駅ヶ池から南に400メートル程離れたところに古大内の墓地があります。この墓地の中に古大内の石棺と呼ばれる石棺があります。

古大内の石棺01
北から
 古大内の石棺は五輪塔の前に安置されているのですが、石棺の転用の在り方として何か意味があるのかなぁ。

古大内の石棺02
やや上方から
 古大内の石棺は刳抜式石棺の身なのですが、後方の五輪塔に対する手水鉢になるのか、はたまた供物台になるのか…。ただ手水鉢にしても供物台にしても水抜きの加工は見られませんでした。
 個人的な印象として、供物台とするにはやや深すぎるだろうと思うのですが、手水鉢とするならば五輪塔の前に設置する意味が見出せないし、それ以外の用途があったのか、そもそも五輪塔との関係は?分からない事だらけです。

古大内の石棺03
北西上方から
 大手前女子大学考古学研究会編『加古川市の石棺と石棺仏』に掲載されている写真を見ると、昭和50年代頃までは、かなり荒れていたようで、後方にある五輪塔も崩れてしまっていて、水輪の部分が石棺のなかに落ち込んでいる状態でした。
 そもそも現状が本来の姿だったのかも怪しくなってしまいます。

 計測値は以下のとおり。
古大内の石棺05


古大内の石棺04
口縁部に穿たれた盃状穴
 口縁部の至る所に盃状穴が彫られていました。現在は線香立て代わりに用いられていましたが、線香は盃状穴の意味が判ら無くなった江戸時代末期に普及したものなので、この使われ方は2次的なものなんだと思われます。
 仮に五輪塔と転用石棺がセットであるならば、盃状穴が彫られるようになったのは室町時代以降と考えられるのですが、“たら”“れば”ばかりの推測になるので、何ともいえないのがちょっともどかしい感じです。


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