2020年05月27日

日本美術史 飛鳥時代の仏教彫刻2

受講生のみなさん

はじめに
 それでは授業を始めます。その前に、先週のコメントペーパーから。
・象徴的図像としては、仏塔、菩提樹、宝輪の他に、足跡で釈迦がそこにいることをあらわす例がありますね。仏伝図を浮彫で造形化するところから始まって(日差しが強いから浮彫が映える)、仏伝のなかから単独の説法図が選ばれます。教義というよりも仏伝ですね。
・写実的かそうでないかの違いは、その時代の仏師や、注文主の造形感覚の違いでしょう。
・国家のアイデンティティを確立するために、源流探しをするのかもしれません。ガンダーラとマトゥラー、来週お話しする韓国国宝83号の百済説と新羅説など。
・おっしゃるとおり蘇我氏が勝ってくれなければ、仏教彫刻の講義はできませんでしたね。
・『日本書紀』には「釈迦佛金銅像一軀」とあるので、北魏様式を受容した百済の小さい金銅仏だったかと考えられています(釈迦如来の単独像)。『善光寺縁起』には聖明王云々とありますが、善光寺像の箔付けでしょう(善光寺像って秘仏で誰も見たことがないんですよね。ホントにあるのかないのかわからないのです)。
・『日本書紀』の信憑性が低いのは、他の史料との年代観の相違だと思います。
・焼け残った部分を再利用するほうが、一から造るよりも難しいと思います。
・釈迦三尊像は金堂のなかに安置されていますし、背面には大光背があるので、後ろや横から見ることは想定していなかったのだと思います。法隆寺の公式ホームページの写真ではわかりにくいかな。
・かつては最新の技術とスタイルをもった造り手であっても、次々に入ってくる最新流行を取り入れなければ、古くさくなってしまいますよね。でもまぁ、旧態依然としていたほうがよいという価値観もあるわけです。守旧派がいて革新派がいて、何が選び取られるかで様式は展開していきます。様式は決して自立的に変化するのではなく、造り手やパトロンによって選び取られ、変わっていくのだと思います。
・聖徳太子は、画像も彫像もありますし、聖徳太子信仰に基づく仏像もありますので(来週お話しします)、美術史上では実在の人物ですね。
・エンタシスと胴張りは、構造的には同じだと思いますが、影響関係はないので、同時多発的に発生した別物ですね。
・文様というのは葡萄唐草文でしょうか。葡萄唐草文の起源はアッシリアと言われています。アッシリアからギリシアへ、アッシリアから西域を通って中国、朝鮮半島、日本に伝わりました。ギリシア文明から日本へというルートではないのです。

 さて今日は、奈良・法隆寺の夢殿に安置されている救世観音像と、大宝蔵院に安置されている百済観音像と玉虫厨子を中心に、3種類の違いについてお話しします。ひとつめは制作工房の違い、ふたつめは制作年代の違い、みっつめは絵師の違いです。→続きを読んでください。文章が途中で切れていたらリロードしてください。全部出ます。長文なので、読みやすいように段落ごとに1行空けています。続きを読む

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2020年05月25日

絵巻 「源氏物語絵巻」概説

受講生のみなさん

はじめに
 それでは授業を始めます。その前に、先週のコメントペーパーから。
・絵巻以前にも絵は描かれていましたが、巻物の形は中国から入ってきました。見返絵が描かれた経典はたくさんあります。
・江戸時代以前は、文化の流れは中国から日本への一方通行でしたから、日本文学の中国語訳はなかったですね。今は、『源氏物語』は英訳をはじめとして、世界各国で翻訳されています。また『源氏物語』は絵巻だけではなく、冊子、扇面、色紙、屏風、能、現代では映画、宝塚歌劇、漫画にもなっています。
・一葉と呼ぶのは、断簡が葉っぱに似ていたからなんでしょうね。
・ラブロマンス系の絵巻が小さいことについては、誰も論じていません。女性が(もちろん男性もですが)手に取ることを考えて、小さめなのかもしれません。そもそも、日本美術史の研究成果というのは、最近でこそ大学の紀要がネット上にアップされるようになりましたが、『美術史』や『国華』という学術雑誌は紙媒体でしか読むことができません(図書館に入っています)。美術館・博物館の公式ホームページ以外のネットの記事は怪しいと思ってください(私のブログも含めて・笑。間違いに気がついて、あとで書き直したりしているしね)。
・絵巻は、広げるのはそうでもないのですが、巻き戻すのが難しいのです。調査でたくさんの絵巻を巻き戻さなくてはならないと泣きたくなります(たいてい私が巻き戻す係なのよね)。
・右手が過去で、左手が未来というのは、千野香織さんのことばなんですよ。秋学期には複製をお見せしましょう。
・「絵と文字を同時に楽しむ画期的な方法が楽しまれていたのだろうか」。まさにそのとおりです。だから漫画のルーツと言われているのです。
・「源氏物語絵巻」東屋第一段には、女房が冊子本の詞書を読んで、浮舟が絵を見ている場面が描かれています。読み聞かせのルーツですね。
・絵巻は大量生産できませんので、ほぼ一点物です。だからこそ、権力者の意向を解明するための研究対象になり得るのです。大量生産できるようになるのは、江戸時代の版本からですね。

・蘇芳と臙脂は同じような赤紫色なのに、どうして両方使ったのでしょうね。女性の装束うち長袴は、未婚者は濃色(紫色)、既婚者は緋色という決まりがあったので、塗り分けていたのかもしれません(一度調べてみようと思ったのよね。でも経年劣化した蘇芳と臙脂を見分けるのは難しいのだ)。
・以前は、鉛白の白粉を使っていた役者が鉛中毒になったそうです(鉛白は顔がきれいに映るそうです)。今では鉛白の白粉は禁止されています。絵師は、顔に塗るわけではないので、扱いに注意すれば大丈夫だと思います。丹と朱も毒性が強いのですよ。
・学生時代、絵具を買っていた画材屋さんは、谷中の得応軒です。https://www.tokuouken.co.jp/ 天然の岩群青が15グラムで4667円ですって!
・絵具の細かさについては、得応軒のホームページを参考にしてください。濃い色はサラサラした砂ぐらい、薄い色は飲みにくい胃薬ぐらいの細かさです。
・絵具が剥落するのは、保存状態が悪かったせいもありますが、膠が経年劣化で接着力が低下するのも要因です。
・膠の融点は低いので、灯明を近づけ過ぎると溶けてしまうかもしれませんね。
・顔料ではありませんが、油の灯りで金箔がキラキラ輝くのはVRで再現しました。7/18から東京富士美術館の展覧会で展示予定です。
・日本の絵画は、絵巻に限らず、100年に一度は修理をする必要があります。明治時代以前は絵具が剥落した部分に色を塗ったりしていましたが(これを補彩と言います。墨線を足すのは補筆)、今は剥落した部分はそのままにして、表装を改め、紙のよれや虫食い、破れなどを修復するにとどめています。
・紙は、5ミリぐらい貼り合わせて継いでいきます(糊代が5ミリってこと)。継ぎ方に違いはありません。糊は大和糊、100年後の人が同じ条件で修理できるように、100年前と同じ材料を使うそうです。紙も手漉きだったので、当時は高価なものでしたが、顔料はもっと高かったでしょうね。
・ブログの記事はいつまでも公開していますが、コメントはその日中に書いてくださいね。

 今日は、平安時代に制作された「源氏物語絵巻」についてお話しします(物語の書名は『 』でくくりますが、作品名は「 」でくくります。作成ではなく制作と言います)。「源氏物語絵巻」の説明の前に、まずは資料04の『源氏物語』の説明とあらすじを読んでください。→続きを読んでください。文章が途中で切れていたらリロードしてください。全部出ます。長文なので、読みやすいように段落ごとに1行空けています。続きを読む

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2020年05月20日

日本美術史 飛鳥時代の仏教彫刻1

受講生のみなさん

はじめに
 それでは授業を始めます。その前に、先週のコメントペーパーから。
・古画鑑定の手法は、なんでも鑑定団に出てくる鑑定士に受け継がれています。美術史研究者は作品の価値はわかりますが、値段はつけられないんですよね。作品の値段は、欲しい人が多ければ上がりますから。
・明治時代以降の美術史は、文化財行政と密接なかかわりのなかで、発展してきました。明治時代初期の欧化政策の揺り戻しで今日お話しする古美術調査がおこなわれるのです。
・抽象的な視覚表象も決してジェンダーフリーではないと言われているように、作者の潜在意識を読み解くことはできると思います。
・仏像の場合、図像学は成り立ちますが、イコノロジーとなるとよほど独自の要素がないと難しいですね。来週お話しする救世観音像は、イコノロジーで解釈できる唯一の例かもしれません。仏画の場合は、例えば来迎図(秋学期に取りあげます)に描かれた往生者の姿から、注文主像を読み解くことができるかもしれません。
・歴史学にも文献史学の限界はありますよね。源氏絵研究の場合は、『源氏物語』研究のなかの身体論が参考になります。
・「カルチュラル・スタディーズ的行為を現代のみならず歴史の中で行」う、まさにそれが今の美術史学ですね。
・模倣がいけないという価値観は、ヨーロッパに倣った明治時代の美術教育にあります(模倣がいけないって言うのに、真似したのよね)。それまでの日本では、例えば狩野派の絵師たちは、代々伝わる粉本(ふんぽん、絵の手本)どおりに松や鷹、馬や虎を描くことができなければ、師匠や兄弟子と一緒に仕事をすることはできませんでした。それが絵画制作の常識だったのに、明治時代になると粉本主義と貶められるようになるのです。
・中国美術に近いものがよいという価値観は、中国美術の模倣から始まった日本美術に対する、日本人のコンプレックスの現れですね。

・造形作品として見るときの基準は、技術的な確かさですね。激しい形をした四天王像よりも、シンプルな阿弥陀如来像のほうが、造り手の技術がわかります。平等院鳳凰堂の阿弥陀如来像が私のなかでは一番かな。
・授業では、各時代を代表する作品を取りあげます。例外的なものは基本を覚えてから、自分で調べてください。
・立像と坐像の違いは、元になった図像と予算ですね。
・横になっている仏像は涅槃像です。亡くなったお釈迦さんの姿ですね。
・大日如来像の髪は、螺髪ではなく結髪です。密教の尊像なので、脇侍がいる三尊形式ではないのです(そのうち授業で取りあげます)。
・僧侶が着けている袈裟は、如来の衲衣と同じものです。
・「如来像のシンプルさは無の境地的な、悟りを開いたからこそのものだということでしょうか」。はい、そのとおりです。
・薬師如来像が持っている薬壺は、薬を入れた壺です。
・薬師如来と如意輪観音には教義的なつながりはないので、新井薬師の個別の事情だと思います。
・中宮寺の半跏思惟像や広隆寺の弥勒菩薩は菩薩です(授業で取りあげます)。インドの菩薩像を見ると男性だなーって思うのですが、東アジアの優美な菩薩像は、仏教理解の違いなのでしょうね。
・観音菩薩は菩薩です。千手観音の千手は千里眼と同じですね。千手観音像に千手ないのは、巨像でなければ千手つけられないからです(物理的に無理でしょ)。
・菩薩像で飾りがないのは、別材で造った飾りが取れてなくなってしまったからです(壊れてなくなってしまうのでしょうね)。地蔵菩薩も胸飾をつけているんですよ。
・白豪が如来と菩薩にしかついていないのは、世界を照らす光だからです。
・不動明王像が忿怒形なのは、優しく説いても聞かない人びとには怒って言うことを聞かせるためです(大日如来と不動明王については、そのうち授業で取りあげます)。明王は孔雀明王以外は忿怒相、天は四天王、金剛力士、十二神将が忿怒相です。明王や天は、仏法を守護し、仏敵を威嚇するために造られました。
・四天王の沓は、武装のための沓です。
・阿修羅は八部衆の一体です(資料にはないけど。そのうち授業で取りあげます)。
・閻魔像や十王像も仏教彫刻に入ります(資料にはないけど)。
・目を瞑っていると開眼供養ができないので、瞑っているのは鑑真和上像(授業で取りあげます)ぐらいだそうです。
・光背が鼉太鼓に似ているのは、鼉太鼓が真似したのでは?
・蓮華のモチーフが多いのは、極楽浄土の池に咲く花だからです。
・私もアンコールワットに行ってみたいです。

 さて今日は、奈良・法隆寺(お寺の書き方は、県名・寺院名)の金堂に安置されている釈迦三尊像についてお話します。この仏像は、7世紀前半に聖徳太子のために造られたものです(仏像の場合、つくるの漢字は造るを使います。造寺造仏って言うでしょ)。日本で仏像が造られるようになった6〜7世紀という時代が、美術史上どのような時代であったのか説明する前に、まずは仏像の誕生からお話しすることにいたしましょう。文章が途中で切れていたらリロードしてください。全部出ます。長文なので、読みやすいように段落ごとに1行空けています。

仏像の誕生
 仏教は、紀元前5世紀にインドで成立しました。成立当初は、仏の姿を形にあらわすということはおこなわれず、仏塔、菩提樹、宝輪といった象徴的図像であらわしていましたが、紀元1世紀後半から2世紀に仏の像がインドで作られるようになりました。これは、紀元70年が仏教を守護したカニシカ王の元年にあたるので、その頃と考えられていたのです。インドのどこで仏像が誕生したのかという問題については、ギリシアのアレクサンダー大王の遠征によって偶像崇拝がもたらされ、ガンダーラ(今のパキスタンのペシャワールあたり)の地で仏像が誕生したという説と、いやいや中インドのマトゥラーで誕生したのだという説がありました(現代のインド・パキスタン情勢も関係して複雑)。

 資料に、ガンダーラの如来と菩薩、マトゥラーの如来と菩薩の図版を載せておきました。ガンダーラの仏像は凜々しい姿をしていますよね。如来は螺髪ではなくウェーブのかかった髪を結っています。ガンダーラの菩薩を見ると、菩薩のモデルがインドの王子だと納得できます。これに対してマトゥラーの仏像は、柔らかい石に彫っているので、なかなか完全な姿のものがないのですが、ふくよかな姿にあらわされていることがわかります。私は、マトゥラー仏はお臍が深いと覚えています(お腹のお肉がプニプニしている感じ)。

 仏像誕生の地としては、ギリシア美術の影響のあるガンダーラのほうが優勢でしたが、ガンダーラのスワート地区のブトカラ遺跡の紀元1世紀前半の地層から発掘された梵天勧請の浮彫が、マトゥラー様式だったのです。この浮彫は、向かって左側にいる梵天が、中央の釈迦に悟りを広めてくださいとお願いしている場面ですが、釈迦の肉付きがいいのがわかります。このことから、現在では、仏像誕生の地はマトゥラーであり、ガンダーラ地方でギリシア美術と融合して、ガンダーラの様式になったと考えられています。→続きを読んでください。続きを読む

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2020年05月18日

絵巻 絵巻概説

受講生のみなさん

はじめに
 それでは授業を始めます。その前に、先週のコメントペーパーから。
・この授業では、@Kとこのブログを使います。授業前に@Kで資料をダウンロードして、授業開始時間になったら@Kとブログを読んで、読み終わったら@Kのコメント欄にコメントして授業終了です。
・@Kが壊滅的な状態になったら、GoogleClassroomに移行するかもしれませんが、そんなことはないでしょう。そのときはお知らせします。
・Zoomを使うときは、事前に@KでIDとPWを連絡します。招待メールはお送りしません(以前、ゼミ生と間違えて別の学生にメールを送ってしまった粗忽者なので)。先週のように@Kが落ちるかもしれませんので、IDとPWは控えておきましょう。
・この授業は8月3日までですが、通常の授業は8月7日まで。8月10日からの2週間は、園芸などの集中講義期間になっています。
・場面はどこで変わるのか。→「信貴山縁起絵巻」や「伴大納言絵巻」のような何枚も紙を継いだ長い絵の場合、先端が流線形になったすやり霞や、ひとまとまりの樹木、あるいは山によって場面(時間や空間)が変わります。
・国立国会図書館デジタルコレクションの源氏物語絵巻(図書)は、1936年に徳川美術館から出版された本なので、写真は古いですが使えます。ただし、徳川黎明会の所蔵品だけで、五島美術館の所蔵品は載っていません。デジタルコレクションの模写は、見ないでください。

 それでは絵巻について説明します。文章が途中で切れていたらリロードしてください。全部出ます。長文なので、読みやすいように段落ごとに1行空けています。

絵巻とは
 絵巻とは、物語のすべて、あるいは一部を記した詞書(ことばがき)と、それに対応する絵を交互に継ぎ合わせた横長の巻物形式の絵画作品のことをいいます。巻物形式の絵は、中国では画巻(がかん)と呼ばれ、その起源は、漢代の紙の発明以前、帛画(はくが、絹などの布に描いた絵)に遡るといわれています。中国で作られた画巻は日本にもたらされ、8世紀には、日本でも、中国の画巻に倣った作品が制作されるようになりました。現存する最古の遺品は、『過去現在因果経』という経典を絵画化した「絵因果経」です。

 『過去現在因果経』とは、釈迦が過去世から現世において、仏陀として成道し、伽葉を済度するまでの伝記を説いた4巻の経典です。「絵因果経」は、画面を上下に区画して、下段に経文を書き、上段には経意に対応する絵を描いているため、全8巻になります。残念ながら8巻すべては残存せず、京都の上品蓮台寺、醍醐寺報恩院などに分蔵されています。「絵因果経」を絵巻と見なすかどうかは研究者によって見解の相違があって、『日本絵巻物全集』(角川書店)は第1巻が「絵因果経」ですが、『日本絵巻大成』(中央公論社)は第1巻が「源氏物語絵巻」で「絵因果経」は掲載されていません。

 平安時代に入ると、中国の文学作品を和文に直した物語に絵がつけられ(長恨歌の絵)、日本で作り始められた仮名書きの物語にも絵がつけらるようになりました(大和物語の絵)。『源氏物語』絵合巻には、竹取物語の絵巻と宇津保物語の絵巻を合わせるシーンや、伊勢物語の絵を見て、藤壺が光源氏の須磨流離を思い出すシーンがあります。平安時代には多くの物語絵が作られたと考えられていますが、初期の作品は失われてしまい、現存する最古の遺品は、12世紀に入ってから作られた徳川・五島本「源氏物語絵巻」です(来週から説明します)。→続きを読んでください。続きを読む

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2020年05月14日

日本美術史 仏像の見方

受講生のみなさん

はじめに
 それでは授業を始めます。その前に、先週のコメントペーパーから。
・イコノロジーが日本で定着しなかったのは(様式史としての美術史止まりだったのは)、イコノロジーがヨーロッパのキリスト教絵画しか有効でなかったからです。
・イコノロジーと構造分析の違いは、最終的な帰結点を時代精神のあらわれとせず、作品自体の解釈におくという点だと思っています。
・美術史という学問が、そもそも支配者階級の白人男性が始めた学問だったからです。
・New Art Historyでは、描かれた視覚表象には、描き手が意識していなかった潜在意識が現れていると考えます。詳しくは、3年秋学期の日本美術史特講兇任話しします。
・New Art Historyでは、妖怪の絵も踏み絵も研究対象になります。妖怪の絵は、室町時代以降の作品が遺っています(それ以前は描かれなかったのか、ただたんに遺っていないのか)。

・中国美術の真似から始まったので、本家本元に近いものが良いという価値観があったのです。自分たちは偽物だとずっと思っていたということですね。
・この価値というのは値段ではなく、当時の人びと(と言っても作品を見ることができる注文主と絵師や仏師、一般庶民は含まれない)のあいだでの優劣であり、それが現代の研究者のなかでの優劣にもつながっているところが問題なのです。
・オリジナリティが良いという価値観は、明治時代に入ってきたヨーロッパの美術教育にルーツがあります。それまでは、いかに師匠と同じように描けるかが重要だったのです。

・美術史の始まりが仏教公伝なのは、仏教とともに高度な技術が入ってきたからなのでしょうね。それと、ご指摘のように日常使うものは美術と認めないという価値観がヨーロッパにはありました(だから日本では美術工芸)。仏像は使うものではなく信仰のための造形なので、それを美術と定義づけたのかもしれません。
・考古遺物と美術工芸品が分けられたのは、明治政府の文化財行政にあるんですよね。
・白鳳ということばには根拠がないというのは、飛鳥時代は飛鳥に都がおかれていた時代で、鎌倉時代は鎌倉幕府がおかれていた時代というように、時代名称に根拠がありますが、白鳳は都があった場所でも幕府がおかれた場所でもなく、根拠がないという意味です。
・興福寺仏頭と阿修羅像は授業で取りあげますよ。
・なぜ仏像ではなく絵巻を研究するに至ったか。私自身が立体よりも平面が好きだというのもありますが、私が学生の頃は仏像は男性が研究するものだという風潮が色濃く残っていたからです。この話をすると長くなるので、また別の機会に。

 今日は、仏教彫刻の見方について、お話ししていきます。文章が途中で切れていたらリロードしてください。全部出ます。

仏教彫刻の見方
 資料04の仏像の種類とかたちの説明をする前に、まずは仏像をどのような立場から見るのか、ということについてお話ししましょう。ひとつめは、信仰の対象として見る立場。これは、もっとも一般的な見方ですね。お寺のお坊さん、檀家さん、信者さんの見方です。ふたつめは、歴史資料として見る立場。鎌倉時代の仏像がこの地にあるということは、仏教が伝播していたという証拠になるという見方です。歴史学の研究者や文化財行政に携わる人たちの見方です。みっつめは、造形作品として見る立場です。造形作品としてどこが美しいのか、そこにどのような工夫が施されているのか、それを解明していくわけです。これが美術史研究者の見方です。ですから、仏像というよりも仏教彫刻として見ているのです。みなさんも、この授業では、信仰の対象だということは少し忘れて、かたちの美しさや工夫について見ることにしましょう。→続きを読んでください。続きを読む

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2020年05月13日

日本美術史 美術史概説

受講生のみなさん

はじめに
 それでは授業を始めます。その前に、先週のコメントペーパーから。
・教育実習期間は欠席にはなりませんので、期間を教えてください。オンデマンド方式なので、都合のいい時間に読んで、コメントを書いてください。
・仏像のことがわからなくても安心して受講してください。この授業は、日本一仏像を見ている絵巻研究者が語る超簡単日本彫刻史です♪
・ブログを読み終わったら、@KかHoppiiにコメントして授業終了です。
・『原色日本の美術』や『日本美術全集』はとても高価な本なので、図書館が再開したら図版を見てください。プロじゃないんだから、買わなくてもよろしい(笑)。購入するのは『奈良・京都の古寺めぐり』だけで充分です。もしどうしても買いたいのであれば、『カラー版 日本美術史』と『カラー版 日本仏像史』がおすすめです(教科書ではないので、三省堂のWebサイトでは売っていません)。
・恵泉は課題1回(法政はなし)です。課題の説明のときはZoomを使おうかと思っていますが、人数が多いので入ってこられるか不安。無理かも。
・試験は、オンライン授業のままなら、恵泉は記述式にして恵泉メールで提出にしようかと考えています(私のゼミで鍛えた人はレポートが書けるけど、そうでない人は私のお眼鏡にかなうようなレポートが書けないからね。鍛えてもらいたい人は、私のゼミを取ってね)。法政はHoppiiで提出できるのかしら?誰か教えて。
・興福寺と赤いフェラーリはウケたw(お坊さんはいい車に乗っています)。私が好きな仏像は、京都の安楽寿院の阿弥陀如来像かなぁ。大倉集古館の普賢菩薩像もラブ。平等院鳳凰堂の雲中供養菩薩像のなかにも贔屓の子がいます。院政期の可愛い仏像が好きです。

 さて今日は、美術史とはどのような学問なのか、美術史研究の現状はどのようになっているのか、ということについて、お話ししていきます。

美術史とは
 古代ギリシアでは、美という目に見えない理念があり、目に見えない美が、優れた芸術家の目と手を通して現れたものが芸術作品であると考えられていました。芸術作品のうち、造形芸術が美術、音声芸術が音楽になります。これらの芸術作品を研究する学問が芸術学です。芸術学には、体系的研究と歴史的研究があり、美術にかんする体系的研究が美学、歴史的研究が美術史、音楽にかんする体系的研究が音楽理論(楽理)、歴史的研究が音楽史です。つまり美術史とは、絵画や彫刻などの造形芸術にかんする歴史的研究ということになります。この優れた芸術家の、というところをちょっと覚えておいてください。→続きを読んでください。文章が途中で切れていたらリロードしてください。全部出ます。長文なので、読みやすいように段落ごとに1行空けています。続きを読む

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2020年05月12日

日本美術史 恵泉ガイダンス

受講生のみなさん

はじめに
 それでは授業を始めます。この授業では、飛鳥時代から鎌倉時代までの仏教彫刻(要するに仏像)を中心に、日本美術の歴史を追っていきますが、対面授業ができなくなってしまいましたので、スライドをたくさんお見せしなければならない正倉院宝物はやめにして、お手頃な教科書がある日本彫刻史だけにします。文章が途中で切れていたらリロードしてください。全部出ます。→続きを読んでください。続きを読む

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2020年05月11日

絵巻 ガイダンス

受講生のみなさん

はじめに
 それでは授業を始めます。この授業では、平安時代後期に制作された「源氏物語絵巻」「信貴山縁起絵巻」「伴大納言絵巻」を取りあげる予定でしたが、対面授業ができなくなってしまいましたので、お手頃な教科書(価格的にはお手頃じゃないけど)がある「源氏物語絵巻」を取りあげて、じっくり説明することにします。文章が途中で切れていたらリロードしてください。全部出ます。→続きを読んでください。続きを読む

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2020年05月06日

日本美術史 法政大学ガイダンス

受講生のみなさん

はじめに
 それでは授業を始めます。授業の進め方にも書きましたが、美術史(日本)Aを担当する稲本万里子です。恵泉女学園大学で日本美術史を教えています。専門は、院政期の絵巻と、平安時代から現代までの源氏絵です。法政大学では、隔年で日本美術史概説と、平安時代から鎌倉時代までの絵巻の授業をしています。今年度は日本美術史概説の年なので、飛鳥時代から鎌倉時代までの仏教彫刻(要するに仏像)を中心に、日本美術の歴史を追っていきますが、対面授業ができなくなってしまいましたので、スライドをたくさんお見せしなければならない正倉院宝物はやめにして、お手頃な教科書がある日本彫刻史だけにします。→続きを読んでください。続きを読む

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2020年04月12日

春学期の教科書

字典かな 字典かな―出典明記』(笠間書院)
 2年ゼミと立教の日本文学研究3Aの教科書です。







源氏絵の系譜 稲本万里子『源氏絵の系譜―平安時代から現代まで』(森話社)
 3年ゼミの教科書です。
 日本のヴィジュアル・イメージ気任盒飢塀颪箸靴道箸い泙后







奈良・京都の古寺めぐり 水野敬三郎『奈良・京都の古寺めぐり―仏像の見かた』(岩波ジュニア新書)
 日本美術史と法政の美術史(日本)Aの教科書として使います。

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