kawanakajima

今週の大河ドラマは昌幸と、貫禄充分な織田信長の対面と、のちに因縁の関係となる徳川家康(演:内野聖陽さん)との対面が印象的な回でした。

その徳川家康が対面の席で突然言い出した、"三方ヶ原で見たという強い侍大将―"。その名も「武藤喜兵衛」。
放送のなかでは、はっきりとは明言していなかったように思いますが、「武藤喜兵衛」は昌幸の前名。
本能寺の変が起こった第4回時点の年代では、数え37歳の昌幸はすでに「策士」風ですが、その若かりし頃はいったいどう"強い"のか!昌幸の過去を少し調べてみました。


■真田昌幸の幼少期

昌幸を演じる草刈正雄さんは今年63歳。30歳近く若い役をやりながらも、けっこうハマっている気がしてなりません。

その昌幸は、生年は天文16年(1547)とされています。幼名は源五郎。徳川家康より5歳年少。織田信長より13歳年少です。1547年の真田家は、父の幸綱がちょうど武田家に従うようになったころです。
昌幸は三男で、長兄には信綱、次兄に昌輝という2人の兄がいました。

やがて昌幸は人質として信玄の元に送られます。昌幸が7歳の頃です。
ちょうど「真田丸」でも第一話で、真田一家は人質として新府城内の屋敷に住んでいたという描写がありましたが、多くの戦国大名の例にもれず、武田信玄も自分に従う者の妻子などを人質として差し出させて、忠誠を誓わせていたわけです。もし父・幸綱が信玄に叛くようなことがあれば、たちまち殺されてしまうという厳しい役目でもあります。

とはいっても、昌幸の場合は、その才能に注目した信玄によって、その側近「奥近習衆」として取り立てられましたので、そんなに悲壮感のある"人質"ではありません。

「奥近習衆」というのは、いわゆる信玄の秘書のような役割を果たす若衆たちで、昌幸はその中でも最年少での抜擢だったそうです。さらに、通常は特定の重臣だけで行う軍議にも、数人の若衆たちとともに同席を許されるなど、元々人質だったにも関わらず、かなりの英才教育を受けていました。信玄公の期待ぶりがうかがわれますね。


■昌幸の初陣・川中島の戦いと「武藤喜兵衛」になった時期

昌幸の初陣は、永禄4年(1561)の第四次川中島の戦いでした。この時も信玄の側近くで主君を守護する役目についていたようです。

しかし、この第四次川中島の戦いといえば、"信玄公と上杉謙信公の一騎打ちがあった"とまで伝承されるほどの激戦だった戦い。武田家歴戦の勇将たちも、その多くが討ち死にしました。そんななかでの昌幸の様子はといえば。

信玄本陣も危機にさらされましたが、御中間衆、廿十人衆らは信玄の姿を隠すように警護し、昌幸や土屋昌続、長坂源五郎らは信玄の側を離れず、全く動じる様子もなかったといいます。しかし、上杉勢は信玄本陣にも突入したといわれ、信玄を守る先頭で、同僚の初鹿野源五郎は戦死。昌幸は信玄を守り抜き、この激戦を生き残ったのです。
(『大いなる謎 真田一族』p129 平山優著:PHP文庫:2015年9月刊)

…という感じ。初陣で、後に「軍神」とか言われる上杉謙信公の軍と戦って、本陣まで攻め寄せられて「全く動じる様子もなかった」というのですから、さすがにドラマの大胆不敵さは、若い頃から発揮していたのかもしれません。

このように初陣でその「強い侍大将」ぶりを見せた昌幸は、信玄からますます信頼され、信玄の母・大井氏と連なる武田の一族・武藤氏を相続することを命ぜられ、1567年ごろに武藤氏を継いで、武藤喜兵衛と名乗ったのです(名乗った時期は諸説あり)。

…余談ですがこの川中島信玄警護隊の皆さん…。長坂源五郎に、初鹿野源五郎…。昌幸も幼名は源五郎です。ゲンゴローが流行しているな。


■三方ヶ原よりも三増峠の戦いの活躍が知られる

ところで、冒頭に書いたtとおり、ドラマの中で家康がその活躍ぶりを口にしたのは「三方ヶ原の戦い」でしたよね。この戦いは武田信玄対徳川家康の戦いですが、それよりも昌幸の勇猛ぶりがうかがわれるのが、永禄12年(1569)の「三増峠の戦い」です。
この戦いは、信玄公が北条氏の小田原城を攻めたものの果たせずに、甲斐に戻る際、それを阻もうとする北条軍と激突した戦いです。結果的には武田軍が勝利しています。

昌幸はこの戦いでも、信玄公の近習として従軍していましたが、「御検使」(端的に言うと目付的な役割)として、前線の馬場信春隊に向かうよう命ぜられます(信玄は大将なので後方に陣取っています)。
そして、昌幸が馬場隊に着いたところ、ちょうど北条軍が攻撃してきたこともあって、結果的に一番槍として敵陣に斬りこむ活躍をすることになったのです。かなりの勇猛ぶりですね。

さて、ドラマで話題になった「三方ヶ原の戦い」での活躍についてです。
昌幸は、信玄の西上作戦には参加していたようですが、三方ヶ原の戦いでの具体的な働きぶりは史料がないのか、調べた限りではよくわかりませんでした。
でも、参戦していたのなら、若い頃からこれだけの活躍ぶりを見せている昌幸のことですから、役割は確実に果たしていたのでしょうね。


…というわけで、「策士」というイメージが強い昌幸ですが、ドラマ中で家康が言っていた「強い武将」時代がありました。いまは「武藤?存じませんなあ」とシラを切る策士になりましたが。まあ腕っぷしだけが「強い武将」というわけではないですかねえ?


…さて、ここからは余談の感想記↓

今週の"喜劇"(?)部分は、やっぱりこの人・小山田茂誠氏(演:高木渉さん)。
彼は、なんか武将っぽくないところが逆に味が出てますね。

茂誠を匿う作兵衛の家のシーン。信幸が「茂誠どのを匿っているであろう」と乗り込んできた時の、女性衆の茶番劇は、さすがに信幸も気づいていたみたいでしたが、やはり姉の旦那ですからね。信幸も本心としては処分したいわけではないのでしょう。

とはいえ、先日記したとおり、彼は「真面目」が性分。家長になる身としては、本人の意志がどうあれ、やはり主家・武田家を滅亡に導くことになった小山田信茂に与した茂誠氏を許しておくわけにもいかないというところなんでしょうね。家長はツライよ。

一方、不純(?)な理由で安土行きを熱望した松さん(と信繁)ですが、さすがの昌幸もその策謀まではわからなかったようですね(笑)。でも、ラストでは本能寺発生。せっかく織田家に従うことになって一安心と思ったら…。まさに「激動」の天正10年(1582)の戦国模様です。

次週は家康の伊賀越えも見どころですね。次回もお楽しみです。


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