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今日の『真田丸』では大坂の陣直前の軍議の様子が描かれました。塙団右衛門も先週登場していますし、豊臣家臣としては先週大野治房が登場。あとは薄田隼人正兼相でしょうか。"役立たず"の意とされる「橙武者」のエピソードで知られていますが、未登場ですね。

それはともかく、軍議の席では「5人衆」。
主要メンバーは真田幸村、毛利勝永、後藤又兵衛、長宗我部盛親、明石全登の5名。又兵衛がちょっとめんどくさい感じで、先週は幸村に「なんでお前は一人部屋なんだ」と噛み付いてましたし、今週も軍議の席で幸村の策にずっと「不承知!」を繰り返してましたね。。。最終的には賛同してくれてよかったです。

今回語られたそれぞれの「望み」はその経歴に紐づくところがあります。そこですでに皆さんご存知の幸村を除く4人衆の経歴を振り返ってみましょう。

■「自分の力を試すために来た」毛利勝永


毛利勝永は元々父・勝信と共に豊臣秀吉に仕えていた人物で、実際に天正15年(1587)に九州で1万石(4万石とも)を与えられていました。後藤又兵衛が一人部屋の件で幸村に噛み付いていた時に「いや、実はわしも一人部屋じゃ。お主とは格が違う」と言っていましたが、これは元1万石ということから出た発言のようです。
まあ…後述しますが、又兵衛も黒田家臣としてではありますがかなりの高禄だったんですがね…。

そんな勝永ですが、関ヶ原の戦いの時に西軍に属したことから、所領を没収され、土佐に移封された山内一豊のお預けになっていたのです。その頃の暮らしについてはよく調べていないのですが、比較的待遇のいい軟禁状態だったらしく、一計を案じて土佐を脱出し、大坂に参陣したようです。じきにこの時のエピソードも記事にしてみたいと思います。


■「お家再興を胸に」長宗我部盛親


長宗我部盛親は、言わずと知れた四国の雄・長宗我部元親の四男で、元親死後に家督を継いでいます。

関ヶ原時は西軍に属して戦場にもいました(陣所は南宮山の東南麓)ので、戦後に領地を没収されてしまいます。大坂入り前は京都で寺子屋の先生をやっていたというのは、先週ドラマでも明かされていましたね。
ドラマでは「その顔で!?」というプチコメディシーンになっていましたが、結果として土佐一国の大名から無職になってしまったという事実は事実。幸村同様、監視つきで側近や家族と共に京都に隠棲することになっていたのです。で、さすがに生活が苦しいということで、最終的に寺子屋を開くに至ったというわけです。

とはいえ、かつては土佐22万石の大名で、家臣も大勢いましたので、関ヶ原後に他家に仕官できた旧臣などからも仕送りを受け、大坂参陣の際には加勢も得られたといいます。ある書物では5,000人(7,000人以上とも)を従えて大坂に入城したとされています。

■「キリスト教のために」明石全登


明石全登は豊臣五大老の一人・宇喜多秀家の家老です。秀家の姉を妻とし、3万3千石を与えられていました。関ヶ原の戦いでは西軍の主力として戦いましたが、敗戦後に主君・宇喜多秀家は捕縛され、八丈島に流罪。
全登自身は実は縁戚関係にあった東軍の黒田長政を頼り、黒田領内に潜伏、のちここを追われたといいますが、その後、ドラマでも語られたとおり、禁教令を布告した幕府に反発して大坂城に入城しました。

全登は洗礼名をジョアンという相当熱心なキリシタンだったので、キリスト教を禁止する幕府を許すわけには断じていかなかったのです。ドラマでもその熱心さが伝わる演出が見られて感じ入るところがありますね。

■旧主に邪魔され仕官の道を閉ざされた後藤又兵衛


ドラマでは毛利勝永に「おぬしとは格が違う」と言われてしまった後藤又兵衛なんですが、彼は元黒田家の家臣で、武功甚だ多く重臣クラスでした。黒田家は関ヶ原後に52万石を与えられており、この時又兵衛にも1万6千石があてがわれていたのです。
しかし、豪傑気質で主君にも遠慮のない性格(ドラマでもそんな雰囲気ですよね)で、頭はいいものの何かと神経質な長政とはあまりそりが合わなかったのでしょう。やがて仲違いをして黒田家を出奔しました。

ここからが彼の人生の低迷期。黒田の勇将として名を馳せた又兵衛ですから、細川忠興、福島正則、前田利長らは浪人となった彼を欲しがります。福島正則などは「3万石で召し抱えたい」と破格の待遇を提案するほどでしたが、常に黒田長政がこれを邪魔します。他家への仕官を旧主が邪魔する「奉公構い」というやつで、又兵衛の士官を潰していたのです。長政の執拗さは、いっそのこと又兵衛を殺ってしまおうと刺客を差し向けるレベルだったのだともいいます。いやー、しつこいですね〜。モテるタイプじゃねえな。
ちなみになぜ長政がこうもしつこいのかというと、黒田家の重臣として軍事的機密情報も知っている又兵衛から情報が漏れるのを危惧していたと言われています。

このため、又兵衛は長く京で軍学講義などをして生計を立てる生活をおくったのち、大坂城の浪人募集によって大坂に参陣したというわけです。

というわけで。
なるほど、石高で部屋割りが決まるなら又兵衛も一人部屋でもいいですね。何かの手違いかなこりゃ。


幸村以外の4人衆について、主に関ヶ原以降の動向をご紹介しましたが、これ以外にも関ヶ原の戦いで敗れた大名は軒並み大幅減俸か、改易となりましたので、世の中には同じように職を失った武士が溢れかえっていました。
大坂城にはそういった浪人が他にも大勢集まっていたんです。おそらく5人衆以外の面々も各地で苦労してきたことでしょう。世の仕組みが変わる過渡期はいつの時代もこういうことが起こるもんですねえ…。

さて、結局淀のお方様の鶴の一声で籠城することになった大坂勢。「今日の放送分の軍議、一言で台無しじゃねえか!」と思いつつ、史実に沿った展開に!次週は「真田丸」がいよいよ築城されます。
ちょっと「毛利勝永2万で京の家康を攻める」っていう展開見たかったなー。信長の野望で再現してみようかな(笑)。


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