2006年01月14日

養護施設は愛情乞食の愛情を奪い合う場所

たぬき2


 今回のブリトニーさんの書き込みは、とても衝撃的なものだった。
養護施設では、職員に愛着を持つことは許されないことだと思っていたの。
あたしは、しばらく呆然としていた。そして、敗北感にうちひしがれた。

 でも、少しずつ当時の様子が思い出されてきたの。養護施設で、子どもが職員と愛着を持つことができるのか、整理するわね。

 養護施設の職員の配置基準は、子ども6人に職員一人なの。子どもが60人いる施設では、10人の職員がいる。その職員が、公休や年休をとりながら、日勤・夜勤をすると、勤務時間中に一人で24人の子どもを見ることになるの。いいかえると、職員3人で60人の子どもを見ている計算になる。厳密に言うと、シフトをずらして子どもがいる時間帯に配置を厚くしたり、朝と夜に勤務し昼間はお休みする断続勤務などで、4〜5人で60人の子どもを見ることになるの。
それでも、職員一人で15人ほどの子どもを見ることになる。

 さらに、職員の平均勤続年数は3〜4年なの。単純計算では、10人の職員が4年で全員入れ替わることになるの。

 職員が、一人の子どもだけを可愛がったら、養護施設では大問題になる。どの子どもも、自分だけかまって欲しいけど、15人で一人の職員を奪い合うことはできないから、どの子も我慢している。みんな我慢をしているから、自分も我慢せざるを得ない。みんな平等に持っていないから、我慢しているのが養護施設なの。
だから、特定の子だけを可愛がったり、特別扱いしたら、他の子たちから「ひいきだ、ひいきだ」と文句が出て、大騒ぎになり施設運営ができなくなるの。

 さらに、ひいきされた子は、他の子からいじめられたり、集団リンチを受けたりする。ある里親家庭に引き取られることが決まった子は、それを他の子に漏らしたから、集団リンチを受け、さらに小学生なのに他の子たちから集団レイプされた。それほど、抜け駆けを許さない子どもたちの怒りは強いの。

だから、職員は、みんな平等に扱おうとするの。

 まず、職員が子どもに愛着を作らせない。
「後追いさせるのは保母失格」という言葉に表れるように、愛着形成の初期状態である「後追い」をさせないように、子どもとの距離を一定に保つのが職員としての心得であるのね。


 さて、ブリトニーさんは、頭を使ったり、可愛がってもらえば職員との愛着ができるといった。

 もし、本当に自分だけを特別扱いにしてもらっていたのなら、いくつかの問題があるの。

 病弱・虚弱な子や心を病んでいるなど、特別扱いされても仕方ないと、他の子が認めるような子は、あの子なら仕方ないと許されるの。でも、おもしろくないと思う子がいて、チクチクいじめるかもしれない。

 また、絶対的に力の強い子どもたちのボスだったら、子どもたちも不満に思いながらも、力では勝てないから黙っていると思うの。でも、最上級生にならないとボスにはなれないし、職員に一人甘えていたらなめられて、他の子たちからボスの座を引きずりおろされると思う。

 職員が力で強力に支配している施設では、職員のお気に入りとして可愛がってもらえると思う。子どもたちは、「あいつは職員のペットだ」と陰口を叩きながらも、職員の暴力が恐いから、表向き黙っているの。

 あとは、他の子に隠れて職員と仲良くするの。職員室や宿直室にいるときだけ部屋に行って仲良くするの。お互いに隠さなければならないとわかっているから、普段は、他人行儀な態度をとっているの。

 いずれにせよ、特別扱いされた子は、職員の気持ちが変われば、特別扱いされなくなるのを知っているから、懸命に職員にゴマをするの。他の可愛い子や素直な子や頭のいい子など、たくさん出てくるし、自分だけをいつまでも見てくれるという根拠も、自信もない。いつ辞めるかどうかもわからないの。職員の気持ちに依存しているから、不安定で不確定な愛着でしかないの。
 それに、辞めたしまったら、それっきり。自宅の電話番号を教えてくれるわけでもないし、一生つきあってくれるわけでもない。施設で給料をもらっているから相手をしてくれているだけ。

 子どもたちの、数すくない職員の関心を奪い合う姿は、まさに愛情乞食が地面に落ちた愛情のかけらを拾い集めている気がするの。

あたしは、愛情(らしきもの)のかけらをお情けでもらうのは耐えられない。
無条件の丸ごとの愛情、あたしだけに向けられた無条件の愛情なら欲しい。
だけど、勤務時間中のパートタイムの細切れの愛情はいらない。
それを愛情だとは思わないけど。


 だから、職員の関心を呼ぼうとか、かまってもらうおうとか、自分だけに目を向けさせようとか、そんなことは一切しなかったの。


あたしは乞食じゃあない。職員のお情けの愛情もどきはいらない。
他の子に内緒でお情けなんか欲しくない。
一人だけ抜け駆けしてお菓子をつまむより、他の子と一緒に空きっ腹をかかえて生きる。
誇りを失ってまで、職員に媚びる気持ちはない。



他の子に関心を向けない、自分だけの大人。
それは養護施設では絶対に得られないの。
他の子に抜け駆けして職員の関心を集めても、
愛情欠乏餓鬼の愛情飢餓に狂った姿でしかない。


 あたしは、改めて思うわ。
子どもたちを里親家庭に出し、だった一人の子どもとして溢れんばかりの愛情に包ませたいと。

 可愛がってもらうために努力する子どもは哀しい。努力しないでも可愛がってもらえるのが子どもの本来の姿。子どもの可愛さとは、可愛がってもらおうと努力することではない。なにもしなくても可愛がってもらえる子どもは、子ども自身の中から可愛さがあふれ出てくると思うの。


全ての子どもを、
愛情を奪い合う養護施設ではなく、
愛情に溢れる里親家庭で育てて欲しい。
養護施設に勝者はいないのよ。
養護施設にいる子は、みんな敗者なのよ。


maria_magdalena at 09:32│clip!施設は地獄よ | 生きのびてね

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この記事へのコメント

1. Posted by ちびこ   2006年01月14日 18:41
Mariaさん、はじめまして。なぜ、私はあなたとレイさんの言葉に魂を感じるのでしょう。施設育ち、家庭育ちは別にしても、心を揺さぶられるんです。里親家庭のことも応援してますが、私はあなたとレイさんに何かしたいと無性に思ってしまいます。(変な意味に取らないで下さいね。文才が無いもんで・・。)こんなに素晴らしい人間に生きてくれて頭が下がります。
2. Posted by ARAMID,M   2006年01月15日 01:18
5 Mariaさん、お久しぶり。
「魂の叫び、ここに在り」。
どうかご自愛下さいますよう・・・
3. Posted by kasumi   2006年01月15日 14:21
Mariaさん、そうですね、努力を必要としないのが無償の愛。
もっと、児相が里親を信頼してもらえるようになんとかしなくちゃ・・と思います。
私は地域の乳児院をつぶしたいと、ひそかに思っています。

4. Posted by レイ@共同管理人かな   2006年01月16日 15:22
5
ブログのデザインを、変えてしまった。

 デザインタイトルは

 in to the light  となっております。

 急な心変わりが起きてしまいました。
5. Posted by 七氏   2006年07月17日 16:43
宗教観で慈愛を持ったお話よくわかりますが、自らをマリアとつけるのは如何なものか、客観的で事務的な表現では否定するばかりです。中傷きちんと受けとめ改善すれば
良いことですが。簡単にはいきません。キリスト気取りもいかがなものか。言葉はきれいが、努力者が読めば傷つく。あなたは宗教者気取りの慈愛のない人だ
6. Posted by Maria Magdalena   2006年07月19日 00:52
七氏さん、「名無し」を気取っているのかしら?

あたしの洗礼名の「マグダラのマリア」を名乗るのが、何がいけないのかしら?

マリアといえば、聖母マリアしか思いつかないのかしら、あなたは。

「キリスト気取り」という言葉も、キリスト教のことを知っていたら言えないセリフよ。

まあ、あのオウム真理教の麻原も、キリストの生まれ変わりといっていたから、無知な人ほど、そういう言葉が出るのは分かるけど…。

ちなみに、あなたは、養護施設の職員なのかしら?
7. Posted by コメントした者   2006年07月21日 02:08
横レス、失礼!七氏、あなた厚顔無知ですね。キリスト教徒でなくても「マグダラのマリア」は普通の大人なら知っているでしょうー。アグネス・チャンのアグネスもクリスチャンネーム(ファーストネーム)ですがな、ちなみに彼女もカソリック。