華道家 平間磨理夫 オフィシャルブログ

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ありがとうございました

いけて いてけ いけて

ただただ 花をいけ続けた5日間

たくさんの方に足を運んでいただきましたこと

深く御礼申し上げます

 

器で協力してくださった 岩田智子さん 瀬沼健太郎さん

花をいけるにあたり 幅広い花いけの魅力を提示してくださった

上野雄次さん

 

少しではありますが

様子を振り返ってみたいと思います

 

まず 展覧会初日と二日目の展示 

「うつわをいける」と「うつわにいける」

単なる 「て に を は」の言葉遊びではなく

それぞれの思考 方法 表現の違いが

見事に立ち上がったのではないかと思います

 

うつわをいける 上野雄次さん

瀬沼健太郎さん × 上野雄次さん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

瀬沼健太郎さん × 上野雄次さん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

岩田智子さん × 上野雄次さん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うつわをいける 平間磨理夫

岩田智子さん × 平間磨理夫

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

瀬沼健太郎さん × 平間磨理夫

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

岩田智子さん × 平間磨理夫

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うつわにいける 上野雄次さん

岩田智子さん × 上野雄次さん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

岩田智子さん × 上野雄次さん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うつわにいける 平間磨理夫

瀬沼健太郎さん × 平間磨理夫

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

瀬沼健太郎さん × 平間磨理夫

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして3日目の「いけ続ける」

13時から21時までの8時間

ゆったりとした時間の中で 交互にいけ続けました

その数20作

それぞれの創りだす空間をいかしつつ 新たな空間で受け止め展開させる

連歌のように流れ うつろう会場の雰囲気

うつわの力も存分に吸い込んで

上野さんの世界を受けながら お客様を目の前に花をいける時間は

とても刺激的で贅沢なひと時でした

目の前に現れる花の姿だけではなく その空気が纏う秋のかおり

うつわの放つ輝き その先にあるであろう何かが 見えた気がしています

 

上野雄次さん × 平間磨理夫

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上野雄次さん × 平間磨理夫

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4日目のワークショップは 皆さんの熱気も加わり

花をいけることの面白さ 難しさ うつわの存在

空間の捉え方 植物のもつ魅力の発見etc

様々な要素を整理しつつ 花をいけていただきました

参加してくださった方の真剣な眼差しと キラキラした瞳

強く印象に残りました

 

瀬沼健太郎さん × 平間磨理夫

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最終日は お客様もまじえてのトークイベント

花をいけることに関して

様々な側面からアプローチできたのではないでしょうか

いけた花を 単に鑑賞するだけではなく

どのようして この表現に至っているのか

そのプロセスや思考を言葉にもしてみました

その際 僕や上野さんだけでなく

岩田さんと瀬沼さんにも花をいけて頂き

それぞれがどのようなイメージのもと

花入れを作っていらっしゃるのか

そういった部分にも 触れることができたかと思います

 

会場の一コマ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うつわをいかすこと 花をいかすこと

花をいけること うつわをいけること

花をいけることの面白さ 魅力に 改めて心を動かした5日でした

今後もこの企画を続けていきたいと思います

今回見逃してしまった方も 次の機会に 是非お出かけください

今回をうわまわる内容で お待ちしております

 

会場の一コマ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ありがとうございました

 

 

色は匂へど散りぬるを

先日 目白庭園「赤鳥庵」にてひらかれた

色は匂へど散りぬるを −花と和歌と舞−

赤鳥庵床の間

 

 

 

 

 

 

多くの方々に支えられ

定員を大幅に越す たくさんの方に足をお運びいただいたひととき

あの瞬間に咲いた花は

どのように開き どのように皆さんの心へと伝わったのか

 

この公演にいたるまでの道のり

この公演で過ごした時間 どれもかけがえのないものばかり

花は心 種は態

次回へ向けて 心新たに 種まき種まき

 

目白庭園迎え花

 

 

 

 

 

 

 

 

目白庭園 井戸

 

 

 

 

 

ちのわ

 

 

 

 

 

 

 

 

この写真のほかにも

舞台でいけさせていただいた桜 匂欄にしつらえた春の花々

庭に点在させた花かざり 玄関での迎え花・送り花etc

花に溢れた とある春の一日の出来事

 

出演 野村四郎 / 花柳昌三郎 

    金子あい / 麻生花帆 / 国府田達也

音楽 松田弘之 / 岩佐鶴丈 / 橘政愛 / 設楽瞬山

衣装 細田ひな子

花  平間磨理夫

構成・演出 笠井賢一

 

ありがとうございました

  

09 真結の会

09真結

 

 

 

 

 

 

古代 神聖なる言問いの楽器であった「コト」

その音色によって奏でられた寿ぎの曲は

どのような言葉を紡ぎだしたのでしょうか

 

黒川真理さん 鈴木真為さんをはじめ

関係者の方々 ならびに足を運んでくださったみなさん

ありがとうございました!!

   

 

花/梅  器/竹  敷板/松葉

上巳の節供

桃の節供

雛祭りとも呼ばれ

女の子の節供である上巳

江戸幕府が

3月3日を上巳の節供と

制定する以前から

綿々と続いてきたお祭り

 

古事記において 桃の実が

伊邪那岐命を助けたことからも明らかなように

桃はいにしえから 特別な存在だったのだろう

 

古代中国において3月3日は

川で身を清め 酒を飲んで厄災を祓う

アソビ(鎮魂の舞を舞い、神を祭り、神と飲食を共にする)の日であり

時を経て 曲水流觴という遊楽にまで発達している

 

わが国には そういった風俗が

宮廷を中心とした貴族社会に伝わった

 

時代がやや下ると

いまでも「流し雛」や「雛送り」として知られるところの起源でもある

形代(人形)で身体を撫でて穢れを移し

その撫で物を水に流して祓えとする行事が行われるようになり

それがのちに 雛遊びと融合することで

現代のような雛人形の形式を持つにいたった

 

一方 祓いという本来の目的からは形を変えたものの

「山遊び」「磯遊び」「山見」「山行き」「桃花祭」「花見」といった

男女の区別ない 巳の日のアソビとして

現在まで受け継がれている風俗は

日本という国が 農耕生活を基本としてきた証であろう

 

   

 

お知らせ

2月28日(土)は、黒川真理さんと鈴木真為さんによるデュオ、

「真結」の演奏会にて、花をいけさせていただきます。

14時からと17時からの2回公演となっております。

お時間がありましたら、ぜひともお出かけください。

詳しくは→こちら←まで。

チューリップ

ARABIA × チューリップ 16世紀に入り

オスマン朝トルコから

ヨーロッパに渡ったチューリップ

17世紀には

チューリップ狂時代

と呼ばれるほどの人気を博し 投機の対象にまでなったという

 

日本への伝来は18世紀 

伝わった時期が時期とはいえ

ヨーロッパのそれとは違ったというのがおもしろい

現在の品種が その頃より少ないってことも

 

各時代 それぞれの国で

どのように迎えられ どのように愛でられたのか

 

春 チューリップがどんなに咲き誇ろうとも

その心をひきつけてやまないほどの 花 が存在する日本人にとって

心の花にはならなかった チューリップ

 

いまこのとき どれほどまでに広がっているのかな

 

   

器・ARABIA 花・チューリップ

(クリスマスドリーム、ムーンシャイン、シネダオレンジ、ガボタ、コンプリメント) 

秋の筑波

石井直人×秋の恵み張り詰める空気

陽だまりが何よりのご馳走

気を抜くと

風邪をひいてしまいそうです

 

さて いよいよこの週末

第23回国民文化祭いばらき2008

真壁城跡にて開催される アースワーク土舞台・会場ゲート

「割り箸からのメッセージ」が設置されます

 

いけばなという花のいのちを自然から切りとる行為をしている僕にとって

自然に対する感謝の想いをどう表し どう返していくのかということは

いけることと同様に大切なことです それは植林であったり 街の緑化

であったりと色々でしょう 

このアースワーク土舞台では 自然に対する恩返しを少しでも実現すべく

私達にとって身近な存在である樹木・割り箸を使って まずは環境問題

を考えるきっかけになれば!という想いを込め 会場ゲートを創っています

お祭りのシンボルでもある筑波山をモチーフにたてられる2本の柱は

わずか3ヶ月ばかりで市内から集められた 5万本を超す使用済み割り箸です

またこの作品は 市内施設の障害をもった方々の協力によって成り立っている

ということも 心にとめて観て頂ければ幸いです 

出会いによってうまれたこの作品を通して より多くのメッセージが

沢山の人の心に届くことを願ってやみません

 

6日からは公開制作も行っております

是非とも 会場まで足をお運び下さい

 

   

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器・石井直人 花・鉄線、蔓梅擬

一座建立

ブログネタ
日本伝統文化 に参加中!

年末からいくつかの言葉が頭を巡り、

ジャンルを問わず、気になる書籍を徐々に徐々に

読み進めていくうち、

深くなっていくばかりの霧、霧、霧。

 

今夜は「一座建立」について戒めのメモ。

 

僕が関わる日本文化の一つである「いけばな」は、

一つの要素だけでは成立せず、

いくつかの要素が出会うことによって成り立っている。

花、器、室礼、人、季節、空間、場、私、貴方etc

出会いによって発生する共鳴や反撥が、

その先にある新たな同調を導きだし、

一座建立となる。

ただ、一座建立を成立させるための前提として、

「座」というものが存在するのであるから、

それを存在せしめる条件としては、

拠り所を理解するための共通した教養・言葉が不可欠なのは

いうまでもない。

 

その場限りであるはず(少なくとも永遠性はない)のいけばな表現において、

当座性が重要視されるのは当然だけれど、

共通した言葉という、一種の歴史(永遠)性の必要は

矛盾するものなどではなく、

一座建立という共同作業において、非常に重要なわけで。

 

座という空間によって、今という感覚だけではなく

これから(永遠)をうみだすと同時に、芸をも確立する。

過去が現代に輝き、現代が過去に生かされるような、

それでいて見たこともない歴史の再構築をしなくては!

 

などと思い、自分の足りなさを痛感しつつも、

ゆったりと過ごしてしまった2007年。

2008年はもう後がない!!

これから始まる、と或る座での活動に向けて、

まった無しの我武者羅学習です。

ゆったりモードの自分に喝を入れ、鼓舞するための、

一人勉強宣言でした。

応援、宜しくお願いします。

   

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T-BOX終了

ブログネタ
アート、芸術全般 に参加中!

筑波山−歌垣−こんにちは。

久々に腰をすえ、パソコンに向かっています。

色んなことの掛け持ちで、

あわただしく動き回った先週、

移動に費やした時間がやたらと多く、自転車でもバイクでもない、

電車ライフを満喫してみました。いろいろ便利な面もあり、

不便な面もあり、何事も使いようだなぁ!と。

 

さてさて、先週の土曜日をもちまして、八重洲 T‐BOX で行われていた、

出町光識 展 筑波山〜言の葉の山

が無事に終了いたしました。今回、添え花をさせていただいたことで、

頭の中にある問題点、疑問、その他諸々が、より明らかになったり、

大きく複雑になったりと、とても充実した時間を過ごすことができました。

 

常陸風土記にもあるように、

男女の性の解放でもある、歌垣の場として

万葉の時代から親しまれてきた筑波山には、ケールと紐鶏頭を。

今回の新作の中にも面々と受け継がれ、その根源とも言うべき

11年前の作品「オナゴ」には、卵を。

 

「器に、よりいい花をいれる」という、予定調和な質の問題ではなく、

たとえそれが、ハッ!とするようなものであったとしても、

器に出会わせるのではない、

焼き物の創り手本人に出会わせることで顕れる花が紡ぎだせはしないか!

を強く求めた添え花でした。

そのうえで、相手も生かし、自分も生かせたのかは、

みなさんにご批評いただければ幸いです。

 

最後に卵作品の解説を―

『卵と器による”花”』

今回、出町さんの展覧会にあたり、

出町さんが10年程前に創ったという作品に、花を荘らえる機会を頂きました。

新作のもつ表情に対して、皆さんがどのように感じるかは分かりませんが、

新作という現在においても色褪せることなく存在する、

過去が現在に生き生きと内在する作品に出会い、

その作品のもつ表情と対峙することで、植物の花ではなく、

出会いによってもたらされる花を紡ぎだせはしないか!という想いのもと、

私が花材として向かい合っている卵を出会わせることにしました。

今回、作品から受けたインスピレーションは女性であり、性であり、

生と死の生々しさです。そこに卵という生の象徴であり、

殻(空)となることで死の象徴ともなった卵を出会わせ、

器という大地をえた卵の躍動が、花となりうるのかをご覧頂ければ幸いです。

死してなお、命を包んでいた亡骸は生の証として存在しており、

植物と器の出会いによる花ではない、

卵と出町さんによってうみだされる花が存在することを願って―

 

   

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追伸・昨日、以前からお世話になっている黒川真理さんの独奏会

    にお邪魔させていただきました。何度か招待され

    聴かせて頂いていますが、「はーーーーぁ!」

    とんでもなく心揺さぶられ、感動してしまうのです。

    筝の音色に、その表現に!!

    ただただ、その場所に居合わせたことに感謝です。

    ありがとうございました♪

         必聴ですので、皆さんも是非!!

    来月は鈴木真為さんが、国立能楽堂での独奏会です。

    こちらも楽しみ。皆さんも如何ですか。

真こそが美or美こそが真

ブログネタ
華道・いけばな・フラワーアレンジメント に参加中!

こんにちは。

関東はようやく梅雨らしい空模様。

皆さんは如何お過ごしですか。

さてさて、

目の前にある真(実)こそが美であるとする文化―

美しいものこそが真(実)であるとする文化―

西洋と日本の文化との間には、

捉えるべき(核)心の違いが

おのずと浮かび上がってくるわけですが、

 

花をいけるということにおいては、

美しいものこそが真であるという

日本文化独特の解釈だけではなく、

「真こそが美であるという西洋の感覚さえも呑み込むものである」と

受け止めてみたらどうかしら?なぁんて

考えてみました。

だって、そんな仮説を肉体化できたら面白いでしょ♪

 

「いけばな」、もとい

「花をいける」とは何なのか!

と問い続けることによってのみ

「面白き」「めずらしき」「花」がみえてくるんだろうと信じたいものです。

現代において、

「花」を、芸道という枠に陥れたら申し訳ないですもんね。

   

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アバンギャルド!?

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華道・いけばな・フラワーアレンジメント に参加中!

出町光識×グロリオサ/ルテア

こんにちは。

熱気と湿気がムンムンのなか

如何お過ごしですか。

僕はといへば、

嬉しい来客に、頭スッキリ

歌舞伎で泣き

落語で笑い

能で夢現

熱心にギャラリーを廻るより、

なんだか充実しているかも!などと思っていた矢先

嬉しい収穫がありました♪

とあるギャラリーでの、一コマ。

こんなのを待っていたんだぁ!ってな具合。

作品ではなく、よそ様の会話でです(笑)

それは―

 

「なんかこれ、アバンギャルドだよね。」

この言葉に、耳はダンボ!

アバンギャルド〜!?

この言葉、最近の僕のキーワードなんです。

「数寄者」・「婆沙羅」・「傾き者」って、

本当のところ、なんだろな?ってことで、

その3つに共通することが、「アバンギャルド」なのではないかと。

 

まぁ、いろいろ話しておられました。

こんなに熱く語る学生!?って、いるもんなんだなぁ〜(嬉)。

勝手に会話に飛び込んで

いろいろ話してみましたよ(妄想です。ジッとダンボ状態)

 

そこで、彼らの話を聞いていると

なんだか僕の捉え方と、えらい違うみたい。

そんな捉え方でいたら、目の前にある「いま」を

安易に取りこぼしてしまうんじゃないかなぁ・・・

と、会話に突っ込みつつ。

 

いま僕が考えるアバンギャルドとは、

「その瞬間、もしくはその時代が求め、必要としているもの」

「古いシキタリや因習etc」との間に横たわる深い溝に対して、

如何に向かい、如何に動いているかということであり、

これからの時代に合った、新しい感覚を紡ぎだすための

戦いこそが、アバンギャルドなんじゃないかな!と、思うわけです。

 

じゃぁ、いけばなでいうところのアバンギャルドって、いったい何だろう?

と考えたとき、

 

空っぽの空間、空っぽの器、(ウツ)

そこに自然と人、そして時間が存在して、

変化を感じ、(ウツロヒ)

そこにある一瞬を切り取ることで、

そこで初めて、瞬間が際立つ。(ウツツ)

 

という、きわめて仮設的(総合的)な「いけばな」は、

刻々と変化する時代と、変化しない固有性との間で

つねに揺れ動いているという点において、

その瞬間を掴み取るという、いけばな

それ自体が、アバンギャルドなんだなぁ!と。

 

こう考えてみると、いけばなに向かう姿勢がみえてきて、

今まで以上に、身が引き締まる思いです。

そんな困難が、何よりの楽しさなのかな。

   

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独白

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華道・いけばな・フラワーアレンジメント に参加中!

あぁ、何処へ行けば出逢えるのだろう

出逢いたい花に

 

そんな言葉からはじめてみました。

昨日から始まった

資生堂ギャラリーでの展覧会は如何なものかな。

いろんな意味で!?いや、当然のことながら!?

上野雄次さんのエントリーがあるはずもなく・・・。

銀座の一角に、花から花へと昇華した

特別な空間を創り出せる人がいるかどうか、ですね。

 

これからのいけばなとして、ただ願うこと―

それは、おのずから自身の存在を誇示するような

強い表現におちいり、現代美術の亜流か

もしくは、単に意味ありげな思わせぶりにならないように、と。

それ自体で空間を支配しようなどという思考は現代美術に任せて、

いけばなは、

器や人、空間、そして時間をものみこむ

無限の受容体としての利点(そもそもがそうなのだから)を生かし、

いけばなに適った、豊かな表現を模索していきたいものです。

想像を超えた環境変化に追従し、自らの存在を霧散させぬよう・・・

 

ここで、李禹煥(リ・ウーハン)の著書から一節

「いけばな展を観て歩くと、それがいけばなであるにもかかわらず、

いや、だからこそだろうか、会場の雰囲気の非自然さに気づく。

生きているかまたは枯れている植物を用いてはいるが、

必ずしもそこに生命の生死や自然の時空間が表れているわけではない。

むしろ自然からも人工からも隔てられた場所、

異様で巨大な飾物に居合わせることになる。」

この後に続くいくつかのフレーズも含め、

考えていかなければいけない問題が立ちはだかっている。

 

小原流初代家元、小原雲心によって始められたデパートでの花展。

それからもう100年が経とうとしている。

100年も前の出来事なのか、

それとも

まだ100年そこそこの出来事なのか、

大切なことを考える、いい節目だなぁ!なぁんて。

 

何をしたか、ではなく

したことによって、何が伝わったか

 

宗教活動はそこそこに、いい花いい花!

ありのままの花ではなく

目に見えないあるべき花を、目に見える形にしたいものです!!

   

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ひとりごと

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守り神きょうは東信さんの

プライベートギャラリーへと足を伸ばした。

やっぱりやり方がうまい。

東さんがしていることは、

既にし尽くされ、

今でもわずかながらに

全く同じような作品を作っている人も見受けられたりもするものだった。

型のある「いけばな」をしている人たちの集まり(いけばな業界ともいいますね)

のなかにあって、

もう忘れ去られようとしている

現代いけばなの一つの表現である。

 

ただ、表現する場

表現を向ける対象がまったく違う。

いけばなという日本の総合芸術を考えるとき、

場や鑑賞者なくしては成り立たないわけだから、

その二つが違うということは、

恐ろしく違う結果になるのは目に見えている。

そのうえ、

語る言葉(コンセプト)がしっかりしていて、

自身の行為が発展途中であれなんであれ、

発信するにおいては、

メッセージが鑑賞者へとむけられている。

何よりも、

自分自身で今の状況を作り出したこと

(注目される立場であり、場であり、行動)が

彼自身の歩みにおいて、何物にもかえがたく

もっとも偉大なことなのである。

 

表現することにおける意義を

改めて考えなければいけないと気付かせてくれる

展示だった。

 

コンセプトにおいても、

「花をいかす」、「花をいける」、「花とは」という問いに、

いろいろな矛盾をかかえたまま、

もしくは矛盾にぶつかったとき、

性急にださざるを得ない一つの結果が

あの表現になってしまうんですね・・・。

と感じざるを得ないものではあったけれども、

ここまでしっかり考えて花に向かう姿は

本当に素晴しいとしかいいようがない!!

 

やり方がうまいと云えば、假屋崎省吾さんが思い浮かぶけれど

東さんの比ではないですね。

とはいへ、昔は假屋崎さんもそうだったのになぁ・・・。

 

ただ、「花をいける」という行為を考えたとき

川瀬敏郎さんの「花」

中川幸夫さんの「花」、こちらは「命」と呼ぶべきかな

とは、まったく違うもの。

単純にパターン化をする必要もないし

そのパターンにはまる必要も無いけれど、

実際に目にすることで

東さんは假屋崎さんと同じところにいるんだなぁ、と感じた一日だった。

 

過去の出来事で詳しくは覚えていないけれど、

一度だけ

川瀬さんが中川さんについてのコメントを残したことがあった記憶がある。

「中川さんはいけばなを芸術にしようとしたひと

花というものを中川さんはひとりの個性がつくりだす芸術だと信じている

私は信じていない。」

といったことだったと思う。

個性を消した(表現として誤解され易いところですが・・・)花

を表現するという川瀬さん(ここで川瀬さんに突っ込むのはおいておいて)

にたいして、

作品の完成度・純度は別としても、

個性であったり、表現としての責任など

東さんは中川さんの方向性かな!?

と思うところがありましたが、

実際は違いましたね。

芸術という意味では、

コンセプチュアルアートではありましたよ。

 

とはいへ、これからも続く展覧会は、

チェックすべきものに違いはありません。

 

コンセプチュアルアートといへば、

現在、恵比寿のリムアートにて開催されている

ヘルマン・デ・フリースさんの展覧会にも足を伸ばした。

 

花をいける、花をいかす、という

儚い生命を対象とした行為は、

消え行くことを当然のこととして受け入れる習慣なのか、

どんなモノであれ、

残すということに対しての価値を見出さずにいる。

まさにこれが、「いけばな」たる存在意義ですかね。

 

ただ感じたことは、どんなものであれ(語弊がありますが)、

表現という責任において

残すという行為が一つの個性を作ることは否定できないなぁ!と。

中川さんにしろ、東さんにしろ、大竹伸朗さんにしろ

そしてヘルマンさんにしろ、生粋のアーティストですね。

 

「いけばな」もとい、

不易と流行、静と動との一瞬の調和を求める

はかなく、後には何も残さないものを

日本文化の特徴と捉えるとき、

単なる花が、「花と成る」ときとは如何なものか

じっくりと考える夜にしようと思います。

 

先日、ぼくの大好きな梅若六郎さんが

シテとして演じられた能の「安宅」こそ、

舞台という器の中で、各々が各々の花を咲かせ

全体として、一つの充実した「花と成る」舞台だったことを噛みしめつつ―

   

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舞台進行におけるsapさんと、守下篁先生の演出も勉強しなきゃですね。

一期一会

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真結 vol'4こんにちは。

怒涛の一日が過ぎ、

チョット一息。ハーハーハー・・・。

午前中のいけこみを終え

何とか目白庭園に伺うことができました。

素敵なお庭に、素敵なお茶室です。

写真を撮っている時間がなく、残された写真は、

これから焼きまわされるであろう

確実にシャッターを押していらっしゃった方々のもの。あるかしら・・・。

それにしても、普段は定員30名の部屋に倍以上のお客さんが入り、

嬉しい悲鳴です。

用意されたお茶もお菓子も美味しくて!

もちろん演奏も気持ちのいいものでした。

 

思い起こせば、先週の金曜日

急な話ではありましたが

演奏会に花をいけて欲しい!とのこと。

折りしも僕は、銕仙会定期演奏会にて、

銕之丞さんが演じる(しかも初演)、能・西行桜を観たばかり。

演奏されるプログラムの中にも

西行桜が含まれていることから、

これも何かの縁!?と思い、引き受けたのでした。

能の西行桜では、ワキである西行が

 

花見んと群れつつ人のあるのみぞ

あたら桜の咎にはありける

 

と詠むことで、その感情を戒めるシテの登場となりますが、

さかのぼること300年

 

世の中にたえて桜のなかりせば

春の心はのどけからまし

 

と、在原業平も詠んでいるように

桜の花には、人を花狂いにさせる力があるようです。

 

さてさて話を戻して、

本来であれば満開の桜を用意しなければいけないところでしたが、

季節も季節、そのうえ受けたのも1週間前・・・

あまりに急な話であったため

手に入らない桜・・・

花木が咲き乱れるこの季節

桜の代わりを考えていたときに、ふと浮かんだのが

「花水木」でした。

なぜなら、1915(大正4)年

東京市長の尾崎行雄氏が、アメリカのワシントン市へ

桜を寄贈した返礼として送られたものが、

「花水木」だからです。

季節的にもぴったりですよね!?

とはいへ、桜の名残惜しさも表現したいと思い

2メートルばかりある、伸びやかな葉桜を用意して

花水木と出会わせてみました。

赤鳥庵

 

 

 

 

演奏会でありましたので、

華やかさを演出するのはもちろんですが、

西行に思いをはせているわけですから、

花はいじくることなく、あるがまま

ザックリと素直にいれてみました。

西行にしてみれば華やか過ぎるかもしれませんが、

たんなる投げ入れです。ザクザクと。

 

今回使用させていただいた器も敷板も大変好評で、

西行が生きていた時代の雰囲気が、

お客さんにも十分伝わったようでした。

空間と器と花と

そして筝の音

何とも幸せな一日です。

 

この器ホントにいいでしょ!!

終了後、沢山の方に声をかけていただき

竹下鹿丸さんの名前も伝えることができました。

って、以前ブログでも紹介させて頂いた方ですが、

今回の器、

竹下鹿丸さんの器なんです。最高でしょ

無造作に入れた花木も

ゆったりとした余韻の中で楽しそうです。

他にも素敵な器を作っていますので、

是非是非チェックしてください。

 

最後になりましたが、

今回このような機会を与えてくださった

黒川真理さん・鈴木真為さん

本当にありがとうございました。

深く御礼申し上げます。

二人とも、着物姿が綺麗でしたよ。

 

沢山の素敵な出会いにささえられ

最高の場との出会い

一期一会に感謝です

 

   

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西行桜

ブログネタ
華道・いけばな・フラワーアレンジメント に参加中!

こんにちは。

あいにくの雨

けれども

植物たちには恵みの雨

明日の元気のため、

ゆっくりと次なる時間に備えたいものです。

 

さてさて先日

宝生能楽堂にて、銕仙会定期公演

を観に水道橋へ。

 

野村萬斎さんがシテを演じる

狂言「泣尼」を観て一笑い。

前回観た狂言でもそうですが、

現代のわれわれにも容易に理解できる言い回しに、

雰囲気や様子だけではなく、言葉も含めて

感じ笑える楽しさは、

古の風を、はたまた祖先の味わった楽しみを

共有できる喜びで、何ともいえない感覚に体が包まれます。

 

しばしの休憩を挟み

観世銕之丞さんの舞う

能「西行桜」へ。

 

花見んと群れつつ人の来るのみぞ

あたら桜の咎にはありける

 

と詠んだ西行に

夢中の翁と名乗る老人が

非常無心の桜に罪科があるはずがなく云々―。

 

老体の能の傑作といわれるこの西行桜。

世阿弥の「風姿花伝」物学条々の

「老人」のなかに、

 

ただ老木に花の咲かんがごとし

 

という、深〜い言葉があります。

 

花とは如何なものか

を考える、または感じる、

またとない番組でした。

勉強勉強×一生ですね。。。

 

そんな中、縁とは不思議なもので、

今週末ひらかれる筝の演奏会にて、

花をいけさせて頂くことになりました。

それがなんと、「西行桜」!and etc

これにはビックリ

 

急なことではありましたが、

目白庭園内の茶室「赤鳥庵」という空間で、

いけばなにとってこれ以上ない場での花いけに、

いまからワクワクしているところです。

筝曲奏者の黒川真理さん・鈴木真為さん

宜しくお願い致します。

 

   

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夜な夜な

入れものがあって、花がある。

器があって、花がある。

花があって、入れものがある。

花があって、器がある。

いけたい入れものがあって、花がある。

いけたい器があって、花がある。

花があって、いけたい入れものがある。

花があって、いけたい器がある。

いけたい花があって、入れものがある。

いけたい花があって、器がある。

 

いけたい器があって、いけたい花がある。

いけたい花があって、いけたい器がある。

その器じゃなくても・・・。

その花じゃなくても・・・。

とはいへ、気持ちもあるしな・・・。

 

器、花、それぞれにそれぞれの機能があってホニャラララ。

その器じゃなくても・・・。

その花じゃなくても・・・。

とはいへ、気持ちもあるしな・・・。

 

いけたい器

いけたい花

その器じゃなくても

その花じゃなくても

じゃぁいったい、普段教えている花は・・・

花?型?があって、入れもの?器?があって、

こんな風にしていければ、こんな感じに!?と。

どんな入れもの?器?でも、こんなバランスでいければ・・・。

 

その先のものが見えるかな。

でも見るためには、そこを越えなくちゃかな。

まぁ、花を教えること自体が・・・。

 

入れものを作る人。

器を創る人。

花をいける人。

華をいける人。

 

なんか抜けてるな。

お互い知る必要の有るもの無いもの。

 

抜けたままかな。

んー・・・。

 

提示することからはじめられる人。

限られた中から考えることではじまる人。

 

いけばなは置いておいて

いいはないいはな

花いけですな。

 

こちらは花から考えて、

世阿弥さんや観世寿夫さんの続きを

僕の言葉でこねくり回すとしましょう。

   

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桜が咲いた。はたして僕は。。

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桜

こんにちは。咲きましたよ!

さ・く・ら

この写真は早朝のもので、

まだ明るくなる前でしたが、

すぐに気付いちゃいました。

中世までは、”貴族の花”であり”都市の花”であった桜は、

中世以後になり、ようやく民衆の花となったようです。

春を感じる植物として、今以上に気持ちをのみこんで咲く

花だったのでしょうね。

 

さてさて、昨日までの2週間

ぎゃらりー玄海さんにおいて、出町光識さんの個展に

花をそえさせていただきました。

出町さんには、多くのものを頂いてばかりで、

何かひとつでも表現で返せたかどうか・・・。

考えなければいけないこと、

考えるべきこと、

これらを改めて提示されることで、

いまさらながら本当に恥ずかしいことですが、

これからの花いけで取り組むべきことが

再認識されるいいきっかけとなりました。

想像でもなく、妄想でもなく、空想でもなく、

実際に取り組める、曝しの場の絶対的な価値ですね。

ほかにも、数多くの出会いによって、

かけがえのない時間を持つことが!

最高の贅沢でした。

種をいっぱい頂いて、あとは僕が

花をさかさにゃ!ですね。

今宵は、シンクロにフィギュアに

表現について考える肴がたくさん用意された夜ですから、

ぶつぶつ楽しくやることとしましょう。

春だ春!

心も体もリハビリを終えて、そろそろヒダヒダに戻らなくちゃ。ハハ

最後に、こういった機会を与えてくださった

出町さん、

ギャラリーの桂山さん、

ならびにスタッフの皆さま、

本当にありがとうございました。深く御礼申し上げます。

馬酔木

 

 

 

 

 

 

   

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展覧会の様子はこちらから。

草月

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出町さん×苧環筑波の山にひっそりと咲く苧環。

山野草が元気に活動を始めるこの季節、

トレッキングシューズをはいて、

山野草を観察しに出掛けたいものです。

さて、このところ巷では、

デパートの催事場などで

いけばなの展覧会なるものが開かれています。

今日はそのひとつ、勅使河原茜展 −私の花−を観るために

日本橋の高島屋までお出かけしました。

 

イヤー凄い!山ひとつ分ぐらいは裸にしてしまうであろう枝の数々。

贅沢といえば贅沢、無残といえば無残。自然に対してのお礼と

お清めをしなくては。

これほどまでに大きな展覧会ともなると、

生産者への注文だけではなく、

山に分け入り、枝振りのいいものを伐採してきているわけですから。

 

作品としては、1作1作直球で、

真剣勝負の花ばかりでした。会場全てですね。

 

この展覧会を期に、経済的利益を守るだけの組織である

家元制なるものからの別離を謳えば、

勅使河原という存在が、

はたまた、いけばなのこれからの世界が、

華ひらいたのになぁ・・・云々。

 

草月の花というのではなく、勅使河原という華。

今回の展覧会は間違いなく、いけばなが

まったく個人のものであることを、結果で証明しているのですから。

 

日本人がたどってきた花をいけるという文化を考えたとき、

16世紀に、「流」の意識が芽生えた時点で、曲がり道に入り、

17世紀に、花道という言葉が儒教道徳と結びつき、自由な精神を

失った時点で、道に迷い、

18世紀に、数多くの流が出現し、家元制度が確立(乱立)したときにはもう、

真っ暗で何も見えない状態になってしまったまま、

現在に至るまで、地面のない世界でもがいていると考えています。

表現の手段ばかりで、花木との精神的な関わりは如何なものか。

 

それぞれがそれぞれの大きな節目を迎えるとき、

自身の行為がいかなるものかを考えた上で、

いい選択をしていきたいものです。

   

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今日の関心事・展覧会終了後の花材の行き先。

          まさか再利用先も考えずに、

          捨てたりなんかしないですよね。

live

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ぎゃらりー玄海こんにちは。

天気の良い一日でしたね。

花粉症の方々には

つらい一日だったのかな!?

僕はいま、カンガルーポ花粉なるものに苦しんでおります。

あるのでしょうか、そんなアレルギーが。。。

谷渡り×カンガルーポ

 

 

 

 

 

 

さてさて前回お知らせしたとおり、新宿のぎゃらりー玄海にて、

土に姿を与え、僕に水を与えてくれる・出町光識さんの個展が始まりました。

器の数、そのうえサイズさえも分からず、

器が到着するまで何もわからない状況。

出町さんの人柄をたよりに花を選び、

器の並ぶギャラリーへと。

木瓜

 

 

 

 

器が決まり、花を選ぶ。

花が決まり、器を選ぶ。

 

このどちらにも属さない即興。

花をいけること事態が即興ではあるけれど、

無から有をうみ出すものとは違い、

いけるにおいては、準備における心遣いが何よりも大切。

料理も一緒かな。何よりも素材ですから。

フレーミングパーロット・lip

 

 

 

 

でも今回は、制約を設けた上での、あがき的なライブ。

制約があるという不自由に、かえって自由になれたのかも。

無から有を生み出す楽しみに似た、強い力を感じながら、

出町さんの器がもたらす力に助長され、

楽しくいけることができました。

そばで見ていた出町さんにとっては、どうなることやら!?と

心落ち着かぬ時間だったことでしょう。

入り口

 

 

 

 

 

 

これから2週間、今回の只々いける!ではなく

素材を選ぶ、というドキドキの時間を持ちつつ、

自分も、ギャラリーにおいでになる皆さんも楽しめるよう、

頭と手を動かしていきたいと思います。

   

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こんにちは。

暖かい陽射しに強い風

春の風物でもある、蕗の薹に舌鼓を打ちつつ

確かな春の訪れを

気持ちを整え、しっかりと感じたいものです。

先日、清瀬から素敵なプレゼントが届きました。

それは、色とりどりの梅です。

おかげで、部屋いっぱいにひろがる馨を楽しんでいます。

とっても可愛らしい花ではありますが、

どことなく妖艶さを感じるのは、

その枝振りと枝先の花のつき方だけではなく、

その馥郁たる馨のせいでしょうね。

”美しや紅の色なる梅の花

 あこが顔にもつけたくぞある”

菅原道真が5歳の頃、庭に咲く紅梅を見て

その花びらで自分の頬を飾りたいと詠ったことも、肯けます。

花といえば「さくら」となる前まで、

7世紀から9世紀末にかけては、

梅を花として愛でていた我々日本人。

大陸の文化を崇拝していただけかもしれませんが、

花(梅)を思う気持ちは本物であったことと願いたいものです。

古代人によって残された詩文の中に、

梅の花を詠ったものが多くみらるように―。 

   

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いいのやらわるいのやら

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ukiyo-e tokyoこんにちは。

UKIYO-e TOKYOでのお花も

はや9日。

さまざまな条件を満たしてくれる、

たものしい存在として選んだ花材。

期待と願い通りに、綺麗な状態で

咲いてくれています。ちなみに、購入してからは10日です。

ただちょっと、、いつもながら気になることが・・・。

 

こんなにも良い状態が続いていいのでしょうか!?

草木の花も散るからこそ

花開いたときに美しいのであって、

 

しかるべきとき(季節)に咲き、散り、

また次の年を迎え咲く

 

という繰り返しの中にあってこそ

花を愛(め)づる、または、賞(め)づることができ、

その珍しさがまた、私たちの心を

つかんでやまないのではないでしょうか。

 

でも今日の流通事情。。。

花もちがいいですね。

ダリアでさえ長生きするようになりつつあります。

空洞であるはずの茎を、水をよりよく花に届けるため、

空洞ではなくしてしまう努力が続けられているらしいですよ。

―扱いが難しいお花ですから、少しでも長く、

  綺麗でいてくれることは有難いんです。。。―

 

それもこれも、花という命を大切に思うが故なのでしょう。

少しでも長く生きていてほしい!と。

医療、はたまた人間と一緒ですね。

いづれにせよ、死に向かっていることに変わりはないかもしれませんが、

不老などと宣うになってしまったら世も末。

あくまでも、悪あがきの範囲!?でもがきつつ。

 

でも、

大事な命だからこそ!であるはずなのに、

その大切な部分が抜け落ちて、

愛(め)づる気持ちを、賞(め)づる気持ちを

失ってはいないでしょうか。

一番大事な心を失った状態で、

あらぬ努力をしているとしたら、そんな命はいりません。

 

儚いからこそ、繊細だからこそ、

大切にする気持ちがあらわれるのであり、

その気持ちのもとで、おのずと

時間をかけ、手間をかけ、

命を慈しむ感情が、育まれていくのではないでしょうか。

 

「面倒くさいからイヤ」では、もともこもありませんが、

面倒なのではなく、

命に触れることは、手間をかけるものなのだと理解し、

命の尊さを考えていきたいものです。

 

まずはともあれ、

ふと、皆さんと私が出会える花をいけられるよう

精進精進。

   

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ありがとうございました!

卵樹

こんにちは。

今年最後の展覧会である、

公募展が無事に終了いたしましたので、

お知らせ申し上げます。

「ありがとうございました!!」

卵という花材(素材)と向き合い、

素材の面白さや、新たな発見を

手に握り締めながら、卵を用いた「いけばな」で

空間を構成していく意味と、そして、会場ごとに必要とされる、

私自身の作品に対する着想とを、

頭と手によってまとめあげる行為は、また来年も

僕を楽しませてくれんるだろうなぁ!!

というワクワクを胸に、会場をあとにしました。

来年も、また何処かの会場でお目にかかれることを

願っています。

   

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バケツの日常

syagaバケツの中からこんにちは♪

いつものことではないけれど、

器に入らなかった

(数ある材料の中で選ばれることのなかった)

今回のシャガ・・・。

器に収まったどのシャガよりも、

ひっそりと美しく

バケツの中で花を咲かせていましたぁ

器に収められたシャガとは違い、手を加えられることなく、

ただただ静かに咲くはな。

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本桜♪

 

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本桜

あんまり綺麗すぎてビックリ

手にした瞬間・・・。

ハサミなんて、入れられなぁぁぁぁぁっい

「いけばな」だけが、空間全体を作り上げていく!?

その答えは・・・!

 
いけばなは、植物の表情を的確に捉えて表現するだけではなく、
 
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