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関ヶ原の戦いの直前、会津の上杉景勝に謀反の疑いをかけた徳川家康は、その征討に向かうため、政治の中心である近畿を留守にすることになりました。

当時、石田三成など家康に敵対的な豊臣官僚は複数いたため、実力者である家康が留守にすれば、彼らが旗揚げする可能性があります。それこそ家康の狙いでもあったと言われているわけですが、何はともあれ、留守にする以上、家康が詰めていた伏見城には代わりの責任者をおかなくてはなりません。

そこで、家康が伏見城に残したのは、家康幼少期からの重臣・鳥居元忠でした。この元忠、この後、文字通り旗揚げした三成ら西軍一同に攻められて城を枕に、壮絶な戦死を遂げるのですが、この捨石同然ともいえる役割を古くからの重心に伝えるのは、さすがの家康も思うところがあったようです。

今回はその時のエピソードをご紹介します。


■家康、元忠に伏見城留守居役を命じる

慶長5年(1600)―。蒸し暑さを感じる夜のことである。家康は居室に鳥居彦右衛門元忠という男を呼んだ。

鳥居元忠は当時62歳。古くから家康に仕え、類まれな忠義を見せて武功を上げてきた猛者である。
元忠を呼んだのは他でもない。伏見城の留守居の任を命ずるためだ。
今度の会津征伐に伴い、家康にとっての西国の要・伏見城に人数を割かねばならない。そこで、元忠を指揮官として残すことに決めたのである。

「殿、元忠参りました。」
「おお、彦右衛門(元忠)。入れ。」
元忠は部屋に入ると、家康の前に少し離れて座って一礼した。どうやら部屋に居るのは家康一人である。家康は眉をハの字にして、暗い顔をしているのが元忠にもわかった。

「かような時分にお呼び出しとは、いかなるご用向きにござろう。」
元忠も、家康が伏見城に兵を残すことを考えていることは知っていたので、召しだされた理由に大方の察しがついていたが、まずはそう尋ねた。

家康は重々しく口を開いた。
「彦右衛門よ…。こたびはそこもとに伏見の留守を守ってもらうことにした。」
元忠は予想通りだ、と思っただけで別に驚かない。
「おお、そのことでござったか。承知つかまつった。ありがたき幸せ。」
元忠はそう返事をした。すると家康が手招きして言った。

「彦右衛門、近う寄れ、近う。」
家康は元忠を側近くまで召し寄せ、元忠の肩に手を置いた。
「彦右衛門よ、そちはこれまで本当によくこの家康に尽くしてくれた…。心から礼を申すぞ。」
「ぷっ!ははは。殿、突然何を改まっておられる。家臣が主君に尽くすは当然のことでござる。」
突然家康がそんなことを言うので、これには元忠も少し驚いた。


■詫びる家康、覚悟の元忠

家康はさらに続けた。
「いや、彦右衛門よ。わしはそなたに詫びねばならぬことがあるのだ…。率直に申そう。こたびの伏見守備の任、それほど人数は割けぬ。よもや治部(石田三成)が変事を起こすやもしれぬ渦中に、充分な人数が割けぬこと、許してくれい…」
家康は、伏見城に残せる兵士は少数であることを伝え、それを元忠に詫びた。

家康が会津に下向すれば、石田三成らが挙兵する可能性が高い時期である。大坂から近い伏見城が大軍に狙われることは必至である。むしろ三成らが反抗してくるのを望む家康からすれば、それを狙っての会津出陣でもあった。いわば伏見城は囮でもある。ゆえに戦略的にも大軍はおけない。

となれば、その伏見城の留守居を任せる元忠とは、これが今生の別れになるやもしれない。だからこそ、家康は元忠に詫びているのであった。

しかし、元忠は笑みさえ浮かべつつ、
「なあに、殿、石田どのが何事か起こさば、伏見の周辺には後詰め(援軍のこと)もござらぬゆえ、籠城して日が立てば、やがては討ち死にということになりましょう。死の覚悟はとうにできております。どうということもござらん。」
と言った。

勝てぬ戦ならば、城を枕に討ち死にの覚悟ゆえに人数は必要ない、と元忠は言う。
この元忠の忠心に家康も感じ入った。
「すまぬ…彦右衛門。…さればもはや何も言うまい。伏見城の留守居役、立派に果たせ。」
「お任せあれ。それがし、伏見にて天下の軍勢を一手に引き受け、たとえ無勢にあろうとも最期まで防ぎ戦い、目覚ましく討死せんと心得まする。」
元忠はそう言って豪快に笑った。

「…今宵は今生酒になろうかな…」
家康は元忠に酌をした。その夜は数刻、二人酒となった。

鳥居元忠は、西軍の伏見城包囲に断固屈せず、その言葉どおり兵士たちと共に討ち死にして果てた。その壮絶さをあらわす伏見城の血染めとなった床板は、現在、京都東山区の養源院の天井板として移築されている。




ちなみに、元忠のほかにも、松平家忠、内藤家長なども伏見城の留守居将を命じられています。

血天井は他にも京都市内の宝泉院・正伝寺・源光庵などに見られます。源光庵なんかは「悟りの窓」「迷いの窓」で有名ですね。私も一度だけ行ったことがあります。

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