まぁ坊の思いつくまま考古学日記

学芸員のまぁ坊が仕事や研究で訪れた遺跡や古墳を紹介。学芸員としての雑感や、一緒に暮らす猫のこと、読んだ本についても紹介していきます。

2012年05月

2012.05.30 大変だぁ〜

 新しい職場での勤務が始まってもうすぐ2カ月が経とうとしています。
 3年後に入館者数を昨年度比の2倍にするべく、あれこれ考えているのですが、現状で見えてきた問題点とその改善点が具体的に浮かび上がってきました。
 大まかに言うと、周知・広報の徹底とパンフレット等提供資料の充実に絞る事ができるのですが、それを行っていくための準備にてんやわんやしています。
 やらないといけない事とやっておいた方が良い事が乱立し過ぎて、軽くパニック状態です。
 優先順位をつけた方が良いのは分かっているのですが、どれも最優先に回した方が良いものばかりと言うか、どれかが欠けてしまっても先へ進めない感じになっています。
 なので、何か作業を行っている時でも他の何かが気にかかってしまい、すっきりしません。
 足元をしっかり固めておかないと良いものはできないので、今は我慢の時かな。
 幸い、どれも自分がやりたい事なので意欲的に取り組めているのと、一緒に仕事をしている新人学芸員さんが積極的なので、助かっています。
 家ではのんびりブログの更新をしたいのですが、しばらく慌ただしい日々が続きそうです。

 まぁ、それでも楽しい訳さ。

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2012.05.25 里観音寺の石棺、石棺仏

 西山大塚古墳から東に400メートル程離れた所に里集落があり、集落の中にある里観音寺(堂)へ向かいます。

里観音寺の石棺01
里観音寺
 里観音寺の境内に入ってすぐの所に石棺蓋が2基安置されています。

里観音寺の石棺02
向かい合う石棺蓋
 塀が邪魔をして見えないのですが、境内入口のところに、お互い見つめ合うような感じで安置されています。ここでは便宜的に写真左側の石棺蓋を東棺、右側を西棺と呼ぶことにします。

里観音寺の石棺03
東棺(西から)
 まずは東棺。刳り込み部分には仏像や種字が彫られているわけでもなく、無加工な状態です。

里観音寺の石棺04
東棺(北東から)
 家形石棺の蓋を転用したもので、風化のため稜線がやや不明瞭になっていますが、元は丁寧な作りだったようです。縄掛突起は無く、打ち欠いた跡も見られないので、はじめから存在しなかったようです。

計測値は以下のとおり
里観音寺の石棺(東棺)

里観音寺の石棺05
西棺(東から)
 続いて西棺。こちらも刳り込み部分には仏像や種字が彫られているわけでもなく、無加工な状態です。裾の一部が打ち欠かれています。

里観音寺の石棺06
西棺(北西から)
 東棺と同様、家形石棺の蓋を転用したものです。東棺に比べると稜線は明瞭に残っていて、丁寧な作りであることがよく判ります。縄掛突起は無く、やはり打ち欠いた跡は見られないので、はじめから存在しなかったようです。

計測値は以下のとおり
里観音寺の石棺(西棺)

 東棺、西棺共に 地表面より約15センチ上の部分からの風化による白化が著しく、元々その部分が地表面に露出していたものの、設置し直したのか、あるいは別の場所にあったものを現位置に移したものと思われます。どちらにしても東棺と西棺で設置に際してバランスを取る配慮があったことが伺えます。
 内面、外面の白化具合から東棺は内面側に西館は外面側に傾斜するような状態で設置されていたことが伺えます。

里観音寺の石棺07
里観音寺の石棺仏
 堂の西隣には、里観音寺の石棺仏と呼ばれる石棺仏があります。

里観音寺の石棺08
里観音寺の石棺仏
 板状の石材に舟形光背をもつ阿弥陀如来坐像が彫られています。

里観音寺の石棺09
北から
 阿弥陀如来坐像を彫る際にかなり石材そのものの改変があったようで、側面から見ると結構歪な状態になっています。組合式石棺の側石であったと考えられます。
 露出している部分の長さ98センチ、幅55センチ、幅12センチ〜7センチを測ります。


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2012.05.24 里古墳

 西山大塚古墳のすぐ北に里古墳が立地しています。

里古墳1
前方部(南西)から
 「これも古墳ですねん」と言われないと本当にスルーしてしまいそうになるぐらい封土は削平されています。全長約45メートルの前方後円墳なのですが、形状も著しく損なわれています。
 もう、面影すら残っていませんでしたが、墳丘の周囲には盾形の周濠を巡らせていました。また、前方部北西隅から墳丘へ登る陸橋が発掘調査で検出されています。

里古墳2
前方部(北西)から
 墳丘の法面には竜山石の葺石が葺かれていて、墳丘平坦面では円筒埴輪列が検出されています。埋葬施設は検出されませんでしたが、後円部から画文帯神獣鏡が出土しています。

 出土した埴輪から、築造年代は5世紀末と考えられています。

――――――――――――――――――――――基本データ――――――――――――――――――――――
古墳名:里古墳
所在地:兵庫県加古川市平荘町里
墳丘形状:前方後円墳
墳丘規模:全長約45メートル
埋葬施設:―
埋葬施設規模:―
棺:―
出土遺物:埴輪(円筒)、画文帯神獣鏡
指定:―
報告書等:―
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

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