kassen

大河ドラマ『真田丸』ではついに朝鮮出兵が始まりました(真田家は渡海しなかったので仮装で悩んでるシーンばっかだったけど)。

現代では秀吉公ご乱心の所業とも言われるこの出兵。でも劇中でも秀吉自ら信繁に言ってましたよね。「わしの頭がおかしくなったと思っているだろう。そんなことはない。」「太平の世になったと言っても人には働く場が必要だ。それゆえの出兵なのだ。」

「だからって他国を攻めるというのはどうなのか」というのは今回の論点ではないので置いておきます。
重要なのは世の仕組みが変わったからといって「おつかれさーん。もういいよ。これからは政治が得意な人にがんばってもらうわ。」ってわけにはいかないということです。

およそ100年続いた戦国時代。豊臣秀吉が天下統一を成し遂げた時代は、「生まれた時から戦国時代だった」という人たちしかいないようなものです。世の仕組みが変わったとはいえ、いきなり「もう合戦しないから」と言われても、「合戦のない世の中」なんて、イメージすらわいていなかったのではないかと思います。

実際、この転換期に就職問題に直面した人たちも発生しています。
そこで、今回は戦国末期のお仕事事情を、できるだけ当時の人の感覚を想像して考えてみました。


■世の仕組みの革新によって武官と文官の扱いが変わる


まずは気になる「求められるスキルの変化」のお話。「世の中はどんな人を求めているか」です。

国をとりあう戦国の世と、誰もが安心して暮らせる太平の世。世の仕組みが変われば当然必要とされる人材も変わります。想像しやすいように少し極端に考えてみましょう。

戦国の世というのは文字通り戦いが頻発した時代ですから、戦争で力を発揮できるいわゆる"武官"がほしい時代です。武官と一口にいっても、戦争は一人ではできませんからいろんな人材が必要です。思いつきで挙げてみると、「戦略・戦術に優れている」「武術に優れている」「兵士の統率に優れている」…とかでしょうか。
ともかく「合戦で活躍できるスキル」が重用されたはずです。

ところが一方で、太平の世になると戦いはなくなり、領国の経営一本になるわけですから、特に勇猛果敢でなくてもよくなります。むしろ、政略や経理に長けたものが重用されるようになります。必要なスキルは、「政策を考えて実行することや、損得勘定が得意な人材が好まれるようになるのです。
戦場においては敵をバッサバッサと斬り倒して手柄をあげまくっていても、「武勇一辺倒」だった武将は、その活躍の場を失ってしまうわけです。


■豊臣家と徳川家の実例


この「必要とされるスキル変化」の実例として、豊臣家臣を見てみると、大河にも登場している加藤清正や福島正則といった武将は「賤ヶ岳七本槍」と呼ばれ、"武官"として重用されていました、しかし、天下統一の前後くらいには、石田三成のような庶務の処理能力に長けた"文官"タイプがより重く用いられるようになっていきました。『真田丸』の劇中でも秀吉の側に居るのは常に三成ですよね。

これは世の中の変化から見れば当然の流れでもありますが、武勇をもって時代を作った自負のある武官たちは文官たちを「計算しかできぬやつ」と嫌うわけです。 これは現代の会社組織でもありえると思います。

しかし、そこはさすが人心掌握がうまかったと言われる秀吉公です。
「世は変わった」と自覚していますので、三成のような文官を頼ります。しかしその一方で、武官たちにも領国経営に励ませるとともに、彼らが得意な「戦場という働き場」の用意も考えています(もちろん朝鮮出兵はそもそも秀吉の侵略構想通りという説もありますが)。

同じようなことは徳川家にもあります。大河では藤岡弘、さんがかなりいい味出してるあの本多忠勝も(見たまんまですが)武官。
家康公が江戸に幕府を開いてからは、ほとんどお声がかからなくなり、重要されるのは近藤正臣さんが演じている本多正信などの文官です。忠勝が同僚に「最近、殿はわしのことなどお忘れのようじゃ」などと愚痴っていたなんていうエピソードもあるようです。
徳川家でも武官と文官はあまり仲がよくなかったようですね……。

■関ヶ原で無職に…


さて、お仕事事情もう一点の観点は「主家の滅亡による離職」です。

上記の「世の仕組みの変化に伴う必要とされる人材の変化」に関係なく、関ヶ原の合戦に敗れて改易された大名の家臣たちは軒並み職を失ってしまいます。

関ヶ原の合戦で三成に味方した大名たち本人は、家康公に敵対した罰として死罪、流罪、謹慎などの処罰を受けました。結果、「お取り潰し」になった大名も数多くあります。
つまり、現代で言えば、所属していた会社がなくなってしまうのですから、そこに仕えていた人たち(兵士なども含む)は、職を失うことになります。「雇用保険」なんてない時代ですから、無職になってしまえばただちに食うにも困ってしまいます。

といっても、多くの場合は、加増された新領主がそのまま雇ったようです。ただし、処罰を恐れて逃げ回っていた重臣クラスのものや、旧主を慕うもののなかには仕官の道を選ばない者もいました。


■そして、大量の浪人が大坂城へ


しかし、関ヶ原の戦いから14年。必要とされなくなって職を辞した人や、関ヶ原で敗れて無職になった人たちに「大坂城で兵を集めている」という報せが届きます

豊臣家から見れば家康公に対抗するためもあって、この時の「浪人さん大募集」では、なかなかの大判振舞ぶりで、金銀が与えられたようです。

豊臣家には秀吉が蓄えた金銀がまだかなり残っていましたので、そのくらいのバラまきも可能でした。関ヶ原後の長い浪人暮らしで、人生を諦めかけていた浪人たちが「武士としてもう一花」と思いたち、多数集まったというわけです。


…という感じで、お仕事&就活事情を考えてみました。

こうしてみてみると、豊臣秀吉による天下統一は世の仕組みの大変革であり、徳川家康による江戸幕府の確立は世の武士の皆さんの就職事情にも大きく影響を与えていたんですなあ…。

武士以外の皆さんは…いい政治をやってくれりゃええわ。…って言ってたくらいかも知んないけど。

 
↓ぜひブログランキングにご協力ください(クリックで1票)
にほんブログ村 歴史ブログへ
人気ブログランキング