2005年11月03日

お久しぶりです。

 この「まどか先生のひとりごと」を終え、新しいブログ「まどか先生の ミ ママ達のおやつ」として最スタートして約1ヶ月。今でも、検索ワードにヒットし、このブログを読んでくださる方がいてくださって、とてもうれしいです。

 20年前、思い立った言葉を入力したら、それに関連するさまざまな記事、知識などか瞬時に目の前にあらわれる… そんなことは、一般人には想像もできませんでした。私にとれば、鉄腕アトムやマグマ大使の世界です。

 これからも、何らかのかたちで、みなさんのお役に立てる事を願っています。新しいブログ、「ママ達のおやつ」も、どうぞよろしくお願いします。

まどかせんせいの「ママ達のおやつ」   http://blog.goo.ne.jp/manners_2005/
  
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2005年10月02日

新しいブログ開設のお知らせ

私のブログ、「まどか先生のひとりごと」を始めて、1年2ヶ月が過ぎました。昨年の8月8日に、最初のブログを書いて以来、投稿した記事は82コ。結構書いているんだなあ、とあらためて思いました。
 ブログを始めようと思った時、私は何とか身の回りに起こる様々な「子供に関すること」を題材にして、私の思い、私の考えなどを書き、少しでも読んでくださる方々の「育児、子育」のご参考にしていただこう! と思っていたのでした。しかし、書き進めるうちに、題材は子供、育児に関することばかりではなく、私の家族、趣味の話、世の中のニュース、事件、事故…と、気づけばどんどんと広がっていくばかり。果して、こんなに好き放題、書いてしまっていいのだろうか?と躊躇しつつも、結果的には「ねえねえ、聞いてください!」という気持ちになり、素直に「思ったこと、感じたことをどんどん書いて、伝えよう」というふうに、すっかり始めた時の思惑とは趣を異にするものとなっていきました。

 という事で。
10月をひとつの節目として、一旦「まどか先生のひとりごと」を終了し、今後は、もっともっと大きな目と耳、感性で、新しいブログを書いていきたいと思います。子育の事、私立校受験のことだけに関わらず、よりたくさんの身のまわりの事を幅広く書いていくつもりです。
私がブログを書く目的、それは、一生懸命に子供に関わり、何とか「すてきな子供に育てたい」と日々努力をされているママ達、時にはパパ達への応援メッセージです。子育は、決して「1+1=2」の世界ではありません。「1+1=0」だったり、ある時には「1+1=-2」などという、とんでもない事もあるでしょう。そんな、とってもアナログな作業、それが子供を育てる、という事だと思います。
 子供を育てるには、参考書はあっても、けっして教科書もとらの巻もありません。そんな中、確かなものは「親であるあなただけ」なんですよ。その「あなた」は、きっと時々、疲労困憊したり、煮詰まったり、右往左往したり…するでしょう?そんな「あなた」を強くするには、たくさんの事を見たり、聞いたり、考えたりして、「自分を磨く」以外に方法はありません。
 私が送る応援メッセージである「ブログ」を一つのきっかけとして、どうぞ立ちどまり、大きく深呼吸をして、ほっと肩の力を抜いてみてください。

 新しいブログの名前は、まどか先生の「ママ達のおやつ」です。
メインディッシュは、ホームページ内にたーくさん用意がありますでしょう?そう、このブログは「おやつ」なのですから、時にはあまーいあまーい洋菓子の時もあれば、上品な和菓子の時もあり、おせんべいのように甘っ辛いものあり、レモンドロップのように酸っぱいものもある…
 どうぞママ達の感性で、「ママ達のおやつ」をご賞味ください。
尚、今までのブログ「まどか先生のひとりごと」は、ホームページの新項目として残しています。
 では、新しいところでお目にかかりましょう!

 まどか先生の「ママ達のおやつ」 http://blog.goo.ne.jp/manners_2005/  
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2005年09月30日

「阪神タイガース」と「いちびり」達

 阪神タイガースの優勝… 私が大阪出身である事をご存知の方は、たいていが、「阪神ファンですか?」とおたずねになります。日頃は「いいえ、いいえ!阪神の球団はいいんですけれど、あの例の阪神ファンはねえ…」とお答えし、言葉を濁します。ああ、またこれから何日間か、「南坊さんは大阪の方、ですよね。阪神優勝、おめでとうございます!」などと、満面の笑顔で言ってくださる日が続くのでしょう。今年は、にこにこと笑って、何も言わないことにしよう…

 大阪弁には「いちびる」という動詞、「いちびり」という名詞があります。
標準語で一番近いものは、たぶん「ふざける」という事だと思います。ただ、ニュアンスとして、「ふざける」にプラスして「ウケ、を狙うという要素もあり、そういう振る舞いをする事による周囲への影響、その後の自分をも含めた反応、結果を考えない。少しお茶目な要素もあり」という事だと思います。
 2年前の阪神優勝後、5500人ものファンが道頓堀川に飛込んだ(今年は、大阪市、大阪府警の努力が功を奏して55人だったそうですが)という行為、あれはまさに「いちびった」結果であり、5500人もの「いちびり」がいた、という事でしょう。
 普通、「いちびり」には悪意はないものです。反抗でもなければ、抵抗でもない(だからこそ、手がつけられない訳です…)。しかし、戎橋に設置した3メーターの壁を作るために、大阪市は200万円の税金を投じた、との事。それ以外にも、警察官2500人を投入しての厳戒体制、高所にある道路標識、信号機に付設した有刺鉄線、etc.etc. それらに使われた税金は、総計でいくらだったのでしょうね?
 まあ、私は大阪市民ではありませんから、その市税の出所が自分の懐ではない限り、それほど身近な問題ではないのですが、さすがに気にかかるところです。どこの球団の優勝よりも、経済効果が大きいという阪神タイガースの優勝。
 でもね、なかなかおもしろいインタビューがあり笑えました。昨夜の優勝前、あちらこちら大阪でインタビューをしているVTR。

 レポーター:「どうですか?そろそろ優勝ですね。前回は18年ぶり。今回はたった2年ですよ。すごい快挙ですね。」
 阪神ファン:「うん、まあなあ。強いんは嬉しいけど… せやけど、あんまりポンポン阪神が勝ちよるのもなあ… それもおもろーないなあ…」

 昔から、阪神ファンは「出来の悪い息子を持った親みたいなもの」と言われます。あのVTRのファンの言葉からもわかるように、「出来の悪い息子は、突然、優等生になる必要はない」という事なのでしょう。出来は悪くとも、それなりの良さもあり、それを十分に認めている親なのだから、まあ、ボチボチやったらエエやんか、というところでしょう。あらためてこういうふうに書いてみると、まさに「無償の愛」。親の鏡、です。
 今夜もきっと、あっちこっちで「六甲下ろし」の大合唱。主人は昨日から大阪出張。主人は「南海ホークス」以来の「ソフトバンクホークス」ファンですから、阪神の優勝はどうでも良いのでしょうが、きっと大阪を愛する主人は、にわか阪神ファンと化し、やっぱりなぜか歌える「六甲下ろし」を歌うでしょう。
 ちなみに、10年前に亡くなった主人の父は、大阪市の下水道を浄化するために多大な功績を残した人です。在命中、大阪市に在職していた当時は、道頓堀浄化のための発表も多い…
 道頓堀川に飛込んだたーくさんの「いちびり」を、にんまりと笑って見ている義父の顔が見えそうだな、とちょっぴりうれしい気分もある私でした。
  
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2005年09月26日

「何事も経験だね!」

 H氏、海派を廃業したのか、この連休は何と一人で山に出かけました。ほんの一月前、初めての山「北アルプス」を体験したH氏。その時は行く寸前まで仕事仕事で支度もせず(できず?)、またそれでも気にならず、すべて人任せにして、本人は出発当日、さっとザックを背負って上高地行きのバスに乗っただけ… しかし、さすがにフルマラソンのためのトレーニングで鍛えた脚力と体力は、息ひとつ上がらず、心泊数も変わらず、一気に2800メーターまで登ってしまえる体を作り上げていたようでした。その世界で目の当たりにした槍や穂高の峰々。しばらくは声も出せないほどの感動のようでした。
 ということで… 下山後は、どうも静かに、秘かに、今回の単独行を実行しようと考えていたようです。今後も長く続ける「趣味」として、十分な山の装備を整え、いそいそと出かけました。しかし、何と言ってもアルプスの高地では紅葉が盛りの時期に入るこの連休、山の中も大混雑。23日の夜、涸沢ヒュッテは1畳に3人、という夏をもしのぐオイルサーディン状態。前回の山行では、山小屋とはもはや呼んではいけないような設備と雰囲気の徳澤園にベースを構え、大名登山をしたH氏にとって、涸沢ヒュッテの「本来の山小屋」の状況には目玉が飛び出した様子… そこで、体力的にも時間的にも十分に余裕のあったH氏は、たまたま途中で行動をともにしたベテラン登山者からのアドバイス通り、そのまま一気に北穂高山頂へ。北穂小屋は、2枚のお布団に3名。まあ、混雑時の山小屋では想定の範囲内。「口臭の強い、知らないオッサンの顔が横にある状態のままで寝るのはかなり辛い」だったらしいものの、標高3000メーターにある山小屋からの景色は、前回とはまた違う、岩また岩の絶景で、ある意味、やっと山の怖さも実感したようでした。(H氏のメール「ここに来て、滑落の意味、わかった気がする。ちょっとした油断で、どこからでも落ちるな…」)
 しかし、山小屋では当たり前ののこととは言え、どんなに汗だくになってもシャワーもお風呂もない状況、悪天候続きだと外に干せずにじっとりと湿気を吸ったお布団にありがたく寝る事、テーブルにつめつめに座り、何クールかに分かれて慌てて食べる質素な食事…そんなすべてを「何事も経験だね!」と言い切り、実際、次に何かアクションを起こす時の「人としての肥やし」にするH氏のバイタリティー… 50歳を過ぎた今でも、まだ未知を知って狂喜し、自分のものとして取り込んでいける底なしのパワーには脱帽です。

 H氏、すでにお気付きの事と思いますが、私の夫です。
身内を賛美するにしても、「うちの娘は超はかわいい!うちの息子はホントにすごい!」というわが子のどアップ写真がバンバン掲載されたブログは、まだ御愛嬌で、苦笑しながら許せても、夫について書く、我が主人をほめる?ブログは趣味が悪い…と読み手の方々には失笑され、愛想をつかされそうでハラハラではありますが、しかし私としては、ほめるとか賛美するとかではなく、あくまで「一人の人間として」、50歳という、本来ならばコチコチ頭になってしまいそうな年齢を迎えながらも、未だにどんなことをも素直に受けとめ、受け入れ、そして咀嚼して、自分のものとして消化してしまうような柔らかい心と感性、精神、何事をも成長の糧としてしまう人間力に、あらためてすごいなあ、と思ってしまったのでした。
 私は仕事がら、たくさんのご両親とお話をします。そして、わが子への期待や展望をお聞きします。そういう話題の中で必ず登場するフレーズ「できるだけたくさんの事を、さまざまな分野の事を経験させたいと思っています。そして自ら経験することによって、そこから多くの事を学び、生きる力として欲しいと思っています」この思いは、私が母親として、我が息子、我が娘が幼い頃に、切に願った思いでもあります。
 四季折々の自然に触れる、スポーツで心身を鍛える、親から離れて同年代の子供達とのキャンプに参加する、音楽や絵画などの芸術に触れさせる、脳を活性化させるプログラムに参加する…etc. etc. どれもこれも、無垢な、白いキャンバスである子供にとって、本当に貴重なすばらしい経験です。
 しかし、たくさんの子供達、成長したわが子、そして夫であるH氏をそばで見ていて、あらためて実感する事… それは、経験から学び、生きる糧にするためには、『経験から様々な事を感じるための豊かな感性、そこから学ぶための心身の土壌が必要である』という事。どんな貴重な経験も、本人にとって「肉体の疲労と時間の消費」だけの意味でしか捉えられないようであれば、結局、そんな貴重な経験も意味のないひまつぶし、骨折り損のくたびれ儲けとなってしまうでしょう。
 子供は、生まれたその瞬間から、耳で聞き、目で見、身体で感じ、心を育んでいます。そういう「豊かな心」が、経験から学び、それを生かせるパワーになっているのだと思えてなりません。知識となるものを教え覚えさせる、芸術を含む特種な技術を身につけさせる、そういう事は、技術の進んだ現代では、高性能のロボットにもできる事でしょう。大事な事は、覚えた知識から「何かを発展させる事」であり、「身につけた技術を手段として、何かを感じ、得る事」でしょう。それが、単なる知識、技術以外の何ものにも姿を変えないものであれば、いつまでたっても無機質なロボットです…
 経験を生かせるだけの土壌作り、それは、経験をさせる事以上に大切でありながら、あまり意識されていない事ではないでしょうか。
 いやいやあ、夫H氏の「何事も経験だね」の一言から、すっかり考えを発展させてしまった私でした。

(「口臭がひどい」というH氏の言葉から、思わずひらめきました。口臭は公害(口害?!)ですよねえ。是非、読者のみなさんに読んでいただきたいブログがあります! http://blog.goo.ne.jp/mamidentaloffice/d/20050810 )
  
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2005年09月21日

すてきなお年寄りになりたい…

 先日、地下鉄銀座線に乗っていると、とてもすてきなお年寄りが乗って来られました。私の前に立たれたその方は、黒のTシャツに黒のストレッチパンツ。襷がけにキャンバス地のバッグをかけ、そのバッグにアースカラーのブルゾンらしきものをひっかけている…白髪のスレンダーおじいちゃまは、本当に見とれてしまうほど雰囲気のある方でした。どう考えても「お年寄り」というひとくくりには入らない?入れてはいけない?という気はしたのですが、さすがにどっかを腰を下ろした私の真ん前に立たれたというシチュエーションでは、私がそのままで平気…というのは憚られました。
 そこで私は小声で「おかけになりますか?」とお声をかけました。すると、そのスレンダーさん「いや…」と小さな声でお答えになり、満面の笑顔で頭を下げてくださいました。その動作も、とてもスマートに思えました。「いいえ、結構です!」でもなく、「大丈夫です!」でもない。笑顔と会釈が、私の厚意を受け入れた、というサインのように思えました。
 渋谷に着いた時、その方はまたわざわざ私に笑顔で「ありがとうございました」と頭を下げて下さり、降りて行かれました。ほんの5分だったでしょうか。でも、その方と地下鉄という同じ空間で共有した時間は、何とも気持ちのよい、心があたたかくなる時間でした。

 このブログの中でご紹介した8月末の山。じつは、あの時にはふれませんでしたが、何より私があの山行で驚いたのは、高齢者の登山者でした。昔、私が山に行っていた頃には、登山者の中にはほとんど高齢者はなく、大学や高校の山岳部の学生達、20〜40代の山岳会のパーティーが中心でした。しかし、最近頻繁にマスコミでも取り上げられる「高齢者の登山」を目の当たりにし、本当に驚いたものでした。
 確かに、そういう高齢者の中には自分の体力、脚力を過信もしくは全く認識しないままに、ガイドブックに書かれた記事に魅せられ、安易に本格的な山に来る、という人もいるでしょう。しかし、先だっての山行でお目にかかった高齢者は「○○会」のようなグループらしきもので行動している方が多かったように思います。
 私と主人などは、自分達の体調によって勝手に休み、勝手にペースを落したり、あげたりしながら歩きました。しかし、グループでの山行となるとそういうわけにはいきません。リーダー(もちろん、それなりに経験を積み、小休止やペース配分などは心得ているわけですが)の指示で休む、歩く…
 何より私が驚いたのは… 私達が徳澤園を出て、上高地に向うべく支度をしていた時、10人ほどの高齢者のパーティーが上高地方向からやってきました。そして、「ちょっと休憩しましょうか」の声とともに、みなさん、ザックを下ろし、ほっとなさろうとしていた時、リーダー、サブリーダーとおぼしき二人がちょっと話し、突然、「みなさん、やっぱりもうひとがんばり行きましょう。お休みは、もう少し先にします!」の声。すると、ザックを下ろした人達も、「はい、そうですね。」「はい、わかりました!」の元気な返事の後、またさっとザックを背負い、整然と横尾方面に歩いて行かれました。まあ、この「あとひとがんばり」が、高齢者にとって、医学的に良いのかどうか?と言われると、私にはわかりません。もしかしたら、この小さな無理の積み重ねが、体力弱者である高齢者にとっては、誉められた事ではないかもしれません。
 しかし、「年寄りとは気まま、我がままなもの」と思っていた私にとり、文句も言わず、速やかに反応し、またニコニコと歩き出せるという行為そのものは、一種の感動でした。

 上手に年をとる。すてきに年を重ね、かっこいいおじいさん、おばあさんになる… なかなか大変な事だと思います。私もそれを目指しながらも、二人の子供達には「きっとママは口うるさい、厄介なバーサンになるだろうなあ…」などと言われていて、ちょっとへこんでいます。
 先日の「敬老の日」。この時期の慌ただしさにかまけて、主人の母、私の両親への感謝、労いを失敬してしまいました。いつもはお花を送ったり、電報を送ったりするのですが、今年は仕事先から主人にメールし、「敬老の日、よろしく!」と頼んで、済ませてしまった親不孝者です… このつぐない、いつにしましょうか?
 
  
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2005年09月13日

総選挙、子供の反応は?

「先生、あのね、小泉のおじさんがね、とってもがんばったから、勝ったんだ、知ってる?」
「ホリエモンは、しずかちゃんを抜きそうになったんだよ。でも、負けちゃった…パパもママも残念だって言ってたよ。」
「小泉しゅうちょうは偉い人なんだって。ぐずぐず言わないで、きちんと決めた事を、上手にみんなにお話をして、お約束をしたんだって。小泉しゅうちょうを邪魔する悪者を退治しようとしてるんだ!」
「岡田さん、かわいそうだね。あんなにたくさん、一生懸命に車の上に乗ってお話をしたのに。勇気ある人なのにねえ。」
「ぼく、ちゃんと字が書けたら、行きたかったなあ…」etc.etc.

 今日の年長クラスが始まる前の会話です。子供達はこぞって、パパやママから聞いた総選挙の話しを、鼻高々で我先にと話してくれました。子供って、すてきでしょう?ちょっぴり「???」のコメントもあり、パパ、ママ、適当に教えたんでしょう!と苦笑するものも中にはありましたが、多くの子供達はたった6歳にして、昨日の選挙を「大きな意味のあるもの」として受けとめいたようです。
 ハリケーン「カトリーナ」の事も、台風14号の事も、天災に関しては比較的、子供達に分かりやすく伝えるのはむずかしくないのです。そして、そういう事は直接、子供の感性に伝わっていきます。ただ、世の中の事象については大変ですよ。子供に上手く伝えようという気がなければ、絶対に子供は知らないまま、で終わってしまいます。たとえば、昨日の選挙に関しても同じで、お父様とお母様の選挙に対する興味と関心が、子供にそのまま直接影響していたようです。
 何でも、子供だからきっとわからないからと言って、説明を怠ってはいけません。むしろ、こんな幼い時期に敢えてやった事、覚えた事は、なかなか忘れないものなのですよ。
 大きなニュースがあるたびに、子供の注意を引き、興味を持てるように話し始め、子供にわかる言葉で説明してあげましょう。パパとママには、なかなか面白いわが子の反応を知る、という「おまけつき」ですよ!
  
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2005年09月10日

むなしくたなびく星条旗…

 空港のターミナルを出たとたん、あまりの暑さに驚き、一瞬動く事が出来ませんでした。まわりはすでに真っ暗、決して陽のある時間ではありません。しかし、全身をじっとりと包む湿度の高い、圧迫するような暑さは、きっとメキシコ湾やミシシッピ川からのものなのだろう、と思いました。大学2年の夏、両親とともにニューオーリンズに到着した時の、私の印象です。数時間前までいた、上着をはおる涼しさのニューヨークでは、あの暑さは想像出来ませんでした。テキサスやニューメキシコの湿度の低い、直射日光の強い暑さとは全く違う、不快な暑さでした。思えば、あのサウナの中にはいったようなじっとりとした悲しくなるような暑さは、私にとって最初で最後の経験だったかもしれません。
 現在、多くの避難民が収容されているスーパードーム。すっかり屋根も壁面もはがれ、今では灰色に見えていますが、実際のスーパードームは白い大きな建物だった事を覚えています。空港からタクシーに乗り、向った先が、そのスーパードームでした。その年は、ライオンズクラブの国際大会がニューオーリンズで開催され、参加者の登録場所であり本部が、まさにあのスーパードームでした。
 当時、何より私が驚いたのは、町の中の黒人の多さでした。確かに、ニューヨークでもシカゴでも、大きな都市にはたくさんの黒人が住んでいますし、町を歩けば黒人だけではなく、アジア系、中近東系、ヒスパニック系、すなわち多くのカラードが住んでいましたが、ニューオーリンズでは、白人の姿を見るほうが稀、という状態でした。

 救援の遅れが指摘され、大きな問題となっている今…やはり私は思い出すのです。あの不快な暑さと黒人達。ニューヨークのテロの後は、あんなに迅速に、様々な救援がなされたのに、なぜ、典型的な南部の都市では、救援が遅れてしまうのでしょうか?

 先日、私は年長児クラスの中で、「原因と結果」というカリキュラムを学習しました。グラスを落すと…割れる、お寝坊をすると…バスに乗り遅れる、苗に水をやると…野菜が実る、etc.
その中に、たまたま「たくさんの雨が降ると…水が溢れ、家が流される」というカードがあったのです。あまりにタイムリーでリアルすぎたので、いっとき教材を離れ、今回のハリケーン、台風のお話を、子供達にわかりやすく説明をしてしまいました。
 「原因と結果」… 海や川よりも、土地が低い…豪雨やハリケーンが来ると、すぐに洪水の被害が出る… まさに、誰でもわかる当然の「原因と結果」です。ルイジアナ州の州知事さん、アメリカ合衆国の大統領さん、なぜ、こんなあまりに簡単な「原因と結果」を考慮せず、そのままにしていたのですか?
 遠く離れた外国に、兵隊さんだけでは足りず、各州のたーくさんの民間人である州兵までも派兵させる力はあるのに、自国民を、それも外国にではなく自国にいるアメリカ人を、どうしてすみやかに救助出来ないのですか?
 水没した町を捜索に行く、ボランティアのボートにたなびく星条旗…その映像ほど、空しく見えた事はありませんでした。
  
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2005年09月04日

今日こそ「徳澤園」について

 山の朝は早い… 午前6時、すでに外からは慌ただしい人の気配がして、ときおり笑い声も聞こえます。私はお布団からはい出し、窓を開けました。シャレたテラス越しに、もう出発していくパーティーも見えました。
 ここはとっても不思議な空間です。朝の冷たい空気の中、アノラックを着込んだ山行のパーティーの出発の光景は、30数年前、私が山に行っていた頃と何らかわりなく、自分が「山行の基地、徳澤園」にいる事をあらためて実感しましたが、当の本人の私は、その出発時間にはまだパジャマがわりのジャージ姿。グーグー寝ている主人は、徳澤園が個室客のために用意している浴衣姿なのです…
 それから小一時間、やっと部屋の電気がつくようになります。あまりに快適な滞在なので、すっかり忘れてしまいますが、ここはやっぱり山小屋。自家発電での電気は貴重で、朝は7時前から各部屋に電気が供給され、夜は9時半には消灯です。
 7時。どっしりした大きな木の階段を降りていくと、とても良いコーヒーの香りがしました。トラジャコーヒーの準備が出来ています、というサイン。ラウンジの横を通りすぎて食堂に行くと、前夜の夕食同様、とてもきれいに配膳がなされ、客が席につくとあたたかいお味噌汁が運ばれてきます。オムレツ、ハム、山菜… その他、自家菜園で作られた新鮮な野菜達が食卓を飾ります。前日の夕食も豪華でしたが、朝ご飯から、食欲をそそる数々の品。ちなみに、夕食は食べるスピードを見計らって出してくださった信州牛のステーキ(連泊客のための翌日のメインディッシュは、揚げ立ての天ぷらでした)、岩魚の甘露煮、山菜を使った小鉢他、やっぱり自家菜園からの恵み。
 最近では、旅行やリゾート、グルメブームの中、「シェフ」とは名ばかりのコックさんが作る「山の宿の海鮮料理」「海の宿の肉料理」など、これまた趣味の悪い食器で出すような宿も多くなりました。しかし、ここはお献立も、量も、盛り付けも、どれをとっても突飛なものはなく、品よくまとまり、お皿やお茶碗、小鉢などの食器も、オーナーのセンスの良さを感じさせる趣味の良い、食事を栄えさせるものばかり。そして、何より「美味しい」という事が一番のポイントでしょう。
 現在でも、山の中の本当の意味での山小屋は、昔とそれほど変わらない、と夕食時に同じテーブルについたお客様は教えてくださいました。「ここ、徳澤園は特別ですよ。」と。確かに、標高2900メーターにある蝶ケ岳ヒュッテは、私が中学当時に泊まった時とほとんど変わってはいませんでした。
 それにしても… 個室についたテラス、テラスのモザイクテーブル、ドアにかかった小さな押し花の額、あちこちのスペースに配されたポプリ、お花、ちょっとした空間に飾られたアジアの小物、etc. どれもこれも奇異に映る事なく、徳澤園の豊かな雰囲気に溶け込み、山を感じたいと訪れた観光客にも、本格的な山行の登山客にも、癒しや和みを与えてくえる心地よい趣向でした。

 徳澤園は、とても歴史のある山小屋です。今は、山小屋というよりも、井上靖氏の作品「氷壁」にゆかりの「宿」と呼ぶべきでしょう。
 1日目、早めに徳澤園に着いた私達は、キャンプ場の一角、宿の玄関前の木製テーブルでゆったりとした時間を過ごしていました。すると、玄関のプランターに水やりに現れたナイスミドル。一目で「ご主人なのかな?」と思いました。その夜、夕食の後で、ラウンジに置かれた昨年度の「るるぶ、上高地」を見てみると、徳澤園の事、ご主人の事が詳しく書かれてありました。(帰京後、あらためてその記事を読みたくなり、急いで本屋にるるぶを探しにいきましたが、本年度版には、同様の記載はありませんでした)
 現在の「快適な宿 - 徳澤園」の礎をおつくりになったのは、現在のご主人、上條氏です。上條氏は、早稲田大学山岳部で活躍をなさった後、22歳で徳澤の小屋を継がれる事になったとの事。都会で私達が当たり前に感じている水道、ガス、電気、電話などの文明のライフラインも、山の中では決して当たり前の事ではありません。そんな状況の中で、山の中である事を決して壊さず、それでいて快適な宿を作っていかれるご苦労はどんなものであったでしょう。そしてもちろん今でも、その快適さを維持するために、客には見えない膨大な努力をなさっているに違いありません。
 そうそう、是非、お風呂についても語らなくてはなりません。
徳澤園のホームページをご覧になれば、去る8月27日に、新しい女性用のお風呂が完成したと紹介されています。広くて明るい浴室、全面ガラス張りの窓、そして何より、組み木状の「炭」を通ってお湯が浴槽に流れ込むようになっているのです。
 何たって、山小屋にお風呂がある?!というだけで、すでにびっくり仰天の私に、そのお風呂は驚異でした。都心のフィットネスクラブでもなかなかこんな真似はできないだろうな、と思える立派なお風呂… 蝶ケ岳から下りて来た時のパンパンの足、筋肉疲労でだるく辛かった体を、このお風呂が大いに癒してくれた事は言うまでもありません!

 上高地から徳澤園までは、梓川に添って進む平坦な道です。もちろん、バスやタクシーが入れる場所ではありません。ひたすら、自分の足で歩く、歩く… 上高地からの6.5キロは、都会で乗り物に依存した生活をしている者にとっては、確かに近いとは言い難い距離でしょう。けれど、ゆっくりとした足取りで2時間、澄んだ空気の中、梓川のせせらぎの音、さまざまな鳥の声を聞きながら、梓川右岸にそびえる明神岳や前穂高岳の峰々を仰ぎながら歩くのは、きっと心あらわれる気持ちがする、すばらしい時間だと思います。
 すでに上高地は、「アルプスの峰々の見える下界」です。多くの人でごったがえし、河童橋の上は岳沢をバックに写真を撮る人のラッシュです。そこから奥へ小一時間、明神池に到着。さすがに上高地の喧噪はなくなります。しかし、そこからまたさらに奥へ… 徳澤園に向うあたりで、やっと下界を離れた気がします。

 最近の子供達は、すぐに「疲れたー」と言います。たぶん、まわりの大人が頻繁に使う言葉を、しっかりとボキャブラリーの中に納めているのでしょう。でもね、私は子供達に言うのです。「疲れる?ウソウソ!子供はね、よほどの事がない限り疲れたりはしないのよ。知らなかったの?それなのに、大人の真似をして、疲れたーって言ったしまったとたん、あなたのまわりの『わーすごい!』っていうようなものが見えなくなる…感じられなくなる…子供でいたいよーって言ってるピーターパンだって、とっても元気にいろんな事をしてるでしょう?ピーターパンも疲れたりはしないのよ。だから、たくさんの素敵な事が出来たり、見えたり出来るの!さあ、あなた達もへなちょこ大人の真似して、変な呪文「疲れた」なんて唱えない!」と。
 幼稚園児では、さすがにこの距離は大変かもしれませんが、きっと1年生くらいになれば、6.5キロは探検気分のちょうど良い距離になるでしょう。夜が明けて起き、日が暮れて寝る…テレビも、テレビゲームも、パソコンゲームもない大自然の懐の中で、時間を過ごすのは素敵ですよ。

 井上靖氏の「氷壁」で、主人公の「かおる」が、「魚津」の山行の帰りを待つ山小屋「徳澤小屋」は、この徳澤園がモデルです。この小説を執筆中、井上靖氏は何度も徳澤園を訪れ、滞在したと聞きます。フロントでは、若旦那さんが応対してくださいます。(本年度号のまっぷる「上高地」には、後ろ姿の若旦那さんが載っていました。若旦那さんの「靖大」さんというお名前は、井上靖氏の「靖」を一字いただいて命名された、と書いてありました)

 今日は日曜日。先週の今頃は、主人と私は上高地から明神池に向うところ、でしょうか。きっと今日も、徳澤園からは前穂高が見えているのでしょうねえ…

「氷壁の宿- 徳澤園」  http://www.tokusawaen.com/
 
  
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2005年09月01日

「氷壁の宿 - 徳澤園」への思い

 山小屋がホームページを持ってるの?!まず、それが私の驚きでした。
私が山を止めて33年。世の中はまさに21世紀。14才、中学2年だった私が、47才のオバサンになり、毎日パソコンの前に座って地球の裏側に住むご家庭とインターネットというありがたい手段でやり取りをする… まさに距離や時間をすっ飛ばして仕事が出来るという事を思えば、山の世界だって時代の流れとともに変わっていくのは当たり前だったでしょう。そんな事、よく考えれば当然の事なのですが、どうも私の中では、「山」はあの当時のままで止まってしまっていたようです。

 とにかくみなさん、一度「氷壁の宿 - 徳澤園」のホームページをご覧になってみてください。本当にステキですよ。伊豆箱根の派手さはありませんが、なぜかどんどんとクリックしていきたくなる魔法があります。そこが、長年私のあこがれの場所である徳澤園だから…いいえ、決してそうではないと思います。そのホームページの1ページ1ページから、徳澤園の澄んだ空気、少し歩くと聞こえてくる梓川のせせらぎの音、鳥達の声が聞こえてくるのです。見上げればハルニレやカツラの木々の間に前穂高の切り立った峰が見えて、時おり横尾に向けて歩いていく登山者の声が聞こえてくる… 私は迷わず、今回の山行の宿を、「徳澤園」に決めました。

 私と徳澤園との出会いは、もう40年も昔です。
お盆休み、槍ケ岳山行のため、両親や山岳会のメンバーと上高地に入りました。当時の日本はまだまだ高度成長時代。環境問題など真剣に考えるような風潮は全くなく、当然、マイカーで上高地まで入れました。(現在、マイカーは途中の沢渡(さわんど)まで。そこから先は、どんな人もシャトルバスかタクシーを利用しなければ上高地にいは入れません)山岳会が懇意にしていた上高地の西糸屋山荘の駐車場に車を止め、一行は上高地を出発。明神池を通過、当然、上高地から6.5キロ地点の徳澤園も通過です。
 上高地から横尾への道は、ほとんどが梓川の河岸を歩いていく道なのですが、一時、道は川を離れて入っていきます。すると、突然、ハルニレやカツラの木がところどころに立つ、視界の開ける場所に出ます。そこが徳澤園です。明治初期、上高地が開け始めた頃、徳澤園には「上高地牧場」という牧場があったと聞いています。牧場がなくなったあともその名残りで、そんな開放的な広いスペースが残ったのだそうです。そこは今はキャンプ場になり、その奥、木々の間から赤い屋根の徳澤園の山小屋見えました… 小学校3年生だった私が、その小屋こそ、後々何度も読み返す事になる井上靖氏の「氷壁」に、「徳澤小屋」として登場する山小屋である事を知るのは、ずっとずっとあとの事です。

 私にとって、山は常に暗いイメージを伴うものでした。山岳会のメンバーが皆一様にどちらかと言えば無口である事、地味な人柄であった事、山行ではいつも重い荷物を背負い、前屈みになって黙々と歩く事、納山祭などで山仲間が集まって歌を歌っても、大抵が短調で悲しい内容の歌詞が多かった事…そんな事から、「山、山好きの人、暗い」というイメージが私の中に定着していたのかもしれません。
 そんな中、当時から、徳澤園に着いたとたん、そこからは明るい何かが届きました。その場所には開放的な雰囲気が漂い、何か気持ちが軽くなるような魅力がありましたねえ。
 ところが、徳澤園はそれほど私の憧れの場所でありながら、どんな山行の時にも、必ずそこは小休止の場であり、決してのんびりとする場所、ましてや泊まる場所ではありませんでした。(今思えば、父が所属していた山岳会は、徳澤園をベースにあちこちの山に行くほど時間的な余裕はなかったのでしょう)しかし、たった一度だけ、確か私が5年生の夏、山岳会とは別に、家族だけで北穂高岳に行った帰り、父にお願いをして徳澤園でインスタントラーメンを食べさせてもらった事がありました。今でこそ、「はあ?インスタントラーメン?!」と思われてしまうでしょうが、交通機関の入れない山小屋では、食料調達は至難の業です。そんな状況の中、当時の山小屋での「インスタントラーメン」はご馳走でした。あこがれの徳澤園で食べるインスタントラーメン…出前一丁かサッポロ一番だったように思うそのラーメンは、今食べるどのラーメンよりも美味しかったですねえ。(ただ、このラーメン話しは、とても洗練された現在の徳澤園には、とても失礼かもしれません。あくまで、これは30年以上も昔の話しであり、今の徳澤園にはインスタントラーメンのような安直なメニューはありません)

 あー、私の思い出話しだけをすっかりたくさん書いてしまい、肝心の「徳澤園」については書けなくなってしまいました。またまた、魅惑の宿については、次回といたします。まずは、徳澤園のホームページをご覧いただき、北アルプスの中の宿のイメージを膨らませていてください。各ページに書かれた文章も、宿のアピール、宣伝以上の深みのあるメッセージで、きっとみなさん、一度、行ってみたいなあ、と思われるはず…

「氷壁の宿- 徳澤園」  http://www.tokusawaen.com/
  
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2005年08月31日

久しぶりの山行「蝶ケ岳」

 「山好きは、口下手で偏屈の変わり者」
 「海好きは、チャラチャラの軽薄野郎」
それが私の勝手なイメージでした。(じゃあ、いったい「普通の人」は何好き?って事ですよねえ…)山岳会に所属し、本格的な山行をしていた両親の元に生まれ育った私は、気がつくと「山好き」に囲まれた生活でした。幼稚園の頃、4時間程度の大台ケ原のトレッキングを不覚にも「楽しんで」しまった私は、すっかり両親のメガネに適ってしまい、1年生の白馬岳をかわきりに、その後は春山、夏山ともに山岳会の人達と一緒の、極真面目な山行に同行する事になったのです。中でも、3年生の夏山の槍ヶ岳は横尾(上高地から約10キロ)を朝暗いうちの出発、山頂登頂後、とっぷり日が暮れてからの帰還で、テントに着いた時には、声を出すのもイヤなくらいに疲れた事をよく覚えています。4年生の春山、北穂高岳では、涸沢に向う途中、大きな雪崩に遭遇。幸い、私達のパーティーのほんの50メーターほど前で雪崩は止まりましたが、あれから35年も経った今でも、あの無気味な腹の底に響くような雪崩の音は忘れられません。毎週毎週、日曜日になると大きな山行に備えてのトレーニングのために、1000メーター級の山に登ります。(それをしない日曜日は、仏像好きの両親につき合い、奈良や京都のお寺巡り)私も普通のお家の子供みたいに、遊園地に行ったり、お買い物に行ったりしたいなあ…それが、小学生の頃の私の切なる願い、叶わぬ夢でした。
 とは言え、ざーざー降りの雨の中での夏山山行や、寒いだけで何も景色の見えない曇天の春山山行はひたすら辛いだけでしたが、時折見える神々しいまでの峰々、凛と咲く可憐な高山植物、手がちぎれるように冷たく澄んだ水…そういうものには、子供ながらも魅力を感じ、騙され?たように山行の回を重ねていたようです。そんな中でも、もっとも私を魅了したのは、蝶ケ岳の稜線から正面に広がる大パノラマでした。槍ケ岳、中岳、南岳、北穂高岳、涸沢岳、奥穂高岳、前穂高岳の峰々、屏風岩…この眺めを経験するために、私は今まで山に登っていたんだなあ…しみじみとそう思わせる眺望でした。「自然の前では人間なんて小さい」こんなフレーズは、単に大人が格好をつけるために語る、キザなセリフに違いない、当時私はそう思っていました。しかし、全く眺望のない、ひたすら登るだけの長い長い長塀山を登り終えたとたん、バーンと開けるパノラマ。あの瞬間、中学1年だった私も「確かに人間なんて小さい…」心の底からそう思いました。
 それにしても、この神々しい大パノラマを経験した蝶ケ岳山行が、なぜか両親や山岳会の人達との山行ではなく、春スキーにわいわいお友達と行くために入部した中学のランタン部(ワンダーフォーゲル部)の夏山合宿だった事が、山好きの両親にとっては皮肉でしたが。
 しかし、そんな私の山行は、幸か不幸か、突然に終止符が打たれました。父の会社の有能な社員が、滝谷で遭難。一人っ子の私にとって、いつも兄のように優しかった人の遭難は、山そのものを否定するに十分な力がありました。

 それから33年。
大学の頃は夏になると3ヶ月近く石垣島に住み、ダイビング三昧し、趣味とは言えダイビングのインストラクターにまでなった「超海派」の主人が、突然に言い出した「僕、上高地に行ってみたい!」のひとこと。美しいものを、ともに「美しい」と感じられる夫婦はやっぱり幸せ…と、子供の成長とともにあらためて「夫婦の幸せ、夫婦のあり方」を考えていた私にとって、その言葉には威力がありましたねえ。私は是非、私が一番美しい!と感じたものを、主人にも見せてあげたい、と思いました。それが、今回の「蝶ケ岳山行」だったのです。
 さすがに、日頃からマラソンのトレーニングのために、毎週土曜日には欠かさず25キロランを実行している主人の脚力と体力は、50歳にしては超人的だったようで、横尾から蝶ケ岳への急勾配、1000メーターを一気に登る4時間半の登りも、長塀山から徳澤園に下る約3時間も、顔色一つ変えず、ペースも変わらず… 日頃の運動不足と、靴の選択を誤った私は、完全に足を引っ張りました。
 しかし、そんな心泊数バクバク、汗ダラダラの私も、やっとこさっとこ無事に蝶ケ岳山頂へ。
快晴の空にそびえ立つ峰々!やっぱり、主人の第一声も「おー…」あとは眺めるだけ…主人も感激をしてくれたようです。初めて間近に見る北アルプスの峰々。経験という意味で言うならば、いくら体力はあるとは言え、本来ならば市民大会から始めるべきところ、一足飛びに全国大会に挑戦した感のある主人の山行でしたが、はしゃぎぶり、何度も繰り返す「すごいなあ…すごい…」を聞いていると、「あー、登ってきて良かったあ!」と実感したものです。
 という事で、すっかり山にはまってしまった主人。装備をきちんと整え、今度は紅葉の涸沢を見たい!と張り切っています。確かに、主人の体力と脚力があれば、悪天候を押しての無謀な山行さえしなければ、涸沢は全く問題ないでしょう。
 でもねえ…せっかく「海派」と結婚したはずなのに、何でここで夫は宗旨替え?なかなか複雑な思いのある、下界に戻った私です。(次回は、是非、様変わりした「山小屋」、私のあこがれだった「徳澤園」の事を書かせてください)

  
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2005年08月21日

親の趣味は子供の趣味?!

 今日は朝から主人と二人で真鶴に行って来ました。じつはつい先日、平日に友人と訪れたばかりだったのですが、横浜からわずか1時間10分で、あんなにおいしい海の幸、美しい海に出会う事ができて感激した私は、すぐに主人に自慢し、今日の「真鶴行き」となりました。富士山の噴火時、流れ出した溶岩の最先端となり、それが冷えて出来たという真鶴半島。その「さきっぽ」が三つ石(笠島)。先日は満潮だったため、半島から独立した島に見えていたその名所の「三つ石」でしたが、今日訪れた時は偶然にも干潮。ごろごろとした岩で、しっかりと半島と陸続きでした。あいにく、午前中は突然の雨に見舞われ、傘をさしての三つ石でしたが、感激でした。
 その後は、琴が浜が見える「原忠」というお店で海の幸三昧。主人と二人、「原一平」に変身しました。そこで、とってもおもしろい事を発見。琴が浜は真鶴の海水浴場ですが、砂浜というよりは磯。ごろごろとした岩場です。そういう環境から、そこには海水浴客の他に、多数のダイバーやスノーケリング客がいたのですね。
 これは余談ですが… 今でこそ主人の趣味はランニングで、私のまわりでは、すっかりマラソンランナーのイメージが定着していますが、じつは大学時代から30年来のダイバー。インドネシア駐在中には趣味が高じてNAUIのインストラクターになりました。シンガポールベースでのインストラクタートレーニングは、海猿もびっくりの過酷なスキルトレーニングだったそうで、めでたく合格した時の感激はひとしおだった、と何度も話していました。そんな主人と結婚した私は、じつは幼い頃からの「山派」。しかし、結婚10年目にして、やっと重い腰を上げ、ダイバーになりました。
 という私達は、どんな海のリゾートに行っても、ダイビングやスノーケリングには敏感で、ついつい現地のダイビングショップを覗いてはいろいろとたずね、次回は是非…と考えてしまいます。(しかし実際には、自宅からの距離や仕事の事を考えると、なかなか実現はしないのですが)もちろん今日も、ダイビングショップを訪れ、オーナーといろいろと話しました。そんな間も、海ではたくさんのお客さんがスノーケリングを楽しんでいました。
 そう、何がおもしろい発見だったかって?そうなんです。それは… 浮き輪で遊んでいる子供達の横で、一人前に子供用のウエットスーツを着て、パパやママ達とスノーケリングを楽しむ子供達がいるのですねえ。お食事をしながら眺めていると、まるで大人がするように、いっちょまえにウエットスーツを腰まで下ろして、海沿いの道をパパの後ろについて闊歩する子供… いやいや、子供達って、なかなか大変ですよねえ。小さな頃から、すっかりパパやママの趣味に付き合わされ、その中で自然にもまれ、いつしか「親の趣味が自分の趣味」となっていく人も少なくはないのかもしれません。もちろん、それが子供にとっての幸せって事もあるでしょうし、もしかしたら実際には、ちっとも楽しめず、苦痛だけの思い…という事もでしょう。
 何はともあえれ、子供が幼い間は、子供自身にほとんどの選択権はなく、「親の押し付け?」で子供達は「楽しさを強要」をされている事が多いものです。しかし、これは良い経験でもあり、その道の先輩であるパパやママから学ぶ事も多い! 
 本当に、親は、このあたりのさじ加減が大事であり、むずかしいですねえ。それにしても、子供のウエットスーツ姿は、なかなかかっこ良かったですよ。
  
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2005年08月17日

短パン姿、パパの威厳は?!

 お盆休みの羽田行きの京急電車は、たくさんの家族連れで混んでいました。小さな子供達も一人前にひとりひとりがリュックを背負って、何となくウキウキ。ニュースで言われていたように帰省のピークと言われた日の午後、意に反して羽田空港は「人で溢れた」という状態ではありませんでした。きっと、大手航空会社のターミナルが2つに分かれたおかげなのでしょう。

 そんな電車や空港の中で、私は昔の帰省客との大きな違いにあらためて気づいたのでした。
そうなんです!今回特に「違い」として目についたのが、パパ達の「毛もじゃもじゃの短パン、スポーツサンダル姿」でした。いやー、時代はかわりましたね!!
 私が子供だった頃の昭和30年代、40年代は、帰省はきっと家族の一大イベントだったでしょう。今のような宅急便もなく、親は両親ともに大きなボストンバッグを持ち、銘々が子供の手を引いていました。スポーツ時以外の女性のパンツ(当時はスラックス、ズボン、と言いましたね)姿はとても珍しかった時代ですから、お母さんはスカート姿。荷物と子供…さぞかし動き辛かった事でしょう。とにかく、当時は、みんな帰省のために、目一杯オシャレをしていたように思います。

 とにかく。今年のパパの短パン姿の増加には、目を見張るものがあったように思います。
10数年前、主人がインドネシアのジャカルタに駐在中、近所のスーパーに出かけたり、リゾートに遊びに行ったりする時には、日本人も外国からの駐在の人達も、ほとんどが短パンでした。建物の中は冷房がよく効きていますし、特に外国人は運転手つきの車移動が普通でしたから、実際に暑い「外」を歩く事はほとんどありません。そういう意味でも、女性がきちんと装う時にはむしろ「長袖」を選びました。とは言え、やっぱり赤道直下の南国ですからねえ。短パン姿は目にも奇異ではなかったのです。
 しかし、電車の中、飛行機の中での毛むくじゃらの短パンに素足にサンダル…ちょっとだけ、???と思えました。いえいえ、不愉快と言っているのではありません。バカじゃないのと思った、などと言っているのでもありません。ただ、ラフとは言っても、クールビスとは訳が違いますから… やっぱり「???」が一番的確な表現でしょう。

 私の教室でも、普通の受験準備の教室のような「正装」の必要なし、とお話をしています。私自身も、ラフな装いでいる事をお許しいただいています。しかし、最近少し思う事…
 たとえば、帰省の短パンに象徴されるような「常にラフに装う」ことが日常化した現代、大人も子供も、常に緊張感なく、どこに行っても、どこでいても、気分は一本調子。言葉遣いも、立ち居振る舞いにも「ピリリとした心地よい緊張」がありません。
 
 こんな事を思えば、装いに適度のメリハリをつけ、気分も引き締まる「緊張感」を持つ事も大切なのではないか?言い換えれば、子供にとって一番身近な「装い」に変化をつける事で、その場の意味を自然に感じ、自分を演じる?自分を律する?習慣をつける… 大事な事かもしれません。
 極端に言えば… 毛もじゃもじゃで、素足のパパに、「おまえは行儀が悪い!」と怒鳴られても、ちょっと子供はピンとこないかもしれません。時代は流れ、世の中がラフになったとは言え、公共の場での超ラフなパパの姿には、子供を躾ける「パパの威厳」は感じられないかも…、なんて苦笑した私でした。

 
  
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2005年08月12日

あれから20年…

 あれから20年… ここ数日、テレビではずっとそのフレーズが流れています。
たくさんの帰省客、家族旅行客、出張のビジネスマン…520名の命を奪った日航機事故。あの8月12日から、20年の歳月が流れました。
 「何度も千葉のあなたのお家に電話してんけどかかれへんねんもん。お盆には帰ってくるって聞いてたから、もうそろそろやなあと思てたとこに、このJALの事故のニュースやん。テレビで見てたら、いてもたってもいられへんなって…古い電話帳引っぱり出して、あなたの実家の電話番号さがして電話してんよ!もうー、心配したやん!涙出てくるわー!」
 電話の向こうで泣き声で怒鳴りながら話す友人。あの日の夜は、同じような内容の電話が、大阪の実家に、いくつもかかってきました。
 結婚して3年目。夫婦そろって大阪出身の私達は、その年の4月に生まれたばかりの息子を連れて、8月11日、あの事故の前日の夕方、羽田からの日本航空の便で帰省していました。8月12日のあの日の夜は、友人達が心配してくれた事に感謝しながらも、1日違いで無事に帰省し、初孫を囲んで、まさに幸せな夕食をしようとしていた実家でのひとときに、とても複雑な思いを持った事を今でもよく覚えています。

 520人という膨大な数の犠牲者です。関東、関西地域に住む方々の中には、知人友人をこの事故でなくされた、という方は少なくないかもしれません。主人の大学時代の友人も、出張の帰路、この便に乗り合わせ、亡くなりました。当時妊娠中だった奥様は、その後無事に出産されたと聞いています。
 帰省する日、私は主人よりひと足早く羽田に到着しました。当時は、千葉県流山市の社宅住まいだったため、生後4ヶ月の息子を抱いて羽田に行くのは一苦労。日盛りの時間に家を出た私は、すでに疲労困憊。授乳室でミルクを飲ませ、おむつを替え、帰省客で混雑したロビーの、チェックインカウンター前で主人を待ちました。
 あの日、私に抱っこされながら、鼻の頭に汗をかいて眠っていた息子も、そして故人のお子さんも、今年、成人します。
 20年…あっという間、という人もおいでになりますが、図体ばかりとは言え、すっかり立派な青年になった息子を見ていると、私は決して「あっという間」とは言えない年月、一日一日がとても貴重で、一瞬一瞬に重みのある歳月だった事を実感します。

 先だって、あらためて山崎豊子の「沈まぬ太陽」を読み返しました。全5巻のうちの、第3巻は「御巣鷹山編」で、当時の詳しい状況が書かれています。もちろん、小説の中での「御巣鷹山」ではありますので、多少の脚色はあるのでしょうが、それでも当時の日本航空の会社としての体質、対応、遺体の捜索、確認に関わった多くの医療関係者など、マスコミからの情報だけでは知る事の出来なかった多くの事が見えてきます。
 事故からの20年。頻繁に飛行機を利用し、同路線で帰省をする私も含めた、この事故をより身近に感じているさまざまな人々にとって、この年月はどんなものだったのでしょう?そして、どんな気持ちで、事故後20年の今日の日を迎えられるのでしょうか?
 こんな思いを持ちながら、私も明日、高齢になり、一人っ子の私の帰省を静かに心待ちにしている大阪の両親の元に、日本航空の便で帰省します。
  
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2005年08月09日

頭だけじゃないんですよ!

 じつは…
先日、とんでもない事がありました。クローゼット上段の、奥のほうに仕舞いこんであるバッグの事を思い出し、たまには使ってみようか、と思った私は、「ちょっとした不精」をして、日頃パソコン用に使っている大きな椅子をクローゼット前に運びました。大工仕事や、部屋の模様替えなどが好きな私。家には安定性の良いステップ状の脚立を2種類も用意してあるのに…今思えば、その脚立を出すのと、パソコン用の椅子を運ぶのと、ほんの15秒程度しか変わらなかったはず、でした。
 椅子に乗り、久しぶりに出すバッグを手にした次の瞬間!気づいた時には「バシーン!」という大音響とともに、私はクローゼットの反対側にあるタンスの引き出しに、しこたま後頭部をぶつけ、椅子ごと転倒していました。安定性が良いと思っていた椅子は、私の体重移動で、いとも簡単にバランスを失い、倒れたのでした。
 頭の後ろがじんじんしていました。何と言うのでしょうか、パチパチ小さな破裂を繰り返しているような痛みでした。手足の末端がしびれ、視界が狭くなったように感じました。そういう状態の中で「早くパソコンのところに行って、『突然の転倒、転落時の処置』かなんかで検索して、この手足の痺れが問題ないかどうか調べなくちゃ!」などと思っていました。3分ほど、倒れたままの格好でいたでしょうか。やっと立とうとしたところ、フラフラっとして、歩けませんでした。さすがの「肝っ玉母さん」の私もビビりました。観念して、再度横になりました。今度頭を過ったのは、「ああ、こんなつまんない事で私は死んでしまうのかもしれない…不精した結果、椅子から転落して…何て滑稽…」と悲しくなりました。15分ほどそうしていたでしょうねえ。
 その後、私はお約束をこなし、何事もなかったように普段通りに振る舞いました(幸い、振る舞えた、と言うべきでしょう)。しかしながら、そのままにしておいて良いとは思えず、近所の整形外科へ。しかし、そこはゲーム好きのドクターとおしゃべり好きの看護士さんの館でした。待合室中に響くパソコンゲームの音。カルテを作りながら、長々と世間話をする看護士さん…一応念のためにと撮ったレントゲンの現像を待っている間も、ドクターはパソコンのカードゲームに興じていました。(トホホ、ここに来た私が間違っていた…)
 転落してまもなく、ボワーンと腫れていた右耳のしたの腫れはひき、その頃になると口が開け難い、開けると右の顎が痛い、という事に気づいた私は、ゲームの館を出るやいなや、友人の歯科医のところに一目散!
 その後は彼女の速やかな計らいで、近くの病院の口腔外科に救急外来で行く事になり、診療時間が終わっていた彼女が同行してくれました。その後は、あれよあれよ!やはり後頭部の打撲も心配だからと頭部のCTを撮り、より詳しい顎関節のレントゲンを撮り…口腔外科の先生に、手足のしびれ、耳の下の腫れ等の詳しい説明を受け、友人も一緒に「今後の処置、手当て」について検討、説明をしていただきました。
 私のみっともない失態の結果…脳に異常はなく心配はない事、自分では後頭部打撲と思っていたけれど、実際には後頭部をぶつけた後、その勢いで頭部が右後方に大きくねじれ、右肩に右顎をひどくぶつけていて、顎が大きくずれていた事、がわかりました。
  
 いやいや…この先生、こんなに詳しく自分の失態を書いて何がしたいの?と思われたでしょう?違うんですよ。私が今日、わざわざ私の不様な失敗を語り、お知らせしたかった事、それは… 転んだり、落っこちたりした時、「頭、脳に異常はなかった、大丈夫だった、あー良かった!」だけで済ましてしまってはいけませんよ、という事なんです!
 確かに、人間にとって頭、脳は、何より大事なところです。もし私が病院でのCT撮影の結果、脳にわずかでも出血などの異常がみつかっていたら、今頃こんなふうにパソコンに向う事は出来なかったでしょう。
 でもね、頭に異常はなかったものの「顎の大きなズレ」は、じつは日頃の生活に大きく影響してくるのです。普段はほとんどと言ってよいほど意識していない上下の歯の噛み合わせ…しかし、私の「噛み合わせ」は今回の転倒で完全に狂い、診断の結果、今はまだ、奥歯がしっかり噛み合わさっていない状態のままなのだそうです。つい先日、噛み合わせだけでなく、顎関節の部分の小さな骨折や、内出血があっても大変だからと、歯科大病院で詳しく検査をしましたが、普通素人では「転倒」しただけでは、絶対にこんな検査の必要性を感じないでしょう。きっと多くの人は「頭、脳には問題なし!安心、安心」で終わってしまう…たとえ、小さな顎の痛みなどがあったとしても、「きっとこんなところもぶつけたのかな?」程度に思い、放っておいてしまう…違うでしょうか?

 しかし、動いて当たり前、内臓疾患や虫歯、酷い歯槽膿漏がなければ、何でもむしゃむしゃ食べられて当然、噛めて当然、などと思っている私達は間違っているのです。
 こんな事は頻繁にあってはいけない事ではありますが、酷く転んだり、酷く頭部や顔面をぶつけたりした時には、これからは頭だけではなく、「顎や歯」の事も考えてみてください。子供の場合には、なかなか細かい異常を上手に表現する事が出来ません。ひと言、親がたずねてあげれば言える事も、たずねられなかったら、「口は開けられるけれども、耳の下の顎のこの部分が、ちょっと痛いように思う」などと、詳しくは説明出来ないでしょう。もちろん、パパやママの場合でも同じです。「頭に異常がなくて良かった!」だけでは済まない異常が顎や歯にあるかもしれない、ですよ。

 という事で…
私は当分の間は、あまり固いものは噛まないように心がけるだけで、お陰様で普段通りの食生活を送っていますが、一日も早く「正しい噛み合わせ」に戻れるように作ってもらったマウスピースを入れて生活をしています。まったく億劫ではありませんが、マウスピースを意識するたびに、「あー、日頃意識もされずにいるけれど、顎さん、あなたは毎日休む事なく働いているのねえ…」などとしみじみと思ってしまいます。

 
  
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2005年08月06日

広島、原爆投下から60年の日を迎えるにあたり

 6日は、広島に原爆が投下されてから60年の日です。
5日の夜、あるテレビ局で、「ひろしま」という特別番組が放送されました。さまざまな角度から「広島への原爆」を検証した番組でしたが、その最後に登場したアメリカ人科学者(原爆を作り、投下に携わった)と被爆者との対談では、高齢になった科学者の頑な態度が非常に印象的でした。彼には科学者としての強い信念があるに違いなく、あくまでそういう側面からしか原爆を見る事が出来ない、という事を頭では理解出来ますが、画面の中のその様子を見ながら、私の中の「日本人」の血が、どうしても彼の言葉をスムーズに聞く事が出来ませんでした。
 20数年前、私は何度か同じような経験をした事があります。
私が関わっていた団体では、毎年、夏休みを利用してやってくるアメリカからの短期留学生を迎えました。その数50余名。全員が16才から20才の若者でした。彼らは6週間の滞在中、日本人のホスト家庭で、広島、長崎の原爆記念日や、終戦記念日を迎えます。
 その団体では、毎年、貴重な経験として、という意味で、数名の同年代の日本人を同行させて、必ず広島への日帰りツアーを実施しました。私は3年間、その広島行きに同行しました。
 当時の私は、頻繁にアメリカを往復し、まさに良くも悪くも「かなりアメリカにかぶれた大学生」でした。生活もアメリカナイズされたものでしたし、その後私の就職先になった当時のアルバイト先でも、同僚はアメリカ人ばかりでした。
 しかし、広島行き当日、新幹線に乗っても大いに盛り上がり、キャーキャーと騒ぐ彼らを見ながら、私はいつもにない心のざわつきを感じました。そう、その科学者の話しを聞いていた時のような…その日ばかりは、アメリカかぶれの私も、妙に日本人日本人した感覚だった事を覚えています。そして広島に到着。まっ先に向う原爆ドーム。そこで彼らは、初めて、その日のツアーの重さを感じ始めるのでした。当時、私が何よりも驚いた事は、多くのアメリカ人青年達が、「アメリカが日本と戦争をしていた」という事実を、全く知らない事でした。もちろん、被爆国日本に関しても、「エノラゲイ」も「リトルボーイ」も、何も知らない… 確かに、日本でも「日本はアメリカと戦争をしていた。原爆を経験した。」は知っていても、「日本がアジアの様々な国を巻き込み、侵略と呼ばれる戦争をしていた」という事を知らない若者がいる、という事と似ているのかもしれませんが…
 そんな彼ら。とにかく、平和記念資料館に入って初めて、とてつもなく大きな衝撃を受ける事になります。人は、予期していた事でのショックには、何とか対処出来ても、予期せずやってくる大きな衝撃は、人はとても弱く、もろいものらしい。
 その後、バスで向う宮島も、宮島での昼食も、毎年、まるでお通夜のようになるのでした。そんな時、不思議に私は「ショックを受ければいい…今さら、今を生きる自分達の力では、どうする事も出来ない過去の事象を前にして、大きなショックを受ければいい…」などと、とても意地の悪い気持ちになったものでした。
 あれから25年。番組の中での、あのアメリカ人科学者の態度、言葉… 戦後60年にして、彼が初めて訪れた広島で、頑な態度で自分の研究の賜物である原子爆弾を肯定しながらも、どこかで、落ち着きなく動いていた手や視線を見ながら、あの時と同じ事を感じる私がいました。
 当時、一緒に広島を訪れた彼らも、私と同様、すっかり社会を担う年令になっています。現代のテロという大きな現実の前に、きっとアメリカでは比較的ささやかに報道されるであろう「6日の広島の日」を、彼らは思い出すでしょうか。
  
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2005年08月03日

手みやげ話

 昨日、塾の夏期講習から帰って来た高校3年になる娘と、久しぶりに小学校当時の話しに花を咲かせました。中でもおもしろかった話題は、1、2年生の頃、週末にお友達のお宅にお呼ばれをした時の「手みやげ」の話しでした。娘曰く、朝出がけに私から手渡される先様への「手みやげ」が、途中の電車の中で邪魔で邪魔で仕方なかったとの事、「なんでいちいち、こんなものを持っていくのだろう、私が遊びに行くだけなのに…」 そうだったんですねえ。当時は何も言わずに、私に言われたように小さな紙袋をしっかり手に持ち、スキップ気分で、勇んで出かけていった後ろ姿を思い出します。
 そう言えば… 以前、私の3年生になった元生徒さんとお目にかかった時、こんな話しをしてくれた事を思い出しました。それは…
 「ねえ、まどか先生。私ね、今度生まれた時はね、何にも「おみやげ」を持たずに、わざわざママ達のお約束がなくても、勝手にお友達のおうちにいけるような、そんなふうになりたいの。」
 その時は、あまりのかわいさに、そこにいた大人達がみんなで爆笑したのですが、今思えば、私の娘同様、彼女は真剣に「手みやげ」の事や、ママ達の電話での約束等を、ちょっとした威圧感?を持って感じていたのでしょうね。
 首都圏の私立の小学校には、やはり「特別の空気」があります。それを嫌味なもの、馬鹿げたものと感じるか否かによって、とても私立小学校のイメージは変わってくるでしょう。  
 たとえば。この手みやげの話しにしてもそうですね。お友達が必ずしも近所にいない私学の子供達は、低学年の頃、よく週末にはお友達のお宅にお呼ばれをします。その時、必ずと言ってよいほど、お母様方は事前に用意なさった「ちょっとした手みやげ」を子供達に持たせるのですね。簡単な一筆箋にメッセージを添えて。
 子供達は相手のお宅に着くと、すかさずお友達のお母様に「これ、私のお母さんからです」と言って手渡します。これは確かによくある事です。
 そして、お友達のお母様は、きっと子供達を返した後で、それぞれのお友達のお宅にお電話をして「今、○○ちゃん、うちを出られました。すっかり遅くしちゃってごめんなさいね。それに、今日はどうもお気遣いをいただいてありがとうございました!どうぞどうぞ、次回からは、こんなお気遣い、なさらないでくださいね!」とおっしゃる。相手は、「まあとんでもない、そんなに言っていただくほどのものじゃありません!ほんの気持ちですもの!」… 
 いやいや、こうして字にして書き連ねると、何だか「あー、鬱陶しいオバサン達の会話」と思う方もおいでになるかもしれません。しかし、最近、私は思うのです。こういうある意味「余分」とも思えるつながりや会話が、知らず知らずのうちに子供達に与えている影響は大きく、様々の「幼い頃からの経験」に基づく考え方や立ち居ふるまいは、しっかり身についていきます。一方、成長してから覚えたり、わざわざ学んだりした事は、なかなか自分のものとして根付かない… 私が4月29日のブログに書いた「母校なんて、大嫌い、なんだけど…」も、こういう事ですよね。
 
 手みやげという慣習の善し悪しは横に置くとして。やっぱり親としては考えたい事ですね、日頃の事、普段の家庭生活…
  
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2005年07月19日

新時代の夏の風物詩

 20日、海の日の前日の日曜日、横浜では花火大会があり、7000発の花火が上がりました。当日は53万人の人出だったそうで、東横線はすでにお昼過ぎから朝のラッシュ並みの混雑。東横線に乗り入れる「みなとみらい線」の開通と普及で、今年は昨年以上の人出だったそうで、あっちもこっちも浴衣姿の若いカップルがいっぱい!特に今年は、デパートや雑誌社の思惑通り?!、若い男性の浴衣姿も増えたように思いました。さすがに、イケメン俳優の浴衣姿のコマーシャルは効きますねえ。
 じつは、昨年もこの時期に私は「若い女性の浴衣姿」に少々批判めいた、嘲笑するようなブログを書いたのですが、今年はちょっと視点をかえて。

 昭和40年代前半までの女性が和服を着ると、たぶん歩き方から「和服用」になりますよね。小股になり、やっぱり裾も洋服の時のようには自由にさばけませんから、自然と内股にもなる…風が吹いてきたり、ちょっと裾が乱れると、すぐに気になり、無意識に右手で裾を押さたり、きゅっと引っぱったり… 違うでしょうか?
 ところがね、私は今年、たくさんの若いお嬢さん達の浴衣姿を意識して見ているうちに、共通の変化を発見したのです!と言いますのは…
 まず、ほとんどのお嬢さん達は、かなり短かめに浴衣をお召になっています。もちろん、和服とは言え浴衣ですから、もともと他の和服に比べるとうんと短くは着るものですが、いえいえ、そんなものではないのです。あと5センチも短く着れば、時代劇のお芝居や映画の中の「村の子供A」なんかと見まがうくらいの短さ、と言えば、どのくらいか見当をつけていただけるでしょうか。そしてね、風が吹いてきて、裾がひらーりと開いても、全然気にしないのです。そう、多くのお嬢さんは、風が吹いたら、チャイナドレスのスリットが真ん前に入ったような状態。まあ、ミニスカートをはいていたら、あのくらい太ももは見えているわけですからねえ。きっと気にならないんのだなあ、と思いました。それに、もう一つの特徴は、右手で裾を押さえるのではなく、みんな左手で左太ももの前あたりで浴衣を掴み、ぎゅっと上に上げて歩くのです。つまり、そうする事によって、着丈がぐっと上にあがり、十分に「闊歩(かっぽ)」できるわけです。もちろん、内股でちょこまかなんて歩かなくても、前面スリット入りの短いドレス状になっているわけですから、とっても歩き易い… 胸の打ち合わせも浅く、Vネック状態のお嬢さんも多かったです。

 昨年は、「なんだあれは!はしたない、だらしない…」と眉をひそめたものの、ちょっと視点をかえてみると、「むー、時代も変われば、新しいYUKATAの着かたがあってもおもしろいな」と思えました。
 今までとはちょっと違う「和風好み」も悪くはありません。ヒップハンガーのジーンズで、おへそを見せ、チューブトップで闊歩されるお嬢さんの新しい試みだったとしても、「浴衣で花火」とは、ちょっと目新しい素敵な日本の夏の風物詩。
 今年はかなり微笑ましく、勇ましい浴衣姿のお嬢さん達を見ていた私でした。
  
Posted by manners at 18:46Comments(0)TrackBack(0)ニコニコ

2005年07月12日

クールビズに思うこと

 クールビズが始まって1ヶ月あまり。ニュースの中の閣僚達のラフな姿に、やっと目が慣れてきましたね。でもああなると、センスの善し悪しがかなり問われますねえ、お気の毒に…
 確かに、地球温暖化が始まり、気温はどんどんと上がってきました。たぶん、むかーしは、金魚鉢をゆらゆら泳ぐ金魚と、風鈴の音と、夕方の打ち水で、十分に「涼しさ」を感じられた日本でしょうが、今は風情の問題だけでなく、確実に気温そのものがあがり、そういうものでは十分な「涼」を感じられなくなっているのでしょう。
 そんな中で、「それでもやっぱり、私はきちんとしたスーツ姿が好き」などと言うと、環境庁からも総理府からも非国民?!だとお叱りを受けてしまうのでしょう。しかし…
 先日、ちょうどご飯時にお蕎麦屋さんに入りました。昼休みのサラリーマンが、たくさん入ってきました。すでに衣替えの時期は過ぎ、世の中では「クールビズ、クールビズ」と、まだまだ珍しいものとして取り上げられている頃でしたが、入ってくるサラリーマンの9割は長袖ワイシャツにネクタイ、中には上着まできちんとつけている人も多くいたと思います。そして、そういう彼らは… 「ざるそば、大盛りね!!」と注文した後、ネクタイを緩め、一番上のボタンをはずし、袖をくるくるとたくしあげるのです。私は不思議とその姿を見て「あー、仕事をしているのだなあ…」と感じたものでした。
 じつは私の主人もクールビズ愛好家です。ただ、彼の場合は、クールビズというよりも、仕事がら?業種がら?毎日スーツ着用の必要がないから、というのが一番の理由であり、衣替え以前から、比較的ラフな格好で出勤していました。しかし、そんな主人も、以前は夏でも、長袖ワイシャツに上着、というスタイルで毎日通勤していたのでした。そんな生活を20数年間続けていたわけですが、すっかり今では毎日が「カジュアルフライデー」状態。私としては、何となく残念な気がしてなりません。
 人は、その時の「装い」によって、かなり気分が変わります。母親もそうですね。紺系のスーツ姿になった時は、気分はかなりきりりとして、背筋も伸び、言葉遣いも自然と丁寧になります。しかし、それがジーンズにTシャツ、そこまでラフではなくとも、サマーニットのセーターに、ミニ丈のラップスカート…であったなら、とても開放感があり、緊張とは対極の気分になるでしょう。こういう変化は、じつは子供達にもあるのです。
 今は、お家で遊ぶ格好も、ちょっとしたお買い物に出かける格好も、おじいちゃま、おばあちゃまのお家の訪問する時も、ほとんど変化のない、ラフな装い、というご家庭がほとんどでしょう。しかし、時には「ちょっとおめかし」をした装いをさせてみてください。そして、その装いに似合う立ち居振る舞いを教えてみてください。きっと「心地よい緊張感」を五感で感じてくれるはずです。
 装いがラフになっていくのに比例して、子供達の立ち居振る舞いもただただ「雑」になっていっていると思えてなりません。「今日はおめかしをしているから」という緊張感、ちょっと普段とは違う自分を意識する時間も、私は絶対に必要だと思うのですよ。大丈夫ですか?あなたのお子さんは、いつも同じ調子ではありませんか?ピリッ、キリッとした時間はありますか?
  
Posted by manners at 23:35Comments(0)TrackBack(0)むー・・・

2005年07月10日

どこで食べるのも平気?!

 とにかく、驚きました。大人4人は十分に座れる電車の座席に、お母さんと4歳くらいの男の子、2歳くらいの男の子がサンダルを履いたままで座り、シューアイスを食べているのです。子供達の口のまわりは当然、とけて上手に食べられなかったアイスクリームだらけ。まるで白い2センチ幅の唇のようになっています。次男のシューアイスに至っては、すでにとけてポタポタと垂れています。ヒップハンガーのジーンズにミュール、お腹の見える丈のビーズとスパンコールでキラキラのタンクトップを着たお母さんは、知らんぷり… さすがに、まわりの人達も、チラチラっと好奇の視線を送っています。
 そのうちに次男は、コロンと手からシューアイスを落してしまいました。すると、シートにボタリ!ベチョリ… 子供がきゃーっと泣き出すと、お母様はシートに落ちたアイスを拾い上げ、「うるさい!」と怒鳴って次男の口へ。次男は、また食べ出します。見るに見兼ねた様子のお隣に座るおばあちゃまが、ご自分のバッグからさっとティッシュを出し、お母様に2、3枚を渡し、1枚で長男の口のまわりを拭きました。ママ、笑顔でおばあちゃまに「すみません。ありがとうございます!」と一言。(なんだ、きちんと適切な事の言える人なんだあ…)ちょっと私は驚くやら、安心するやら。しかしながら、目の前の子供達の様子は、相変わらず悲惨です。
 今の若い人は…という思いを持つと、自分でも気づかないうちに、すっかり若い人から嫌われるおばさんになっているのだなあ、と思います。しかしながら、私はやっぱり思うのです。(本当に、これからの日本はいったいどうなっていくのだろう???)と。
 電車の中では物を食べない、と教えられたのはもう20世紀の常識、マナーなのでしょうか?
スーツ姿で、平気で電車の中でパンを食べ、ペットボトルのお茶を飲む若いサラリーマンがいます。スナック菓子を、友達と分け合って、大声でおしゃべりしている女子校生がいます。そういう人達が人の親になった時、やっぱり「平気で物を食べさせる」のでしょうね。
 社会の中での暗黙のルールもなければ、人から見られて恥ずかしい、と思う羞恥心もない…ないないずくしの世の中。
 今日もあの親子は、たぶん、平気で乗り物の中で食べ、シートを汚し、それでも平然としているのでしょうねえ。
  
Posted by manners at 00:15Comments(0)TrackBack(0)ぶつぶつ...

2005年07月02日

「ナイフ」を読んで以来の衝撃でした…

 昨日、朝食の後、何を思ったか息子が、「ねえお母さん、ちょっとこれ、読んでみてよ!日を追って、順番に読んでいってね。すごいから。」と言って、私のパソコンを立ち上げ、インターネットで「あるサイト」を開いて自室に戻りました。それは、ある人達のブログに見えました。
 確か、2005年の4月から始まっていたと思います。ここでは便宜上、Aさん、B子さん、(途中からC子ちゃんも加わります)にしましょう。
 Aさんはブログ好き。自分の日記がわりに毎日ブログを書きます。B子さんも同様に個人のブログを書いています。やがて二人は結婚。しかし、二人は、お互いのブログの存在を知りながら、「相手のものは見ない」という約束にしています。Aさん、B子さんは、二人の結婚生活の細々とした事、浮気についても、詳しくブログに書き記します。ブログは、二人の極々個人的な日記、ですから…
 ブログは、架空のものなので、年月日は2006年、2007年…と展開していきます。やがて二人にはC子ちゃんが誕生。愛するわが子についての詳細を、二人はどんどんと書いていきます。そして、C子ちゃんが6年生になったある日、今度はC子ちゃんもブログデビュー!
 …と、ここまで私も架空の3人のブログを読み進み、家族のほのぼのとした雰囲気を感じていたのでした。
 ところが、このあたりから、少し空気があやしくなります。家族は約束で、3人のお互いのブログは読みません。ですから、Aさんがブログに書き綴った気持ちや思いは、本来、もっとも身近な妻であるB子さんは知りません。同様に、B子さんが書いた事を、夫のAさんは知らない。C子ちゃんがブログに書いた、多感な時期の悩みも、両親であるAさんB子さんは全く知らないのです… しかし!!世の中の大勢の人は、この家族のことを、克明に知っている!
 そしてC子ちゃんが中学に入ったある日、彼女のブログの背景は真っ赤な異常なものに変わり、彼女はそこに書いているのです。
 「やっとわかった… 小学校の頃から友達が、私が小さな頃の恥ずかしいエピソードまですごく詳しく知っていて、それをネタにして私をからかっていたのも、私の全然知らない両親の秘密やとんでもない事まで知っていて、私がずっと虐められてきたのも、ぜんぶ、ぜんぶ、お父さんやお母さんが、自分のブログに書いていたからなんだ… 中学に入って、やっとイジメから解放されると思ったのに、全然イジメは止まず、どんどんと酷くなってきたのも当たり前だよね。だって、私の両親が、せっせと毎日のように「私がからかわれるためのネタ」を書き続けているのだから… もう終わりだよ、私はもう終わり…」
 私はそれを読んでいて、すーっと血の気が引きました。これって、確かに「あり」ですよね。めずらしく、私は今の気持ちをうまく書き表す事が出来ませんが、とにかく、私はぞっとしたのでした。
 そして、たとえ架空の事であったとしても、この中学1年生のC子ちゃんが、「もう私は終わりだね…」と書く気持ちを、私はぞっとするほど理解でき、同時に、悪気のない両親の愛情が、皮肉にも現代のITマジックによって、C子ちゃんにとっての何よりも悪意の権化となってしまった滑稽とも言える悲劇を、どう始末したらよいのか全くわからず… 架空のものへの感情移入は少々あぶないな行為ですが… 世の中に、C子ちゃんはいないでしょうか?

 もう5、6年前になりますが、重松清氏の「ナイフ」を読み、昭和30年代生まれの私は言葉を失いました。善悪だけで物事を判断する私達の凝り固まった尺度では、到底理解も納得も出来ない今の子供達の生活… 社会人であるかぎり善悪での価値判断は絶対に必要ですが、やはりそれだけでは、愛するわが子が置かれている今の子供の世界を理解する事は出来ないのだ!と、子供達の事を思い、震えるほど悲しく、切なくなったあの日… 今回のブログの警告?は、あの日以来の、母としての衝撃でした。
  
Posted by manners at 17:47Comments(0)TrackBack(0)むー・・・