関ヶ原合戦図屏風(井伊家本)などを見ると、石田三成は、陣幕に「大一大万大吉」という合わせ文字紋を使用しています。
それだけにこれを三成が家紋のように使用していたと考えがちですが、この文字紋は、実は江戸末期以前の文献史料には見当たらないそうです。
三成は、石田家の家紋としては、基本的には九曜紋を使用していました。
九曜紋については、石田家のルーツを辿ると、代々使用している紋でもあり、三成がこの紋を使用した史料も残っているらしく、とりあえずは三成の家紋は九曜紋というのはほぼ確定のようです。
■「大一大万大吉」は使用されていなかったのか?
それだけにこれを三成が家紋のように使用していたと考えがちですが、この文字紋は、実は江戸末期以前の文献史料には見当たらないそうです。
三成は、石田家の家紋としては、基本的には九曜紋を使用していました。
九曜紋については、石田家のルーツを辿ると、代々使用している紋でもあり、三成がこの紋を使用した史料も残っているらしく、とりあえずは三成の家紋は九曜紋というのはほぼ確定のようです。
■「大一大万大吉」は使用されていなかったのか?
「大一大万大吉」が江戸末期までの史料に見えなくなるのは、まあ徳川家の陰謀でしょう。
徳川幕府は、三成を徹底的に悪人扱いしていましたので、江戸時代の庶民の間にも、基本的には「三成は悪人」としての教えが広まったと思います。史実の追求に燃えるアツイ史家がいたとしても、三成のことを研究でもしようものなら、幕府に見つかって処罰されるわけです。
関ヶ原合戦屏風には、「津軽屏風」という種類もあるんですが、それには三成の陣の陣幕や旗印は空白にされているそうです。これの理由としても、「絵師が家康に憚ったから」と充分考えられますし、偉い学者の皆さんの中にもそういう結論を出している人がいます。
しかし、江戸も末期に至れば、幕府の権威も失墜し、ペリー来航とか「それどころじゃない事件」もいろいろ発生し始めます。一応は取り締まっていたかもしれませんが、もう昔のように厳しくはできなかったんじゃないでしょうか。そうして、ついに三成の人と成りはもちろん、「大一大万大吉」についても文献に見られるようになってくるのでしょう。
■「大一大万大吉」の意味
「大一大万大吉」は、源平合戦の時代に木曾義仲を討ち取った石田次郎為久という武将が用いていたものを三成が気に入って使ったものだそうですが、一体どういう意味があるのでしょうか。
これは、「一人が万民のために、万民は一人のために尽くせば、天下の人々は幸福(吉)になれる」という意味だそうです。
なんか、学校で言われそうな文句ですが、三成がこれを使用していた以上は、三成の理想というのは、まさにこれに集約されているんだろうなあと思います。三成がほとんど無欲だったことからも、的を射ている文句です。「三成ってどんな人?」と聞かれたら、「旗印のまんまの人だよ」と言えそうです。
ただ、うがった見方もあります。
「大一」はつなげると「天」という文字になるなどの理由から、「三成はやはり天下を狙っていたのではないか」という見方です。
確かに、まったく的外れというわけでもないのかもしれませんが、「大一大万大吉」全体で見ると、根拠的には厳しいですし、判明している三成の経歴から考えても、三成が天下を掠め取ろうと考えていたというのは、ちょっとムリがあるような気がします。
というわけで、石田家の家紋は「九曜紋」ですが、三成は関ヶ原合戦時に「大一大万大吉」の旗印を用いていたのはたしかでしょう。三成は自分の理想を旗印に掲げて、戦いに臨んでいたわけです。
うーむ、実に好感の持てる話しだ…。
ちなみに徳川家康は、「厭離穢土欣求浄土」という旗印を使っていましたが、これは三河一向一揆の際に、一揆に対抗するためだけに用いたのが始まりとか聞いたことがあります。
…こ、これが事実なら三成とは大違いじゃん…。「神君」家康公…。
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徳川幕府は、三成を徹底的に悪人扱いしていましたので、江戸時代の庶民の間にも、基本的には「三成は悪人」としての教えが広まったと思います。史実の追求に燃えるアツイ史家がいたとしても、三成のことを研究でもしようものなら、幕府に見つかって処罰されるわけです。
関ヶ原合戦屏風には、「津軽屏風」という種類もあるんですが、それには三成の陣の陣幕や旗印は空白にされているそうです。これの理由としても、「絵師が家康に憚ったから」と充分考えられますし、偉い学者の皆さんの中にもそういう結論を出している人がいます。
しかし、江戸も末期に至れば、幕府の権威も失墜し、ペリー来航とか「それどころじゃない事件」もいろいろ発生し始めます。一応は取り締まっていたかもしれませんが、もう昔のように厳しくはできなかったんじゃないでしょうか。そうして、ついに三成の人と成りはもちろん、「大一大万大吉」についても文献に見られるようになってくるのでしょう。
■「大一大万大吉」の意味
「大一大万大吉」は、源平合戦の時代に木曾義仲を討ち取った石田次郎為久という武将が用いていたものを三成が気に入って使ったものだそうですが、一体どういう意味があるのでしょうか。
これは、「一人が万民のために、万民は一人のために尽くせば、天下の人々は幸福(吉)になれる」という意味だそうです。
なんか、学校で言われそうな文句ですが、三成がこれを使用していた以上は、三成の理想というのは、まさにこれに集約されているんだろうなあと思います。三成がほとんど無欲だったことからも、的を射ている文句です。「三成ってどんな人?」と聞かれたら、「旗印のまんまの人だよ」と言えそうです。ただ、うがった見方もあります。
「大一」はつなげると「天」という文字になるなどの理由から、「三成はやはり天下を狙っていたのではないか」という見方です。
確かに、まったく的外れというわけでもないのかもしれませんが、「大一大万大吉」全体で見ると、根拠的には厳しいですし、判明している三成の経歴から考えても、三成が天下を掠め取ろうと考えていたというのは、ちょっとムリがあるような気がします。
というわけで、石田家の家紋は「九曜紋」ですが、三成は関ヶ原合戦時に「大一大万大吉」の旗印を用いていたのはたしかでしょう。三成は自分の理想を旗印に掲げて、戦いに臨んでいたわけです。
うーむ、実に好感の持てる話しだ…。
ちなみに徳川家康は、「厭離穢土欣求浄土」という旗印を使っていましたが、これは三河一向一揆の際に、一揆に対抗するためだけに用いたのが始まりとか聞いたことがあります。
…こ、これが事実なら三成とは大違いじゃん…。「神君」家康公…。
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