戦争を語るブログ

平和を愛し、いさかい好む

長崎

原爆トランプ




原爆投下を称賛 トランプ氏支持の元バスケ代表監督(16/04/29)

アメリカ大統領選挙で共和党候補者指名争いのトップを走るトランプ氏の支持者が
広島と長崎への原爆投下をたたえたうえ、「トランプ氏も同じ行動を取る」と発言しました。
この発言をしたのは、バスケットボール元アメリカ代表監督のボビー・ナイト氏です。






ああ。あきらかにオバマの広島訪問にあてつけて言ってるな。
「原爆投下の判断は正しかった」のだと強調、ヘタすれば謝罪すらしかねないオバマ大統領のヒロシマ行脚を快く思わぬ層から喝采を受けようとの魂胆だ(実際、受けた)。
わかりやすい図である。

むろん彼らが叩いているのは日本ではない。

ボビー・ナイトはシリアで跳梁するISISを念頭に言い、そこからオバマの弱腰ぶりを際立たせんとするわけだが、多くのアメリカ人の間に、ISISが大戦中の日本人とおなじで話の通じる相手とは到底考えられない、究極的な対処が必要との共有認識があればこそだ。

ISISは降伏するまでの日本と変わらぬ、アメリカ人には理解を絶する敵なのだ。
逆に言えば、戦時中の日本はアメリカ人から、今の我々がISISに対して感じるように意思の疎通が不可能な、何かわからぬ目的のため命を賭ける集団に見られていたのだが。

最後通牒を受けながら降伏の態度を鮮明にしなかった敵国に対するトルーマンの決定について「虐殺」「人種差別」「国際法違反」といくらでも非難はできようが、原爆投下は当時の日本が敵陣営(というより世界全体)からいかに特殊に思われ、それゆえ招いたところが大きい惨禍なのをまず認めないかぎり双方が納得する議論は成り立つまい。

いったい大日本帝国とは、今になって相手側の非道行為を責められるほどの国だったのか?
たしかに、連合国側の攻勢に追い詰められた八千万もの国民が民族的自決を遂げても戦い抜かねばと感じたのを、普通の状態とするかでは意見が割れるに違いない。
しかし当時の日本は、対外的にはとうてい普通の国とは思えない戦いぶりを見せていた。とっくに白旗かかげる情勢なのに武器を捨てない相手と戦い続ける米国側に、味方の損失だけでも抑えるべく新型爆弾の使用を決断させたのはそうした日本の態度である。

「日本は終戦のため和平工作をおこない、アメリカもそれを知っていた」と言う人もいる。
当然、知っていただろう。
けれども、「日本人の一部は降伏する気があったのに、トルーマンはそれを知りながら原爆を投下した」と非難できるかといえば日本の前歴に照らすかぎり難しい。

和平工作。
開戦前夜、日本はそれをアメリカに対しておこない、平和を求めているように装った。そうやって、空母機動部隊がハワイまで迫るのを隠しながら、真珠湾攻撃の当日までずるずると交渉を引き延ばしたのだ。これにより米国民には日本が信用ならない国で交渉してはならない相手だと刷り込まれる。
(ダメ押しするが。開戦の閣議決定は秋のうちにおこなわれ、連合艦隊がハワイに向け進発したのもハルノートを受け取るより前だ。そもそもアメリカの対日圧力は、中国やインドシナでの日本軍の暴走に歯止めをかけるのが目的だった)

連合国が日本に求めたのは講和の条件を並べてごねるような時間稼ぎではなく、すみやかなる停戦だ。
本当に戦争をやめたければ「終戦工作」など必要ない、即時に無条件降伏すればよかった。天皇の地位を保ちたいなどとは身の程知らずな求めにすぎず、その天皇の名において日本側から吹っかけた戦争の相手に通用するものではないだろう。

いや、話がそれた。
さて。
だが仮にトランプが合衆国大統領になっても、ISISを核攻撃するなどと本気で言い張ったら周囲が猛反対、抑え付けられるに決まっている。
トルーマンの頃とは時代が違う。
1945年のトルーマンの決断をやむを得なかったと擁護はできるが、21世紀の今、トルーマンのやり方を踏襲するとしたらとんでもないことだ。

たぶんトランプ自身、それはわきまえてる。
多くのアメリカ人がやりたくてもできずにいる不満をつかみ取り、あいつなら成し遂げてくれると期待させここまで支持を広げた男だから、無茶としか思えないこともずいぶん公言してきたが。
なんやかやで、彼が唯一やりたいのは自分が大統領になることだけだろう。







関連リンク

トランプ氏の外交政策、ロシアで好評
(CNN.co.jp)
http://www.cnn.co.jp/world/35082020.html


「共和党内で広がるトランプ氏支持、「皆勝ち馬に乗りたい」
(ウォール・ストリート・ジャーナル日本版)
http://jp.wsj.com/articles/SB11079931825679564690504582035211962029538





にほんブログ村 歴史ブログ 近代・現代史(日本史)へ この記事を気に入ってくれた人、よろしくね

原爆投下に対するJoe Kilroyの見解

Twitterでの投稿のまとめと増補
「原爆投下に対するJoe Kilroyの見解」
(ROOSTER ROOST)




今のアメリカ人なら、「原子爆弾の投下は必要なかった」と言うこともできる。
われわれは、現在の日本国民全般が、民主主義社会の成員にふさわしく良識があり、平和の価値をよくわきまえ、軍国主義とも排外主義とも縁がなく、そして合衆国に好意的だと知っており、そうした人々の父祖に甚大な惨禍をこうむらせたのを悔やむ心を持つからだ。

だが第二次大戦中の日本は、違っていた。
国民の半数を犠牲にしても敵軍の半分を道連れにするほど理性をなくした人間の集団と思われていた。
そのことは、南洋の各地、サイパンやフィリピン、硫黄島、沖縄で示された戦いぶりからあきらかだった。
当時の日本と今の日本とは、まるで別々の国なのである。

第二次大戦とは、それまでのような国同士の戦争とちがい、ファシズム諸国とその侵略を阻止するため結集した国々からなる国際秩序との闘争だった。
アメリカ合衆国 大英帝国 中華民国 ソヴィエト連邦 オーストラリア ニュージーランド カナダ フランス オランダ フィリピン メキシコ、ブラジル ペルー、ボリビア、エクアドル、エジプト、トルコ イラン、イラク、エチオピア……こうした国々が日本の敵となった。

日本帝国は1931年の満州占領以来、国際社会に背を向けたまま中国への一方的な侵略を続けていた。
そうして蹂躙される中国を思いやった英国と合衆国の対中援助や日本への締め付けが、行き詰った日本の軍国主義者をして英米との開戦に踏み切らせる動因となったのだ。

以上が国際的に共有される日米戦争開幕までの歴史認識である。
日本帝国が「自存自衛」「アジア解放」といったスローガンを掲げたのは南洋資源強奪を正当化するためにすぎない。

やがて、「解放」とは裏腹にアジア太平洋の全域で暴虐を重ねた日本は、数年におよぶ連合諸国との消耗的な闘争に敗れ、無条件降伏を受理する瀬戸際に追い込まれた。
しかし彼らは、戦うのをやめなかった。

連合諸国は、この世界の秩序からも人道からも逸脱したうえ狂気に染まったようにしか見えない国に対し、どのような仕方で大戦の最後の日をもたらすかの選択を迫られた。
日本は、たとえ民族が滅びても連合諸国と戦い続けるよう、国民に呼びかけていたのだ。
アメリカの立場では、さらに何ヶ月も戦争の終結を遅らせ、数十万もの連合軍将兵の血で日本の土を染めるわけにはいかない。

日本政府に和平交渉を進める用意があることはわかっていた。
だが日本は、真珠湾攻撃の前にも「和平交渉」の使節を送ってきたではないか。
そうして、ワシントンでの平和への道を模索する芝居と平行して空母機動部隊がハワイまで隠密裏に遠征をおこない、宣戦布告と同時にアメリカ艦隊を叩き潰すというトリックを成功させたのである。

そのため日本人は信用ならない相手だという認識が行き渡っていた。
当時の日本に許されるのは交渉などではない、一日も早く無条件降伏を受け入れることだけだった。

原爆投下が戦争を終わらせたのではない。
原爆投下にもかかわらず、戦争は終わった。
そのときまでに日本帝国は報復をする余力もないほど交戦諸国から叩きのめされていたからだ。
われわれは日本がそうなるよう戦略を立案し、遂行した。

日本は軍事的にも経済的にも、まったく疲弊しきっていた。
通常の国家ならば、とうの昔に降伏するかイタリアのような政権転覆が起きるはずの状況だった。

だが、日本の大衆は死にいたる国家への奉仕を強制されながら、喜んでそれに従う以外の道を望まないかのように思われたのである。
マッカーサーの予想では、米軍が日本本土への上陸を敢行すれば、敵の首脳に降伏文書への調印を迫るまでに25万人のアメリカ兵の戦死者のほか、さらに多くの日本軍民の犠牲が必要とのことだった。

この期に及んでの新型爆弾の有用性については政府や軍の内部でも賛否が割れたが、すくなくとも行き届いたシビリアンコントロールのもとで最高責任者が決定し、命令が下され、そして実行されたとだけは言えるだろう。

われわれに日本の一般市民がその頭上を核爆発の業火が注がれるに値する罪深い人々でないとわかったのは、かくして戦争が終わり、連合軍将士が日本に進駐した後のことだった。
多くのアメリカ人は、勝者を迎える日本人の態度が戦時中の戦いぶりからは想像も出来ないほど、従順で、礼儀正しく、好意的ですらあるのに驚かされた。

けれども、その同じ日本の民衆、彼らの中から徴用された軍人らが大戦中、連合軍捕虜や占領地の住民をまったく過酷で無慈悲に遇したのもまた事実なのである。

世界はその秩序を受け入れた日本という国をけっして過酷に遇しなかった。
国際社会は、七千万から八千万もの日本人の中から、パリ不戦協定やジュネーブ条約に反する政策をおこない、命令を下した、ごく少数を選び出し、戦争犯罪者として裁きを加えることで日本全体への断罪に替えた。

アメリカは戦後に同盟国となった日本の安全は守ってみせた。
朝鮮戦争とヴェトナム戦争はアジアでの共産主義の拡大を防ぐためアメリカ兵が血を流した戦いだった。
一方、日本人はもはや戦争を戦うことも戦場で死ぬこともなく済んでいるのだ。今日に至るまで。

最後に。
われわれは、日本でも原爆製造計画があったのを知っている。
それは幸いにも諸々の事情から実現しなかったが、もしもアメリカよりも先に製造できたなら日本こそ最初の原爆使用国になったかもしれないのだ。
世界に先駆けた大規模な戦略爆撃を、同じアジアの中国に対しておこなったのが日本だった。




関連リンク

Joe_KIlroy
(Twitter)
http://twitter.com/Joe_KIlroy

原爆投下に対するJoe Kilroyの見解
(ROOSTER ROOST)
http://www.geocities.jp/ondorion/rooster_roost/rooster_roost_ex4.html




にほんブログ村 歴史ブログ 近代・現代史(日本史)へ この記事を気に入ってくれた人、よろしくね

長崎で核廃絶についてのアンケート


長崎で核廃絶についてのアンケート





長崎市で内外200人調査
核廃絶日本人は悲観的 6割超「不可能」


 5月3日から米国で開催される核拡散防止条約(NPT)再検討会議を前に、市民の核兵器への意識を探ろうと、長崎市の高校生でつくる「1万人署名活動実行委員会」と西日本新聞は共同で日本人・外国人それぞれ100人にアンケートを行った。日本人の6割超が核廃絶が実現できないと悲観的な一方、外国人は4割弱にとどまるなど意識の違いが浮き彫りになった。

 アンケートは4月、長崎市の原爆資料館周辺路上で実施。質問用紙を配り、22都道府県の日本人と23カ国・地域の外国人から回答を得た。

 「核兵器は不要」と回答したのは日本人91人、外国人96人と、ともに高率だったが「核兵器なき世界は実現できない」としたのは日本人63人、外国人37人と分かれた。

 実現できない理由(複数回答)としては「戦争の抑止力のため」が日本人21人に対し、外国人は5人。「テロの抑止力のため」は日本人11人、外国人5人。北朝鮮の核開発の動きなどを背景に、日本人がなお米国の「核の傘」に依存する傾向がうかがえた。

 オバマ米大統領の核廃絶構想は日本人73人、外国人79人が支持。しかし、米政府が今月発表した核戦略見直し(NPR)でも否定しなかった「核による先制攻撃」は、日本人85人、外国人80人が「絶対に許されない」としており、米国へさらに踏み込んだ核軍縮を求めている格好だ。

 NPT再検討会議でも焦点となる北朝鮮とイランについては日本人38人、外国人34人が「原子力の平和利用は認めるべきだ」としたが、「すべてやめるべきだ」としたのは日本人51人、外国人62人。両国の核開発、核開発疑惑への強い懸念を示した。

 久間章生元防衛相の「しょうがない」発言で注目された「長崎への原爆投下の是非」では日本人でも9人が「正しかった」と回答。外国人の10人と大差はなかった。


(西日本新聞/2010/04/25日付け)
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/167703




関連リンク

記事名
(引用元)




にほんブログ村 歴史ブログ 近代・現代史(日本史)へ この記事を気に入ってくれた人、よろしくね

「原爆投下こそ真のホロコースト」


「ホロコーストよりも原爆投下が問題」
長崎訪問のイラン国会議長の演説


極秘に核爆弾つくってる(とかの)イランの政治家に言われたってなあ。



原爆投下は「真のホロコースト」
イラン議長が長崎訪問報告


 【テヘラン共同】イランのラリジャニ国会議長は28日、日本訪問中に長崎市の原爆資料館を見学した感想についてイラン国会で演説し、第2次大戦中のナチス・ドイツのユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)になぞらえ「原爆投下こそが米国が引き起こした真のホロコーストだ」と述べた。イランのメディアが報じた。

 27日の長崎初訪問についてラリジャニ氏は「日本にとって最も悲しい出来事の一端を知る機会だった」とした。その上で「広島に原爆を投下して核兵器の影響の大きさを知りながら、長崎にも落とした」と米国を批判。ホロコーストよりも、米国の核兵器使用を問題にするべきだと指摘した。

 イランの核開発をめぐっては国際原子力機関(IAEA)が核弾頭開発疑惑を指摘しているが、同国は発電目的だと説明している。


(共同通信/2010年2月28日)
http://www.47news.jp/CN/201002/CN2010022801000598.html




関連リンク

記事名
(引用元)




にほんブログ村 歴史ブログ 近代・現代史(日本史)へ この記事を気に入ってくれた人、よろしくね

広島と長崎、共同で2020年の五輪誘致


広島で〜す
広島と長崎、
コンビを組んで
2020年の五輪誘致

長崎で〜す


志の高さは買うが、これは無理っぽいんじゃないだろうか。

もしも、広島や長崎が戦災の地であることをもって平和の祭典にふさわしいなら、同様の理由から、アウシュヴィッツ、南京、ゲルニカ、パールハーバー、ドレスデン等も開催地にふさわしいということになりかねない。
(実際、ふさわしいだろう)

うかうかすれば、「被爆者というのは自分の悲劇を強調することしか頭にないのか?」と思われてしまう。
高い招致費用をつかって核廃絶や世界平和を訴えるなら、別の手段でも可能なはずだと思うのだが。
(共同で映画をつくるとか)



20年夏季五輪:広島・長崎が名乗り 共同で検討委設置


 広島市と長崎市がオリンピック招致検討委員会を共同設置する方針を固めたことが10日、明らかになった。メーン開催地は広島にして、2020年の夏季五輪招致を目指す。秋葉忠利・広島市長と田上富久・長崎市長が11日、広島市で記者会見して発表する。

 両市が中心となり、全世界の約3100都市で作る「平和市長会議」(会長、秋葉広島市長)が2020年までの核兵器廃絶を訴える「ヒロシマ・ナガサキ議定書」を発表しており、この議定書に合わせ、20年に平和の祭典である五輪を被爆地両市で共同開催することを狙う。

 秋葉広島市長は昨年9月15日付の市広報紙のコラムで「広島と長崎で共同開催したいという『夢』をお届けしたい」と記し、「古代ギリシャでのオリンピックの精神である『平和の祭典』に、より忠実な形でのオリンピックを復活させることは出来ないものでしょうか。オリンピックの開かれる期間中は、戦争や紛争を中止するための働き掛けを全力で行う行事にする必要がある」とつづった。今年9月の記者会見で「2020年の核兵器廃絶実現後、広島と長崎での五輪開催が夢だ」とも発言している。

 広島市は周辺市町とともに94年、第12回アジア競技大会を開催、42カ国・地域が参加している。

 日本は五輪招致に夏冬合わせて10回名乗りを上げ、これまで4度選ばれ、64年東京、72年札幌、98年長野の3回開催した(40年夏冬同年開催の東京、札幌は返上)。夏季大会は、東京以後、名古屋が88年、大阪が08年、東京が16年に立候補したが、いずれも落選した。【加藤小夜、石井朗生】


 ◇核廃絶活動の一つ

 長崎市の田上市長は五輪招致について「核兵器廃絶に向けた両市足並みそろえての活動の一つ。明日(11日)話します」と述べた。


(毎日新聞/2009年10月10日)
http://mainichi.jp/select/today/news/20091011k0000m040082000c.html?link_id=RSH05




関連リンク

広島・長崎五輪招致:JOC慎重「東京の意向配慮」
(毎日jp)
http://mainichi.jp/select/today/news/20091011k0000m040087000c.html




にほんブログ村 歴史ブログ 近代・現代史(日本史)へ この記事を気に入ってくれた人、よろしくね

やはり被害者でいたがる日本人


「原爆投下しょうがない」と発言した久間防衛相へのマスコミや関係団体からのバッシングは、思いのほか激しかったようです。
防衛相はのちに、「しょうがないという言葉だけ独り歩きしている。内容の前後関係で判断してほしい」と語りましたが、これは確かにその通りだと思います。

久間の発言は大筋では、マッカーサーのおかげで日本は赤色化を免れたとする赤尾敏ら親米右翼の言い分を焼きなおしたものでしかありません。
しかし、ことが広島・長崎に関わってくると右も左も躍起になってしまうようで、聞き入れる冷静さは示してもらえませんでした。
原爆発言、事実上撤回=「大変申し訳ない」と陳謝−久間防衛相

 久間章生防衛相は1日昼、長崎県島原市内のホテルで記者会見し、米国の広島、長崎への原爆投下を「しょうがない」とした自身の発言について「これから先、一切そういうこと(発言)はしない」と述べ、事実上撤回した。さらに「長崎、広島、全国の皆さんに大変申し訳なかったという気持ちだ」と陳謝した。久間氏の発言に関し与党内でも参院選への悪影響を懸念する声が強まったため、事態の早期収拾を図った形だ。

 久間氏は会見で「米国は米国としてそういう選択(原爆投下)を、戦争を終わらせるためにしたんだなという感じで言った。その言葉が非常に誤解を生んでいる。ああいう言葉を使うこと自体がいけなかった」と述べ、発言が不適切だったと認めた。
 その上で「一貫して核兵器は使ってはならないという姿勢は微動だにしていない。決して米国の原爆(投下)を是認したわけではない」と表明。「米国を恨んでいるかといえば、恨んでいない。ああいうことを2度と起こさないでもらいたい。日本も先頭に立って世界の核兵器廃絶に向けて努力したい」と述べた。

 久間氏はこれに先立つフジテレビの番組では、自らの発言を訂正しない考えを示した。これに対し同じ番組で、自民党の中川昭一政調会長は「謝罪すべきところは謝罪した方がいい」と指摘。公明党の斉藤鉄夫政調会長も「日本国民の神経を逆なでする発言だ。訂正していただきたい」と求めた。

(時事通信/2007年7月1日)
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2007070100146
実際、発言への反応は国民的にヒステリックと呼んでいいものだったと思います。
とにかく右派であれ左派であれ、久間防衛相には容赦なしという感じで、どこか狂熱的なところさえ感じたのはぼくだけでしょうか?

ぼくとしては、「日本人なのに原爆投下を認めてる」とか「日本人ならそんな発言は許せない」という方向に逸れた極論にはどうしても同調するわけにいきません。

この騒動を眺めて得たのは、やはり日本人は自分達のことを被害者にしておきたいんだなあという感慨です。
反核とか人類愛から防衛相の発言を批判した人がどれだけいたでしょう?

右翼にとって「被爆」は自国民を被害者とおもわせる最大の切り札です。それを国防のトップにいる人から「しょうがない」と是認されてしまったら、立つ瀬がなくなります。
左翼が久間を叩くのにも、安倍政権にとどめを刺す、参院選を有利に進める、さらに辺野古での恨みを晴らすなど複合した諸事情が汲み取れます。

ぼくは広島・長崎の被災について何も感じないということはないですが、あの出来事を特別視させようする姿勢では右も左も一致してしまうところがどうにも異様に思えて仕方ありません。
天皇制をめぐってはいがみ合う両者が「被爆」の旗印の下で結束しているのですから。

「日本の子どもが知っているのは原爆被害だけ」
オランダ人元慰安婦が痛烈な批判

 米国下院の外交委員会アジア太平洋環境小委員会で15日(現地時間)に行われた、旧日本軍の元従軍慰安婦に関する聴聞会で証言台に立ったオランダ人の元慰安婦ヤン・ルフ・オヘルネさんは最近、和解のために日本を訪問した際、とても失望した、と述べた。日本の子どもたちが、第二次世界大戦当時に日本軍が行ったことを全く知らなかったためだ。

 オヘルネさんは「日本の子どもたちが知っている第二次大戦当時の出来事は原爆投下だけだった。自国が受けた被害だけは知っていたが、ビルマなど海外で日本軍が犯してきた数々の悪行による被害者たちについては全く知らなかった」と批判した。

 そして「二度とこういうことが起こらないようにするためにも、日本人は過去を正しく理解しなければならない」と強調した。
(崔宇晢(チェ・ウソク)特派員)

(朝鮮日報/2007年2月17日)
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/02/17/20070217000020.html






戦争をか弱い庶民を踏み潰すゴジラのような恐ろしいものとして受け止めながら、実は自分らがゴジラなど及びもしない規模の惨害を諸外国にもたらしたことに思い至らない。
そして戦後処理は、戦犯の処刑と政府の謝罪ですべて解決済みと考える。
それが偽らざる国民意識の実情なのです。

「被害者たちと被害者ぶる国」より抜粋(2007年02月18日)
http://blog.livedoor.jp/manfor/archives/50901824.html


日本には原爆の被害を言い立てれば世界を味方に付けられると誤解したような人が多いですが、実のところ、原子爆弾の投下はアジアの人々から歓迎すらされたようです。
海外から日本はどう見られているか

 最近のアジアの人は日本に警戒していますが、レジュメの1ページにあるのはフランス人が「3発目の原爆も日本に落とされるだろう」と言ったという1989年の朝日ジャーナルの記事です。日本は世界では異質で何かやらかすのでは? と見られています。エコノミックアニマルで、世界共通の倫理観が日本にはない、アジアに対する差別を戦後も総括していないと思われています。
……(中略)……

 レジュメ3ページ目は原爆投下についての教科書の記述です。「The End of the War」というタイトルで2つの原爆の絵が大きく載っており、焼け野原となった広島ときのこ雲の絵があります。よくぞアメリカは日本に原爆を落としてくれた、これで仇が討てたという内容で、被爆者にとっては大変な説明です。シンガポールでは「No More Hiroshima」ではないのです。シンガポールだけでなく、日本が占領した地域の人々はほとんどが同じ考えです。広島の人にそう言ったら、「やっぱりそうですか」と言っていました。広島の慰霊祭でアジア代表団は「No More Hiroshima」に拍手しないそうです。自分たちは被害ばかり言っているが、本当にそれでいいのかと内々に議論していたそうです。マレーシアの戦争記念館で戦争の最後の説明が広島でした。どうして広島なのかと質問したら、ガイドさんが逃げてしまいました。次に行った時には絶対に答えてもらおうと、ガイドさんをみんなで取り囲んで質問したら、日本のみなさんは気を悪くすると思うが、と前置きして、上記のようなことを話してくれました。学校でそう教えているそうで、みんなそういう考えだということでした。これはシンガポールだけではなく、日本に侵略された国はどこでもそうなのです。このことを被爆者に言わなければと思い、言いました。冷静な受け止めもありましたが、家族の死などを思い出すと、やはり抵抗感があるようでした。個々の被爆者の捉え方と社会全体の捉え方とは違って当然だと思います。
(渡辺容子)

(JANJAN記事「消せるものか沖縄戦「集団自決」 高嶋琉球大教授が講演」より抜粋/2007年6月12日)
http://www.janjan.jp/area/0706/0706117120/1.php
話を戻しましょう。

久間の演説を、従軍慰安婦決議案へのあてつけ、日本人を右も左も反米で結束させる策略ととらえる向きもありますが、ぼくはやはり、ただの失言にすぎなかったのではと思います。
騒ぎ立てる側にそういうことを企む輩がいるのは確かなようですが。

もう、被爆者達の惨状を強調して日本の侵略行為を有耶無耶にしたり、アメリカを非難する口実に使うのはやめてほしいです。

歴史的経緯からいって、原爆が落ちた責任の半分は日本側が負わなければならないのだし、もしも被爆の地獄絵を振りかざすのが加害者としての印象を稀釈する意図によるならば、それこそ被爆者への最大級の冒涜というものでしょう。

原爆で殺された数十万もの人々は全人類のための犠牲にほかならず、日本国家が利用できる駒などではないのです。



にほんブログ村 歴史ブログ 近代・現代史(日本史)へ この記事を気に入ってくれた人、よろしくね
いらっしゃ〜い!

関連サイト



にほんブログ村 歴史ブログ 近代・現代史(日本史)へ
サイト内検索
powered by Google
代表記事
■山本カルトに手を焼いた話(統合版)
■ライト文芸
■ヴィジェ=ルブランが気になって
■映画の話題
■日本人でどこがよかった
■ニッポンこわい
■国民病「日本スゴイ症候群」と他人の反応
■愛国伝説
■二次元マニアの同一性障害
■「特攻隊はテロリストと違う」と言い張るゼロリスト
■13%
■アインシュタインよりディアナ・アグロン
■エジソンからアインシュタインへ
■「よそはよそ、うちはナチ」
■東京を占領した南京事件否定派、ユネスコを脅迫
■映画『聨合艦隊司令長官山本五十六』
■外国人に語らせた愛国ポルノ本の虚妄
■ノストラダムスの大予言と大東亜戦争の肯定
■侵略の定義
■慰安婦問題について百万回でも書かねばならないこと
■誘拐と慰安婦とハーレムと強制連行
■性奴隷と兵奴隷
■日米同盟はまさに保険だ
■知ってても差別をしてしまう場合
■グレンデールで慰安婦像撤去に反対、本物の日系市民が動き出した
■安重根記念館と二つの史観
■小野田少尉と真実を把握すること
■潘基文国連事務総長は安倍内閣の歴史認識を堂々と批判してかまわない
■産経新聞というネット右翼
■戦後最大のメディア犯罪が起きている?
■通州事件の記憶遺産登録は日本にとってヤブ蛇ですが
■アメリカ人の自己犠牲について
■「太陽の帝国」
■慰安婦問題、仏国際漫画祭での判定
■原爆投下に対するJoe Kilroyの見解
■愚問のきわみ! 「南京大虐殺の際、中国軍は何処で何をしていた」?
■米国保守と日本右翼の親和性?
■「西側」対「右側」/従軍慰安婦問題の特異性
■早い話、日本軍自体が「巨大な奴隷制度」だったという話
Recent Comments
Archives
QRコード
QRコード
Amazonライブリンク
  • ライブドアブログ