マリンのいつもどこかで

2014年10月

11月目前と思えない、暖かい木曜日

いつもの店(ちなみに昨日もいた店(笑))の
常連を超えた準店員の方から
「いなだ、一本買いました」の連絡が入る。

この店にはFBやTwitterなど定番の告知系SNSは無いのだが
なぜだか店の仕入れだとか、忘年会の予約を始めただとかに
お客さんが詳しい。

仕事終わりに顔を出してみると、
相変わらずの異種格闘技戦が繰り広げられ

毎日毎日よく飽きないよなぁ、、と思うが(^_^;)
私も昨日来ていた(笑)

そんな時間を過ごしていたら、
初めてなのか何なのかふいっと入ってきたサラリーマン男性

全くの初見なのだが、不意打ちに
「男性の方ですか?」と聞かれ
「いえ、生物学的にはオンナです」と答えると

「○○(←知らない人)という政治家に似てますね」と言う
どんな人か尋ねると、髪の長い男性で似ているという(誰?(笑))

途中、道路会社のお兄さん(常連)が
「よくそんなコワいこと言えますね~」と爆笑をとるのだが

真剣に「いや、似てるんだ」とお酒を呑む

しばらくして、今度は大人しく店にある古典酒場の本を
読んでるかと思うと、ハッと顔を上げ
「アナタ男が好きでしょう?」と聞かれる

「女だから男が好きですね」と答えると
「いや、男ですよね」と断定される

ややこしいが、
要は私は男で、それも男が好きな男になる(笑´∀`)

しばらく、その面白い方と話していたのだが
どうしても、彼の中では私は男に分類されるらしく

最後は、自分が男なのか女なのかわからなくなり、1日終了

ホントに普通のサラリーマンで変なところを感じない
何が彼の中で、私を男にしてしまったのか
明日は、女にもどりたい( ´艸`)オホホホホ

相変わらずの秋晴れの東京
ビュンビュン自転車を飛ばして水曜日をこなす

今日も終わりと20時過ぎ、パソコンの電源を落としたところで
ブロ友さん3人もやまじにいるらしい

やまじは青山→新宿へ帰るには、方向が逆
おまけに帰り道の飯田橋→江戸川橋→抜弁天→東新宿は坂道が多い
「やまじは遠いので帰ります。ごめんなさい。」とメールしながら
気がついたら、やまじの前にいるあたり
夢遊病者じゃないかと思ってしまう(^_^;)

お久しぶりのKさんはすれ違いでお逢いできず
いつもの顔ぶれがそろう

今日のやまじは
・小さいおじさんは誰某、(白木実・池野めだか、、)
・地盤がよい所はどこ
・一度帰ったのに、なぜ戻ってくるの

こんなむちゃくちゃな話題を5分ごとに行ったり来たりし
あげく、他人が注文したものをみて、やれ美味しそうだなんだと
話し合う。

G街や飲んべえ横丁辺りなら、来てるお客さんも
人情溢れる常連さんの会話に混ぜてもらい、、とか思うのだろうが
ここは飯田橋というバリバリのオフィス街で、
かつ話すスピードが超特急、おまけに時に歌まで入る

今日も初めてふらっと入ってきた紳士がいたのだが
「早く出るもの」という曖昧なオーダーに、お店のお兄さんは無言
代わりにお客さん全員で、やれ何が早いの、おすすめだの

異種格闘技戦みたいなお店だ、、、



ふふふ、ここまで書いたら
やまじを知らない方はどんなイメージになるだろう( ´艸`)

ビュンビュン首都高が走る交差点下
オフィス街の中に取り残された郷愁溢れる昭和ビル
肴が殆ど250円の立ち飲み屋
お客さんが掛け合い漫才している面倒くさい店

私なら行かないな(笑´∀`)

金曜から続く不調ウイーク
ウイークどころかマンスリーになるんじゃないかと思うけど
それはそれで、面白いとか思ってしまう阿呆なワタシ(^^;)

そんな時、一昔前前の日本人ならお祓いに行ったり
仏壇に手を合わせたり、そういう見えない畏れの存在が
染み着いている人はある意味羨ましいと思うときがある

私の実家は日蓮宗で、家には仏壇があり、その上には幾つかの遺影
東京へ出るときには、幼い頃から使っていた桜貝の数珠を持ってきただけど、いまだ通夜葬式以外に使ったことがない
典型的な葬式仏教だと思う

なのに、何故だか宗教系の本やテレビ番組は割と好きで、
宗徒の考え方や派閥の隆盛、
儀式や古事記の内容、建物の様式や神像が男なのか女なのか

それは、教えがどうのこうの言うよりも、
バタフライチェアや日本の橋やダムが綺麗だなとか、そういう捉え方

一つの造形物だったり、それを信じる昔の人の考え方や生き方
同じ様に生きて悩んで、その時に何をしたのかとか
そういう興味があるとかそっちに近い
(真面目な信徒の方、ごめんなさい。
  決して何かの深い意図があって書いてる訳ではありません)

それで、今日たまたま手にとって読んだ新書

横浜の禅宗の寺院の僧侶で
六本木の有名ビルも手掛けた庭園デザイナー
古いのか新しいのか解らないが、禅宗のお庭は確かに美しい

そんな方が書いた本を読んでいたら、
面白い言葉があった

喫茶喫飯(キッサキッパン)

禅宗の言葉は、日本人の食事に関する由来が多くて
例えば「食堂」、これは元々禅宗の僧侶がご飯を食べる場所
御堂(仏様がいらっしゃる修行の場)に対する、
飲み食いを修行として行う場所の事らしい

で、「喫茶喫飯」とは

お茶やご飯、身体に何かを入れるときは
目の前にあるお茶やご飯に集中して
余計な事は考えずに頂きなさい

そういうことらしい

「集中」というと、身体にすごく力が入って
他を寄せ付けないようなそんなイメージだけど
禅宗で言うところの集中とは「無」
何も拘らず、何も考えない、

目の前の「いま」「ここ」だけに集中する
そうしたら生活が整い、余計な悩みはなくなるらしい

最後の悩みがなくなる、、というのは
そこまでの深い造詣がないから(^^;)
感覚的に飛躍している感があるが

要は、うまくいかないときはごちゃごちゃ考えず
生活の象徴としてのお茶やご飯
そういう目の前の日常を集中してやりなさい

そんなふうに思った次第、、( ´艸`)テキトウスギル


そして、私の場合は

喫茶喫飯&喫酒

お酒は仏教の禁じ手だから、そもそも有り得ないのだろうが、
私の場合はアリにして、、(-_-#)オコラレルヨ

目の前のお酒なり、酒席なり
そういうものが日常なら
1日の終わりに美味しいものを純粋に楽しんで、
それ以上でもそれ以下でもなく、
はい、終わり
また次の日の普通の日常

最近、色々周囲が絡まった糸巻きのようになっていて
いきおい、色んなことをごちゃごちゃ考えてしまいますが(-_-#)

今日は喫茶喫飯&喫酒

そんな事を思ったお昼休み
さぁ、終わり(笑´∀`)

東京に出て来てから、何故だかお好み焼き屋の親父さんだかお兄さんだか
店主と言われる人と気が合うことが多い

それも住んでる近所に一軒できては閉じて、あららと思っていたらまた出来る 

最初は、大阪のお好み焼き屋さん(名前は『まいど』だか、『おおきに』だかそういう感じ)
小さな店で資金が貯まったのか、大阪に帰っていった

しばらくしたら、京都風だというお好み焼き屋ができた
九条ネギ(と、書いてあった)が山盛り入ったもので醤油ベースのたれをつけていた
こちらは夫婦でやっていたのだが、奥さんがいなくなり?しばらくしてお店もなくなった

そして3軒目、今度は広島風お好み焼きのお店で流石に期待もせずにノホホンと冷やかしていたら
V6や堺正章の何とか、、に登場して、見る見るうちに人気店になった 
おかげで20時まではまず入れないし、遠方からくるお客さんが多いので
何となく落ち着かないのである(^^;)

そんな、月曜日
朝から自転車をビュンビュン飛ばし、お仕事開始
話せば話すほどドロ沼マジックに陥り、お昼休みにはノックダウン
午後は廃人と化す有り様
それでも何でも、あがくだけやってみるのですが、やっぱりダメで21時にパソコンオフ 

あ~あ、もうこんな日が来ませんように
そろそろ終わりたい、厄日ウイーク
金曜から何か憑き物なのだろうか(-_-;)

もう、歌舞伎町も新宿も寄る気がせず、家へ向かっていたら
店前でタバコを吹かす、お好み焼き屋のお兄さん

寄ってきなよ、、ということで、拾う神の鉄板前

(実は帰りに、お好み焼き気分で何人かに行かないか?と声をかけたのだが、
20時過ぎに行こうと言われて行ける人なんていない(笑))
ビールを貰って、一人乾杯。鉄板前でぼっ~と一時。

酔い具合に会社にスマホを忘れていることがわかり、そうなると何もする事がない
ただ、鉄板で焼けるお好み焼きをみつめるだけである。

タネを丸く伸ばす
キャベツを蒸す
蓋をする
烏賊揚げ&とろろこぶをまぶす
スープをかける
ソバを炒める
蓋をする
合体する
半熟目玉焼きを焼く
合体する 
ソースをかける

5つ位を焼き続けるので、覚えてしまった(^^;)
ホカホカと湯気を上げて、焼きあがるお好み焼きは職人技
よくもまぁ、電話を受けて、注文受けて、同じように焼けるものだと思うが

こういうお行儀の良い食べ物をみたら、チャーリーとチョコレート工場を思い出すのは
おかしいのだろうか(笑)

落ち着いた所で、私のお好み焼きも焼いてもらってごちそうさま

おやすみなさい




秋晴れの土曜日

自転車に乗ってると解るのは、季節が変わるということ
今も秋と言うよりは朝の空気は冬のシュンとした感じに近い

仕事が溜まっているのに金曜は早帰り
(おかげで楽しい夜だったのだから感謝だが)
デスクに座ると昨日の残像がアタマに浮かぶ

こういう時、ビックトゥモローや日経系のリーマン雑誌には
「気持ちの切り替えの速さが勝負を決める」
とか書いてあるのだが、そんなこと現実にできる人はそういない

「目の前のことを(とりあえずは)投げ出さない気持ちの強さが勝負を決める」
こっちの方がまだしっくりくる

サラリーマンには何度か分岐点がやってくる
それは自営業と違い、シンプルに挙績が昇進や評価に繋がらず
その時の社内の流行、人事権者の趣向、もっと単純な人の気持ち
そういう目に見えない何かに揺り動かされる

それは日常茶飯事で、実際サラリーマン小説の面白さは
業界の専門性や主人公のキャラクターよりも
そういう人の相関性の中で誰がどうなるのかにつきる

これは、戦国武将ものや江戸から明治への開国の物語など
村(ムラ)の中で生きてきた日本人の国民性からいうと
このしがらみの中で何かを切り開く人物像は
誰もがやりたいけれどやれないヒーローなのてある
(最近でもこれを応用した『HERO』というドラマがあったか、、)

大学生の頃、短い期間だがニューヨークにいた時がある
大統領や大きな会社の設立者、、
もちろんそういう人をヒーローとして捉えることもあろうが
子供達が初めてヒーローと捉えるのは「fire man(消防士)」である
アメコミのヒーローは『super man』に始まり、最近流行ったアベンジャーズ的なキャラクターへ繋がる

ここに、共通するのは、個での能力=挙績が優れていることである
スーパーマンは独りで着替えて、独りで悪を倒す
日本のウルトラマンは3分の時間の制限を他の選体が助けたり、
宇宙防衛軍(だっけ?)から常に仲間が応援(監視)をして支える
ウルトラマン独りでは闘えないのである


夜、19時
そろそろ上がりと会社を出る
今日はどこにするかととりあえず新宿へ
三丁目の貝類しか出さない呑み屋(店主が面白い)をくぐり
日本酒に貝の酒蒸し(浅蜊よりも大きく北陸のものだという)を頂く

ここは日本である
いくら、着るもの食べるものが欧米と変わらなくなったと言えど
メニューは日本語であり、寒くなると日本酒が恋しい

ウルトラマンも個で動けない、、
というか、そういうリカバリーを好まれない
心の動きは内に秘めて、淡々と目の前の敵をたおしていく

K氏は言った
『つらいことは幅や、幅になるんや~』

これは日本におけるサラリーマンの辛いことは
安楽に打破できない何かが大きいことを物語る
彼は乗り越し名人でもあるが(最近不調)
サラリーマンとしても大名人なのだ

K氏に乾杯
そう思い、2本目をつけてもらおうかと思ったところへメール
「市ヶ谷解散しました」
彼は今日も元気そうである(笑)

2本目はキャンセルして、歌舞伎町へ
とりあえず唄って、とりあえず帰る

いつもと変わらない日常が広がる
人生は面白い
辛いことが起こるのだ、
願わくば、身体の幅は広げたくないが(笑)

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