないっていう。

しかし我々は、おのが老醜をさらしたくない、なお一個の名士として認めてもらおうとする、かつて才能と美貌でならした一人のおばあちゃんの心情をやさしく受け止めるべきだろう。
黒澤明がその晩年、どれだけ駄作を連発しようが、往時の功績に思いをはせ「巨匠」と呼ばねばならぬように(ドヤ声)



ちなみに。
このおばあちゃん、70代になっても誰かの肖像画を描き続けており、あくまでも耄碌(もうろく)とは無縁な人だったようです。
そのうえ80歳近くになって出版した『回顧録』が爆発的な評判を呼ぶという。
今日、同時代の女流画家とくらべヴィジェ=ルブランの知名度がひときわ大きいのも、作者の波乱に満ちた足跡、欧州各地での多彩な人々との交流を記したこの回顧録あってのことかもしれません。

そんなルイーズさんの没年は1842年(享年87歳)でした。
美女にして長命。
アントワネット、プロイセン王妃、エマ・ハミルトン、バイロン卿、娘のジュリー……ルイーズさんの絵のモデルになったのって薄命な方が目立つ気がするけど、描いた本人のこのライフの充実ぶり。






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「美女の肖像」
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「ルイーズの娘ジュリーがまた可愛い」
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ルイーズの娘ジュリーがまた可愛い

ところで。ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン女史は、1780年から一女の母でした。
娘の名前はジュリー。
これがまた、可愛い。
とにかく、可愛い。
もう、よけいな説明いらないくらい。ひたすらに可愛い。



七歳頃のジュリー(1787年)





上の絵と同じ頃(1787年)






九歳ぐらいの頃(1789年)
同年、フランスを大革命の嵐が襲い、このあどけない少女は母親とともに祖国から逃れ、以後は欧州各地を転々とすることになる。





12歳ごろ(1792年)






十代半ばの時期(1795年)






19歳ごろ(1799年)





上の絵の拡大図
やはり母親の面影が色濃い。



で、このジュリーさん。
残念ながら成人後は、あまり幸福な人生は送っていません。
20歳の頃、ルイーズの反対を押し切ってロシア男性と一緒になるのですが、けっして満ち足りた結婚生活とはいえず、やがて39歳で病没するという。
美貌に恵まれても男運に恵まれないところは母親譲りだったようです。
(ただしルイーズのほうは87歳まで長生きしましたけどね)






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美女の肖像
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「美魔女としてのルイーズ=ヴィジェ」
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