2008年07月

2008年07月15日

インサイド ⇔ アウトサイド

あぁ・・・ そういうことか。


この病棟に、何重にも捩れて巻きついている糸が
ほどけるかもしれない・・・  今、そう思えている。



今朝のこと。
病棟に入った瞬間に、それはあった。


この肌がピリピリと痛い。

細い針を突き刺されるような痛みが走る。


スタッフは仲良さそうに話しているが
それを見る私の身体は、痛みを感じているのを知覚する。



ちょっと前の私は出勤したり、病棟を考えるとイライラして、
攻撃的な感情に突き動かされていたのを思い出す。


おそらく、
この雰囲気とエネルギーに身体を明け渡していたのだろう。


そう思った瞬間に、
スティーブンとの初日のやりとりを思い出した。




彼は言った。



「君は、プロセスワーカーが長年かけても身につけられないようなスキルを既に持っている。

 ただ1つだけ。
 自分を見失わないようにするんだよ。

 今は、気分はどうだい?」



― 大丈夫。
  良くも悪くもないです。
  
  ロールのエネルギーを身体に入れても、
  それを入れている自分の意識は明確だから、多分大丈夫です。―


そんなやりとりだった。




でも・・・
ちょっと前。
病棟に居た私は、ちっとも大丈夫ではなかったのだと思う。

私は 場のエネルギーを取り込みすぎて、
自分と場との区別が出来なくなっていた。

それを、 今朝の意識状態が気付かせてくれた。



今朝の私は、まるで深い深い夢という現実を見ているかのような意識の状態。


現実が夢なのか、夢が現実なのか・・・と考えながらも
自分の身体とは異なるようで異ならない部分が
しっかりと目を覚ましているような状態。

そして自分の意識とは別の、外界に接している部分が、
場のエネルギーの質と、夢の中に隠れている言葉や感情を感じている。

そんな風だった。



これが「自分を持っている状態なのだろうか?」と思いながら居ると 、


顔は笑い、仲良さそうに話しているスタッフ達の 、
目には見えないけれど醸し出している
とても痛くて、針を幾つも幾つも突き刺すような雰囲気を感じとったのだった。

そして、



「この病棟は、この攻撃的で突き刺すような感情を
 『こんなものは私達にあってはいけない!』と周縁化させていたのか…」


と掴んだ気がした。




ナースに抱く世界中の人々(過去も含める全て)のイメージと要望が
この1つの病棟にとっての主流派となり、

それとは相反する攻撃的感情を、
「決して持ってはならないもの」としていたのかもしれない。




あぁ。これだったのか・・・


私が知る限り、この病棟で師長が変わってから繰り返し起こっていることは

スタッフの誰かが、
まず表情が暗くなり、
ちょっと突っ込んで話すと突然攻撃的に訴え始め
そして部署を異動するか、辞めるかしている。 ということ。



ならば、


私達1人1人が、
ナースと雖も、当然自分の中に存在している「攻撃性」に光を当て、

それがあることを認め、

それに表現の機会を与えてあげることが出来たら・・・




例えば、飲み込んでしまった怒りや悲しみや辛さを


ぐるぐる巻きにした布団を殴ることで表現したり、

思いっきり叫んだり、

ベッドに向かって、躊躇なく本を投げつけたり・・・




そういう行動をすることが目的ではなく


自分の中にも、そういうのがあるし、


あること自体が問題なのではないということと、


存在することを認めて受け入れるならば、

この病棟で、誰かが怒りを露にして辞めていく。なんてことは 少なくなるかもしれない。




そう思った。




そこで、先日までリレーションシップコーチングを受けていた仲間と、
急遽スカイプで話すことにした。



セミナーでの体験や気付きをシェアし、


「せめて私達だけでも、

 自分の中に現れた怒りを  他の何かに置き換えて騙すのではなく、


 そのまま、あることを浮かび上がらせてあげて、存在を認めてあげるよう、


 1人で、身体や言葉で表出するのをやってみるのはどう?」


と提案した。





私以外の2人も、すんごい納得していた。



そして取り組むことになった。




自分の中のネガティブな感情を亡き者にしないこと。

それに表現の機会をあげること。

それがあっても、決して「個」が穢れるわけではないのだと知ること。



インナーワークは、ワールドワークとなり、

ワールドワークは、インナーワークに還る。


スタッフの誰かが請け負わなくてはいけなかったロールを
意識して私達が請け負ってみる。


未来がやってきている。


もう、目の前に。。。



manotti1127 at 00:41|PermalinkComments(0) 宇宙の法則 

2008年07月13日

夢のワークで号泣。

昨日までの3日間、東京に行っていました。

スティーブン:
http://www.processconsulting.org/
Organizations and the Challenges of Diversityクラスに参加するため。


もう、ここには書ききれないほどの学びと気付きの山。
きっと全部書いたら、その原稿量は富士山の標高を越すでしょう。

一緒に学んだ方々も皆素敵で、
英語が殆ど分からない私だけど、

それでも、
言語じゃないレベルで感じ合える人間の温もりに
心から感謝する時間でした。

今まででは考えられなかったような方々とも
ハート丸出しで付き合えて、
彼女達の温かさや大きさや深さを感じられたのは
何物にもかえられないものでした。



スティーブンにも感謝。

彼はポートランドにあるプロセスワークセンターのCEOで
肩書き聞くだけで、もう、私は緊張するのだけど
傍にいるのが心地よくてたまらなくなるような人でした。

適切に近くて、
適切に放置できる人で、
適切にハートフルで、
適切に介入する。

グループの真ん中で起きているホットな場に反応して、
部屋の隅っこで泣きじゃくる私の傍にジンジャーが寄り添ってくれているときも

「まのっち、何が起きているんだい?
 あなたは、それを表現したらいいんだよ。
 出せるかい? 出してごらん。」

と、そうっと囁くように話して去っていった。


ジンジャーが、「まのっち、出てみる?」と肩を抱きながら聞いてくださる。
 
このジンジャーは、初日、

私が人種差別をする側のロールを取り続けているときに、

ずっとそのロールを降りずに傍に居続けてくれた人。

彼女の経歴は素晴らしいけれど、そんなものなんかじゃなくて、
もう、どこまでも透明で見渡せる深い深い泉のような心の持ち主で、
私は絶対に、一生忘れないだろう!!と思えるような人。

人種差別のロールをとりながら、自分の中の醜い部分を直視したり
遠い過去に、村に入ってきた異人を殺した人間や
ユダヤ人を虐殺した人間や
黒人を暴行する人間のエネルギーが入ってきて
「あんたを殺さなければ、こっちが死ぬことになるんだ! 
 生きるために、そうするんだ!!」という恐怖からの差別と暴力を感じている間も、ずっとそのロールのそばに居てくれたのです。


その後も、私の奥にあるものが震えるとき、
彼女はいつも温かな眼差しで、見てくれていたのでした。


本当に素敵な人。。。


ジンジャーも、スーザンも、ニコルも、マリコも・・・


なんだか話しが飛んでしまっているけど、もう、いいや。
また飛んじゃえ!!


初日のグループプロセスで、人種差別するロールをとっていたあとから
スティーブンが、顔を合わせる度に言ってきたのが
「You are an angel」
「You are sharman.]
「You have amazing heart.」

いやいや、私ゃぁ、汚いところが一杯ありますからね。
どちらかというとデビルだと思ってるでやんす。

と言うけれど(と言えたかどかは、Dannaに聞かねば分からないが)
それでも彼は、次の日も、その次の日も、私に同じように言うの。

そこで3日目のお昼休み、聞いたのよ。

「どうしてあなたは、私に天使だと言ったの? なぜ?」と。

すると彼は・・・

仮にも、プロセスワークセンターCEOともあろう人がそんなことを言うのかい? 
と思うようなことを、私の頭上を見ながら可愛らしい笑顔で言ったのです・・・

「だって僕は見たからね。君がシェアしているときに天使がいるのを。」



はぁ〜???? なんじゃ、それ?!


と、首を傾げる私に、


「子どもの頃に見た夢はなんだ?」と彼。

 ― 子どもの頃? 見た夢?
   
   覚えているのは、バレリーナの私がくるくるくるくる廻り続けて
   ふと気がつくと、崖のギリギリ手前で止まった。っていう夢。
   それは何度も何度も見た記憶があるの。


「その続きは? 止まってどうしたんだ?」と聞いて彼は私を放置する。

 ― うーん…(と、考えていたら続きがあったのを思い出した。)

   崖の手前で立ち止まって、荒野を見下ろしていたの。


「それはどんな場所だ?」

 ― とてもとても広い荒野よ。
   アメリカかどこかにあるような、赤茶けた岩盤のような、
   サボテンが生えているような荒野。


「どれくらい広いんだ?」

 ― そんな、とてもじゃないけど言い表せないくらい!!


「(秘かに笑いながら)じゃ、それになってみて。」

 ― (そう言われて、ついつい荒野の意識状態になる私。。。
    両腕が左右に広がっていく・・・)

「何を感じる?」

 ― 腕の上側にも下側にも、様々なものがあるのが分かる。
   
   あぁ。。。

   私は荒野になっているのだけど、この私の上を何が通っても…
   それがダンプでも戦車でも獣でも・・・
   何が通ってもいいのよ。 
   私の上を何がどれだけ通っても大丈夫なの。



「ほらね、その姿はエンジェルだろ?」


気がついたら私の周りにスーザンもいて、スティーブンと同様に笑顔。



「分かった? 君はエンジェルなんだよ。
 どれくらい大きくて赦せるか知っているだろ?」 と。


思わず号泣してしまった。


もう、どこで何をしていても、
私は、この私でいることが、
生まれて死ぬまでずっと、
求め続ける道なのだと分かった気がしたからです。



子どもの頃の夢のワークは、思わぬランチデザートになったのでした。



ジンジャーやニコルとは、これからもきっとメールでお付き合いしたくなると思う。

もっともっと、
心が求める人たちに会いたいし、

もっともっと、
分かり合えたらうれしいから、英語のお勉強も頑張ります。


とてもとても大好きなDannaや○作さんともご一緒できて
エンタングルメントから、私の課題も明確になってありがたかったです。


このエンタングルメントについても書きたいけれど・・・


もう、今のところお腹一杯で言葉に出来ないです。


おやすみなさい。



manotti1127 at 01:04|PermalinkComments(1) 答えは自分の中に在る 

2008年07月02日

看取りに浮かぶギャップ

友人の日記を読んで、コメントしたら泣けてきた。

訃報を知らせる方法に
「メール」や「ML」を使うことからの違和感が書かれてあった。


泣きながら、

「なぜ私の身体は涙を流しているんだろうか?」と、身体の奥に聞き、

帰ってくる答えを探してみた。



答えは映像となって現れる。



幾つもの「看取り」をしてきた。

ナースになってから合計すると、おそらく100以上。





身体を綺麗にしながら、その方と最期の対話をして
ご家族に、その空間を手渡すのだが・・・


部屋の外と内とでは、ペースが大きく異なる空間が存在しているのが
映像をとおして感じられる。


身体を綺麗にする間の、その部屋は
静かで、
透明で、
それでいて優しく柔らかい空間に満ちている。


一方、ご家族が待機したり、色々なところに連絡をしたり
必要なことをしている 部屋の外は、ハイスピードな緊張がある。



部屋の内と外のギャップ。



過去も未来も今も、全てがここにある気持ちに満たされる部屋の内と、

少し先の未来のために動かざるを得ない、部屋の外。



静・遥か・在る。 の世界と、

動・目先・方向性。の世界のギャップが、

部屋のドアを隔てて存在する。



これは何かを象徴しているような気がする。


今のこの世の中に生きている私たちの課題があるかのような・・・



それが何なのか、今の私には分からないけど

マイミクの日記に存在して、語りかけてくれた方と、
今まで看取ってきた方々と、
私は立ち会わなかったけど、
大切な人々に看取られた皆様に

「何か、大切なことを教えようとしてくださって
 ありがとうございます。

 この命を、大切にして生きていきます。」

と、伝えたい。



そして、そのとおりに生きることで
ご冥福を祈ることに代えたいと思う。


ご冥福を祈るということは、
私が自分を大切にして生きるということかもしれないから。


あぁ、今、祖母と母がそばに来て
頭を撫でてくれた気がする。

祖父が、そのちょっと向こうで見てくれているかのような・・・


1つの生命が、この世から離れるとき
思いがけない生命にも、影響を与えるものなんだなぁ。


manotti1127 at 07:15|PermalinkComments(1)