2006年05月

2006年05月27日

空耳アワー


私としたことが、不覚にも昨日「赤池駅」という固有名詞を書いてしまった。これによって私の生息区域などのプライバシーが知られてしまう恐れがある。
 しかしそんなことはどうでもいいのである。私は開き直り、修正などはしない。だから今回は「赤池駅」について語ろう。

 話は前回へ戻る。あの後、バスに揺られていたときの話だ。
 どういうわけか、バスでも電車でも飛行機でも、日本はアナウンスが大好きである。「次は赤池駅。終点です」などと流れてくるわけだ。私はここで「はて?」と思うのである。理由は簡単。「赤池駅」が「赤いケーキ」と聞こえたのだ。逆に「ミルクセーキ」は「ミルク精液」に聞こえるであろう。「チンスコウ」は「チンコ吸う」、「ミッション・インポッシブル」は「ミッション・インポしゃぶる」と聞こえるに違いない。

 しかし、これは私の耳が悪いのではなく、喋る奴の発音が悪いのだ。


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2006年05月26日

急がばまわれ


 雨の日は憂鬱だ。土日なら大歓迎なのだが、平日の雨はよろしくない。バスに乗らなければならないからだ。

 私は電車で赤池駅というところまで行き、そこから自転車で学校まで行くのだが、雨が降るとバスに乗らなければならないのである。私はバスが嫌いだ。車酔いをするからである。車酔いをする人は車には乗りたくないのだ。

 しかしまあ、それでも歩いて行くにも面倒だし、時間もかかる。仕方ないから私はバスを待った。
 現在時刻は一七〇七時(ひとななまるななじ、と読もう)、一七〇五時のバスは行ってしまったから、次は一七二一時(ひとななふたひとじ)だ。まだ14分ある。対岸にはサークルKがあるが、面倒なので突っ立っていることにした。

 雨が降っているので本(「戦場の人間学」柘植久慶)も読めず、携帯(「W−ZERO3」ウィルコム)も使えない。どちらにも水分に弱いという欠点がある。私は何もしないをすることにした。
 何もやることがないと困ったもので、とりあえず小説の原案なんかを練ることにした。私はこれでも文筆家業を志す者であり、このブログは私が小説を書いたとき、少しでも買っていただけるお客様を確保するためのものだ。
 しかし、いいアイデアやストーリーはなかなか浮かばないもので、半端な内容のものしか浮かばない。半端物を世に出すと「痴漢の千佳ちゃん」の二の舞になってしまうので、半端物でもしっかりとしたストーリーを考えるのに必至だった。

 ちょうど「美人局」という単語が思い浮かんだときには辺りには人も集まっており、バスも遠くに見えた。
 対岸を見ると、同じ高校の女生徒が道路を横断しようとしているのが目に入った。この道路は片側一車線のわりにはやたら交通量が多い。私は即座に不可能だと思った。
 しかし、女生徒は諦めない。期をうかがっては一歩踏み出し、車を確認しては一歩戻った。私は暇潰しにこの女生徒を観察することにした。人間観察は文章を書く上で役立つと聞いたことがある。
 女生徒はメガネ、デブ、不細工の三拍子揃ったパーフェクト・レディであり、それに鈍くささが加わっているようだった。私より年齢は上であろう。観察で確認できたのはこの程度である。

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 さて、では図1を見ていただこう。この図は女生徒とバス停、そして周辺にあるものの位置関係を記した物である。黄色い丸が女生徒であり、赤い丸がバス停である。これは女生徒が黄色い傘をさしていたことと、バス停が赤いことに基づいている。
 この図にあるように、近くに交差点が有るのだが、学生、教師に至っても専ら信号無視である。信号が近くにあるのに、そこを無視して何もないところを渡る、という意味だ。女生徒もまた、その類であった。
 どんどんバスは近づいているが、女生徒はまだ渡って来れない。彼女は決心し、図2の状態になった。

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 何だかJAFの機関誌のようだが、「危ない状態」である。上の車は停止をしている。上の車が邪魔になり、下の車からは女生徒が見えない。案の定、女生徒ははねられた。
「バコッ」と音がし、女生徒は倒れた。スカートの間からハム(豚のもも肉)が覗き、黄色い傘は投げ出された。が、少女は即座に立ち上がった。女生徒がデブであったことと、はねた車が徐行していてくれたおかげで、女生徒は無傷だったのである。
 もちろんバスを待っていた一同が注目した。その中に高校の教師がいたので、彼は即座に現場に駈け寄っていった。車からも白髪のサラリーマンが降りてくる。
 私は隣に立っていた男学生に話し掛けた。
「馬鹿だねぇ。横断歩道を渡ればいいのに」
「はねられた方に非があるね」
 ちなみにその男学生との面識はない。

 その会話の最中にバスが到着し、我々は乗り込んだ。ついに女生徒は一七二一時のバスには乗れなかった。急がばまわれとはまさにこのことである。

 しかし今後のことを考えるとひいたサラリーマンが可哀想に思えてならない。人をはねたという罪の意識が生まれるし、罪に問われる可能性もある。時間も無駄になった。女生徒には土下座で謝罪、賠償をさせたいものである。


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2006年05月25日

童謡ってどうよ?


 日本は素晴らしい国だ。何が素晴らしいって、すべての日本人は幼稚園にいるころから英才教育を施しているのだ。様のつく愛子君も例外ではない。
 その教育のいい例が童謡である。「大きなくりの木の下で」など、いい例のいい例だ。まず、歌詞を見てみよう。

大きなくりの木の下で あなたと私 仲よく遊びましょう 大きなくりの木の下で

 この短い歌詞には深い、深い意味が隠されている。表面だけではなく、違った見方をしてみよう。それは少し漢字の変換を変えるだけで視点を変えられる。

大きなクリの木下で あなたと私 仲よく遊びましょう 大きなクリの木下で

 ま、要約すると「あなたと私でクリトリスの大きな木下さんで遊ぼう」=「あなたと私でクリトリスの大きな木下を輪姦しよう」という意味になる。
 なんということか。幼稚園児に3P、レイプを推奨する歌なのである。

 私もこれを歌い、育った者であるが、この歌を聞いて育つと十中八九変態になるようである。最近売春少女が増加しているのも、SEX初体験年齢が低下しているのも、全てはこの歌が原因である。

 なんか締めくくれないからこれで終わりにするね。


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2006年05月24日

六大ジャパンをなめんなよ


 サムライ、ハラキリ、ゲイシャ、スシ、テンプラ、フジヤマ
 今挙げた六つ、これは欧米人の知る、日本についての知識の限界である。これを私は六大ジャパンと呼ぶことにした。
 さて、現代は国際化だのグローバル化だのが叫ばれて久しい。世間じゃ「英語が喋れないと仕事はない」などと言われるほどである。しかし、私はそれだけでは駄目だと思うのだ。
 スーツを着て、ハンバーガーを食い、「オー、ハロー、ミスタープレジデント」などとイングリッシュでビジネスをするだけでは本当の国際化とは言えない。これじゃあただのアメ公である。曲がりなりにも我々は日本人だ。もっと、日本の文化と日本の誇りを持って英語で仕事をするべきなのだ。
 しかし、先刻も言ったがアメ公は日本のことを何も知らない。知っているのは六大ジャパンだけである。彼らに日本流の恥じらいと曖昧の文化を見せつけても、彼らはそれが日本流であることに気づかないだろう。ここで、六大ジャパンが重要になってくるのである。
 六大ジャパン=日本そのもの、というのがアメ公の考えであるから、つまりはその六大ジャパンをもって欧米人と接してこそ、真の国際化と言えるのではなかろうか。
 着物を着て、寿司や天ぷらを食い、「オー、ハロー、ミスタープレジデント」と英語で仕事をし、もし仕事が失敗するようなことがあれば切腹をして責任をとるのである。
 もし日本中がこのような行動をとれば、日本のイメージをより一層強く焼き付けると同時に、「日本人は死をもって責任をとる、誠実な人種だ」と各国の評価はうなぎのぼりである。

 近頃「愛国心、祖国愛」などとうるさいが、そんなことを言う前に六大ジャパンから始めたらどうか。国会議員は皆着物、浴衣もあるからクールビズ対策もバッチリである。外交官などは日本の正装、紋付袴で外人と交渉をする。防衛庁などは二本差し。
 赤線も認め、芸者街を作り、諸外国の外交官を接待する場にする。すると外人は皆「日本の女性は恥じらいがあって素晴らしい」などと感動して日本に有利に動くことだろう。

 なんと素晴らしいことだろうか!
 教育基本法に「六大ジャパン」を盛り込んで欲しいものだ。意味は「日本の象徴であり、文化を愛し、世界にアピールすること」とでも答えればいい。公明党はこの考えを汲んでくれないだろうか。


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2006年05月03日

出る物は仕方がない


 最近やたらと放尿回数が多い。普通は暖かくなればなるほど回数は減るものなのだが、逆なのである。
 ついさっきもか厠へ行ったばかりなのだが、これは最近流行りの「頻尿」というやつなのではなかろうか?と放尿しながら思い至った次第である。
 放尿が体にどう悪いのかはわからないが、小便ばかり垂れているのは心にはすこぶる悪い。これが「貧乳」だったらどれだけいいことか。私の放尿器はすぐさま生殖器へと変わるであろうに。


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2006年05月01日

買うな買うな損するど


 俺は今、憤慨している。何故かわかる奴はいるか?いや、いやしまい。いる訳がないのだ。
 まず、私が今日コンビニに行ったことを知っている者がいない。そしてそこで何を買ったのかも知らないだろう。それを知らなければ何故俺が憤慨しているかもわからない。
 知らざあ教えてやろう。俺が買ったのは[スウィーティー ハイグレード]なる雑誌である。これは成人向け雑誌のコーナーに置いてあり、半透明の青いテープでとめてあり、開けないようになっている。ちゃんとしっかりした成人誌というわけである。
 このスウィーティー某なる雑誌にはDVDが付属しており、表紙に「アソコまでクッキリ分かる超ハイクオリティ&過激映像がたっぷり収録されたDVD付!!」「何度観てもビンビンになれるHG!過激ムービー収録DVD付き」と書いてあることからそれは疑いようのない事実である。

 考えの浅いお方は「DVDが入っとらんかったから憤慨しとるのか」とお思いであろう。しかしそれは違う。DVDはしっかり入っていた。傷一つなく、再生もできた。しかし、俺は憤慨しているのである。

 諸君は「過激映像」「過激ムービー」といったらどんなものを想像するであろうか?俺は3PやSMなどを想像していた。あるいはあられもない体位か。とにかく諸君もそんなものを想像すると思うのである。しかし、現実は違った。
 まず、挿入はおろか、Bすらない。モデルが脱いで、バックにウザイ音楽が流れ、それだけである。

 どういうことか!セックスしないで何が「過激映像」だ!と、こういう次第なのである。成人向け雑誌に「過激映像」と書かれていたら、それはもう、凄まじいセックスを想像するのが人の常である。しかしこれはなんだ?ウザイ音楽が流れて女が脱ぐだけ、これのどこが過激映像なんだ?ストリップの動画なら「過激映像」だが、ただのヌードモデルが服を脱ぐだけの、どこが「過激映像」なのだ?

 まったく気に食わない。これで880円も無駄にしてしまった。ジャロに訴えてやろうかしらん。


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