2012年12月24日

Watch Over From Clouds

それから祖母の通夜、告別式はあっという間に過ぎてゆきました。

火葬場では待ち時間の間、煙突から出る煙を眺めてお見送りしようとしましたが、
最近は周辺環境への配慮ということで、煙はほとんど出ないそうでした。

そんなことでちゃんとお空に行けるのでしょうか。と思いつつ、
弟と一緒に丘の上から火葬場の屋上付近を眺めていると「あれじゃね?」
と言って弟が指差す辺りに、火葬の熱で発生したであろう陽炎を発見。

「あーあれだあれだ」「ちゃんと出てますな」「あーよかった」などと言って、
 暫くその揺らめきを眺めていました。祖母は「寒いから早く中に入りなさい」
 とか言いながらフワフワ昇って行った気がします。遺骨はデカかったです。

式中や式後、お棺の中で眠る祖母に話しかけたりはしませんでした。
わたしはあれも苦手です。心で思っていれば伝わる、と勝手に思っています。

何より、眠ることが多くなってしまう直前の祖母に手紙を書けたことが、
このどうしようもない初孫の心に小さな灯のような達成感を与えました。

以前の記事に書いた通り、今年の10月には、透析やリハビリに励む祖母に、
あまり無理をしないようにという話から転じ転じて、縁起の悪さを感じつつも
"ありがとう"と"またね"を含む、弔辞のような手紙をしたためて送ったのです。

※勿論直接的な死生観こそ出しませんが、"またね"という言葉に、
※普通の手紙で使用される意味と、弔辞で使用される意味の2つが含まれていました。

祖父に読み聞かせてもらったところ、概ね伝わったらしく、この点において、
わたしが祖母に伝えたかったことは、生前にほぼ伝えられたような気持ちでいます。
これは本当にやっておいて良かった、と思うことの一つでした。

手紙を送った暫く後、祖母は1日の大半を眠るようになりました。

若いうちこそ、眠っているというのは死んでいると同じだ、等と思いますが、
全くそんなことはありません。眠るのも一苦労と言わんばかりに、
ゴウゴウと鼾をたてて眠る姿は、正しく生命活動に他ならなかったのです。

それを見ながら、人が老いてゆくにつれて、頭がぼんやりしがちになったり、
眠ることが多くなるのは、その魂の半分は既にゆっくりと体から抜けていて、
次に生まれてくる命を担当しているからではないか。と思うようにもなりました。

半分は祖母ですが、半分は誰かのお腹の中で羊水に浸かっているような感じは
逆の立場で考えた場合、妊婦さんとしては複雑というか、不気味かもしれませんが、
こちらとすれば、また新たに人生を謳歌するための準備のようにも見えました。

とは言え、わたしは宗教家ではないので、祖母がお空に行ってしまった今となっては
こうした輪廻的考えはなく、わたしの祖母はいつまで経ってもわたしの祖母なのです。

わたしの結婚や、ひ孫を見せられなかったことは、スミマセンと思っています。
きりのないことですが、実際、見せられたら、どんなに良かったかと思っています。

わたしが事業で大成功をして贅沢をさせてあげることも叶いませんでしたし、
オリンピックでメダルを取るような国際的な栄誉を持ち帰ることもできませんでした。

斯様な素晴らしい若者をテレビや新聞で見る度に、もしわたしが彼らであったら、
わたしの祖父母は一体どれほど喜んだのだろうか、と常々劣等感を覚えるばかりです。

とは言え、とは言え、自分で言うのも甚だ恐縮なことではありますが、
わたしも、それなりにナイスな孫ではなかったでしょうか。

何というか、ちょっと、こういう孫も面白かったでしょう。と思っています。
なので、どうかまた次回もわたしのばあちゃんでいて下さい。頼みました。

もちろん生まれ変わるのも大変結構。戦争のない平和な青春を謳歌してほしいです。

次の次くらいのタイミングで、うまいこと都合を合わせつつ、
わたしはわたし、ばあちゃんは ばあちゃんとして、また遊びたいです。

まずは今までありがとうございました。安らかに、されど寂しくないように。

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manism at 04:47│clip!

この記事へのコメント

1. Posted by おはじき   2012年12月26日 13:41
マニさん、お疲れ様です。
いい写真ですね、マニさんの手つきがもじもじしてて
なんかいいですね。
おばあさまのご冥福をお祈りいたします
2. Posted by mani   2013年01月03日 00:08
おはじきさん、おつかれさまです。
写真いいですよね。祖父母の家で発見しました。
どうもありがとうございます。。恐縮です。。