2008年12月23日
終わらせることにしました。
それを始めてから今日までの思い出など、
きっと全部、ここに書かなくてもいいことだったんですね・・・
で、あらためて、何を書くのが心地よいのか考えました。
と言っても、書きながら出てくるに任せて、何か違和感を感じたら消せばいいのでしょうね。
さて。
終わらせることにしたのは、このブログです。
もう、このタイトルに添ったものを書くことは、出来なくなったからです。
これは5年前、コーチングを共に学ぶ仲間から勧められて始めたものでした。
学んだコーチングを患者さんやナース仲間に使ってみて、すると何が起きて、
すると、CTIジャパンの応用コース初日の夜、
「ねぇ、まのっち、あの体験談は本にして出版するべきよ。
丁度そのとき左隣にいたKayeちゃんが、
このブログは、いろーーんな出会いを運んでくれました。
リアルに会うことはないし、患者とナースという立場の違いはあれど、
一介の名もない(名前はあるけど)ナースの私に関心を寄せ、
今では「○○の法則」が売れに売れ、すっかり著名人になったコーチさんからもコメントをいただき、その温かさに喜んだときもありました。。。
エッジ好きの私が何かにはまるたび、心を寄せてくれるコーチ仲間の存在を感じられた瞬間も、あのブログにありました。
他にも、思い出話をすると尽きないのですが・・・
でももう、このブログのタイトルが示すような、
更新しない日も続いていたでしょう?
そしてね、ようやく思えたの。
「もう、この場所に留まろうとしなくていいんだよね。」って。
沢山の素晴らしい体験をさせてもらったブログを、私から解放させてあげようと思います。
そして私自身も、ここから解放してあげるの。
ほんでから、沢山の素晴らしいプレゼントを貰い続けたからこそある、今の私が綴りたいな。って思うことを、適当に書いてみるんです。これからは。
そのタイトルも決めました。
タイトルと、何を書いていきたいか決まったのは、一昨日です。
このmixi日記にコメントを寄せてくれたコーチ仲間の一言がきっかけです。
ブログタイトルは、「今日、出会った天使さん。」です。
日常生活のいたるところで、「ここにも天使さんがいた!」と思うような人がいるし、そう思う場面があるから、それを書いていきたいな。と思ってます。
丁度、明後日は Emperor's Birthday
そこから始めようかなぁ〜・・・
「ナースまのっちの、NLPやコーチングの物語」に訪れてくださった皆様、
どうもありがとうございました。
またリニューアルして、皆様とお目にかかりなおしたいです。
愛と感謝を込めて。。。
2008年12月20日
過去の体験を投影してた!!
※そみさんの日記(↓)
http://
思い出したのは、とても魅力的な彼女といると、自分には魅力も才能もないような気分になることです。
もしこれが、過去に体験した何らかの感情を投影しているのだとしたら・・・? と、少し考えてみました。
まず両親とのことを想像しました。
何も出てきません。
あれ?困ったな。と思い、
じゃまずは、彼女を目の前にしたとき、何を感じるのかを思い出してみよう。 と、トライしてみました。
そこで分かったのは、私は彼女のことを、とても人気者で、茶目っ気のあるユニークさにも賢さがあるなって思っていて、羨ましいのと同時に、自分は彼女にとっては沢山の中の1人で、特別でも何でもなくて、特に愛されてもいないような気持ちになるようだ。ということでした。
どうやら私は、彼女の愛を独り占めしたいだけみたいです。
1つ思い当たる節が・・・
私には4歳年上の姉がいます。
昔は、昔の川島なおみに似ていたかなりな美人さんでして、「ミス○○」などとも言われていました。
人柄もすこぶるよくて、友人も多いし、近所の人からも性格についてどうやこうやと言われることには無縁のような人でした。
なので、当然、大の人気者でした。
私は姉のお尻をおいかけていて、姉の友人達と遊びたかったのでした。
そんなとき、今思えば当たり前だけど、私は疎外感を感じていたんですよね。
幼い頃の4歳違いは、遊びのスピード感も結構違うと思うのだけど、
私は、姉や友人とのペースの違いを疎外感として感じていて、それを「私は、お姉ちゃんみたいに、可愛くないからだ。だから1人ぽっちになるんや。」って思い込んだんじゃないかなぁ? って思いました。
両親にも、姉のことは「可愛い!」と言い、私のことは「可愛くない子!」と言われていたように思い込んでます。
なので私は冒頭に出ていた魅力的な友人を前にすると、自分は愛されていないような感覚を引き出しちゃって、固くなるんだなぁ。って思いました。
ふふ♪
今度、彼女とお話するとき、このことも話してみよ
そのとき私は、過去のストーリーが去っていくのを微笑みながら見送る私でいる気がするからね。
そして、相手がどう思っているんのかも聞けたら聞いて、
さらに、私はやっぱり、彼女のことが好きなんだなぁ〜ってことも伝えてみよ
次の機会がとても楽しみになりました。
オレンジ色と、世界と、本。
人は、こんな私を、どのように思うのかなぁ。。
チラッと、そんなことも考えたけれど、近鉄百貨店の書店で涙が出てくるのを止めもせず、立ち読みしながら泣いていました。
今日の午後は、一切、なんの予定もない時間でした。
実家に行くのも、今日の午後からはナシ。
普段あまりにも手をつけられなくて、ひどいことになっているお部屋を掃除し、布団を干し、洗濯し・・・
賞味期限が2年前の「白い恋人たち」が出てきたりして、情けないような、面白いような、そんな時間を過ごし。。
数ヶ月前は後ろ足も立たなかったみかんが、幾らかしっかりと歩けるようになっているので、「これなら、少々の段差はあっても大丈夫かな?」と思い、みかん用のベッドを求めにデパートへ行ったのです。
すると・・・
デパートを出るとそこには、やわらかな陽の差す世界がありました。少しオレンジがかったそれは、とても優しくて、あたたかくて、
それを感じ取っている肌が「大丈夫。まだね、大丈夫なのよ。」と話しかけてくるのも嬉しくて、ちょっと涙ぐんでしまいました。
ペットショップでは、目が見えないみかんでも大丈夫なように、囲いのない、少し大き目のクッションを購入しました。 それには“チン”すると5時間くらいヌクヌクでいられるという保温剤を入れるポケットまでついていて、寒がりなみかんには持ってこい!!です。
← 購入したベッドで眠るみかんの背中
「いい買い物をしたな♪」と、いい気になった私は、その後デパート内を巡ります。
今までは時間に追われて、目的のお店しか行かなかったので、存在に気づかなかったテナントの多さにビックリ!
中でも私の目をひいたのは、1軒のアクセサリーショップ。
私も所属している、活動が活発化してきたあるチームでは、7人のメンバーが各々の色を持っています。 虹に象徴されるその色の中で、私は橙色を担当。(って、「担当」って言うのかな?)
赤、橙、黄、緑、青、藍(の代わりに桃)、紫。
メンバーの1人1人を思いながら石を見る時間があることの豊かさを感じるうちに、さっきペットショップに行く前に感じたぬくもりは、まさにオレンジ色だったことを思い出しました。
そうなりゃ、もう、そこは女の子。
石を選び、配置をあれこれ変えてみたりして、私の「今」をオリジナルのブレスレットにしちゃいました
大好きなアンバーも、パールも、クォーツも、1つの輪(和)になっています。
あ〜、 ほんに、しあわせ
さて。
石と配置を考えたら、あとは店員さんにお任せです。
ブレスレットが出来上がるまでの時間、またプラプラと歩きました。すると今度は、黄色い本が目に入りました。
それはどうやら、人気作家の短編を幾つか載せてあるミステリー本のようです。
私はこう見えても大のミステリー好きでして、特に、登場人物の人柄が優しい赤川次郎さんの本などは、殆ど全部持っていたりなんかします。
そんなもんですから、「この本には、どんな作家さんが出てるのかな?」と、1冊手にしようとしたとき・・・
手に持っていてみかんのベッドが邪魔をして、平積みの本が1冊落ちてしまいました。
その本はまるで「こちらでしょ?!」と言ってるようです。
なので黄色いミステリー本に、
「ありがとう。あなたは、これに気づかせるために私の目に入ってくれたのね♪」とお礼を言って、落ちた本を手に取り、ページをめくり始めました。
そこで、冒頭のような状態になってしまったわけです。
その本の何が、私をそうさせたのか・・・
まだ言葉になりません。
が、よかったらあなたもこの本を、その手にとってみてくださいませ。
池田香代子+マガジンハウス編
「世界がもし100人の村だったら 完結編」 です。
帰宅後、その本を眺め、
仲間がダンマパダ読書会をしている時間、夕食には東京の会場と同じように、お握りを用意し、卵焼きとほうれん草のおひたしと、お吸い物を用意して、「ブッダの真理のことば・感興のことば」の第23章を読みました。
「豊かでいるって、どういうことなのかなぁ・・・」と、あらためて考えようとした半日でした
2008年11月20日
怒りに変わる、その前があると思うの。
怒りを感じるときって、何かしら踏みにじられたような
そして、その怒りを純粋な感情だと錯覚して、怒りを表出することを選んでしまうと、
でもね、
怒りって、最初から怒りとして生まれてくるものじゃないと思うのよ。
何かを見たり聞いたりしたことが引き金なんだろうけど、その瞬間を、
超スローモーションで最大限にゆっくりと体験し直してみたら、
例えば、
最初は前胸部に氷が張り付くような感覚があって、
だとしたら、本当に言いたいことは怒りそのものじゃなくて、
「私ね、それを聞いたとき、胸がヒヤッと凍りついた気がしたわ。
怒りに歪曲してしまう前の、知覚しうる最初の感覚や気持ちを
それでも、ふと気付くと怒りに狂ってる。なんてこともあると思うんだけどね、
だって、時間なんて人間が勝手に感じているだけの虚ろなもので、
ならば、怒りになる前の状態を、
怒りには、加害者と被害者が存在していて、
もし誰かにバッシングを浴びせたり、浴びせられたりしているときにも、
怒りに変わってしまう前があることと、その空間の質感を、
もっと大切にしてみたいな。って、今は思っています。
そうしたら、何か取り戻したいものも産み直せるかもしれない。。
2008年11月13日
【12月13日】医療に関する対話の会〜オープン・ダイアログ〜開催
患者さんも、ナースも、医師も、コ・メディカルも、
色々な人が、
立場を超え、色々な経験をしているからこその声を
互いに認め合い、出し合い、そこから命を育んでいる光景。
心と身体を開いて会話して、
そこにいる人たちが1人1人、
どんな状態や状況にあるとしても、
それそのものが尊くて、
ここに集い、今を ともにいることと
お互いをとおして、分かることがあることに
自分達は共生する生き物だということを確認し合い、
困難と思われることについても
なんらかの智慧を生み出すような・・・
そんなものが浮かんできて、
涙が溢れてとまらないくらい、
私はそんな世界を欲していると知った日から、
幾らか時を重ね、
沢山の協力者が現れて、ようやく1つ、形になることに・・・
それが
「オープン・ダイアログ
〜医療をとりまく諸問題をテーマに、自由な対話から学びあう〜」
12月13日、東京にて。
是非、あなたともご一緒したいです。
参加のお申し込みは下記に。
**************************
12・13オープン・ダイアログ≪対話の会≫
〜 医療をとりまく諸問題をテーマに、自由な対話から学びあう〜
≪オープン・ダイアログとは?≫
少人数のグループでファシリテーターの元、今起きている問題について
様々な立場のあらゆる声を尊重しながら進められる対話手法の1つです。
安全な場で行われるこの対話は、意見交換や議論とは異なり、
対立や葛藤を超え、問題の奥にある共通の想いや願いに気付き、
違う立場の人を深いレベルで理解できるプロセスを提供します。
そのプロセスによって参加者は、立場を超えた共感やつながりを体験し、
新たな智慧や勇気を得ることができます。
≪なぜ医療について対話するの?≫
日本の医療は危機の時代を迎えています。地方/都市部に関係なく、
医師・看護師不足によって経営が破綻する病院の数は、増加の一途をたどっています。
また医療事故を含め様々な情報が流れる中、社会全体が医療者へ疑問や不信を抱いたり、
モンスターペイシェントと呼ばれる人が現れたり、様々なことが起きています。
近い将来、私たちや大切な人が病気になったとき、近くに診てもらう病院がない。
という状況が来るかもしれません。
これに対して、医療者や政府は懸命に策を講じていますが、
それは医療の世界の内側で一部の専門家たちだけが話し合っているようで、
当事者である医療の現場の人、そしてその医療の受け手の多くは、
問題意識や不安があっても表現する機会は殆どないという環境にあります。
今回案内するオープン・ダイアログでは、どの人の人生にも必要不可欠な医療について、
様々な立場の人が対話を深めることを通して、
今までの不安感や不満感に気付いて癒されたり、
立場を超えて分かり合ったりすることを望んでいます。
またそこからどのような可能性が開かれるのかを、
皆様と一緒に探求したいと願っています。
≪誰が参加すればいいの?≫
上のような医療を取り巻く状況に問題意識を持っていて、
対話から新たな気づきや可能性を望んでいる全ての方
(医療者・介護者・医療の受け手になる人やなったことのある人)
是非この機会にご参加ください♪
☆日 時 : 2008年12月13日(土)13:30〜17:00(13:15受付開始)
☆場 所 :
JR
http://
☆参 加 費 : 2,500円
☆お申し込み : 下記アドレスに以下の項目を添えてご連絡ください。
E-mail : opened_dialogue@yahoo.co.jp
○お名前
○メールアドレス
○その他ご自由に何でも
問い合わせ先 :opened_dialogue@yahoo.co.jp
(津村 英作、高木 光恵)
******************************
<ファシリテーター プロフィール>
○津村 英作
組織心理学博士/グループ・ファシリテーター/
国際コーチ連盟認定プロコーチ
個と組織の成長プロセスを促進するために「協働関係の構築」、
「リーダーシップ発揮」、「コーチング的コミュニケーション」を通して
多数の個人と団体を支援。
温かい安心な対話の場を提供しつつ、新たな気づきを生みだす関わりに定評がある。 CTIジャパン(コーチ養成機関)、慶応大学(社会人教育)、明星大学などで講師。
また家族の絆を高めるためのNPO法人ファミリーツリーの理事としても活動中。
○高木 光恵
看護師/NLPトレーナーアソシエイト/米国CTI認定コーアクティブコーチ
ケアの場に起きる深い交流に魅かれ、患者様やご家族と関わり続けているナース。
自身も胸椎の病変や、介護を要する家族を持つ。
微細なセンスで事象を捉える洞察力と、豊かな表現力が持ち味。
医療法人医仁会武田総合病院副師長。院内カウンセラー・コーチ兼任。
プロコーチ、研修講師として院外でも活動を展開している。
************************
是非。
2008年10月06日
わたしは わたし。 あなたは あなた。
「わたしは わたし。
あなたは あなた。」
そう聞くと、“冷たいんじゃない?” と感じる人もいるかもしれない。
でもね、そうじゃない。
昨日、5ヶ月に渡る、英雄の冒険さながらのセミナーが
一旦、幕を下ろした。
アシスタントとして、時には直接 時にはノンローカルに
影響しあうことを許してもらった5ヶ月が終わった。
セミナーの名前は 「NLPを使った願望実現セミナー」
なんてネーミングセンスだろう・・・
あまりにもベタだ。
露骨すぎるんじゃない? いやらしい。
そう思うかもしれない。(実際私は数年前、そう思ったクチだった。)
でもね。。。
あなたは何と答えるのだろう?
「あなたの願望は何ですか?」と聞かれたら。
一般には、
結婚♪ とか
年収3000万! とか
ミリオンセラーの作家になる とか
そういうものを考えるかもしれないね。
では、なぜ・・・ それを願うの?
その願いが浮かび上がる背後に、
一体どれだけの、見ないで来たものがあると思う?
この「願望実現コース」は・・・
願望のさらに奥にあるものに、
触れるためにあるもの。だったかもしれないな。と思う。
キリンはキリンとして、
象は象として、
犬は犬として、
ハエはハエとして
自分を表現して生きていくってことは、一体どういうことなのか。
を紐解いていくコースだったように思う。
他の誰かになるのではなく。
自分は自分で生きていく。
そんな道があるとしたら、
それがどんなに素敵な道だとしても
歩ける身体がなければ、進むことは出来ない。
そんな身体つくりをするコース。
そういうものだったような気がしている。
昨日、全てのワークを終え
この5ヶ月を振り返った私に浮かんだ言葉は
「わたしは わたし。
あなたは あなた。」 だった。
そしてこの言葉は同時に
「わたしは あなた。
あなたは わたし。」 の存在を表している。
わたしを満たすものは 常に わたしの中にあり
そして同時に、あなたの中にもある。
だから世界は・・・
素晴らしいんだ。
とても淡々と、その感覚を感じた昨日だった。
2008年09月16日
他の誰かの真似ではなく、私というコーチになりたい。
移植された皮膚は、自分でも気付かぬ間に自分の皮膚と馴染んでいた。
もう免疫抑制剤を必要としないくらい。
そして今日もやってみた。
問いを発しながら、左の口角が上がっている。
鏡を見たわけではないけど、そういう動きをしていることが分かる。
セッション中は「あぁ、それが起きてるわ。」と気付くだけにして、一旦左の脇腹に保管しておいた。
そしてセッションが終わり、一息ついてから振り返って再現する。
左の口角が上がり、頬がひきつるのをやってみる。
やりながら、その自分に浮かぶものを浮かばせる。
なんとなく・・・
誰かに引っ張られているみたい。
親が子どもの耳を引っ張っているのと似ているような、それを体験している子どものような体験が、この顔の動きには感じられる。
そのまま引っ張られ続けてみる。。
すると身体は上へ上へと引き上げられ、いつのまにか雲の上に来てしまった。
そこで私の頬を引っ張っていた者は手を放す。下に落ちてしまうかと思たが落ちはしない。雲に立ち下の世界を眺めている。淡々と眺めている。
そこで私は雲になることをやってみる。
・・・
それは私の知っている限られた言葉で言うなら、
分離というもののない感覚。
見えている世界を見ながら、それは一部であって、同時に、見えてない裏側や横や斜めや・・・様々なのが存在していることがよぅく分かっている感覚。
そして雲という私の身体の腕は限りなく伸び、世界という珠の周りを包んでいる。
これを、コーチングセッションにどのように取り入れようか?
と、言っているうちにセッションの時間がやってきて中座。
今はセッションを終えて、ここに戻ってきたところ。
試してみたのは、両腕を広げてクライアントさんをその真ん中に浮かべて見ていること。
今話している言葉や表情がその人の全部ではないけど、目の前にいるのは全部の人。という感覚でいること。
そうしたら、表面的なテクニックやスキルを発しそうになるとき、地面の下の轟々と音をたてて流れている水の音が聞こえた気がした。
クライアントさんに問う私を、何に預けておくのか。というのを見失ってきていた気がした。
今日はこの後も3つのセッションがあるので、自分の状態管理の切り口を少し変えて臨んでみよう。
2008年08月24日
女子のチカラって、すごい!!
23日の大安の日、JWCA(Japan Women's Coach Association)の第1回記念大会がありました。
コーチや、コーチではないけどコーチングに興味アル女性が集まった発足記念大会。
ある日、天啓を受けた発起人が、「まのっちにお願いしたいことがあるの。」とスカイプでまくしたてるようにシェアしてくれたうちの1つが、このJWCAの立ち上げのこと。
彼女に彼女を超えるエネルギーと大きな流れを感じて、「これに乗ったらすごい!!」という予感が、私に「喜んで、一緒にやる!!」と返事をさせていたのは記憶にあたらしいところです。
しかもその直後、彼女のエネルギーが私にも影響を与えたのでしょう。私も、自分の身体が身震いしてむせび泣くようなビジョンを見て、新たな流れが始まったのでした。
そんな、すごい影響を伝播していくエネルギーで出来上がったJWCA。
記念大会では、発起人の挨拶から既に、ハンカチ出して目を拭っている参加者がいるくらい、最初から女性たちだけの会場では、とても素直に自分を出す安心感に満ちていました。
第1部のパネルディスカッションも素晴らしかった!!
「成功している」とみられる一流のコーチ達がパネラーとなって、裸になって話をするのだけど、その脱ぎっぷりが凄い!! 思わず「そこまで話してしまって、本当にいいんですか?」と確認したくなるくらい。
コーチでいることの光だけでなく、大きな葛藤や、それをどのように乗り越えてきたのかや、だからこそどんなビジョンや流れにいるのかなどを、まさに赤裸々に話してくれるその姿に、女性の強さやしなやかさ、女性どうし応援するよ!という母性を感じて、私も感激でした。 嘘がどこにもないと感じたから、パネルディスカッションなのに、ハンカチを離せない参加者が沢山いたのでしょうね。
第2部は、尊敬するコーチ仲間のMっちと一緒に、ミニ・ワークショップ。
自分の内側に入ったり、入れなかったりしながらも、懸命にそこに居る皆さんの姿が眩しくて、美しくて、うるる。と来そうになってMっちを見たら、彼女は「うるる」を既に超えていて・・・ それにまた私自身が癒されたのでした。
ワーク自体は「もっといいものにして届けられなかったかな・・・」と振り返りもしますが、何よりも、女子100名が、全員で1つの輪になったのは圧巻でした。とても優しくて麗しいエネルギーが満ちていて・・・ 「あぁ。これが女子のチカラなんだね。 これがあれば、何でも出来るよね?!」と、胸が一杯。 そこからはアドリブばかりになったけど、それを許して見てくれているMっちの存在がありがたくて・・・ コーリードした彼女の姿はまるで、大きくて柔らかくて、慈愛に満ちた子宮のようでした。そんな彼女を見れた私は幸せモノ。
第3部の分科会では、私は医療を担当。
パトリック・ライアンのW.Sで、コーチ仲間のMこちゃんに繋げてもらったIっちゃんと、コー・ファシリをしました。
あぁ・・・
この分科会については、話したいことが山ほどあって・・・ またおいおい書いていければ。と思っています。
そんなJWCA記念大会だったけど、実感しているのは、「女性は女性だけの中でいるとき、本来のものすごいチカラを発揮しやすくなる!!」ということ。 本当に凄かったの。皆。
なので、JWCAという場所を、本来の自分のチカラや姿を取り戻したり、確認したり。癒して垢を落としたり・・・ という風に使うことが可能になるかもしれないな。と思えてきました。
1人1人が、その人らしくあるのに、活用するばしょ。
女子同士だからこそ、それが可能になりやすい場所。
そして、男性もちゃんと居てくれる世界に帰っていくと・・・ 世界はとーーっても変わるんじゃないかしら?
きっとね、参加くださった皆さんも、それに気がついたと思うの。
だから、動き始めるわ、きっとね。
流れが生まれているから。
この世に必要で無いものなんて、1つもありはしないの。
JWCAは、とても必要で生まれたもの。
女性がより輝き、より潤い、より漲ると、1つ1つの生まれて来る生命が、生まれてきたくなる世界になるのに、とても大きく影響すると思うの。
どんな生命も、決して無駄では無いから。
どんな生命も、「生まれていきたいよ。そこに。」って言いたくなるような、そんな世界にしたいから。
だから、JWCAを応援します!!
2008年08月21日
思い出した。人生で、最悪・最高のときを。
その方と、その方を想う心あるお返事との、微妙なやりとりを見ながら、「人によって、感謝の深さや大きさ、表現の仕方は様々なのですなぁ。」と思ってる私には、何か・・・どこかしら傲慢さがあるのかもしれないな。と思っていると、「忘れたらあかんね。」という体験を思い出すことに。。。
そう。
私は、あれを忘れては、イケナイ・・・
あれは、ある日の入浴中のこと。
それを話すには、その入浴シーンの数日前に遡らなくてはなりません。
いつ頃からだったのか、それは思い出せないのだけど、コタツに座ってPCを操作していると、どういうわけかいつも、右の腰から胸にかけてが痺れて、重だるくなっていました。「変な姿勢でPCしてるのかな?」くらいに思っていたの。
それがある日の勤務中、翌日実施予定の全ての点滴について、ミキシングする内容を紙に書いている作業をしていると、またいつものように右の腰から胸にかけて、たまらない痺れを感じ始めました。
丁度、神経内科の医師達がいたので、
「どう思います? 部位的にはヘルペス(帯状疱疹)かなぁ。って気もするけど、潜伏期間はとうに過ぎてるのに、未だ発疹はないんですよ。何でしょうねぇ。こんな場所。」と相談しました。
「とりあえず、MRIだけでも撮っておいたら?」ってことで、その場で検査の予約をして翌日撮影したところ・・・
脳神経外科3年半 + 神経内科15年 のナースな私が見ても、また神経内科の認定医達が見ても驚くほどのヘルニアを発見!!
しかも部位は、出現頻度の非常に小さい「胸椎」にあって、神経内科医たちは「こんな珍しい場所に・・・一体、どないしたんや?! これな・・・もう、OPEや!!」と口々に。そこで脳神経外科医にすぐコンサルトしたのでした。
結果、「ヘルニアの大きさ、深さ、位置からすると、OPEするかどうかギリギリのところ。もしOPEするとしたら、胸椎はややこしい。胸椎と肋骨を折って、心臓と肺を横に除けて後方にある胸椎にアプローチする。かなり大掛かりになるな。」とのこと。
OPEをしたって、スッキリ良くなるものではない。ってことは、私も経験上知っていたし、OPEをしなくても、例えば転倒するなどで大きな衝撃を受けたら、ヘルニアの突出している部位が胸髄を損傷して、バストライン以下、抹消の全ての能動性を失ってしまうことは容易に想像されたから、もう、どうしましょう。ってな気分になったのでした。
丁度その頃の私は、名古屋のNLPコースにリソースパーソンで入っていたのだけど、そこに、私と同じ苗字で、超腕の立つ、心もある脳神経外科医がいらして、彼にもフィルムコピーを見ていただけたのは、とてもラッキーなこと。
彼曰く。
「丁度、その胸椎のあたりは、頚椎や腰椎と違って、栄養する血管の血流が乏しい。ヘルニア部はただでさえ圧迫されているので、さらに血流も乏しいとなると、うまくいけば症状は軽くなっていくかもしれない。」
!!!!
勿論、それに従ったのでした。
でも症状がきつい間は、椅子に3分座っていることも出来ないし、通勤も5分で着くところを、痺れてたまらないから途中で降りてしばらく立位をとって伸ばし、楽になってからまた運転する。という風なので、倍以上の時間をかけていたし、尿道口や右下肢も痺れ、歩くこともままならず・・・ スーパーに行っても、荷物を持つこと自体で激しく痺れ、義母がリストカットしたこともあり、一体私の生活はどうなるんだろうか?と不安にさいなまれたのでした。
が、
ある日の入浴中のこと。
思いっきり想像したの。もし胸髄損傷に至って、自分で自分のことが(排泄や食事さえも)出来なくなったとしたら・・・? って。
そしたら何が悲しいか。って言うのが分かったの。
自分でも意外だったそれは、
ナースとして現場に居て、オムツを替えた後の患者さんのほっこりした顔を見ることや、嚥下障害のある患者さんが、僅かでも口から食べることが出来るようにあれこれ考えて関わることや、そういう喜びを、もう感じることが出来なくなることが、何よりも悲しいんだな。 ってことだった。
それが分かったとき、「あぁ。。。もう、いいんだわ。私、これだけナースで現場にいることが好きだったと分かっただけで、もう、いいんだわ。 もし自分で動けなくなっても、これが分かったのだからもう大丈夫。どうなっても、もう、大丈夫。」 と思えたんですよね。
そして、他人の世話になっている自分でも、どれだけナースでいられて幸せだったかを私は知っているし、呼吸をしたり、食事を口から食べたりも出来るし、とても素敵な友人や仲間を得た人生を送ったし、どんな身体になっても、もう、感謝しかないな。」と、心底思えて泣いたの。
ほんで、「もう、ナースでいなければならなかった課題は、終わったのかも。この身体を与えられたのは、私があんまりにも抵抗するものだから、『もう次の場所に向かうよう、方向を変えなさい。』と知らせるサインなのかも。。」というアイディアが、身体の奥の方からにじみ出るように出てきてて、それから意識の上で、思いっきり方向性を変えたのでした。
(この体験の意味が、先々月になって初めて、ものすごい気付きにつながっていた!! それはまさに、ヘルニアになったのは、生まれてくるときにもう決まっていたし、ヘルニアの症状の出る部位は、私が今世で取り組んでいくことを教えてくれるナビゲーターのいる場所だと分かった体験だった。)
あれから・・・
無理をしない限り痺れも殆ど感じないで、ちゃんと普通に生活できて、
電車に乗ったり、車を運転したり、旅行に行ったり、セミナーやワークショップを開催したり、新たな出会いをいただいたりするようになると、あのときの感謝の自分を、どこかに置いてしまっていた気がします。
今回、「生かされていることへの感謝メール」を目にしたのは、あのときの「生きてるだけで素晴らしい!!」と実感した感覚を、ちゃんと思い出しなさいね。ということだったのかも。
心から・・・
或いは、魂の奥の奥から
「感謝の状態に居る」って、どういう自分なんだろう?
その状態にあるとき、私は見るもの、聞こえるもの、感じるものを
どのように捉え、フィードバックするんだろうか?
と、新たな問いを持って、過ごしていこうかな。と思ってます。
2008年08月08日
コーチが自然体でいる理由。
メンバーは、パトリック・ライアンのW.Sで知り合った、モンゴルの風を感じさせる男と、
こういう練習はえらく久しぶりで緊張もするけど妙にドキドキして、
で、終わってみて・・・
あらためて感じたのは、
それは怖いくらいに・・・
ややもするとコーチって奴は勘違いして、
コーチがただただ素直に自分のままで在る。という自然体で在れば、
エネルギーを高めたければ自ずと高まるし、深く入りたければ味わうようになるのね。
そういうことなんだ。 って、
それを肌で感じさせてくれた、真摯な姿勢を持つ仲間たちに感謝。
今夜は、新しくコーチングの関係を築くクライアントさんとの導入セッション。
自分の中に何も持たず、
ただひたすらに、その人と魂に敬意と好奇心を以ってそこに居る。
人間の中に受け継がれている「自然」に敬意を払いながら。
そんな風に居てみたいです。
(そう思った時点でエゴになっちゃうけど、それを持つことが始まりだと思うから許そう。)
そういえば・・・「自然」って言葉は、
だとしたら今日の学びから得るものは、
天然のままである。という風に、自分に対して「しぜん」で在れば、
自ずと
物事は人為を離れ、その本質としてそうなるような「じねん」となる。
コーチングは、そういう流れが展開する可能性を持つ場である。
ということを、Bodyとhaertとsoulに染み渡らせていきましょう。
永遠に・・・
ってことかもしれないです。。。
なんか、とてもとても大切に、
鏡を見て・・・ 驚いた!!
とても久しぶりの日記です。
最近はmixiにアップしていることが多かったけど、先日あったことと今日学んだことは、こちらにもアップしておきたいです。
まずは、8月6日の体験から。。。
今朝のこと。
顔を洗い、鏡に映った顔を見て・・・
驚いた。
それは殆ど間違いなく、昨夜の過ごし方がもたらしたものだと思った。
昨夜はよく泣いた。
4年前、まだ当時は殆ど無名に近かった山崎さんが
プライベートに開いたNLPコースの同窓会に行ってきたのだ。
心臓の調子が悪いみかんを置いていくことや、
ここのところ出かけてばかりだから、夫を無碍にしているような気もして、心から喜んで出かける気分ではなかった。
大阪へ向かう新快速の中では、「それでも電車に乗ってるということは、何かあるからだろうな・・・」と、自分を納得させようとしていた。
でも何度も帰りたくなった。
大阪に着いた途端に雷雨に見舞われ地下道に潜ったものの、どこを出たらお店に近いのか分からない。
野生の勘で、目印となる曽根崎警察署が見える場所にどうにか立ち、お店に電話したが、「そこでは私も分かりません。なんとか地上から警察署の前まで行って下さい。そうしたら分かりますから」と言う店員。
地下道というものが発達しているにも関わらず、この大雨の中、傘を持たない私に地上を歩けと言うのか?! これはもう、「行くのはやめておけ。帰れ。」ということなのか?
と考えながらも、やはり皆に逢いたくて再び地下に潜る。
潜った目と鼻の先に売店があり、傘を買った人が続々と出てくる。「これ幸い。」と私も600円で傘を求める。
その直後、これまた勘を働かせると、「曽根崎警察署」と書かれた出口にぶちかり、傘を開いて地上に出る。しかし、どこを見ても警察署など見えやしない。
ふと、左側に、うっとりと雨を見ているホームレスのおじさんがいるのに気付く。彼に警察署を教えていただくことにしたが、それがとても分かり易い!! おかげで彼の教えに添って歩くと、頭に残っていた地図とおりに建物が配置されている場所に出ることが出来た。感謝。
しかし・・・
会場が入っているビルの看板は見当たらない。
幹事役のSじさんと、Mいちゃんに電話する。
「迎えに行きますよ。」と、すかさず言ってくださる気持ちがありがたいが、もうちょっと話を聞くとどうやら、雨をしのぎながら電話しているこの場所が、ビルの入り口らしいと分かる。目の前にあるエレベーターで4階に上がればよかったのだ。
なーんだ。 と、かなり安堵しながら、少し遅れて皆のいる部屋へ。
扉が開くと同時に、皆の顔とエネルギーが弾ける程キラキラと飛び込んでくる。とても美しい。生きている!という感じに満ちている。
私に用意された席は、先ほど心細くて電話した Sじさんの目の前で、Mいちゃんの隣。Mいちゃんの前に山崎さん。という場所。
Sじさんは昔と同じく「いやぁ〜、皆さん活躍しておられてすごいですよ。」と、感心してばっかだけど、その言葉の奥の振幅がとても少なくて、静かで、ゆったりとしていて心地いい・・・
まるで「大丈夫。頑張らなくても、成長が追いついてないように思っていても、全然大丈夫。 大丈夫ですよ。」 と言ってくれてるようで、安心して泣けてきた。
身代を揺るがすような出来事があったのか、覚醒したかのようなMいちゃんが話すときにも、涙が溢れて溢れて仕方なかった。我ながら、自分の流しているこの涙は、Mいちゃんの中に流れている清らかさと同じくらいに濁りがないな。と思えるものだった。おこがましいが、それくらいに思わせてくれる人たちだったのだ。
皆と色々話しながら、聞きながら・・・
自分は今ここで、家族と一緒にいるのと同じか、或いはそれ以上に安心して、余計な気配りなど一切しないで居るのを感じていた。
そんな仲間がいることを、本当に本当にありがたいな。と思え、感謝しないではいられなかった。
あぁ。この世に「感謝」という言葉があってよかったと思う。この気持ちを表す文字があるということが素晴らしい。
帰りは中書島からTAXIを拾わなければいけないくらい、時間を惜しんで過ごし・・・
一夜明け・・・
顔を洗って鏡を見て・・・ 驚いた。
自分で言うのもなんだが、「私、すごく綺麗」って思ったのだ。。。
顔の色が、いつもと違う。
肌の張りが、いつもと違う。
顔の筋肉が、何かを喜んで安心している。
美しいのとは違って、綺麗だわ。って感じる顔が、そこに映っていた。
私は、私のこの視力と感覚には誇りを持っているので
鏡に映った自分の顔を自分で見て「綺麗」と思ったのが、とても嬉しかった。
きっとこれは、とてもとても綺麗なエネルギーの中で
過ごさせてもらったからだと思う。
自分の内側の緊張が、溶けきったからだと思う。
そうさせてくれる人たちと、私はこの人生で出会っていることが
何よりの誇りだ。
さらにこの仲間だけでなく、他にも何人も、そう感じられる人がいるというのは、本当に誇らしいこと。
本当に。
皆から、素敵なエネルギーのプレゼントをいただいた気がして
自分のエネルギーの使い方についても、ちょっと考え始めた同窓会だった。
出会いと経験という神様に深謝。
2008年07月15日
インサイド ⇔ アウトサイド
あぁ・・・ そういうことか。
この病棟に、何重にも捩れて巻きついている糸が
ほどけるかもしれない・・・ 今、そう思えている。
今朝のこと。
病棟に入った瞬間に、それはあった。
この肌がピリピリと痛い。
細い針を突き刺されるような痛みが走る。
スタッフは仲良さそうに話しているが
それを見る私の身体は、痛みを感じているのを知覚する。
ちょっと前の私は出勤したり、病棟を考えるとイライラして、
攻撃的な感情に突き動かされていたのを思い出す。
おそらく、
この雰囲気とエネルギーに身体を明け渡していたのだろう。
そう思った瞬間に、
スティーブンとの初日のやりとりを思い出した。
彼は言った。
「君は、プロセスワーカーが長年かけても身につけられないようなスキルを既に持っている。
ただ1つだけ。
自分を見失わないようにするんだよ。
今は、気分はどうだい?」
― 大丈夫。
良くも悪くもないです。
ロールのエネルギーを身体に入れても、
それを入れている自分の意識は明確だから、多分大丈夫です。―
そんなやりとりだった。
でも・・・
ちょっと前。
病棟に居た私は、ちっとも大丈夫ではなかったのだと思う。
私は 場のエネルギーを取り込みすぎて、
自分と場との区別が出来なくなっていた。
それを、 今朝の意識状態が気付かせてくれた。
今朝の私は、まるで深い深い夢という現実を見ているかのような意識の状態。
現実が夢なのか、夢が現実なのか・・・と考えながらも
自分の身体とは異なるようで異ならない部分が
しっかりと目を覚ましているような状態。
そして自分の意識とは別の、外界に接している部分が、
場のエネルギーの質と、夢の中に隠れている言葉や感情を感じている。
そんな風だった。
これが「自分を持っている状態なのだろうか?」と思いながら居ると 、
顔は笑い、仲良さそうに話しているスタッフ達の 、
目には見えないけれど醸し出している
とても痛くて、針を幾つも幾つも突き刺すような雰囲気を感じとったのだった。
そして、
「この病棟は、この攻撃的で突き刺すような感情を
『こんなものは私達にあってはいけない!』と周縁化させていたのか…」
と掴んだ気がした。
ナースに抱く世界中の人々(過去も含める全て)のイメージと要望が
この1つの病棟にとっての主流派となり、
それとは相反する攻撃的感情を、
「決して持ってはならないもの」としていたのかもしれない。
あぁ。これだったのか・・・
私が知る限り、この病棟で師長が変わってから繰り返し起こっていることは
スタッフの誰かが、
まず表情が暗くなり、
ちょっと突っ込んで話すと突然攻撃的に訴え始め
そして部署を異動するか、辞めるかしている。 ということ。
ならば、
私達1人1人が、
ナースと雖も、当然自分の中に存在している「攻撃性」に光を当て、
それがあることを認め、
それに表現の機会を与えてあげることが出来たら・・・
例えば、飲み込んでしまった怒りや悲しみや辛さを
ぐるぐる巻きにした布団を殴ることで表現したり、
思いっきり叫んだり、
ベッドに向かって、躊躇なく本を投げつけたり・・・
そういう行動をすることが目的ではなく
自分の中にも、そういうのがあるし、
あること自体が問題なのではないということと、
存在することを認めて受け入れるならば、
この病棟で、誰かが怒りを露にして辞めていく。なんてことは 少なくなるかもしれない。
そう思った。
そこで、先日までリレーションシップコーチングを受けていた仲間と、
急遽スカイプで話すことにした。
セミナーでの体験や気付きをシェアし、
「せめて私達だけでも、
自分の中に現れた怒りを 他の何かに置き換えて騙すのではなく、
そのまま、あることを浮かび上がらせてあげて、存在を認めてあげるよう、
1人で、身体や言葉で表出するのをやってみるのはどう?」
と提案した。
私以外の2人も、すんごい納得していた。
そして取り組むことになった。
自分の中のネガティブな感情を亡き者にしないこと。
それに表現の機会をあげること。
それがあっても、決して「個」が穢れるわけではないのだと知ること。
インナーワークは、ワールドワークとなり、
ワールドワークは、インナーワークに還る。
スタッフの誰かが請け負わなくてはいけなかったロールを
意識して私達が請け負ってみる。
未来がやってきている。
もう、目の前に。。。
2008年07月13日
夢のワークで号泣。
昨日までの3日間、東京に行っていました。
スティーブン:http://
Organizations and the Challenges of Diversityクラスに参加するため。
もう、ここには書ききれないほどの学びと気付きの山。
きっと全部書いたら、その原稿量は富士山の標高を越すでしょう。
一緒に学んだ方々も皆素敵で、
英語が殆ど分からない私だけど、
それでも、
言語じゃないレベルで感じ合える人間の温もりに
心から感謝する時間でした。
今まででは考えられなかったような方々とも
ハート丸出しで付き合えて、
彼女達の温かさや大きさや深さを感じられたのは
何物にもかえられないものでした。
スティーブンにも感謝。
彼はポートランドにあるプロセスワークセンターのCEOで
肩書き聞くだけで、もう、私は緊張するのだけど
傍にいるのが心地よくてたまらなくなるような人でした。
適切に近くて、
適切に放置できる人で、
適切にハートフルで、
適切に介入する。
グループの真ん中で起きているホットな場に反応して、
部屋の隅っこで泣きじゃくる私の傍にジンジャーが寄り添ってくれているときも
「まのっち、何が起きているんだい?
あなたは、それを表現したらいいんだよ。
出せるかい? 出してごらん。」
と、そうっと囁くように話して去っていった。
ジンジャーが、「まのっち、出てみる?」と肩を抱きながら聞いてくださる。
このジンジャーは、初日、
私が人種差別をする側のロールを取り続けているときに、
ずっとそのロールを降りずに傍に居続けてくれた人。
彼女の経歴は素晴らしいけれど、そんなものなんかじゃなくて、
もう、どこまでも透明で見渡せる深い深い泉のような心の持ち主で、
私は絶対に、一生忘れないだろう!!と思えるような人。
人種差別のロールをとりながら、自分の中の醜い部分を直視したり
遠い過去に、村に入ってきた異人を殺した人間や
ユダヤ人を虐殺した人間や
黒人を暴行する人間のエネルギーが入ってきて
「あんたを殺さなければ、こっちが死ぬことになるんだ!
生きるために、そうするんだ!!」という恐怖からの差別と暴力を感じている間も、ずっとそのロールのそばに居てくれたのです。
その後も、私の奥にあるものが震えるとき、
彼女はいつも温かな眼差しで、見てくれていたのでした。
本当に素敵な人。。。
ジンジャーも、スーザンも、ニコルも、マリコも・・・
なんだか話しが飛んでしまっているけど、もう、いいや。
また飛んじゃえ!!
初日のグループプロセスで、人種差別するロールをとっていたあとから
スティーブンが、顔を合わせる度に言ってきたのが
「You are an angel」
「You are sharman.]
「You have amazing heart.」
いやいや、私ゃぁ、汚いところが一杯ありますからね。
どちらかというとデビルだと思ってるでやんす。
と言うけれど(と言えたかどかは、Dannaに聞かねば分からないが)
それでも彼は、次の日も、その次の日も、私に同じように言うの。
そこで3日目のお昼休み、聞いたのよ。
「どうしてあなたは、私に天使だと言ったの? なぜ?」と。
すると彼は・・・
仮にも、プロセスワークセンターCEOともあろう人がそんなことを言うのかい?
と思うようなことを、私の頭上を見ながら可愛らしい笑顔で言ったのです・・・
「だって僕は見たからね。君がシェアしているときに天使がいるのを。」
はぁ〜???? なんじゃ、それ?!
と、首を傾げる私に、
「子どもの頃に見た夢はなんだ?」と彼。
― 子どもの頃? 見た夢?
覚えているのは、バレリーナの私がくるくるくるくる廻り続けて
ふと気がつくと、崖のギリギリ手前で止まった。っていう夢。
それは何度も何度も見た記憶があるの。
「その続きは? 止まってどうしたんだ?」と聞いて彼は私を放置する。
― うーん…(と、考えていたら続きがあったのを思い出した。)
崖の手前で立ち止まって、荒野を見下ろしていたの。
「それはどんな場所だ?」
― とてもとても広い荒野よ。
アメリカかどこかにあるような、赤茶けた岩盤のような、
サボテンが生えているような荒野。
「どれくらい広いんだ?」
― そんな、とてもじゃないけど言い表せないくらい!!
「(秘かに笑いながら)じゃ、それになってみて。」
― (そう言われて、ついつい荒野の意識状態になる私。。。
両腕が左右に広がっていく・・・)
「何を感じる?」
― 腕の上側にも下側にも、様々なものがあるのが分かる。
あぁ。。。
私は荒野になっているのだけど、この私の上を何が通っても…
それがダンプでも戦車でも獣でも・・・
何が通ってもいいのよ。
私の上を何がどれだけ通っても大丈夫なの。
「ほらね、その姿はエンジェルだろ?」
気がついたら私の周りにスーザンもいて、スティーブンと同様に笑顔。
「分かった? 君はエンジェルなんだよ。
どれくらい大きくて赦せるか知っているだろ?」 と。
思わず号泣してしまった。
もう、どこで何をしていても、
私は、この私でいることが、
生まれて死ぬまでずっと、
求め続ける道なのだと分かった気がしたからです。
子どもの頃の夢のワークは、思わぬランチデザートになったのでした。
ジンジャーやニコルとは、これからもきっとメールでお付き合いしたくなると思う。
もっともっと、
心が求める人たちに会いたいし、
もっともっと、
分かり合えたらうれしいから、英語のお勉強も頑張ります。
とてもとても大好きなDannaや○作さんともご一緒できて
エンタングルメントから、私の課題も明確になってありがたかったです。
このエンタングルメントについても書きたいけれど・・・
もう、今のところお腹一杯で言葉に出来ないです。
おやすみなさい。
2008年07月02日
看取りに浮かぶギャップ
訃報を知らせる方法に
泣きながら、
「なぜ私の身体は涙を流しているんだろうか?」と、身体の奥に聞き、
帰ってくる答えを探してみた。
答えは映像となって現れる。
幾つもの「看取り」をしてきた。
ナースになってから合計すると、おそらく100以上。
身体を綺麗にしながら、その方と最期の対話をして
ご家族に、その空間を手渡すのだが・・・
部屋の外と内とでは、ペースが大きく異なる空間が存在しているのが
映像をとおして感じられる。
身体を綺麗にする間の、その部屋は
静かで、
透明で、
それでいて優しく柔らかい空間に満ちている。
一方、ご家族が待機したり、色々なところに連絡をしたり
必要なことをしている 部屋の外は、ハイスピードな緊張がある。
部屋の内と外のギャップ。
過去も未来も今も、全てがここにある気持ちに満たされる部屋の内と、
少し先の未来のために動かざるを得ない、部屋の外。
静・遥か・在る。 の世界と、
動・目先・方向性。の世界のギャップが、
部屋のドアを隔てて存在する。
これは何かを象徴しているような気がする。
今のこの世の中に生きている私たちの課題があるかのような・・・
それが何なのか、今の私には分からないけど
マイミクの日記に存在して、語りかけてくれた方と、
今まで看取ってきた方々と、
私は立ち会わなかったけど、
大切な人々に看取られた皆様に
「何か、大切なことを教えようとしてくださって
ありがとうございます。
この命を、大切にして生きていきます。」
と、伝えたい。
そして、そのとおりに生きることで
ご冥福を祈ることに代えたいと思う。
ご冥福を祈るということは、
私が自分を大切にして生きるということかもしれないから。
あぁ、今、祖母と母がそばに来て
頭を撫でてくれた気がする。
祖父が、そのちょっと向こうで見てくれているかのような・・・
1つの生命が、この世から離れるとき
思いがけない生命にも、影響を与えるものなんだなぁ。
2008年06月30日
癒しのグループプロセス。
「組織に活かすプロセスファシリテーション」の
オープンクラスの最終日。
とても貴い体験があった。
それは、
胸だとは言えないくらい深くて温かくて大きな場所が
私のからだの中にあり、
グループ参加者の中にあり、
グループの全体にあり、
ワールドワークの場所だけでなく
この世に生きながら感じてきた
1人1人の心の痛みが、
今日のグループプロセスの中で素直に現れ、
深く
深く
深く
表現できないくらい
深いレベルに
荘厳なる癒しが満ちた。
そんなグループファシリテーションの場所だった。
こんなにも
安全で
優しく
しなやかな場所を
未だかつて体験したことがないなぁ。と振り返る。
1人でも、
数名でも、生まれなかったもの。
ロールプレイを手法として用いながら
グループの葛藤に取り組み、流れを促すファシリテーションの場。
ロール>個人、 個人>ロール だからこそ
ダイナミックな動きが現れることを、
この目の前に広げて見せてくれた。
深遠なる癒しの世界。
完了後、全員が言葉を発しないでいることを望む世界。
言葉ではないところで
浸透していくエネルギー。
それを全身で感じた。
ロールに立った人も
周りで見ていた人も
全員が、その世界にいた。
プロセスワークの産みの親 アーノルド・ミンデルは
「プロセスワークは緩和ケアである。」 と断言しているらしい。
その意味に触れた気がする。
ここに来る前日
ひどく友人を傷つけ、
その自分を痛めつけていた私自身が
ここに来たのも必要なプロセスの一部だったのかもしれない。
今になって、それが分かる。
なぜなら、
ファシリテーターで居ながら、
大きく揺れているエネルギーの対象として
それがどんなロールなのかも分からずに引き受け、
ドリームアップされたロールは
「傷つき合っても希望を持ち続けている人」だったのだから。
このロールとロールとの対話が
真珠の雫のような涙を
グループの世界に落としたのだから。
共にファシッてくれた Tうりょうと
励ましながら、誠実に居てくださった皆様と
亜矢子さん、
Jiroさんに深謝。。
ワールドワークという手法を生み出し、発展させている
アーニィー & エイミィに感謝。
私の課題を目の前に突きつけてくれている友人や
過去に出会ったきた人々に感謝。
あなたがいなければ私は、
自分がどの方向に向くことが成長なのか、分からないでいただろう。
ここまで導いてくれた流れと、
ここから先に流れているそれに感謝。。。
この体験を身体で感じながら
眠りにつく、
この夜に感謝。。。
2008年06月18日
どんな人にも独自の場所があるよね。
小学生のときに読んだ「あすなろ物語」
“明日は檜になろう。”と憧れ続ける翌檜の樹を
人間に重ねて叙述した小説だった気がするし
書名を口にすると、幾らか悲しい気持ちになるけれど。
そうだけどね。。。
今は思うの。
どんな樹も、
根を張る場所は、その樹だけの場所。
他の樹が、まったく同じ場所に重なって、根を張り成長することはありえない。
幼木だろうが、大樹だろうが、同じこと。
人間もそうなんじゃないかな。
この世界に生まれ、根を張り成長する場所は
1人1人に与えられていて、
他の人と、全く同じになんてなりっこない。
どの人にも、 Origin がある。
今、思い出した。
プロセスワーク生みの親 アーノルド・ミンデルがシェアしてくれたことを。
アボリジニだったか、どこの民族だったかの言い伝え・・・
妊娠5ヶ月目頃、妊婦さんが歩いていると、
ある地点で、その土地のエネルギーがお腹の中にピュゥーって入って
生命に精霊が宿ると考えられている。
(とかなんとか言ってたような・・・記憶が、ものすごく怪しいです。)
で、たとえ大人になって、そこから離れて暮らすようになっても
その土地に戻ってきたときには、
そこが自分の場所だということが、分かるんだって。
先日の、キリンとサイのお話しに戻るけれど、
キリンが特別な存在だったり
サイだけが特別とかいうことではなくて
キリンも、サイも、どんな動物も
1つ1つの生命が、
どれも全て特別:especiallyというより、
独自の「Origin」がある、originalな存在。ということなんでしょうね。
そして1人1人、生きていく場所と道がある。
さて。
私は・・・ どんな道を・・・ ?
2008年06月15日
キリンさんが、サイさんに謝ってきたの。。。
株)ファインネットワールドさんの主催で
NLPラーニングの山崎さんが講師。
私は5ヶ月間、セミナーのアシスタント兼、
参加者のコーチとして参加です。
自分の人生に真摯に向き合い、変化を意図している方々と
ご一緒できるのは、とても贅沢で幸せなことだなぁ〜。と、
早くも感慨深いです。
で、初日の今日、印象深く残ったお話を
ここに残しておこうと思います。
願望実現コースの初日、山崎さんは、こんなお話をされました。
人はね、誰でも生まれながらに、
その人ならではの本質を備えて生まれているんですよ。
遺伝情報も含めてね。
1人1人がとてもユニークな、
特別な存在として生まれてくるんですよ。
赤ちゃんもね、生まれた時点で既に
1人1人、何か特徴があって
お乳の探し方とか、
泣き方とか、そのタイミングとか色々んな差異があって
誰一人、全く同じ赤ちゃんっていないんでしょ?
それが・・・
社会生活する過程で、
色々な条件付けがあったり、
親の意向を取り入れざるをえなかったり、
社会の価値観をまとったりして
(こうなる背景を知って活かすのが、「願望実現」のミソ)、
いつのまにか、
沢山の思い込みやなんかで
自分ならではの本質を覆ってしまうんです。
社会や親や友人に迎合していくんですよね。
(私達に、安心・安全欲求があるから当然の結果として。)
そして
皆と違ったり、
何か突出したようだと、
それが罪であるかのように感じるようになるんですね。
それは喩えて言うなら・・・
首の長いキリンさんが、サイさんに
「あんたは、いいねぇ〜。 首が長くって。。。」と言われて
「えっ?! ごめんね・・・
草むらに長い首を横たえて生きるようなものですね。
こんなお話し。
とても印象深いお話しでした。
そして私は思ったの。
キリンはキリンで、
「自分はただ、他の動物より首が長いんだよね。
それがキリンなんだよね。」って、ただ認めてあげることをすれば
キリンだからこそ得られるような場所のエサをとり、
他の動物と分け合うことも出来るのに・・・
キリンが、自分の首の長さに憂えて
地上に横たわって暮らすとき、
キリンだけでなくて
他の動物にとっても幸せなことにはならないな。。。って。。。
願望実現5ヶ月コースは、
自分がどんな動物なのかを思い出し、
その動物として生きていく体質をつくるコース。
受講後も、ずーーーっと変化が続いていくようなコース。
2年前に受講したときよりも、
山崎さん自身が成長しておられるから
コース自体も格段に成長している感じもあって、
そんな山崎さんが講師で
私はアシスタントしたいんでしょうね。
あぁ・・・
毎日毎日に、
私が私という動物で生きていくユニークさを、
1人1人が、その人という動物で生きていくユニークさを、
確認しあっていけたら楽しいな。
先日のリレーションシップコーチングで、
私が上司と緊張状態になるからくりには、
「私達は同じじゃなきゃいけない!」
という思い込みがあったと気がついたところだったからこそ、
キリンさんとサイさんのお話を、自分の中に取り入れたのかもね。
サイさんは、キリンさんだけでなく、
象さんや 猿さんや、カニさんにも、謝らせようとしていたのかもね。。。
2008年06月07日
望まれて生まれた協会。
出来るなら、周りから応援してもらえるような生まれ方がいいよね。
NLPでは、叶えたい願望や目標を設定するときに、
「エコロジーチェック」というものを、必ずするの。
それを手にすることで、周囲に何か不利益を生じさせたり
嫌な思いをさせたりしないか?
周囲や、この世界にとって、そうなるのがOKだと
頭だけでなく、心でもそう思うか?
って。
もし少しでも引っかかるなら、目標を変更するの。
エゴから設定した目標のとき、
で、今回発足することになった協会は、
コーチ仲間でもある代表の話を聞いていると、
充分にされているのが手に取るように伝わってきて、
そういう風に働きかけていることが素晴らしいな♪ と思っていたら、
縁あって、協会活動のコアメンバーになんかなってしまいました。
それはね、「日本女性コーチ協会(JWCA)」です。
コーチだけでなく、コーチングに興味関心を持つ女性を対象に
生きるサポートとネットワークつくりをしましょう!という組織。
国内の、殆どのコーチ養成機関や
コーチ協会や、コーチ支援団体に足を運び、
女性のネットワークをサポートすることへの想いを伝え、
全ての組織から賛同を得ているのです。
おまけに、多くの企業からも協賛を得ていて・・・
こういう働きを見ては「すごいなぁ〜。」と感心してばかり。
さて。
このJWCA発足記念 第1回全国大会が 8月23日(土)にあります。
コーチじゃない方でも、コーチングに興味があって、
協会発足の趣旨に賛同いただける方なら参加OK♪です。
設立の想いを綴っているブログはこちら(↓)です。
http://blog.livedoor.jp/jwca/archives/232651.html
私もイベント内で、ワークショップを担当します。
是非一緒に、参加しましょ!!
◆◇◆JWCA 第1回 全国大会◆◇◆
【対象】 ご自分のアイデンティティに「コーチ」がある女性
コーチングの勉強をされていたり、
コーチングをうけたことのある女性
コーチングに興味がありJWCAの趣旨にご賛同いただける女性
【日時】 2008年 8月23日(土曜日)
13:00 開場
13:30 受付開始
14:00 開会
18:00 閉会
【場所】1号館 TOC大崎ビルディング 19階
http://www.ohsaki-nc.jp/access/access.html
【内容】(内容は 都合により変更することがあります。)
1)主催者挨拶
・設立の理由
・今後のビジョン
2)パネルディスカッション 『コーチングと私の生き方』
〜 パネリスト〜
秋田稲美 (株式会社エ・ム・ズ代表取締役)
小田美奈子 (日本コーチ協会 東京チャプターJCAT事務局幹事
Nako’sコーチングカフェ主宰)
森川ゆり (CTIコースリーダー・NPOファミリーツリー理事)
斉藤知江子 (コーチングコア 代表)
他1名予定【調整中】
〜コーディネーター〜
小巻亜矢 (株式会社Nal 代表取締役)
3)ワークショップ 『あなたの力は何ですか?』(仮題)
リード ★田村恵
コーチトゥエンティワンCTP
米国CTI認定CPCC
http://diary.jp.aol.com/xy87xh/586.html
★高木光恵
米国NLP協会認定トレーナー・アソシエイト
米国CTI認定CPCC
http://blog.livedoor.jp/manotti1127/
4)交流会
トピックごとにテーブル(分科会*)を用意します。
同じ興味を持つ女性コーチとつながる場をご提供します。
*子育て(教育支援)/企業内女性活用/国際協力/障害者支援
DV/ライフプラン/健康(女性特有疾患含)/パートナーシップ
介護/ワーキングマザー/女性のセカンドライフなど。
【お申し込み】
下記フォームにご記入の上、メールにてお申し込みください。
お申し込み先:nal-seminar@sanrio.co.jp
件名:【JWCA】とご記入願います
・・・・・お申し込み フォーム・・・・・・
(*は必須)
1. *お名前
2. *連絡先 e-mailアドレス
3. *連絡先 当日連絡可能な携帯など
4. JWCA大会で 取り上げてほしいこと、
JWCAに期待することなどございましたらご記入お願いします。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
*大会準備の都合上
できましたら6月中のお申し込みをお願いいたします*
【参加費】 5000円
*お振込み手数料はご負担のほどお願いいたします*
・・・お振込先・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
三菱東京UFJ銀行 五反田支店(店番537)
普通預金 0002706
株式会社Nal
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ご入金確認後、
整理番号・分科会のためのアンケートをお送りいたします。
ご入金の際は、お名前の頭にJの記載をお願いいたします。
例:Jサイトウチエコ
なお、ご入金いただいてから1週間以上たっても
確認メールが届かない場合は
お手数ですが、もう一度ご連絡をいただけますよう
お願いいたします。
【お問い合わせ】
事務局《株式会社Nal》までお願いいたします。
あて先:nal-seminar@sanrio.co.jp
〒141-8603
東京都品川区大崎1-6-1
担当:小西奈緒
2008年05月27日
異なる色の「点」で「光」は描かれるのなら・・・
ブログへの投稿は、随分久しぶり。
つい、mixiの方が書きやすくて・・・
もしmixiをしておられる方がいらしたら、
そちらで声をかけてくださると嬉しいです。
さて。
先日、夫とみかんと3人で、比叡山ガーデンミュージアムに行ってきました。
フランス式庭園に、印象派の絵画が陶板に描かれて展示されているの。
花とハーブと、比叡の空気の香りと温度が、
風と樹と蛙と鳥の声が、
私達の中に溜まっていたものを流してくれるようでした。。。
「印象派の絵画は、近くで見ても何を描いているのか分からない。
人の顔なんて、
まるで子供の落書きみたいに、ぐちゃぐちゃに見える。
でも、
遠く離れれば離れるほど(離れすぎたら見えないけど。)
光と影の妙が美しい。 」
ってこと。
「光を、どう描くか」
印象派誕生のきっかけになった命題。
光をプリズムで屈折させると7つの異なった色になる。
それを混ぜ合わせると「光の色」になるかというと、そうではない。
そこで彼らがやったのは
できるだけ色を混ぜず、
1つ1つの色をそのまま「点」で描くこと。
点で描かれた原色たちは、離れたところから見ると
視覚混合がおきて、求める色になる。
色は混ぜれば混ぜるほど暗くなる。
限りなく黒に近くなる。
だから、モネもルノアールもセザンヌも、
できるだけ色を混ぜないようにした。
光を描くために。
比叡ガーデンミュージアムに行った翌日だったか、
アニメ「フルーツバスケット」の1シーンで泣いた。
登場人物が、こんなことを言ったときに。
僕はね、忘れてもいい思い出なんて
1つも ないと思うの。
たとえ忘れたいくらいに
辛かったり悲しい記憶でも
それを忘れたりしないで
乗り越えていきたいって思うの。
今日、さやえんどうのスジを剥いている時に、ふと思った。
あぁ・・・
私達が、
どんな色の思い出であっても、
その1つ1つを
「それが、あったんだね。」と、ただ愛おしんでミルことは、
この人生や、生きている世界を、
美しく印象に残る画に表すのと同じなのね。
どんな光も、
「光」という色はなく、
1つ1つの、
どうでもいいような、
或いは
とても辛いような、
そして
とても嬉しいような、
そんな
すべての思い出や体験から 創りあげられているんだわ。
どんな体験も、
そのオリジナルな色のまま
できる限りの解釈を加えて歪めないまま
「それが、あるんだね。」ってミテあげられたら・・・
それは自分の命が輝くことを意味するのかもしれないね。
そんなことを思ったのでした。
2008年05月23日
砂漠にも水脈はあるよね?
砂漠にも水脈が眠っているでしょう?
もしも、ね、
そこに井戸が出来たら・・・
どうなると思う?
今、なんとなく。
なんとなく、ね、
医療の世界が砂漠化しつつある気がしてね。
いつか砂だけの世界になってしまうんじゃないか・・・
この「砂だけの世界」が、何を表しているのかが
明快な言葉にはならないのだけど、
でも、
医療職者だけでなく
患者さんもご家族も
自宅で介護をしている人も
介護を受けている人も
いずれ介護を受けたり、することになる人も
製薬会社の人も
健康食品の製造販売に関わる人も
色々な人が、
何らかの出口のないエネルギーを足元に溜めている気がして。
それは医療の世界だけでなく
いろいろなところで、それがあるような気がして。。
そして思うんです。
もし、それを出してもいい場所があって
出したところから、
出したもの同士が融合したり触発されたりして
何かが起きて、
そこから各自が何かを持ち帰って再び社会に出るような
そんな機会があったら、どうだろう・・・ と。
それはもしかしたら
必ず水脈が眠っている砂漠に、井戸を掘るようなものじゃないかな?
掘った井戸は、その後、
各自が生きていくのに
各々なりの活かし方ができるような
そういうものになったらいいなぁ。
そんな風に思っています。
まだ具体的な言葉にはならないけれどね。。。