関ヶ原ブログ

関ヶ原の戦いを中心に、戦国時代の武将のエピソードや豆知識をご紹介

10/2放送の大河ドラマ「江」で、こんなやりとりがありましたね。
家康「お前、わしの跡継いで将軍になれ」
秀忠「お断りいたします

で、その後、熱海の温泉でじっくり考えようということで、秀忠は江と共に熱海に行きます。そして湯治中に、秀忠は、江ともこんな会話をしています。
江「将軍になってくださいませ。戦のない世を作って下さいませ」
秀忠「私にはそんな力はない

とまあ、いずれもずいぶん消極的。いったいなぜなんでしょう?

最近は大河ドラマで秀忠周辺のことが大きく取り上げられて描かれるからか、このブログにも「徳川秀忠」を含むキーワードで来ていただいている方が急増しております。

というわけで、今回も秀忠周りのことを一つ。テーマは「秀忠の側室とその子供」です。

名物刀剣週末に会社の人に誘われて、原宿・表参道辺りから程近い南青山の根津美術館に行ってきました。
というのも、特別展で「名物刀剣」がやっていたのです。

この展覧会では、信長秀吉家康などの戦国武将が所持したことのある刀剣を一挙に60点近く展示。

刀に疎いワタクシですが、戦国武将たちの刀なら「信長の野望」にも「家宝」として出てきたし知ってるものがあるかもしれない、ということで行ってみました。

根津美術館
東京都港区南青山6-5-1(地図
※本展の会期は2011年8月27日(土)〜9月25日(日)で終了しました。

今週も大河「江」がらみで一つお話いたします。

秀忠の乳母として「大姥の局」という人が登場してますね。江にさんざん「嫡男を産め」「男を産め」と呪詛のごとく言っていた人です。加賀まりこさんが演じています。

まあ江からすればなんともノドにつかえたような人物ですが、この人、なかなかの才女という記録が残っているそうです。

ツイッターで書いている出来事を年表にしています

【更新履歴】
2011年2月23日初回更新
2011年4月3日追加更新
2011年5月15日追加更新
2011年9月3日追加更新

現在の登録数:461出来事

今年の大河ドラマ「江」の徳川秀忠公は、向井理さんが演じていて、ビジュアル的にはかなりのイケメン。ところが、その性格はけっこうひねくれもののようです。

火事の時に江の思い出の品物をとってきてくれたり、いざというときには思いやりがあるのですが、普段は憎まれ口を叩いたり、イヤミを言ったりと、本多正信@草刈正雄にも「わーか」としょっちゅうたしなめられてます(全然反省してないけど)。。

そんな性格がアレな(失礼)秀忠公は三男ですが、ドラマではすでに「家を継がせる」と家康公も明言しています。なぜ三男なのに家を継ぐことになったのでしょうか?それにはいくつか理由があるのです。

今回は徳川家を題材に「後継者」というもののお話を。

発見!ニッポン城めぐりサイトケータイで「発見!ニッポン城めぐり」を1年くらいやっています。

これは、ケータイのGPS機能を使った城郭データベース。自分がその城の近辺に実際に行ってサイト内にある「城攻め」を押します。すると、GPS通信で、その近辺にある城を「攻め落とした」ことになって数がカウントされる、というモノです。

サイトのトップページには「城アバター」が表示されます。
GPS通信をしたり、城攻めに成功したりするともらえるサイト内での「所持金」を使って、この「城アバター」を自分好みの城に改築していくというスンポー。さらに、自分の攻め落とした城の数に応じて、「石高」があがっていき、「猛者」や「海道一の弓取り」などの異名や官位がもらえたりします。

真剣白刃取りってあるじゃないですか。

キエーって振り降ろされた刀を両手でパンってやつです。
wikiによると、実際に行われた事例もあるみたいですが、これ相当危ない技ですよね〜。
失敗すれば脳天にグサリなわけですから。まあ…要するに…死ぬのですから。うかつに真剣で練習なんてできません

こんな横綱級にデンジャーな技が、本当に技として伝えられてきたのか?

…というわけでいくつか調べてみました。
まとめから言うと、よく言われるのは「真剣白刃取りは柳生新陰流の秘技」ということのようです。

負けた方のその後ってあまり知られていなかったりするものですが、TVでやってた「あの人はいま」に倣って、シリーズ「あの人のその後」。

今回は屈指の転落人生を歩むことになってしまった九州日向の戦国大名伊東義祐の「その後」です。

前回の記事で義祐の「いい時期」をご紹介しました。今回は義祐の「転落期」です。
⇛前回の記事はコチラ

戦国時代は文字通り戦いが各地で頻発した時代です。中央権力が事実上無力化して、各地の有力者たちがさらに力をつけようと隣国と争った時代なわけです。

で。

負けた方のその後ってあまり知られていなかったりするものですが、TVでやってた「あの人はいま」に倣って、シリーズ「あの人のその後」。

第1回の今回は屈指の転落人生を歩むことになってしまった九州日向の戦国大名伊東義祐の「その後」です

本日は「名をあげるのは難しい」ということで、羽柴秀吉のとある家臣たちにズームイン。

羽柴秀吉の家臣といえば多くの有名人がいますよね。二大軍師たる竹中半兵衛・黒田官兵衛の両兵衛コンビ。さらには「賤ヶ岳七本槍」。のちには豊臣政権の五奉行となる石田三成も有名です。

しかし、あまり知られていないのが「羽柴四天王」の皆さんです。

■羽柴四天王とは

羽柴四天王―それは!

・宮田喜八光次
・神子田半左衛門正治
・戸田三郎四郎勝隆
・尾藤甚右衛門知宣

のお四方のことです。

いずれも秀吉に古くから仕えた武将です。そんな彼らなんですが、秀吉の家臣としてその名を聞くことはあまりないように思います。

「四天王」といえば戦国で言うと「徳川四天王」とか「龍造寺四天王」「武田四天王」なんてのが有名ですよね。『ろくでなしBLUES』でいえばもう主役級の人気キャラです(主役含むが)。
そんな有力者の代名詞「四天王」と称されることになる、秀吉家臣のこの4名が、なんでそんなに知られていないのでしょうか。


■4人の晩年

それにはこの4名の晩年が関係していると言えそうです。Wikiとかでちょっと調べてみたので、その晩年のことだけご紹介します。活躍ぶりの方を詳しく知りたい方はWikiをどうぞ(丸投げ)⇛羽柴四天王

宮田喜八光次
天正8年(1578)、別所長治の三木城攻めで討死。

神子田半左衛門正治
天正12年(1584)、小牧長久手合戦で失態を犯して追放される。のち帰参を願い出るも自害を命じられる。

戸田三郎四郎勝隆
文禄3年(1594)、文禄の役で朝鮮半島にわたり、帰国途中で病没。

尾藤甚右衛門知宣
天正15年(1587)、九州征伐で消極的な作戦により好機を逸したとして改易。のちに剃髪して許しを請うも許されず、下野那須で惨殺される。

※武将名はWikipediaにリンクしています。

宮田は名誉の戦死と言えそうです。実際、竹中半兵衛が「喜八が死んだ後の羽柴軍はその生前に劣る」と言った、というエピソードもあるようです。

しかし、神子田と尾藤はいずれも失態⇛改易⇛帰参を願って自害&惨殺…。気の毒な最期になってしまいました。戸田は病没ですが、秀吉よりも先に亡くなっていますね。


■名をあげるには?

彼らはいずれも秀吉の播磨時代には家中でも高名な人物でした。それまではそれなりの手柄を立てたりして抜きん出た存在だったんです。しかし、その後目立った働きがなかったり、失態を犯したりして名を落としてしまったというわけです(宮田はその前に討死ですが)。

先に挙げた「秀吉の家臣といえば!」の両兵衛のお二人や賤ヶ岳七本槍の皆さん、三成らも、もちろん失態がないわけではありません。有名人らしく有名な失態を犯している人もいますよね。でも、結局のところ「それを補う何か」を果たしてその名を残しています

「名をあげる」ということの一面は、文字通り「その名に恥じない」活躍を「繰り返す」こと。失敗したら挽回するのはもちろんのこと、常にさらに上を見ていないといけないわけで、満足したらそこまでなのです。秀吉にも「目標を次々に設定していた」というエピソードがあります。

抜きん出ようと思ったらまず一歩前に出なきゃいけないし、失敗を深く気にすることなく、挽回していかないといけないわけですね。もちろん実際には、本人の努力の他に運の要素も多分にありますし、上役の性格によっても「活躍」の性質が違ってきたりもしますが…。

いや〜名を上げるというのはホント難しいものです。

ちなみにリアル描写が人気のコミック「センゴク天正記」に、羽柴四天王のうちのお二人、神子田氏と尾藤氏が出演中です!

会社で「関ヶ原連判状icon(ブックオフオンライン)」を読了した方がいまして。

関ヶ原連判状といえば、細川幽斎をメインにした歴史小説。幽斎の策謀が閃く小説…だそうですね!…実はまだ読んでません。。。しかし、会社でも「面白かった」と聞いたので、近々読み始めようと思います。

さて、小説はさておき。

細川幽斎、「古今伝授」で知られる著名な文人大名です。この「古今伝授」とは何ぞや。そして幽斎はどんだけゴイスーなのか。軽く調べてみました。

先週「火天の城」見て、ちょっと作ってみたくなって、城のプラモデル検索してみたら、ペーパークラフト「日本名城シリーズ」ってのがありました。

プラモデルは童友社FUJIMI模型のものが知られていますが、姫路城とか名古屋城などの有名な城のものは、かぶっているものも多くて城の種類としては限られてきます。でも、このペーパークラフトはプラモにない城も備えてるみたい。ちょっと岡山城とか広島城はつくってみたいなあ。
ペーパークラフト 日本名城シリーズ(amazon)

映画「火天の城」、遅ればせながらDVDをレンタルしてきて見ました。

「火天の城」は、信長公の安土城築城の様子を描いたストーリー。Wikipedeiaによるとこんな感じ↓
1576年(天正4年)、尾張熱田の宮大工、岡部又右衛門は織田信長から、近江安土に五重の天守閣を持つ城の設計・建築を命ぜられた。「天高くそびえ立つ、天下一の城を作れ」―。この物語は、立ちはだかる難問を岡部と周囲の人物たちの知恵と協力によって克服し、「安土城」として完成させるまでを描いたものである。

だいぶご無沙汰のmansakuです。

6月20日は大和の筒井順昭死去の日。これを調べるのに本を読んでたら「元の木阿弥」の話も載っていました。

「元の木阿弥」というのは、語源由来辞典によれば「一旦よい状態になったものが元の状態に戻ること」という意味の言葉で、これが実は筒井順昭と関係があるんですね。