『ドクトル・ジバゴ』といえば。
60年代半ばのデビッド・リーン監督によるパナビジョン大作が人気の面で固定化している。多くの人が『ドクトル・ジバゴ』に抱くイメージはここからくるものが多いだろう。





リメイクするなど無謀だ。
金がかかるし、昔からのファンは「ドクトル・ジバゴはこんなじゃない」と拒絶反応を示すしで、おいそれとは手が出せない企画であり続けた。
今世紀になってイタリアの国営放送がテレビ化を企てたが、製作条件の足枷が大きく、映画版を打ち負かしたとは言いがたい出来となった。
しかし。
それとは別に同時期、本場のロシアでドラマ化されてたとは思いもしなかった。 500分におよぶ長大なテレビシリーズだという。

今回、語りたいのはこのロシア版について。
ロシアのテレビドラマだって? アレだろ? アレなんだろ? 暗くて、重くて、長ったらしく退屈で……。
いやいや、思うほど馴染めないシロモノではない。
ロシアのテレビドラマだからといってとびきりしんどくはない感じ(なんたる褒め方!)、出演者の顔ぶれもロシア映画にちょっと詳しいなら「ああ、あの人か」とわかる。

主役のユーリ・ジバゴは、『シベリアの理髪師』のオレグ・メンシコフ。
ヒロインのラーラが『ルナ・パパ』のチュルパン・ハマートヴァ。
恋敵コマロフスキーが、ロシア映画界の重鎮オレグ・ヤンコフスキー。
この配役だけで、海外にも売ろうと国際的にすこしは知られる俳優をそろえて作ったのだとうかがえよう。

ただし、売れたかどうかは別問題。
実際ぼくなどは、つい先日はじめて、こんな作品が存在するのを知ったというくらいだから、国際的な知名度を得るにいたらなかったのは歴然としている。
どうもロシアの映像産業はアジアの某国と同じに、海外に出す商売が下手らしい。




モスフィルム製作によるテレビドラマ版のラーラ

Amazonのビデオ評では、ロシア版ラーラについて、「蓮っ葉みたい」という所見があった。
そりゃ、たしかに。映画でジュリー・クリスティー演じたラーラのイメージを持ち続けると調子が狂う。
しかしだよ。
この無邪気で奔放な雰囲気。映画版のたしなみあるラーラよりも実は、原作の感じに近いのだ。
だからこそ。いくぶん無鉄砲さのある魅力とあいまって、外側は堅実な家庭人でありながら内面は詩的なロマンティストだったジバゴの心を捉え、解き放ったと解釈したほうがいい。
むしろジュリー・クリスティーではミスキャストといえるのだ。
(それで英語圏でのモラルにはおもねることができたせよ)



むろん本気で世界に通用する商品にしたければ、イタリアのテレビ局が製作した『ドクトル・シバゴ』のように、台詞は英語、主要配役は西側とりわけ英語圏で知られる面々ってことになるのはやむを得ないのだが(成功作になる保証はない)。
それだと本場としての矜持が許さなかったのか。
そう、本場もの。
『ドクトル・ジバゴ』の原作は言うまでもない、ボリス・パステルナークによる詩小説。
ロシア人が主人公でロシアを舞台とする、ロシア人の手になる文芸だ。
最初に映像化される何年も前、業績をねぎらったノーベル財団が文学賞を授与、そのこと自体で世界的物議をかもしたのは周知の通り。



原作者ボリス・パステルナーク

他の写真もすべてそうだが、印象的な面長の顔である。
デビッド・リーンは当初、ジバゴの役をピーター・オトゥールに演じさせたがったというが。
これを見て、わかる気がした。



それでだが。
あいにくのところ、『ドクトル・ジバゴ』の真価なるものがぼくにわからない。
わかろうはずもない。
『ドクトル・ジバゴ』の唯一無二の価値は、他の小説家ならば散文で語るはずの地の文をすべて詩文で謳いあげたところにある(といわれる)のだから。
並みの詩人がではない、ロシア語の詩才では当代一流のボリス・パステルナークがやり遂げたのだ。
ノーベル賞の選考委員が他の候補作を差し置いてまで『ジバゴ』を選ぶ理由といえばそこにしかなく、もしも散文小説としての出来の良し悪しを争点にするならばちょっとアレというわけで、「政治的な動機からの授賞」と断じられても仕方あるまい。
それほどロシア語にも詩にも疎い外国人が理解した気になるのは困難な作品ということだ。

以前、原子林二郎(なんて読む?)氏の急訳による時事通信社版に目を通したことはあるが。
どんな物語構成でどんな人物関係かがわかるだけ、感動も何も感じなかった。詩文で綴られてこそ意味あるものを他の言語に置き換え、散文で語りなおすほど空虚なことはないかもしれない。

というわけで。原作の骨格だけでも知ってる者から言わせれば。
このロシアのテレビ局による長篇シリーズは、本場の俳優とスタッフによる映像化でありながら原典に忠実きわまりないとは言いかねるということだ。
いろんな事情があったと察せられる。
もっとも、60年代にソヴィエト連邦が国家事業のような勢いで映画化を成し遂げた『戦争と平和』がすでにしてトルストイの原作とは雰囲気がまったく違うものだったから。いまさら『ドクトル・ジバゴ』がどう変えられようと驚くことではないかもしれないが。

本場でとれた混じり気なしの原産品というよりも。
意外な切り口から描いて新味を出そうとした文芸映画のひとつだと割り切って見たほうがいい。

ちなみに。実にどうでもいいことながら。
ロシア文学に描かれるロシア女性として時に引き合いに出されるヒロインのラーラだが。
原作ではロシアに帰化したフランス人とベルギー人技師との間に出来た子という設定のはずで、ロシアの血はまったく入らないか入ってもごく僅かなのである。





ロシアのテレビシリーズ『ドクトル・ジバゴ』
(全十一話中の第一話)

音声はロシア語であり、日本語の字幕はないぞ。
(邦訳の字幕付きで見たければAmazonで買うのだ)






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