戦争を語るブログ

平和を愛し、いさかい好む

日本軍

『ハクソー・リッジ』(続き)


さて。
前の記事では、戦争大作『ハクソー・リッジ』が公開間近と紹介したけど。
(違う、一箇月も先だ)
言っておかねばならないが、劇中での日本兵の描き方はあまりよろしくない。




米軍の捕虜となり、ふんどし姿で土下座する兵隊さんたち




けれども作劇の縛りからいえば。
これは戦時下にあって、クリスチャンとしての生き方を貫き通した男の物語だ。
「福音書の教えと相容れぬ集団(日本軍)」に対し「福音書の教えを捨てて立ち向かう集団(米軍)」の中、たったひとり福音書の教えを守り抜いた主人公を引き立たせる映画なのだから、日本軍がああいった風に描かれてしまうのは致し方なかろう。

実はアメリカ軍も理想的な造型とは言いがたいものがある。
爆発で損壊した仲間の遺骸をハンガーみたいに吊り下げ、盾にして敵弾を防ぎ、日本兵に立ち向かうんだから。米軍兵の遺族が見たら、なんと思うだろう。
そもそも監督の狙いは戦争が野蛮人に変えた東西の男たちが衝突し殺し合うさまを見せることにあったようで、そういう意味での視点は公平なのかもしれない。







ネトウヨ、いや日本人全般は自分らを白人(の仲間)だと思っているから、こういう戦闘場面で日本兵がモップで掃いたように扱われると「人種差別じゃ〜」と珍妙な反応を示したりするが。
(『北京の55日』とか『グリーンベレー』を見ても面白がるくせに)
多くのアジアの国ではそうした描き方に、日本軍に対するものを超えたアジア人全体への白人の差別意識を感じ取り、不快な気分になってしまうようだ。
つまり日本兵というアジア人を白人の集団が殺しまくるところに抵抗があって集客できなかったことも考えられる。

韓国人にせよ中国人にせよ、自分の国のヒーローが悪役の日本人を打ち倒すから痛快なわけで、白人側から日本軍が「蛮猛なアジア人」として描かれ大量殺戮されるのを見ても、アジア全体が、自分たちがやられてる気になり楽しくなれないのかもしれない。
軍国時代のことは批判するにせよ、基本的には日本人を、同じアジア人として自分たちと一体にとらえてくれているという。

至極、妥当なありようといえるが、日本のネット右翼にはこれについての理解、なにより中国人や韓国人をアジアの同胞と思う意識がまったく欠けている。
ネトウヨ思考では日本はアジアの特別な国であり、アジアから進化しアジアでなくなった存在でなければならないのである。

これでファシズム時代の東亜新秩序や五族協和の理念を讃えるのだからあきれ果てる。






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『バターンを奪回せよ』(1944)


欲しくて買ったわけじゃないんです。
たしか記憶では、量販店が往年の名画DVDを10巻1000円でまとめ売りしたのに入ってたはずで。同梱されてる『シェーン』『風と共に去りぬ』『アラバマ物語』『オール・ザ・キングスメン』等々……歴史に残る傑作・ヒット作ばかりの中、ひとつだけ異彩を放ってる感じ。
かかる二流作を混ぜたのは水増しみたいなものでしょうが、ジョン・ウェインにアンソニー・クイン、二大スター共演なので分際より優遇してもらえたのかもしれません。





内容については語るほどもないです。
ようは大戦中の戦意高揚もので、日本軍を敵役、悪役、やられ役に徹して描いた娯楽活劇。
舞台は、太平洋戦争でのフィリピン戦線。米軍とフィリピン国民との共闘が主題のお話だけど、ジョン・ウェインが米軍将校、アンソニー・クインが協力者のフィリピン・ゲリラに扮してる。大事なことなので二度言いますよ。アンソニー・クインがフィリピン人の役やってるんです、ちっともアジア人に見えない風貌のまま。その恋人役も白人女優がメークでフィリピン人ぶってるだけという。

当時のハリウッドでは東洋人の登場人物は重要な役でも(いや重要な役だからこそ)、白人俳優が東洋人に似せたメーキャップで演じるのが普通でした。
この『バターンを奪回せよ』もご多分にもれずなわけだけど、それでも戦前に作られたゲイリー・クーパーの主演作『暁の討伐隊』(1939)にくらべるとまだマシなんです。あっちの映画ではフィリピン兵は主役の米軍指揮官の下で戦うその他大勢にしか描かれなかったから。こっちのほうは演じるのが白人俳優とはいえ、フィリピン人が主役と対等にわたりあう存在になってる。
対日戦での貢献を認められての地位向上でしょうか。

日本軍になるとそうはいきません。
この手の映画では大抵そうですが、横暴なる占領軍という型にはめて描かれるばかり。だいたい、ちっとも日本軍らしくない日本軍(日本語さえしゃべらない)。そこら中からアジア系のエキストラを集めて軍服着せたという感じ。
こういう連中がぞろぞろと列なして攻めてきて、米比軍の銃撃の前、アホみたいにバタバタ倒れ、アホみたいにオタオタ逃げていく。そんな感じの描かれようで、いかにも40年代の戦争映画らしく迫力の片鱗すらありません。
(こんなこと書いたら、『サハラ戦車隊』や『潜航決戦隊』、さらに前の『西部戦線異状なし』に失礼か)
いや、日本の兵隊さんが大量殺戮される場面なのに見ていて何の感情の昂ぶりも自覚できないばかりか、こんなたるい連中に一旦とはいえ米軍がフィリピンから追い出されたとは信じれないような造型ぶりです。







敵役がこうだから最後まで盛り上がらない、まるで退屈な展開でした。反面教書的に、話を面白くするには悪役がいかに大切かを思い知らせてくれてます。
ともあれ戦時中のアメリカ人が日本兵になんのリスペクトもなく、殺っつけるのをなんとも思わなかった雰囲気だけはよく伝わります。そういうところに資料としての価値ならあるかもしれません。

ぶっちゃけ、ほめる価値もけなす価値もない映画です。
(こんな駄作の感想かいてる僕も、よほどヒマなんでしょうねえ)
とはいっても監督がエドワード・ドミトリク、まるっきり生ぬるいわけでもない。同監督が『若き獅子たち』でも見せた、砲爆撃の振動で画面が揺れうごく演出がすでに試されてるし、至近で砲弾が炸裂、ジョン・ウェインが伏せたまま吹っ飛ばされるとか、戦時中の戦闘描写にしてはよくやったと感じるところはありますよ。
まあ、それだけの代物。一本百円の値付けにはふさわしいかも。







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少女像と日本軍の虚像


「少女像」でまたもめている。
釜山市が日本領事館の前からいったん撤去させた像の再設置を認めたからだ。
仏ルモンド紙はこれについて、稲田防衛相の靖国参拝が韓国側の反発を招いたせいと因果関係を指摘(欧米では、だいたい同じ見方らしい)。
しかし安倍普三(あべ・ふみ)は、相手方に問題があるかのよう言い立て、駐韓大使の召還という挙に出た。
成立して一年そこそこで、「合意」はどうやら破棄されそうな成りゆきである。

さて。
真性のネット右翼はもう手が付けられないので、ほっとくが。
それでも、ネトウヨ思潮に影響された人々の思うことはわかっている。
「御国のため命を捧げた日本の兵隊さんは金めあての売春婦なんかよりずっと気高い存在なのに、海外の声ときたら「いわゆる従軍慰安婦」の身ばかり気遣い、皇軍のほうは性犯罪者のように見て、まったくリスペクトがないのはどうしてだ?」

なるほど。なぜ海外の論調は、いつまでも安倍政権やネトウヨ諸氏の思う通りにならず、慰安婦たちに味方し日本側を悪く言うのか?

そりゃ、あなた。娼婦は身を売って金を得るだけの無害な存在だけど、日本軍のほうは力付くでアジアを奪おうとした有害きわまる武装集団だったからですよ。
まして、「いわゆる従軍慰安婦」は無理やり娼婦にされた日本軍国主義の犠牲者なんだから同情されないわけないでしょ。


いや、身も蓋もない答え方になった。
でも、本当のことだ。
ぶっちゃけ、日本兵を売春婦よりも上位に格付けするのは世界中で日本の国家主義者しかいない。「日本軍像」というものに、海外の人と国内の右翼さんとで根本的なずれがある。

結局のところ外国人はこの問題を、「日本軍が慰安婦に何をしたか」よりも「日本軍が世界に何をした」という歴史上の予備知識をもってまず受け止める。当然、右側の連中が躍起となって国内でのみ存在の余地をあらしめた「美しい日本軍」の虚像など通りはしない。
世界の目に日本の軍隊は、暴虐な侵略者であり、時の政府の命令にしたがい支配と略奪を遂行した集団、精いっぱい好意的に見ても無理やり動員された軍国主義体制の犠牲者であるにすぎないのだから。

実際、今の日本人もイスラム国やナチの軍隊をそういった目で見る。なぜ日本軍に対してだけは海外と評価を同じにできない、つまり客観的に見られないかといえば理由はただ一点、大日本帝国の軍隊が僕らの父や祖父、さらに曽祖父によって成り立っていたからである。血縁者をかばうのは人として当然かもしれないが国外の人々にとってはどうでもいいことで、彼らはあくまで日本軍を実際の事績で評価する。

「慰安婦が性奴隷だったなんて嘘だ。自由意志で、高給取りで、一財産きずけたんだ」
こうしたネトウヨの常套句を外国人に向けたとしてどれだけ説得力をもつか?

「だから、どうなんだ。慰安婦の客だった日本軍のほうはそのとき、何やってた? 中国や南洋を占領してたんだろ」と言い返されるのがオチ。旧軍を正当化したいだけの意図がまったく見透かされてる。

しかも同じ時その外人さんのご先祖はネトウヨの思う「美しい日本軍」を占領地帯から追っ払うため、すなわちアジアを日本軍から解放する目的に命を賭けており、まかり間違えば日本兵に殺されるかもしれなかった(当然、その外人さんは生まれてない)。相手にとって日本軍とはそういう存在である。
何より肝心なのは、どの外人さんもそうやって戦った自分の父、祖父、曽祖父に対しては特別の思い入れをもっていることだ。我々が日本の軍隊に特別な思い入れがあるように。
しかし「日本スゴイ教」に洗脳されきった真性ネトウヨどもにはここがわからない。おそらく永久に。
(なにしろ相手の身になって考えるのが先天的に苦手な連中)

そのうえで日本軍の無罪ばかり言い張り、相手の頭に血を上らせる。

こういう状況なのに、例のくだらない呪文「強制連行ではないから問題ない」がいかに歯が立たない空言として跳ね返されることか。なんとなれば、幾万もの女性を慰安のため用立てた日本軍自体が他国の領分に強引に押し入り、人手や資源を奪いとる存在ではなかったか?
かかる歴史上の巨悪の中で、慰安婦が「強制なく連行された」からといってどうなのだろう? マイケル・グリーンが喝破したように、多くの慰安婦が悲惨な目にあった事実に変わりあるまい。

「慰安婦は高給優遇」とか、テキサス親父みたいに真赤な嘘いう奴は引っ込んでろ。
https://matome.naver.jp/odai/2138238867118488501?page=2

ところが。日本側の自己弁護によればまるで日本軍というものが、平和な時代、友好国の求めに応じその領土に合法的に駐屯した普通の状態の組織集団であるかのようだ。
あいにく、第二次大戦での日本軍はそう見られていない。このとき連合諸国はまさに、その軍隊を占領地域から排除すべく多大の犠牲を出しながら戦っていたのだ!
日本軍とはすなわち世界の敵だった。そして従軍慰安婦制度とは、占拠した土地に居すわる連中の愉楽に女性をあてがうための仕組みにほかならない。
繰り返すが、「強制連行でないから――」は状況に合わないまったくの戯言だ。
なんとなれば日本の軍政下におかれたすべての人が、物資であれ行為であれ、皇軍のあらゆる求めに応じるのをまさしく強制された状態だったのではないか?
(占領とはそういうものである)

ネット右翼にかかるとこれが、「日本は欧米の支配から東亜を解放するため戦った。アジアの人は今でも日本軍に感謝している」という例の暗唱聖句で詠みあげる状況になってしまう。慰安婦なるものは軍につきまとい荒稼ぎした娼婦の集団にすぎないというわけだ。
むろんかくも実情と異なる認識とあっては、インターネットの中でさえ彼らの集団エゴがまかり通る勢力圏(ぼくはこれを、ニコ動でのネトウヨどもの喝采のやり方をもじり、「88圏内」と呼んでる)から外では相手にされるはずもなかろう。

日本の開戦動機や開戦作法、占領の実態がいかに弁護できないものだったかについては、ここでさんざん語ったので割愛する。
https://matome.naver.jp/odai/2138632036451261401?&page=3

慰安婦問題ほど、日本の過去に対するネトウヨ流の思い込みや勘違い、すなわち世界に突きつけたい日本軍の虚像が現実と食いちがう痛ましさとなってあらわれたものはない。
そのシンボルが少女像だ。
だからこそ安倍政権とネトウヨどもは撤去しろとゴリ押しするし、まただからこそ我々は断じて撤去などさせてはならない。反対に、彼らが崇めるよう強制してくる「日本軍の虚像」こそを徹底的に破壊すべきなのである。
それは我々の父や祖父、曽祖父のほんとうの姿ではないのだ。







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慰安婦問題について百万回でも書かねばならないこと


在米韓国系のロビー活動により米公立高校で慰安婦授業開始へ
(SAPIO/ライブドアニュース)
http://news.livedoor.com/article/detail/11599030/


雑誌「SAPIO」の配信記事だが、書き手の歴史認識はネット右翼とまるで変わりがない。とにかく従軍慰安婦のことを広められては困る、具合が悪い、恥ずかしいとの思いがこうしたものを書かせた唯一の動機を成しているようだ。
アメリカの公立高で来年度から、授業で従軍慰安婦のことを教えられる可能性に触れ、これが在米韓国人団体のロビー活動によるもので(正確な根拠は示されない)、慰安婦問題をもう蒸し返さないと誓い合った日韓両国の「合意」に反するとか、よくわからない理屈で文句をたれている。

そもそも書いた者はロビー活動の意味を取り違えていないか? 普通は、政府から離れた市民団体の自発的な運動を、「ロビー活動」とは呼ばない。たとえ日系人も含めたアジア系米国市民らが慰安婦を思いやっての働きかけにせよ、受け容れたのはアメリカ合衆国の教育機関だ。実際にあったこと(アジアを占領する日本軍が慰安婦を利用し、多くの女性が不幸な目にあった)を教えるのに問題はないし、その件で韓国が文句をつけられるいわれもなく、だいたいネオナチと変わらぬ日本の国家主義者に地上の誰を責める資格があるだろうか。

悔しければ日本の右翼さんも、米国の授業で日本軍がアジア解放に果たした功績を教えるよう圧力をかければいいのだ。どういう結果が出ることか。
アメリカでは何を教えるか選ぶ権利は学校側にあるわけで、どんな与太話でも数を頼みに押しまくれば思い通りになるものではないこと、すなわち米国の学校で慰安婦のことが教えられるのは「韓国系団体」の働きだけによったのではないとわかるだろう。

「SAPIO」の記事がおかしいのは、書き手が「日韓合意」の内容をまるで手前勝手に解釈していること。
「合意」の主旨は、慰安婦被害の件で韓国政府がこれ以上日本政府を責め立て問題化しないのを約するもので、当たり前だが「慰安婦の徴募に強制性はなかった」とか「性行為を強要された女性がいなかった」と認めたわけではない。
むしろ逆であり、河野談話でも示されたような認識を日韓で共有しようとの前提に立っている。

また当然、「合意」の内容はこちら側をも拘束するわけで、以後「強制ではなかった」と日本軍の罪を大っぴらに否認したり元慰安婦らに対し嘘吐きと非難(いや、侮辱)するのが許されなくなったことを意味する。
有体に言えば、敵意むき出しなSAPIOの記事のほうが「合意」の精神に背くのだ。
安倍政権の大本営発表を丸呑みするネトウヨ魂の記者くんではわかろうはずもないか。





「合意」以来ひさびさに、慰安婦問題について書かねばならないとの思いを強くする。
もう何度も言ってきたし、この期に及んでこんなわかりきったこと繰り返したくないのだが。

あれだけ派手なロビー活動(市民運動ではない、政府が金を使った正真正銘のロビー活動)を繰り広げながら、慰安婦問題で安倍政権が完敗した理由とは? それは結局、旧日本軍がさまざまな状況でみせた振る舞いへの強い印象によるところが大きい。世界のだれもが日本兵を、「そういうことをしそうな顔をしている」との色眼鏡で見たからに他ならない。

偏見だろうか? なるほど、日本軍はフィリピンだけで百万人を殺した。しかしマクドゥーガル報告にあるような、「14万5千人の朝鮮人慰安婦が死んだ」となると、このブログ主でさえ受け容れがたい感があるとはいえ、明快に否定してしまえる根拠もない。あまりにも多くの記録を終戦時に日本自ら焼却しているからだ。
これがアダとなり逆に潔白も証明できなくなった。今日、日本軍が「濡れ衣」を着せられ、後代の日本人が疑惑を晴らそうと辻褄あわせに汲々とするのは、日本軍自身が子孫らに負わせた債務といえよう。

ともあれ従軍慰安婦制度について調査した国連報告者から、「あの日本軍ならやりかねない」ことだと疑念もなく思われた。かように、日本軍は非道行為の遂行能力において万能との認識が行き渡っている。これを解消できないかぎり日本軍を好意的に見てもらうのは不可能だ。

けれどもそうした認識を払拭すること自体が絶望的に困難なのだ。それはもう、ナチの軍隊を好意的に見てもらうのとおなじほど。評価に値するだけのことを、われわれの父祖はしたと思うしかない。

第二次大戦での日本軍への好ましからざる印象が世界的に浸透していること。安倍政権の支持層がその時の歴史をすこしも悔いるようには見えないこと。この二つが組み合わさり、従軍慰安婦問題で「日本側」をあそこまで面目ない状況に追い詰める土壌を形成した。
勝ち目のない足場を自らしつらえたのだ。

仮に、だ。「総統ムッソリーニは正義の闘士だった」と吹聴するイタリア人がいたら、米国人や西欧人はどう反応する? ネオファシストの間でしか通らない道理を得々と説かれても共感を示せるか? そういう問題だ。「皇軍はアジアを解放した」と言い張る日本人がいても同じに扱われよう。

日本軍は小林よしのりが漫画で描いた通りだと信じたい連中にはここがわからない、戦争犯罪などは頭から認めない。「日本人が外道な真似などするもんか」との思い込みは強烈である。
だが見回せば、そう言い張るのは地上で日本の右翼のみ、大東亜聖戦論の「世界歴史ひとり歩き」状態だ。
そこがまた、わからないときている。
彼らにとって、テキサス親父やケント・ギルバート、マイケル・ヨンといった数人の「お雇い外国人」だけが海外の声すべてなのだから。

慰安婦問題がああまで泥沼に踏み入ったのは、日本の右派勢力があるものを執拗に守ろうとして逆効果を招いたところが大きい。
つまり安倍政権も支持勢力もあきらかに、今の日本ではなく、滅び去った大日本帝国の名誉のため慰安婦徴募での軍の関与を否定することに精出ししたのだ。

帝国日本が1940年代前期、アジア太平洋水域の覇権を牛耳ろうと国の命運を賭して大々的な軍事遠征をおこなったことは、どの国でも公認の、世界中で安倍内閣の支持層だけが認めようとしない(彼らの頭では、「自衛」と「解放」が開戦動機)歴史的大事実である。
だから今更、その企てに動員された何百万もの将兵に国があてがった「女性配給制度」の不備について、「軍は関与していない」と言い張っても仕方ないし何の免罪にもならないはずだが(すべての日本兵が押し込み強盗なのに)、「性奴隷ではない、強制連行ではない」と唱えるのがよほど意味をもつことだったらしい。

しかしこれは、西側と協調する民主主義国家としては正気の沙汰とも思えぬ振る舞いだ。まるで彼らは、旧軍と心中したがるようにさえ見えた。たとえれば今のドイツ政府がナチ軍隊の非道行為の否定に躍起となるようなもの、国際的評価という意味で大変なリスクなのである。
そういう、本来はあり得ない状況、あってはならない状況にあったのが安倍政権下の美しい国だった。
果たして、相応の結果がもたらされた。

実際、強制連行の否定からリーマンショックにいたる安倍晋三の発言で、海外から受け容れられたものはほとんどない有様だ。2007年にブッシュ大統領の前でおこなった慰安婦への「謝罪」を唯一の例外とすれば。





ブッシュ大統領「安倍首相の謝罪を私は受け容れます」


2007年。第一次安倍内閣で「慰安婦の強制連行はなかった」と閣議決定したとたん、
米国議会では反発の声が高まり、抑えが利かなくなった。鎮火のため渡米した安倍晋三が、
ブッシュ大統領の前で謝罪の真似事をおこない、とりなしてもらったときの実況。




けれども帰国した安倍は、「あれは謝罪ではなかった」と言い訳し(では、何だったんだ?)、その唯一の例外さえもみずから台無しにしてしまう。
かくも国際社会での信用を潰すのに奔走した政権もめずらしい。

ようするに。安倍内閣の慰安婦問題への対処ほど、負けることが確実な相手めがけて突っ込んでいった事例もないわけだ。この件では、日本の歴史修正主義者の守ろうとしたものこそ何にもまして彼らに傷をあたえた。
それはすなわち、後代の者が誇りに思うことを許さない日本軍国主義の負の遺産であり、大東亜戦争の大義など通じるはずのない世界の中でなお旧軍の名誉にしがみつく勢力にとって、致命的な足枷となり続けたものだった。

「慰安婦戦争」で安倍政権や国家主義者が敵に回したものの正体は韓国などではない、彼らには絶対に倒せない相手、日本軍の亡霊なのである。
この亡霊は国を愛する者の味方のような振りをするが、過去の栄華にあやかろうと集まる手合いを、最後には地獄の底にまで引きずり込んでしまうのだ。







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アンブロークン

アンジェリーナ・ジョリーがつくった映画『アンブロークン』が、「日本軍を残虐に描く反日映画」ということで、思想的にそっち系の連中が猛反発している。





とにかく日本軍に悪印象を抱かせる描き方するのがいけないらしい。

自称愛国者たちは日本兵を、愛敬があってサマになって、もっと好感をもてる姿で描いてほしいのだろう。
しかしあいにく、日本軍が連合軍捕虜を厚遇せずに多くを死なせたのがまぎれもない事実だとすれば、捏造でもしないかぎり彼らの望んだ通りには描かれるわけがない。
まして『アンブロークン』の主人公は、アメリカ兵の捕虜なのである。





第二次大戦中、ドイツ軍の捕虜となった英米軍将兵の死亡率は4%(25人中1人の割合)だった。これが日本軍の捕虜となった英米軍将兵の場合、死亡率は27%、つまり4人に1人が死んでいる。
(連合軍の捕虜になった日本兵の死亡率? そもそも日本軍は兵たちに捕虜となるのを禁じていた)
『アンブロークン』を反日映画と罵る人々は一体、日本の捕虜収容所をどんな具合に描いてもらいたいのだろう?

だいたいの話。ジュネーブ条約にもとづく降伏を許さず、自国の兵士にすら玉砕や自爆攻撃を強要した軍隊のことをどう手を加えても、人道的になど描けるものではなかろう。
自称愛国者たちに道理と向上心があるなら、日本軍が外国映画でそういう描かれ方をする軍隊であったことをまず批判すべきなのである。

そんなわけで。日本軍が米軍捕虜を虐待する内容の映画を、ネット右翼らが「反日だ」といくら騒いだところで、ハリウッドは意に介さない(なにせサイバー・テロにも負けず、金正恩暗殺の映画を公開する国だ)。「日本で見せなければいい」との判断で、今後も日本兵の描き方に変化はないだろう。
アベノミクスで強引に引き起こされた円安のせいで日本市場の収益は三分の二にまで落ち込み、ハリウッドにとってそれだけ魅力もなくなっている。





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戦時中のフィリピン人志願兵にようやく恩給が



いろいろと考えさせられるニュースだと思います。


旧日本軍と戦った比志願兵に近く手当て支給へ、米国政府


第二次世界大戦中にフィリピン戦線で米軍と共に旧日本軍と戦ったフィリピン人に近く9000ドル(約86万円)─1万5000ドルの手当てが支給されることになった。ただ、戦中の苦労からすれば余りにも少額との不満も漏れている。

戦中、米軍はフィリピン人の志願兵25万人以上に米軍人並みの恩給を約束。しかし、トルーマン元大統領が1946年、この補償を撤回する法令に署名していた。撤回の背景には、全員に恩給を実施した場合、ばく大な財政負担が生まれることへの懸念があったとされる。

元志願兵の組織が歴代の米政権に補償の支払いを働き掛け、ブッシュ前、クリントン元両政権も手当ての正当性を認めたが、実施されるまでにはいかなかった。

現在存命するフィリピン人の元志願兵は約1万5000人。手当ての支給はオバマ大統領が先に署名、成立した景気対策法案の中に支払いを要求する形で盛り込まれた。米市民権を保持する元志願兵には1万5000ドルが授与される。米国に居住する元志願兵も多い。

(CNN.co.jp/2009年2月24日)
http://www.cnn.co.jp/business/CNN200902240022.html


しかしオバマって、ほんとうに行動の早い人ですね。

宗主国のため命懸けで戦ったのに報われなかったところなど、おなじく大戦中のフランス植民地兵をえがいた映画『デイズ・オブ・グローリー』の結末を想起させるものがあります。
その『デイズ・オブ・グローリー』について、気に入ったブログ記事を見つけたので、引用させてもらいましょう。





 外泊中に見た映画「デイズ・オブ・グローリー」について思うところが一日過ぎていろいろと出てきた。第二次世界単線前、フランスの植民地だったアルジェリアに住む貧しいイスラム教徒のアラブ人の若者達が主人公なのだが、彼らが戦争に参加する動機は「ナチスドイツと闘っているフランスに自分たちも力を貸して共に闘おう」というのが表面的な理由だが、参戦すればお金がもらえ、そのお金で少しでも貧しい母親を少しでも楽にしてやれるということが裏の本意であうことがさりげなく描かれている。彼らがヨーロッパ各地を転戦し、同じく闘っているフランス人たちと友情や愛情や心の絆等が生まれてくるのだが、結局昇進していくのはフランス人ばかりで彼らはその恩恵に預かることは出来ない。最後の最後にフランスが勝利し約束の恩給のようなものが支払われると政治決定されたが、その支払いは延期につぐ延期である。共に命をかけて戦った同士だったが「異教徒」だったという理由で見捨てられていく彼らの心情の奥深い所にキリスト教文化すべてに対する不信感・怨念というものだけが蓄積されていった。人間同士の信頼が信ずる宗教によって差別される時に感じる屈辱、これは根の深い所まで人を蝕んでいく。

 世界はグローバル化に流れているが、世界の人々にどこかでそのグローバル化に対して不信が拭えきれない。目に見えない所にダブルスタンダードが隠されているのを感覚で知っているからだろうと思う。この先世界が多極化に向かうのを留めるのはかなり難しいと思う。

 日本でもかっての植民地だった台湾、朝鮮の人々が日本軍の一員として戦った。その遺族たちが日本人並みの身分保障を求めて訴訟を起こしているが、時効などを理由に訴えを退けている。


映画「デイズ・オブ・グローリー」(より関連部分を抜粋)
(offer61の日記/200810月20日)
http://d.hatena.ne.jp/offer61/20081020/1224497265


ちなみにフィリピンではほとんどがカトリック教徒。
ある意味、米兵よりクリスチャンとしてよほど敬虔な人たちでした。

いつかフィリピンでもこの件を主題に、『デイズ・オブ・グローリー』のような傑作がつくられるかもしれません。
まあ日本軍は完璧な悪役としての登場でしょうけど。



関連リンク

アジア太平洋戦争とフィリピン/戦争被害と戦後補償
http://www.ne.jp/asahi/stnakano/welcome/apwar/1994sekai.html




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「太陽の帝国」


「太陽の帝国」。出撃する特攻機を見送って歌う英国少年



日本の軍政を描いたアメリカ映画で重要なのをひとつ。
スティーブン・スピルバーグ監督の『太陽の帝国』(1987)です。

戦火の中で孤児となり、日本軍の収容所で生き抜くイギリス少年を描いた小説の映画化ですが、原作者J・G・バラードの実体験に基づいているとのこと。
『バットマン』で大物になるとは誰も知らなかった子役時代のクリスチャン・ベールが主演。他に、ジョン・マルコビッチや伊武雅刀が脇をかためています。


さて、物語。
上海租界で裕福に育ったジェイミー少年は、日英開戦の混乱で両親とはぐれ、やがて日本軍が白人捕虜や中国人を使役してつくらせた飛行場と隣接する収容所に送られます。
まるで過酷な出来事が連続するのです。

それでも軍用機マニアだった彼のこと、夕暮れ時、憧れだった零式戦闘機に惹かれるように滑走路に出て行き(警備兵から銃で狙われながら)、近寄ってきた搭乗員らに向かい神妙な態度で敬礼すると、相手からも敬意を込めた答礼をしてもらえる。
この場面は、感涙ものと言えるでしょう。

さらにラスト近く。
特攻隊として出撃していく零戦搭乗員らを、収容所の鉄条網ごしに少年らしい美声で賛美歌(?)を歌い、敬虔そうな面持ちで見送るジェイミー。
飛行機が好きだった少年は、日本軍の収容所で暮らすうち、零戦搭乗員にすっかり感情移入してしまったのかと思わせます。

けれども、飛び立った零戦機が突然、木っ端微塵となって爆発したのを皮切り、アメリカ軍の爆撃に飛行場が見舞われると、ジェイミーは俄然、欣喜雀躍し、目の前を横切って飛んでいく米軍機P-51に、満面の笑顔で手を振ってみせるという日本人にとってはショッキングな描写が続くのです。
(後記:これ、手を振ったのはP-51の搭乗員のほうでした)



米軍機の突然の襲来に大喜びするジェイミー少年



なぜ? と疑念を抱いた人は自らを欺いていたのかもしれません。
ここは、映画の冒頭にあらわれた鉄条網のイメージと重ね合わせるべきなのです。

おそらくジェイミーにとって、零戦とその搭乗員は憧れの存在だったけれど、同時に彼らが護持する大日本帝国はジェイミーら白人捕虜を理不尽に虐げ、命さえ奪おうとする仇敵にほかならない。
そのシンボルであった零戦機が一撃で粉砕され、まさに救いをもたらす希望である米軍の戦闘機が目の前に現れた途端。その真実を全身で自覚したのでしょう。

ジェイミーの反応の極端すぎる変化を見ると、なぜ韓国や東南アジアの国々が大日本帝国による統治下では、従順に振る舞い、ときには命懸けで戦争に協力しながら、日本が敗けた途端、被害者としての怨みをむき出し、反旗を翻したかわかるような気がするのです。

そのことを「裏切り」と呼んで非難するのは事情をまったくわからない人であることの証明で、すくなくとも日本人でそのように言う人がいたら、厚顔無恥のきわみでしょう。
そもそも日本人の立場から彼らを非難することは、絶対に出来ません。

人間には抵抗できない暴圧の前に屈服を強いられたとき、自分を抑える相手に言い従うばかりか愛着さえ抱くような心の働きがあることを理解しなければなりません。
(これは近年、「ストックホルム症候群」としてようやく認められるようになった現象ですが)

たとえば、女性を殴りつけて精神を自虐に陥らせ、仇なのに好きだと錯覚させたあげく己れの思い通りにしても、それが「和姦」ということで許されるのでしょうか?
僕は許されはしないと思いますが。
日本軍の制圧下にあったアジアの人たちも同様で、彼らもまた、ジェイミー少年と同様、生きるのに余地なき選択を迫られたのだと認めねばならないと思います。


( このエントリーは、以前に当ブログ管理者が、
「教えて!goo」で回答した文章を手直ししたものです )



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早い話、日本軍自体が「巨大な奴隷制度」だったという話


「(非難決議案の下敷きとなった)ゲイ・マクドゥーガル報告の記述は極端すぎる」との反論はごもっともです。

日本国政府及び軍が第二次世界大戦中にアジア全般における強姦所の設置に直接関与していたことは今日明らかになっている。これら強姦所で旧日本軍により奴隷化された、多くは11歳から20歳であった女性は、日本支配下のアジア全体の各地に住まわされ、毎日、数回に亘り強制的に強姦され、身体的虐待の対象となり、また性病に犯された。これら女性の約25%のみがこの毎日の虐待から生きのびたと言われている。これら「慰安婦」を得るために、旧日本軍は身体的暴力、誘拐、強要及び欺聴を用いた。

(「人類猫化計画」さんコメント欄にて『ゲイ・マクドゥーガル特別報告書』外務省仮訳/13日の水曜日)より一部を抜粋
http://azuryblue.blog72.fc2.com/blog-entry-114.html

ぼくがなにより驚くのは、「第二次大戦中に14万5000人の朝鮮人性奴隷が死んだ」との荒船清十郎による不確かな発言が報告書作成者によってなんの疑いもなく信じられたことの凄さです。

そのこと自体、海外の人が日本軍(現代の日本国でなく)というものにどんな印象を抱くのか、日本軍が実際にどんなことをしたかを解き明かすものでしょう。

戦地で慰安婦となった女性を消耗品のように扱った日本の兵隊さん。
結局は、彼らもまた、国家の消耗品だったのです。
およそ人権らしい人権の保障されない点では、日本兵が慰安婦より恵まれた身分とはとうてい思えません。

彼らは、よく言われるように「赤紙一枚」で集められたのち、拷問にひとしい訓練によって服従と加虐の精神を叩きこまれ、一個の皇軍兵士として成型されたのです。

「だから強かった」という評価もありますが、そうやってストレスを溜め込まれたことで「弱者には容赦なく振るまう」下地がつくられました。
日本軍の強さと規律、命令一下の非道ぶりや憲兵のいない場での蛮行、これらは表裏一体のものとして捉えねばなりません。

そうして大陸や南方の戦地に送られ、まずい作戦とひどい補給、しばしば大局のための捨て駒となって、凄惨な様相のうちに屍をさらしたのです(半数は、餓死)。

まさに「軍国日本による兵奴隷制度」と呼ぶのがふさわしい図ではないでしょうか。

性奴隷と兵奴隷
http://blog.livedoor.jp/manfor/archives/50955423.html

あの時代、日本だけで二百万を超える「兵奴隷」が国のため命を捨て、さらに日本の占領を被ることで、すくなくとも数百万の他国民が命を奪われました(フィリピンだけでも百万人以上)。
とにかく、日本軍を「人命を粗末にする世界の中でも特異的な組織」とみなすための根拠には事欠かないのです。

南京事件、真珠湾のだまし討ち、バターン死の行進、泰面鉄道、三光作戦、万歳突撃、集団自決、神風、731部隊、捕虜の生体解剖……。
「慰安婦14万死亡説」が疑問なく受け容れられたのは、そんな残虐な連中では性奴隷の十万や二十万殺されても不思議はないと思われた証にほかなりません。

「日本軍ならやりかねない」
それこそ、マクドゥーガル報告の成った経緯、それで米国の議員らが慰安婦制度へのイメージをかためた由だと思います。
慰安婦制度の実態はどうあれ、「吉田証言」という虚構の中の出来事でさえ日本の軍政下では起こり得ることが、他の局面での皇軍の行状によって十二分に裏付けられていたからです。

「日本軍は多くの面において正常な軍隊ではなかった」
これが世界の人々の、われわれの父祖に対して抱く基本的な認識です。
そこには、小林よしのりの漫画だけ読んで得意になった連中が入り込む余地はまるでありません。

強調しておきますが、報告書の作成者が日本に対する特別な悪意や偏見をもっていたわけではないのです。
報告書はむしろ、心身に傷を受けたアジアの女性たちへの善意によって貫かれています。

ただ、大日本帝国が徹底して人権を蹂躙する国家だったから、今日、その遺産と負債を受け継いだわれわれが責を問われるのです。

従軍慰安婦問題は、こうした土壌の上に積み上げられた厚い層であり、平凡な人が電車の中で痴漢の言いがかりをつけられた類の突発的な災厄のように思ってはいけません。



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性奴隷と兵奴隷


以前、従軍慰安婦制度を取り巻く状況を要約し、「犯す者も犯される者も等しく悲惨な境遇にあった」と書きました。
片手落ちなので今回は、「犯した者」の悲惨について書くことにします。

日本軍といえば外地での残虐行為にばかり目が行きますが、軍隊制度そのものの人権蹂躙ぶりにもっと光を当ててもいい気がしませんか?

戦地で慰安婦となった女性を消耗品のように扱った日本の兵隊さん。
結局は、彼らもまた、国家の消耗品だったのです。
およそ人権らしい人権の保障されない点では、日本兵が慰安婦より恵まれた身分とはとうてい思えません。

彼らは、よく言われるように「赤紙一枚」で集められたのち、拷問にひとしい訓練によって服従と加虐の精神を叩きこまれ、一個の皇軍兵士として成型されたのです。

「だから強かった」という評価もありますが、そうやってストレスを溜め込まれたことで「弱者には容赦なく振るまう」下地がつくられました。
日本軍の強さと規律、命令一下の非道ぶりや憲兵のいない場での蛮行、これらは表裏一体のものとして捉えねばなりません。

そうして大陸や南方の戦地に送られ、まずい作戦とひどい補給、しばしば大局のための捨て駒となって、凄惨な様相のうちに屍をさらしたのです(半数は、餓死)。

まさに「軍国日本による兵奴隷制度」と呼ぶのがふさわしい図ではないでしょうか。

結局のところ、当時の皇軍は日本の国益のために戦う存在でした。
けれども、そのようなドライに実態を評することは許されず、各員には「御国のため死地に赴く」という大義があたえられたのです。

ここでいう「御国のため」とは、「神の国のため」という意味です。
「愛する人を守る」なんて、西洋流個人主義に染まった戦後人の創作でしかありません。戦時中そのように考える日本人はいませんでした。

このことを忘れないでください。
兵士達は、郷土を守るためですらない、むしろ一族とか家庭という私的なものは切り捨て、ただ神国日本という「公」のために殺された事実を。
現在、靖国神社にまつられるのはそうした人達、故郷でも家族でも愛する人でもない、神国日本の現人神たる天皇のため死ぬことを強いられた霊なのです。

「英霊は未来の日本のため、ぼくらのため戦った」とか、今日向けに都合よく捻じ曲げたネット右翼の言い分など空虚としか言いようがありせん。
戦後の日本に貢献できたのは生き残った人々だけですから。

「神の国」は銃後でも、その臣民に命懸けの服従を強要しています。
国民すべてが死ぬ覚悟をさせられたのです。
沖縄や満州でそうだったように、家族もろとも御国のため殉じるのは狂気どころか至高の行為でさえありました。

1945年8月、ようやく理性を取り戻すまでの日本はそういう状態だったのです。

いまは21世紀。
大日本帝国の侵略政策に巻き込まれ、青春を奪われた幾万もの女性達の悲運に世界的な関心が集まり、日本軍による性奴隷制度として認知されるようになりました。
今現在、慰安婦のことが議論の焦点となっているのは、死を命じられた男たちよりもその欲情の捌け口となったか弱い女性らのほうがいっそうの哀れをさそう存在だからです。

いずれは、日本国家が自国の男子を粗末に扱った「兵奴隷制度」のほうも、国際的な批判の対象にされるかもしれません。
すくなくとも、ぼくらは批判の対象にするべきなのです。



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