ストーリーの中の重要なメタファー「殺意」について 【ネタバレしています】

龍の歯医者

自分が銃を向けることによって相手の殺意を引き出し、それを利用して相手を殺してしまうというのは立派な「計画殺人」で、犯罪という観点からは、ベルくんはわりと罪が重い犯罪者になると思います。

確実に相手を殺せるという行動だったのなら、彼にも充分な「殺意」は存在しているわけで、それは見逃してはいけないのではと思っています。そしてその「殺意」を持ちながら、直接自分では行動せずに「罠にかけて」殺人をしているのですから、とても卑怯なやり方です。くりかえしになりますが、自分の行動が相手にどういう結果をもたらすのか冷静に判断しての「計画殺人」なわけですから、情状酌量の余地はとても少ないケースにあたると思います。

そして、この状況に限っていえば、先に銃口を向けているのはベルくんなので、ブランコの行為はやりすぎかもしれませんが「正当防衛」の範囲に当ると思われます。実弾の込められた銃を人に向ける行為について、ちょっと軽く考え過ぎなのではないかと思います。毒の入った飲み物を渡したり、紐を首に巻きつけたり、ホームで電車を待っている背後から気づかれないように近づいたりとか、そういう行為と同等なはずです。

まあこれが普通に「市民」同士の殺し合いだったらそういう判断が妥当なのかもしれませんが、「戦時下」での出来事で、双方の所属がどこなのかどこにあるのかとか、殺人の目的が私利私欲に属するのかとか、そういう前提条件が追加されるのですが、そうなると余計にベルくんの行動は「不適切」という判断をせざるを得ないのですけど…

百歩譲って、ブランコが極悪人で彼を止めないと社会に対して悪影響をを及ぼしてしまうとして、それを個人の判断で決定して粛清してしまうというのはとても危険な思想だというのが僕の考えで、それをストーリーの「オチ」の部分に持ってくるというのは「どうかな?」と思ってしまうのでした。

ストーリー的にはそういった人間同士のドロドロとした感情とは全く関係のないところで、(例えば人間同士の感情の入り込む余地のないものとして、「龍の意思」によって排除されてしまうとか)世の中というか、時間は流れてゆくようなイメージ(悪人とか善人というのは人間同士の価値観によって持たされるもので、もっとマクロ的な視点からは重要ではない)で締めくくるのが「シンゴジラを作った人」っぽいのではと僕は感じたのです。

「龍」という存在がとても大きくて、その理由をもう少し説明してくれないと全体が消化不良を起こしてしまうように感じました。そして、「戦争ダメ/平和大好き」をテーマにストーリーを作るのであれば、新しい「何か」を燃料として投入してくれないと「今さら感」は否めないと思います。

なにも、頭から否定するつもりはなくて、結局のところ、アニメ業界のリベラル思考とはどうしても相容れないものが僕の中にはあるのだなあということを再認識しただけだったのかもしれません。