2012年05月12日

Here Was The United States

本日はわたしも石井総統もお互い夕方から用事があるため、
その用事の前に飲酒してしまいましょうといって、早めの集合になりましたが、
お互いの用事がキャンセルになってしまったので、これはこれはと飲み直し、
そのままPsysalia Psysalis Psycheのラストライブを見るべく渋谷に向かいました。

とは言え、レポート的なものを書ける程、わたしの頭はシャキッとしておらず、
どうやって会場に着いたのかすらも思い出せないレベルなので、
全く当座の様子を正確に伝えることはできないのが、恐縮至極なのですが、

記憶の限り、ステージ上には秘境祭を思わせる白いベールが壁と天井を覆い、
背面に映し出される映像は、キャンドルのような揺らめきと光量でした。
通常のライブハウスより薄暗い場内は満員で、適度に移動が出来ました。

少々モワモワしていて(わたしの耳の問題だけではないようです)、
全体の輪郭をやや欠いたサウンドは、彼らには不名誉なことと承知の上で、
うむうむ、紛う方無き、あのサイサリである。と言ってビールを注文。

Psysalia Psysalis Psycheのラストライブは、細かく記憶することは止し、
モッシュピットでウゴウゴしながら観ることに決めた次第です。

思えば彼らのコンサートに足を運ぶ時は、ほとんど撮影だったので、
酩酊状態で観ること自体、珍しいことだったのです。

曲が進んでいくに従い、やや遠慮がちであったフロアの動きは活発になり、
突撃的イントロ、"Butch & The Sundance Kid"で一つのピークを迎えます。
気づいたらわたしの靴は両方ともステージに投げ込まれ、わたしは裸足でした。

手拍子が鳴り止まない二度目のアンコール時、紫穏さんが登場し、
「俺たちこれで終わりだから」と決まりの悪そうな微笑をたたえつつ、
ぶっきらぼうに、本日をもって解散する旨をステージ上から宣言しました。

フロアからは「えっ」という、息を飲む小さな音が集まった、
悲愴にはまだ満たない、何が何やらわからない、という空気で騒然となりました。

彼らのシングル連続リリースをコンパイルした新譜、"#7"ツアーも好調、
ギタリストである亨さんのソロ作のビデオはチェコで開催された映画祭、
"ANIFEST国際アニメ映画祭"のMUSIC VIDEO部門で最優秀賞を受賞する等、
明るいニュースが続いた中、突然発表されたイメージもあります。

解散の理由は彼らから語られることはありませんでしたが、
個人的には、やはり"やり尽くしてしまった"のでしょうか。と感じました。

ここで言う"やり尽くす"というのは、"アイデアの枯渇"という意味でありません。

彼らの、アート全方位を視野にした、カメレオン的でありながら、道は外さない
アプローチを見て来た者として、次の一手がない、とは思えないのです。

ただし、凡百のバンドであれば、何度枯渇したかわからないほどに、
彼らはアイデアを絞り出していたような印象があります。
昨年行われた月毎のシングルリリースも、それらの根拠の一つです。

彼らは我が国のインディバンドの中でも一際、国内外のアートカルチャーへの
志向性が高いバンドです。彼らはグラマラスですが、芸術表現としての音楽、
ビデオを含めたアートワークにストイックであり、また武闘派でもありました。

音楽を芸術として考えると、多くの場合、締切が失われがちですが、
彼らは事もあろうに、マンスリーという、商業的なレシピをもってすら、
確約できるかわからないレベルのハードルを用意してしまったのです。

果たして彼らは最終作となるSP、"the United States of Psysalia"を上梓し、
全6作を以てこれを完走しました。A面曲の軽やかに跳ねるビートは、
ゴールを必要以上に大仰にせず、まだ余裕すら感じさせる風情でもあり、
同時にどうしても、走り切ったメロスのように削がれた肉体を思わせました。

この点だけでも、彼らの解散に、少し納得してしまう自分がいます。
終わることは寂しいですが、彼らは最初から、天に着々と伸びつつ、
その実、ゆっくりと崩れ落ちるバベルです。その崩落すら美しかったのです。

彼らが最後に送り出した7枚の作品は、彼らの命を縮めたのかもしれません。
この不世出のバンドは、彼らの命を、作品の中に残すことを選んだのです。






manism at 23:40│clip!